第3話 脱出
結が幹部へと踏み出した、その瞬間。
床に刻まれていた魔法陣が一斉に光を放ち、左右から伸びた拘束術式が結の身体を絡め取った。
「しまっ――!」
全身を締めつける圧迫感。
魔力が吸い取られる感覚に、結は息を詰まらせる。
「くっ……!」
(最初から、罠……!)
「先輩!」
玲奈が駆け寄ろうとした瞬間、背後で空気が歪んだ。
次の瞬間、強い力が玲奈の腕を掴み、床へ引き倒す。
「放して!」
必死に暴れるが、相手は一回り以上大きい男だった。
腕力も、体重も、何もかもが違う。
(力じゃ……勝てない……!)
「こいつらを奥へ連れて行け。」
幹部の冷たい声が、感情を削ぎ落とすように響く。
結は玲奈を見ることしかできなかった。
(ごめん……守れなかった……)
コンクリートの床に投げ出され、鉄の扉が閉まる。
重い音が、心の奥まで沈み込んだ。
「……ごめんね、玲奈。」
結は壁にもたれ、悔しそうに目を伏せる。
「先輩のせいじゃありません。」
玲奈は即座に否定したが、声はわずかに震えていた。
「……正直、怖いです。でも……」
玲奈は結を見る。
「それでも、先輩と一緒なら。」
結は一瞬目を見開き、そして小さく笑った。
「ありがとう。……よし、切り替えよう。」
結は立ち上がり、深く息を吸う。
「まだ、手はある。」
結は鉄の扉に近づき、耳を当てる。
外の気配を読み取り、わずかな隙を探す。
「……今なら、いける。」
指先に集めた魔力は、繊細で、静かだった。
(壊すんじゃない。“ずらす”……)
――カチャ。
「……!」
「音、最小限に、行けるよ。」
扉を開けた瞬間、二人は自然と役割を分けていた。
結が前、玲奈が後ろ。
監視役が振り向く前に、結が短く合図する。
「――今。」
玲奈が飛び出し、結の魔法が追撃する。
一瞬の連携で、敵は音もなく崩れ落ちた。
玲奈は胸を押さえ、荒い息を吐く。
(今の……私、ちゃんと動けた……)
その後、杖を見つけ、没収された杖を手にした瞬間、結の魔力が一気に膨れ上がる。
「……戻った。」
その一言に、玲奈は背筋が伸びた。
「先輩、雰囲気が……」
「指揮に戻るね。」
結は周囲を見渡し、地形を頭に叩き込む。
「あの幹部、階段の奥。部屋は一つ、でも――」
「罠、ありますよね。」
「間違いない。」
結は玲奈を見る。
「怖い?」
「……はい。でも、逃げません。」
「うん。それでいい。」
階段を上がるたび、緊張が増していく。
扉の前で、結は一度手を上げて止まる。
「突入後、右から来る。」
「左、私が抑えます。」
「頼む。」
短い会話。
それだけで、二人の呼吸は揃っていた。
「――突入!」
扉が開いた瞬間、魔力が爆ぜる。
広間の中央、椅子に座る幹部が、拍手を打った。
「見事だ。ここまで来るとは。」
「終わりにする。」
結の声は低く、揺れがない。
「できるかな?」
その嘲笑と同時に、壁が割れ、敵が溢れ出す。
「来るよ!」
「先輩、迎え撃ちます!」
戦闘は、消耗戦だった。
玲奈の腕は重く、息は苦しい。
それでも、結の声が背中を支えた。
「玲奈、後ろ!」
「分かってます!」
恐怖は消えない。
だが、恐怖の中で動く術を、玲奈は覚え始めていた。
(怖い……でも、止まらない!)
だが、戦況が傾いたのは一瞬だった。
幹部の放った一撃が、結を直撃する。
「先輩――!」
結の身体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
視界が揺れ、身体が言うことを聞かない。
(立て……まだ……)
玲奈は、結の前に立った。
足は震え、視界が黒く染まりそうになる。
それでも、一歩も退かなかった。
「……通しません。」
幹部の一撃が、玲奈を襲う。
頭をかすめ、血が流れる。
「っ……!」
(怖い……死ぬかもしれない……)
それでも。
(でも……先輩がいる。)
玲奈は歯を食いしばり、魔力を絞り出した。
だが、決定打にはならない。
(限界……?)
