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七十年目の目覚め

三大噺のお題が「蝉」「携帯」「麦茶」でした。

3年前に書きましたが、設定に無理がある話と重々承知の上でお目汚しをしてしまいます。


青春恋愛ものです。


 ヒグラシの鳴き声が聞こえる。

 颯太は、この所習慣になったように、携帯電話の登録ボタンを押した。しばらく探査音が続き、留守番電話サービスの声が流れる。終わりまで聞かず、これも機械的に切る。

 千紗都がいない事はもう分かっているはずなのに、今更何のためにしているのだろう。


 初夏のあの日、千紗都の家で砂糖の入った麦茶を出された時、懐かしい味に思わず笑ってしまった。不思議そうな彼女に、颯太は父の郷里にいた曽祖母のことを話した。『センばあちゃん』と呼ぶ颯太を、曽祖母はとても可愛がった。そのばあちゃんの出す麦茶がいつも甘く、他の孫、曾孫達には不評にも拘らず、『麦茶はやっぱり甘くなくっちゃ』との信念を頑と変えなかった。それを聞いて千紗都は、鼻息荒く強く頷いた。

「そうよね。麦茶は甘いのが一番よ!」

 そのおばあさん、気が合いそうだわ、いつか紹介してくれる、と訊いてきたが、前年亡くなったと伝えると、とても残念そうに溜息をもらした。

「でも、会えば絶対気が合ってたと思うよ。なんせ、ぶっとんだばあちゃんだったからね」

 十歳まで父の郷里で育った颯太は、いつもセンばあちゃんの後にくっついていた。新し物好きなばあちゃんの周りには、いつも何かしらどきどきする物がたくさんあった。特に傘寿を迎えているにもかかわらず、携帯だのパソコンだのの扱いには、子や孫たちが及ばないほど長けていた。老眼鏡越しに、親指で携帯を打つその早いこと。目を丸くする曾孫に、ばあちゃんは微笑んで言った。

「このくらい誰だって打てるさ、ソウタもね」

 また、ばあちゃんの作るお菓子も、年寄りの定番をはるかに超えている。ある時、ミルフィーユ・ジュレなる舌を噛みそうなお菓子を作ったが、そのおいしいかったこと。颯太はこの世にこんなおいしい食べ物があるとは、信じられなかった。

「わ! ミルフィーユが作れたの? すごい! 私も挑戦してるんだけど、なかなか上手に出来なくってさ」

 つくづくそのばあちゃんには会いたかったあ、と千紗都は残念がった。

 彼女の家を辞する時、近くまで送ると言うので、一緒に夕暮の道を歩いた。林の中からヒグラシの鳴き声が響いていて、千紗都は目を閉じて幸福そうに聞き入っていた。

「きれいな声よね。私大好き」

 そう言って白い携帯を取り出すと、着信音のボタンを押した。携帯から流れたヒグラシの声。

「家族や大好きな友達は、これなんだ」

 にっこり笑い、颯太の耳に口を近づけ、もちろんソウタもね、と囁いた。

――ソウタもね

 センばあちゃんと同じ抑揚に、颯太は思わず目を瞬かせた。どうしたの、と訊く千紗都にそれを話すと、この曾ばあちゃん子めと、耳を引っ張られた。

「ばあちゃん子は三文安いんだよ、ソウタはその倍だね」

 いーっと、歯を見せた顔も今は切ない。


 二週間前、千紗都の一家を乗せた車が、濁流の川に沈んだ。両親と弟の遺体は上がったが、千紗都の行方は未だ分からない。

 それ以来朝と夕、ヒグラシの鳴き声が聞こえるたびに、颯太は千紗都に向けて携帯の発信ボタンを押している。どこかの携帯から、ヒグラシの声が聞こえないかと思いながら。


 颯太、少しは食べなさい、と母親がいなり寿司や揚げ物を乗せた皿を脇に置いた。

 この日センばあちゃんの一周忌で、親戚が皆、父の郷里に集まっていた。仏壇のある座敷には、酔った伯父叔母達たちの歓談の声が上がっている。颯太は夕刻から縁側に腰掛けたまま、月夜に浮かぶ田んぼを眺めていた。夕焼けに高く響いていたヒグラシも、すでに止んで、今は蛙だけが鳴いていた。

 千紗都の事を知っている母親の気遣いを、ありがたく思う。皿と一緒に置かれた麦茶が甘く、ばあちゃんより千紗都の笑顔が鮮明に思い出された。

「センばあちゃんはヒグラシが好きだったわね。携帯の着信音にしたくらい」

 機械的に口を動かしていた颯大の耳に、叔母の声が届く。振り返ってみると、仏壇の下から取り出した箱を探って、携帯を取り出したところだった。

「ねえねえ、この電池はこれでいいの?」

「うんそう、貸してみて」

 傍の従姉妹が頷いて手を差し出し、叔母から携帯と電池を受け取った。

「けど、なんだって今頃、ばあちゃんの携帯に電池入れるの?」

「それがね、今年の春になったら買うよう電池の番号を控えたメモを見つけたのよ。せっかくだから、携帯好きのばあちゃんの供養になると思ってさ」

 すぐ買い換えるもんだから、この数見て、と叔母は箱の中身を披露した。

「すごいよね、これなんか三月に出た最新機種だもん」

 そう言って、携帯の電池の蓋を閉じた従姉妹へ、叔父の一人が酔った赤い顔を向ける。

「そんなはず、ねえだろ? ばあちゃん死んだの去年の夏なんだから」

「だって、友達が同じの持ってて、そう言ってたよ」

 でも、どうして一番ぼろっちいんだろうと、示した手へ目が留まった途端、颯太は身を固くした。

 白い携帯が開かれ、電源が入れられる。


 颯太は息を詰めて、座敷の奥の祭壇に飾られた『センばあちゃん』の写真を見上げた。今まで何度も見た顔だった。優しく「ソウタ」と呼びかけてくれた笑顔だった。

 それが、あのヒグラシの鳴く夕暮れの中の顔と重なる。「ソウタもね」と囁いたあの笑顔に。

 颯太は震える手で携帯を取り出し、登録ボタンを押した。

 少しして、従姉妹の手の中の画面が点滅しだした。それと共に、澄んだ音が座敷に流れ出す。

 センばあちゃんの着信音が――千紗都の着信音が、颯太の耳に届く。

 あれほど望んでいた音。


 夜も更けた月夜に、七十年ぶりに目覚めたヒグラシの鳴き声が響き渡っていった。



(了)


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