たえて桜のなかりせば
私はこれまで、何かを無性に恋しがったり、愛おしんだりすることが御座いませんでした。半ば怪しいものは或るのですが、まぁ、無かったのです。不思議なものですね。私だって結婚して、娘も産んでいるというのに。ですが夫は実家が決めました。さながら政略結婚で御座います。しばらく夫には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。だって、互いに恋愛感情のない夫婦に最初からなるなんで、拷問でしか御座いませんでしょう?ですが、それは私の思い違いであることがわかりました。彼は、どうやら、私を本気で愛していたらしいのです。世間一般の新婚夫婦がやるようなことをいくつもしてくれました。ですが、私はそうする夫を見るたびに、申し訳なく思いました。だって、私が何かを愛することなんて、一度たりとも御座いませんでしたもの。
例えば、お気に入りの玩具。例えば、慣れ親しんだ飼い犬。例えば、祖父に祖母。例えば、父に母。全て、私は愛することができませんでした。いえ、大切にしたいとは思っていますよ。もちろん、愛すべきものということも、大事にすべきものということもわかっています。ですけれど、実感が沸かないのです。本気で好きになったものや人など、どうやって分かると言うのでしょう?
…理由、ですか…?はぁ。そんなもの見つかっていたら、誰だって苦労しませんわ。しょうがないでしょう、物心ついたときからずっとそうでしたもの。まぁ、こんなこと考えること自体、無駄で御座いますわ!
さて、そんな碌でもない私で御座いますが、これでも人の子名家の子。跡継ぎというものを、産まねばなりません。私は本当にそれが悲しくてね…。いえ、私は愛以外の感情は普通に御座いますよ!?そんな冷酷無慈悲な人間だとは思わないで下さいませ。むしろ使用人たちからは慈悲深い人だと、それはそれは評判になっておりますわ。
あら…?それは何故かって…?はぁ…簡単なことですわ。私には愛がありません。ですけれど、それがバレてものほほんと暮らせるほど、心も強くありません。ですから、逆に、です。どんなに心がこもってなくとも、簡単にできる恩の売り方があるじゃないですか。そう、施しです。例えば、外に出ますでしょう?そこには大勢、貧困にあえぐ人々がいますねぇ。そこで、私は施すのです。ありったけの米に衣に、金に住まいを。施しって、簡単なんです。あげるだけでよいのです。これだけですぐに、愛の証明ができてしまうのです。えぇ、貴方もぜひ…。なんてね?貴方は愛が或るようですから、普通にしていればよいのですよ。こんなことばかりやってるもんだから、私をよく知らない使用人ども、そしてその辺の人間達はすぐに私を慈悲深い女神様なんて呼んで、囃し立てていましたよ。ほんと、愚かですわ…。
まぁこんなことどうでもよくって、…そう、跡継ぎ問題でしたわね。
え?何が悲しいのかって…?わかるでしょう?よくよく考えて御覧なさい。愛の全くない母のもとに生まれる子ですよ…?碌な子になるわけないじゃないですか…。それに夫も調達せねばなりません。あぁ、哀れ哀れ。私のような愛のない人間に、嫁にされた人間と、そこから産まれる子供…。これの何が、悲しくない要素なのですか?
