頭桜
震災直後の春、某コミュのミニイベント「桜吹雪」をお題に書きました。
お題的に悲しそうなこともあって、なんとかヘンテコな笑いで励ます作品を書かねばと思いましたが、どうも器ではないようで落語に助けを借りました。
アニメですごい賞を取りました、かの有名なお題です。
シュールさとナンセンスさはとても敵いませんが、まあ、新境地に挑戦してみました。
春というのは、いろいろなものが出てきます。まさに命の芽吹く時。
とある、高校教師佐倉先生の頭に芽吹いたものは、ちょっと微妙なモノでした。
「うーん、これは桜の芽ですな」
頭を覗いた医者の言葉に、佐倉先生、耳を疑いました。
「桜? 桜ってあの桜?」
診察室の窓の外に咲いている、桜の木を指差します。
「さようですな。ちょっと失礼」
そう言って医者が頭に手を伸ばしたところ。
「いたたたたたた!!」
「あ、痛いですか。葉っぱを一枚取ろうとしただけですが。そうすると、これは厄介です」
切除には数週間の入院が必要と医者は言いますが、新学期が始まったばかりなので、夏休みまで待ってもらうことになりました。
とんだものが出来たと嘆息する先生。けれどもこの大きな溜息は、他の悩み事のせいでもありました。
「起立、礼、おはようございます、着席」
生徒がいつものように挨拶をして座るなり、いつものようにがやがやと騒ぎ出します。先生の悩みの種はこれでした。生徒達は佐倉先生を先生と見て無いのです。その原因というのも、佐倉先生が過去に、青春のいわゆる熱血指導したことにありました。けれど今時の生徒にしてみれば熱い教師は煩いだけのようで、何をやっても空回り。声をかけても生徒達は避けるようになり、その内シカトといいますか、誰も先生の顔さえ見なくなった訳です。
桜がすくすくと成長し、頭を緑の葉が覆うまでになると、先生、密かに期待しました。こんな頭ならさぞ生徒は驚くだろう、いくらなんでも無視は無かろうと思ったのです、が。ああ。目を丸くこそすれ誰も何も言わない。一人二人、口を開けかけますが、すぐに顔を背けてしまいます。直に桜の頭に慣れてしまい、以前と変わらない毎日が続きました。
さすがに佐倉先生、激しく落ち込みました。それでも頭の桜の木は元気に枝を張り、葉を茂らせます。梅雨には鬱陶しい程でしたが、いざ夏場になると直射日光を防いで、これが結構気持ちが良い。鬱な気持ちもマイナスイオン効果でありましょうか、随分と慰められ、持ち直してきました。
夏休みの補習授業。佐倉先生は教室の前に座り、ぼんやり課題をする生徒の様子を見守っておりました。風の無い蒸し暑い日で、じっとしていてもじわじわと汗が噴き出してきます。しかし頭の木陰にいる先生には、どこからかの風も感じられ、ついうとうとと良い気持ちです。ざざざざ……と葉ずれの音が耳に心地よく響きます。
どの位経ったでしょうか、ふと目を開けた佐倉先生、驚きました。なんと、涼を求めて生徒たちが先生の周りをぐるりと取り囲み、気持ちよさそうな顔で寛いでいるではありませんか。視線が合うと、皆照れくさそうな笑みを浮かべます。正に夢にまで見た光景。けれど嬉しさに声を掛けようとして、ふと思い止まりました。この暑さの中、生徒たちが求めているのは熱い関係ではなく、涼しい癒しだと気付いたからです。生徒達の目当ては頭の桜の木ですが、やはり慕われ頼りのされるのは嬉しく、佐倉先生、頭の木の枝が生徒達全員を覆うよう、そっと体を起こしました。
以来、先生の周りには生徒が集まるようになりましたが、桜の緑の下で葉ずれの音に耳を傾ける彼らに、先生は決して声をかけませんでした。暖かい目で見守り、大体は自分も眠りこけていました。
こうして補習授業も最後となった日、カリカリという音で目を覚ますと、側にいたらしい女生徒が、慌てて去って行きます。何だろうと思ったものの、先生、帰りがけに医者へ行き、桜の切除手術は受けない由を伝えました。
