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第四章 他者

 十一月の後半、瀬川と話す機会が少し増えた。

 増えた、というのは正確ではないかもしれない。話す頻度は変わっていないが、話の内容が少し変わった。以前は「当てられたか」「今日のテストどうだった」という確認に近い言葉が多かったが、最近は少し違う方向に向かうことがある。

 ただ、瀬川と話すのは昼休みのほんの数分で、それ以外の時間、私はほとんど誰とも口を利かずに過ごしていた。授業中に隣の席の人と目が合えば会釈する程度のことはある。グループワークがあれば最低限の言葉を交わす。しかしそれは関わりとは呼べないものだった。

 クラスには、放課後もつるんでいる人たちがいる。休み時間になると自然に集まって笑っている人たちがいる。私はそういう輪の外にいた。外に出たというより、最初から入れなかった、という感覚に近い。何かが決定的に足りないのか、あるいはタイミングを逃し続けただけなのか、自分ではわからなかった。わからないまま、十一月になっていた。

 きっかけは昼休みのことだった。

 瀬川は、理系科目が得意だった。

 数学の小テストが返ってきた日、彼は答案を机の上に置いたままにしていた。百点ではなかったが、クラスの中では上位に見える点数だった。私はそれをちらりと見て、自分の答案を確認した。

「数学、得意なんだな」と私は言った。

「好きなだけ」と瀬川は言った。

「違うのか」

「得意と好きは別だろ。得意なものが好きとは限らない」

 私はそれについて少し考えた。英語は得意ではないが、嫌いかというと、そういうわけでもない。ただ、評価される場面に疲れているだけかもしれない。科目そのものではなく、その周りにあるものが重いのかもしれない。

「じゃあ英語は」

「あんまり好きじゃない」と瀬川は言った。「でも佐伯の授業は嫌いじゃない」

「なんで」

「当てられるから」

 意外だった。

「プレッシャーがあるほうがいいのか」と私は言った。

「プレッシャーというより、答えなきゃいけない瞬間があると、ちゃんと考えるから」

 瀬川はそれ以上説明しなかった。私もそれ以上聞かなかった。

 放課後、図書室に寄った。

 課題の調べ物のためだったが、座ってみると特に何もする気がしなくて、しばらく棚を眺めていた。文庫が並んでいる。読んだことのないタイトルが続く。

 瀬川は、当てられることを「ちゃんと考えるきっかけ」だと言った。

 私にとって、当てられることは違う意味を持っていた。「ちゃんと考えていなかったことが露呈するかもしれない場面」だった。同じ場面が、彼には別のものとして機能していた。

 どちらが正しいというわけではない。

 ふと、『金閣寺』の柏木の言葉を思い出した。世界を変えるのは行為ではなく認識だ、というあの一文。現実は変わっていない。佐伯先生は今日も指名するし、小テストは来週もある。しかし瀬川にとって、それは私とは違う何かとして存在している。同じ教室で、同じ授業を受けて、同じように指名されて——それでも彼の中では意味が違う。行為ではなく認識、というのはそういうことかもしれなかった。あるいはそうではないかもしれない。

 ただ、私は自分のその感覚を当然のことだと思っていた。誰でもそう感じるのだと思っていた。そうではないかもしれないと気づいたのは、瀬川の言葉を聞いてからだった。

 翌週の月曜日。

 英語の授業で、瀬川が指名された。問題は長文読解の内容確認だった。彼はしばらく考えてから答えた。答えは半分合っていて半分違った。佐伯先生は「惜しいですね、ここの部分が——」と解説を始めた。

 瀬川は「なるほど」と言って板書を写した。

 それだけだった。何も引きずっていないように見えた。少なくとも表面には出ていなかった。本当に引きずっていないのか、引きずっていても外に出さないだけなのか、私にはわからなかった。

 私は自分だったらどうだったかを考えた。

 半分違っていたなら、残りの半日そのことを頭の隅に置きながら過ごしていただろうと思った。それが当然だと思っていたが、そうでない人もいる。あるいは瀬川も内心では引きずっているかもしれない。それもわからなかった。

 ある日の帰り道、橋の手前で瀬川と一緒になった。

 同じ方向に帰る日がたまにある。大宮駅まで、特に話すわけでもなく並んで歩く。

 見沼代用水の橋に差し掛かったとき、私はいつものように少し足が遅くなった。意識していなかったが、瀬川が気づいた。

「橋、苦手か?」

「苦手というわけじゃない」

「でも止まるよな、たまに」

 見られていたのか、と思った。特に何も言わなかったが、瀬川は橋の欄干に手をついて、水面を見下ろした。

「きれいだと思って止まってるんじゃないのか」

「そういうわけでもない」

「じゃあ何」

 答えにくかった。しばらく考えてから、「なんとなく」と言った。

「なんとなく、か」

 瀬川は欄干から手を離して歩き出した。私もついて歩いた。

「なんとなく、ってけっこう正確だと思う」と瀬川は言った。

「なんで」

「理由を言葉にできないことって、なんとなくとしか言えないから。なんとなくって言えるなら、感じてることはあるってことだろ」

 私はその言葉を繰り返して考えた。感じていることはある、というのはそうかもしれなかった。何を感じているかを言葉にできないだけで、何かがあることは確かだった。

 大宮駅の手前で瀬川は「じゃあ」と言って別の方向に折れた。私は改札に入って、高崎線のホームに向かった。

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