妙に淡々としていますねって、貴方…人の話、聞いてました?愛がないんですよ。私には。
そんなこんなで私は仕方なく、子供を産む羽目になってしまいました。それまでも夫は本気で私を愛してくれていたようでした。例えば…、結構…、口吻…?というのですか…?をしてくれたり、今から思えば、結構スキンシップとかもしてくれたり。あの人は本当にいい人でした。私なんかに……………いや、本当に何で私のところに嫁がされたので御座いましょう?はぁ…、考えることがまた一つ、増えてしまいましたわ。
そして私はそんなこんなで、娘を産みました。私は正直、何で男の子じゃないのだろう…?と思ってしまいました。だって、この子が男の子だったら、もうこれで済んだのに。この子が女の子だったから、また跡継ぎを残すために子を私の中に成さなければならないのです。この世にそんな不幸な子供は、二人もいりません。私の下に産まれてくる子など、どうせ碌なものになりませんから。
私が娘を産んだ時、周りの人は思っていたより喜んでくれました。私は不思議でした。何故、女の子なのにそんなにまで喜ぶのだろうと。何故、男の子をさっさと産めと私を叱らないのだろうと。私が初めて娘を抱いた時、残念ですが、特に何とも思えませんでした。こんな私ですが、少しぐらいは期待していました。娘を抱くことで、少しくらい愛情の片鱗が見られるのではないかと。けれど、そんな夢想は儚く潰えました。ですが、私はまた、心に決めたことがあります。私に罪はありますが、娘に罪は御座いません。ですから、娘だけは、娘だけは愛情溢れる子に育てよう。私のような女の片鱗を一編たりとも残しはしないと。
それからしばらく、私は必死に育児、ひいては教育に励みました。私のような人間になってはいけません。もし私の片鱗があるのなら、その芽を私が例えどんな事をしてでも根こそぎ奪い取ってやる。全ては娘が、せめて人並みの生活を過ごせるように。さて、私の性質は、先天性のものでした。ですから覚悟はしていました。けれど娘は、そんな私の覚悟を裏切るように立派な娘になってくれました。先天性のものでは、なかったのですね。
例えば、そうですね…。可愛げに植物に水をやったり、飼い犬を無性に可愛がったり。これは、本心からのものでしょう。私には、あんな無邪気な笑顔は出せませんでしたから。
そうして、これまで過ごしてまいりました。夫とも良好な関係を築き上げ、娘も夫とよく遊び、その手の感情は夫から学んだものと思っています。これを言いますと、やれお前がやれだの手本を示せだの言ってくる輩がいますが、無いものをどう教えてやれと言うのでしょうか?
その間夫とは、それなりに良い関係を築けました。一般の夫婦のように、愛情があるように振る舞いました。それもこれも、娘のためです。夫は鈍感な人でしたから、私のことには何も気づいておらず、本気で互いに愛し合っていると思ってくれました。私にとってはそちらのほうがよほど、都合がよいのです。
はぁ…、夫との具体的なエピソード…?何故そういったものまで話さなければならないのですか…?まぁ、変に思われてもあれなものですし、お伝えはしますが…。関係、ありますか?
では、お話しましょうか。はぁ…、そうですねぇ…。あ、こんなのどうでしょう。私と夫と娘で旅行に行った時…まぁ、このご時世、色々と外には危険がございますから、それらから自ら身を挺して守っていたことですとか、私の施し何かとは別で、本気でそういう人を救いたいと色々やったり…。えぇ、作り物ではない、本心からのものでしたわ。本当、羨ましいことこの上ない…、そう、思いました。
こんな事を日々続けまして…、娘は成人し、私の家を出ていきました。結局、私は男の子を産むことは出来ませんでした。ですが、そんな私でも、夫や家族は心から愛してくれました。私もそれに応えられるなら応えたいですが、そんなことはできませんから。そうそう、娘ももう居ませんから、私は娘が居た時のようにする必要もなくなりました。ですから、ちょっとだけ、気が楽になったんですよ。
夫は娘を本気で心配していて、娘のために千羽鶴を折っておりました。私も少しだけ、お手伝いを致しましたわ。こんなにも心から、相手のことを思える人なのだと考えると、本当に私のところに来てしまったのが申し訳なくて…。思わず、言ったんです。私のような人が嫁で、ごめんなさいって。彼は、予想外すぎることを言いました。「君が愛情のない人だってのは、すぐに分かってた。でも、無いだけだってことも。君は、確かに愛は無いかもしれない。けれど、人を想う心はあるじゃないか。本当にそんな心がなかったら、娘をこんな立派に育てられるわけがない。そんなに自分を責めないで…。僕は、君の愛が無くたって、心から君のことが好きだよ。」と。私はそれが嬉しくて、嬉しくて泣きました。
以上が、私たちの顛末でございます。結局、私は愛を表すことなんて、出来ませんでした。あんなことになるなんて、思いもよりませんでしたけど。話すべきことは全部お話致しましたよ?ふふ、それにしても、貴方も大変ねぇ?こんな夜遅くに私を取り調べる羽目になるなんて…、お互い、ツイてませんね。はぁ~あ。そんなに怒るんですか?えぇ、ちょっと心外よ。たかが夫を殺されただけじゃない。あぁ、愛していたなら別ですよ?でも私、愛なんて、ないんです。そしてね、私ちょいと和歌の勉強を初めましてね、こうも思うのです。愛がないって、哀もないってことなんじゃないかって、ね?あ、じゃあその時はなんで泣いたのかって?…哀は悲しいってことでしょう?嬉し涙ってやつを、貴方はご存知ないのかしら?
