第1話 解除
雫と別れたあと、結は研究所の廊下をゆっくり歩いていた。
普段なら静かな研究棟。
けれど今日は、白衣の職員が行き交い、
書類の束を抱えた職員や機器を運ぶ技術員まで慌ただしく動いている。
(……やっぱりただ事じゃないよね)
微弱とはいえ、県内で連続して魔力異常が検知。
しかも昨夜は、より強い異常が――
自分と玲奈のマンション近くで。
結は胸の奥が少しざわつくのを感じながら、資料室に入り調査報告書に目を通す。
(……“干渉性の揺らぎ”。
自然発生にしては珍しい波形……)
ページをめくったところで、研究所内アナウンスが響いた。
『神代結さん。所長室までお越しください』
「……呼ばれた?」
嫌な予感と、何かが動く予感が同時に胸に灯る。
所長室
「失礼しま――」
言葉が途中で止まった。
所長、水戸支局長、七海。
そして背筋の伸びたスーツ姿の男性 -- 関東管区本部長。
「え、こんなに……」
七海が気まずそうに笑う。
「びっくりしたでしょ。私もだよ」
本部長が一歩前に出た。
「神代結さん。突然呼び出してすまない」
落ち着いた声が部屋に響く。
「会議の結果――
君と玲奈さんの待機命令を解除することが決まった」
「……ほ、ほんとに!?」
結は思わず姿勢を正す。
嬉しさが込み上げる。
けれど反射的に、昨夜の異常のことが頭をよぎる。
水戸支局長が優しく補足する。
「魔力異常の連続検知については、すでに専門の調査班を派遣している。
危険性は低く、任務への影響はない」
「……そう、なんですね」
安心が胸に広がり、不安は少しだけ薄れた。
所長が小さく頷いた。
「君たちは本来、動きながら対処するタイプの部署だ。
このまま止めておく理由はもう無いよ」
「……はい!」
力強く返事をすると、部屋の空気が少し和らいだ。
結は深く頭を下げ、所長室を後にした。
夕方
マンションの玄関を開けると、
夕日がカーテン越しに差し込み、部屋全体が柔らかく染まっていた。
しばらくして、カチャ、と鍵の音。
「先輩ただいま!」
「おかえり、玲奈」
結は笑顔で迎え入れた。
「今日ね、すっごいことがあって――」
そう言って今日の出来事を話すと、
玲奈の目はみるみる丸くなっていった。
「えっ……解除!?ほんとに!?」
「本当に」
「……よかったぁ……!」
玲奈は胸に手を当て、大きく息をついた。
その横顔は安心と喜びが混ざっていて、結は思わず微笑んだ。
だけど――
「……少しだけ、寂しい気もしますね。
水戸、長かったから」
「分かるよ。でもまた戻ってくるよ」
「はい!」
二人は夕飯を簡単に済ませ、
任務の再開に向けて静かに準備を進めた。
翌朝
朝日が部屋に差し込み、静かに朝が始まる。
「先輩、充電器入りました!
あと洗面道具と……あ、おやつも!」
「おやつは大事だね」
「ですよね!」
キャリーを閉じながら、玲奈がちらりと窓の外を見る。
「……ほんとに行くんですね。なんか実感ないなぁ」
「行けば実感湧くよ。たぶん」
二人は笑いながら玄関を出て、
箒を手にマンション前の広場へ。
風は少し冷たい。
「玲奈、準備いい?」
「ばっちりです!」
箒がふわりと浮かび、二人はゆっくりと上昇した。
空の上
街が小さくなり、朝の光が雲を照らす。
玲奈が目を輝かせる。
「うわぁ……やっぱ空の旅いいですね……!
茨城、結構広い!」
「茨城県民の実感こもってるね」
「だってほんとに広いんですもん!
あ!あれ筑波山じゃないですか?」
「そうそう。登ったことないけど」
「えぇ、登りましょうよ今度!」
そんな会話を交わしながら、箒はゆったりと北へ向かう。
頬を撫でる風はまだ冷たいけれど、
ふたりの表情は明るかった。
(……揺らぎ、今は感じない)
結は胸の奥の不安を小さく折りたたんで、そっとしまい込む。
今日は旅の再スタートだ。
心は軽くしておきたかった。
福島県・郡山支局
郡山の街並みが近づくにつれ、
建物の間をすり抜ける風が少し温かくなっていく。
支局屋上に着地すると、若い職員が駆け寄ってきた。
「神代さんに玲奈さん!
ようこそ郡山支局へ!」
支局内は明るく、どこかアットホーム。
支局長代理の女性が資料を手渡しながら笑う。
「しばらくは自由行動。
異常も出ていないから、観光でも散策でも好きに動いていいわよ」
「い、いいんですか?」
「ええ。せっかく複数に来たんだから、楽しまなきゃ損よ」
玲奈の顔がぱぁっと華やいだ。
支局の屋上に戻ると、玲奈がそわそわしながら言う。
「先輩……桜、見ません?
行きません?三春の滝桜!」
「ふふ、やっぱり花より団子じゃなくて花?」
「団子も好きですけど!えへへ!」
二人は再び空へ浮かび、三春町へ向かった。
到着して、視界に桜が広がった瞬間――
「……わ……」
玲奈は息を呑んだ。
巨大な枝ぶり、降り注ぐ花のカーテン。
風が吹けば、花びらが雪のように舞い上がる。
「写真より……ずっとすごいね」
「はい……なんか、胸がふわってします……」
丘に座って、買ってきた団子をふたりで分ける。
「春のお出かけって感じだね」
「うん。全国を巡回するのって、こういう時間もいいですよね」
花びらがひとひら、結の手の甲に落ちた。
(……大丈夫。しばらくは、のんびりできそう)
玲奈が湯気の立つお茶を差し出す。
「先輩、お茶どうぞ!」
「ありがとう」
結は微笑み、桜を眺めた。
春風がやさしく吹き抜け、
ふたりの再スタートを静かに祝福していた。
次回に続く....