敵が、とどめを刺そうとした瞬間――
背後で、魔力が爆ぜた。
「魔法管理庁だ!手を上げろ!」
援軍の声が響き、魔力弾が敵を薙ぎ払う。
「……来て、くれた……」
玲奈の膝が崩れそうになる。
「玲奈……!」
結は這うようにして無線を握りしめていた。
(……間に合って、よかった。)
敵は制圧された。
だが、幹部の姿はなかった。
「逃げたか……」
結は悔しそうに呟く。
帰路、結は玲奈の肩を借りて歩いた。
「……正直、怖かったでしょ。」
「はい。でも……逃げなくて、よかったです。」
結は小さく笑う。
「十分すぎるよ。」
「もっと、強くなります。」
「うん。一緒にね。」
夕暮れの中、二人は郡山支局へ戻っていった。
郡山支局の建物が見えた瞬間、玲奈はようやく肩の力を抜いた。
「……帰ってきましたね。」
「うん……ただいま、って感じじゃないけどね。」
結は苦笑しながら言い、最後の力を振り絞って支局の玄関をくぐった。
中はすでに慌ただしかった。
事情を聞きつけた職員たちが行き交い、二人の姿に気づくと一瞬、空気が張りつめる。
「二人とも! 医務室はこっちだ!」
そのまま半ば強引に連れて行かれ、結と玲奈は並んで椅子に座らされた。
「……傷、思ったより深いですね。」
医務官が玲奈の頭の傷を確認しながら、静かに言う。
「大丈夫です。動けます。」
「“動ける”と“大丈夫”は別です。」
そう言われ、玲奈は小さく黙り込んだ。
一方、結も体の至る所に包帯を巻かれながら、天井を見上げていた。
(……今回は、完全に読み負けた。)
悔しさが、じわじわと胸に広がる。
処置が一段落し、医務室に静けさが戻ると、玲奈がぽつりと口を開いた。
「……先輩。」
「ん?」
「正直……すごく怖かったです。」
結は、何も言わずに続きを待った。
「足も震えて、頭も真っ白で……でも、逃げたくなくて。」
玲奈は自分の手を見つめる。
「先輩が、後ろにいるって分かってたから……立っていられました。」
その言葉に、結はゆっくりと身体を起こした。
「……ありがとう、玲奈。」
「え?」
「守られる側だったのに、ちゃんと前に立ってくれた。」
結は真剣な表情で、玲奈を見る。
「それ、簡単なことじゃないよ。」
玲奈は少し照れたように視線を逸らした。
「でも……私は、まだ弱いです。」
「うん。」
即答だった。
「弱い。でもね。」
結は指を一本立てる。
「怖いまま動けた。それが一番大事。」
「……怖くても、ですか?」
「そう。怖さが消えるのは、ずっと先。」
結は少し笑う。
「私も、今でも怖いよ。」
その言葉に、玲奈は驚いたように目を見開いた。
「先輩でも……?」
「もちろん。」
結は椅子にもたれながら、天井を見た。
「でも、怖いって分かってるから、判断できるし、仲間を頼れる。」
少し間を置いて、続ける。
「今回も……玲奈がいなかったら、私は立ち直れなかった。」
玲奈の胸が、じんわりと熱くなった。
しばらくして、上司から簡単な報告と指示があった。
幹部は逃走。
だが、組織の拠点の一部と人員は押さえられた。
「……完全な失敗じゃ、ないですね。」
玲奈が言う。
「うん。でも、次は確実に捕まえる。」
結の目には、もう迷いはなかった。
医務室を出る頃には、外はすっかり夕暮れだった。
廊下を歩きながら、玲奈がふと立ち止まる。
「先輩。」
「なに?」
「次も……一緒に行っていいですか。」
結は一瞬だけ考え、すぐに答えた。
「もちろん。」
そして、少しだけ意地悪そうに笑う。
「その代わり、訓練は増えるよ?」
「……覚悟してます。」
二人は顔を見合わせ、自然と笑った。
郡山支局の灯りが、静かに夕方の街を照らしていた。
次回に続く...