まだ何か?もし本当に夫の言う通りなら、私はこんなこと言わない筈だって…?そうですねぇ。私も、そう思います。私はあの時泣きましたから、人並みの感情はあるはずです。ですが、これも、あれも、すべて私の本心なのですよ。嘘偽りは一切御座いません。これもまた、人の心の面妖さというやつで御座いましょう。でもあの時は、本当に、嬉しかったんですよ。今までの全てを認められた気がして…。
最後に、こんな和歌をご紹介して締めさせていただきます。『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』簡単に言うとね、意味は、こんな綺麗な桜が全くなかったら、春を過ごす人の心はのどかなものだっただろう。という感じです。私も心からそう思います。私のもとに嫁いでしまった憐れな夫。産まれてきた憐れな娘。でも二人とも、本当にいい人です。私が言うのです。嘘偽りは御座いません。あんな綺麗で純粋で、心の澄んだ人を見るたびに、私は思うのです。嗚呼、もし会わなかったら、私は何も思うことなく、愛のない私自身を受け入れられたのにって。…この出会いは、本当に良いことだったのでしょうか。
もし犯人が見つかったら、貴方はさぞ喜ぶでしょうねぇ。その時は、私の証言が犯人逮捕に繋がった…なんていう法螺を吹きなさい。そうすれば、多少の礼銭くらいは貰えるんじゃないかしら。それでは、頑張って下さいませ!
さて、俺が担当することになった事件の第一発見者はこのように話した。おかしな話だ。愛がない人間だなんて、だからといって自分の家族が亡くなったのにもかかわらずあの態度。思い出すだけで腹が立つ。何が和歌だ。何が掛詞だ……いや、ちょっと待て。あいつの話、まだ終わってないんじゃないか。掛詞は、もう一つあるんじゃないか。あいつが最後に話した和歌『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』。たえて…これは、桜が全くなかったら〜の「全くない」の部分の意味だ。だが、たえてとは、『耐えて』という意味があいつの中にあるのではないだろうか。いや、古語だったら意味が破綻することくらい、充分解っている。それでも、俺は思うのだ。あいつにとっての『桜』が無くなるまで、ずっとずっと耐えるという意味ではなかろうか。あいつにとっての『桜』とは…まぁ、言わずともわかるだろう。だから、だからあんなにも嬉しそうに、面白可笑しそうに語っていたのではないだろうか…。彼女の桜は夫や娘であり、夫は死に、娘はもう一人暮らしをしている。だから………あいつの心はあれだけ、のどかなものに、何も憂うものがないようになったのだろう。
お読みいただき誠にありがとうございます…!!!
…初投稿がこんなでいいのでしょうか…。
和歌って…いいものです。
ぜひ…特に学生の方には(といっても私も高1ですが)百人一首とか敬遠なさらず読んでみてほしいのです。
本当にお読みいただきありがとうございます!




