第二章 採点
模試の答案が返ってくる日は、教室の空気が少し変わる。
四時間目の終わりに、担任が答案の束を持って教室に入ってきた。出席番号順に名前を呼んで、一人ずつ手渡していく形式だった。呼ばれた生徒が立ち上がって前に出る。その繰り返しが続く間、教室には妙な静けさがあった。誰もが自分の番を待ちながら、どこか遠いところを見ているような顔をしていた。
名前を呼ばれて前に出る。担任と目が合う瞬間がある。何も言われない。答案を受け取って席に戻る。それだけのことなのに、教室の端から端まで歩く距離が、いつもより長く感じられた。
席に戻って、答案を机の引き出しに入れた。
特に理由はない。今開けても、昼食のあとで開けても、内容は変わらない。それだけのことだ。
「何点だった?」
斜め前の席の田中が誰かに声をかけている。「現代文が終わった」という声が聞こえた。笑い声がついてきた。私は弁当を広げながら、窓の外の校庭を見ていた。
瀬川は、答案を開けていた。
初めて見た。数字に目を通して、一枚ずつ折り畳んで、また重ねている。表情は変わっていなかった。驚いているのか満足しているのかわからない。それとも何も感じていないのか。
食べ終わった頃、瀬川が声をかけてきた。
「見た?」
「まだ」
「そうか」
それだけだった。瀬川は何も続けなかった。私も何も言わなかった。なぜ見ないのかとも、見た方がいいとも、彼は言わなかった。
放課後、帰る前に引き出しから答案を出した。
廊下に人が出ていくのを待って、一人になってから開ける。五科目の点数が並んでいる。数字を目で追って、もう一度追って、折り畳んで鞄に入れた。
待っている間、廊下を覗くと、斜め前の田中が何人かと話しながら歩いているのが見えた。笑い声がして、その声が廊下に広がって、消えた。
何か特別に悪いわけではなかった。何か特別によかったわけでもなかった。ただ数字があった。
廊下に出ると、もう暗くなりかけていた。
翌日、佐伯先生が英語の授業の冒頭に言った。
「昨日返した模試の結果、成績が上がった人は申し出なさい。名前を読み上げる」
教室がわずかに揺れた気がした。揺れたというより、静止した。
申し出は任意だった。上がっていても黙っていることはできる。しかし申し出ない人間は、上がっていないか、上がっていても言わない人間か、のどちらかに分類される。それが明言されたわけではないが、そう感じた。
誰かが手を挙げた。佐伯先生がその名前を読み上げた。また誰かが手を挙げた。読み上げられた名前のたびに、教室の空気が少しずつ動いた。
私は手を挙げなかった。数字は少し上がっていた。それでも挙げなかった。上がった幅が小さかったからでも、恥ずかしかったからでもない。手を挙げる、という行為が、自分には向いていない気がした。それだけのことだ。
読み上げられなかった。
それだけのことだ、と思った。そう思うことにした。
昼休み、購買に行く途中で瀬川と廊下で並んだ。
「さっき手挙げたか?」
「挙げてない」
「俺も挙げてない」
しばらく並んで歩いた。
「上がってたのか」と私は聞いた。
「少しな」と瀬川は言った。「お前は」
「少し」
「じゃあ挙げてもよかったんじゃないか」
答えなかった。挙げてもよかったかもしれない。ただ、挙げなかった。それ以上の説明が自分の中にもなかった。
購買に着いて、それぞれパンを選んだ。それ以上、その話はしなかった。