「健康の様ですから別にかまいませんが、こんなに大きくなっては重くはありませんか?」
医者が気遣うと、先生嬉しそうに首を振りました。
「いや、これが教育者の重荷と思えば、軽いものです」
佐倉先生、頭の桜の木に、教育者としての新しい光を見出したのでした。
さて新学期、生徒の様子が以前と明らかに違います。自然に先生の周りに集まって、おしゃべり、昼寝、弁当を広げたり。放課後には女生徒達がはしゃぎながら寄ってきて、何やら桜の木をカリカリ引っかいて行きます。この頃には、樹皮も厚くなって痛くはないのですが、いったい何をしているのかと鏡を覗くと、幹のあちこちに文字が削られています。狸寝入りをして、女生徒達の話を漏れ訊くと、最初にイニシャルを記した女生徒の恋が叶って、先生の桜は恋愛成就の木として有名になっていたのでした。
やがて、秋も深まるにつれ色づいた葉も散って、暮れにはすっかり枝だけとなり、随分と寂しい様相です。
けれど、終業式の放課後に開かれたクリスマス会では、桜の木に飾られたイルミネーションがそれは美しく光り輝いたのでした。白い息を吐きながら見上げた幻想的な桜は、生徒達にとって、特に忘れ得ない思い出となったようです。
冬休みになっても、先生には休む暇がありません。いよいよ受験の本番とあって、おみくじが枝に結ばれるようになったのです。おみくじといっても、受験票をコピーしたものを願掛けに結ぶのです。大晦日から先生の周りには受験生がひしめき合い、年明けと共にあちこちから柏手が鳴り響き、賽銭の雨が飛び交い、屋台が並び、破魔矢が売られ、餅つきが行われ、スリが出没し、警察官が警備に当たるという有様でした。
こんな具合で正月も過ぎ、節分には桜に上った合格組が節分の豆まきをし、やんやの喝采を浴びました。
そして三月卒業式。愛する生徒達は青春の学び舎を巣立っていったのでありました。
けれども桜の開花を心待ちにする卒業生達が、先生の家にまで訪れ、いよいよ桜が咲き始めると、毎日のように周囲にシートを敷き詰め、お菓子や重箱を広げて、カラオケ、踊りに興じます。もちろん佐倉先生は教師でありますから、花見酒といえども生徒達の飲酒は、厳重に禁止の目を光らせていました。
「ああ、頭に桜が生えた時はどうなるかと思ったが、何と素晴らしい一年だったか」
月影に花弁を散らす桜を見上げながら、佐倉先生は感嘆しました。この年の他の桜名所の自主規制に習い、先生の桜も見物は昼のみ。夜は先生の独占でした。
「でも、一度でいいから生徒達と熱く語りたいなあ……」
そこへ黒い人影が近づいて来て木に上り、枝に結んだ縄を首にかけ、飛び降りようとするではありませんか。先生、驚きました。慌てて人物の腰にしがみついたところ、枝が折れて二人とも地面にズデン。木が大きく揺れて、桜の花びらが激しく舞い散ります。
「き、君!! 何を早まった事を……あ、君は布々木君!」
枝の折れた痛みと尻の痛みを負いながら顔を覗くと、なんと卒業生の一人ではありませんか。
「せ、先生! 死なせて下さい! オレは……オレはもうダメです!!」
布々木君は優等生でしたが、受験時丁度体調を崩してしまい、全ての大学に落ちてしまったのです。今まで挫折を知らなかった分ショックは大きく、最近鬱気味だと他の生徒から聞いていました。先生は布々木君の頭を抱えて、熱く叫びます。
「何を言うんだ、布々木君! 君はできる男だ! 先生は信じてる! いや、この桜が君を信じているんだ!」
布々木君は先生の腕の中、滂沱の涙で桜を見上げました。
「先生……俺も、この桜のように咲けるでしょうか!?」
「勿論だとも! 死んで花実が咲くものか!」佐倉先生が力強く頷くと、桜吹雪が起きました。「君の 頭に、しっかり桜の芽が出ているぞ!!」
(了)