6:商人ギルドの技術力
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コツコツという女性職員の足音が去ってから、グリューは部屋を見渡した。内装がしっかりしている。剥き出しの壁ではなく、壁紙が貼られ、柱の木材も磨かれてツヤツヤ、部屋に鎮座するテーブルは大きく、簡単にひっくり返せそうにはない重さだ。クッションの縫い付けられた椅子など、元相棒と興味本位で泊まった高級宿以来の経験になる。磨かれた窓ガラスからはトドルの街の賑やかな通りが見える。ここにいるだけで、少し特別になったような気さえした。部屋の格というのは大事なのだ。一通りグリューが眺めるのを待っている間に、ワインスはテーブルの上に書類を広げて確認を行っていた。
「よし、じゃあ、取り決めるとするかね」
「ワインス、俺、言ったとおり商人ギルドに縁がなかった。だから、今からどうやって契約するのか知らねぇんだよ」
「おぉ、そうか、説明からってこったな、任せとけ」
心強い。ワインスはグリューのこれは、あれは、という質問にもきちんと答えてくれた。
まず契約書。これは不思議な紙でできていて、契約を結ぶと赤い紐になり、各々の手首に巻かれるらしい。お互いが破棄をするという合意や、片方が死亡した際などは別途契約解除の手続きがあれば外れるようになる。そして金貨一枚という価格はこの紙代なのだそうだ。
「商人ギルドが製作を担ってんで、技術料ってやつだ。その赤い紐ってのが結構な効力を持つからな。商人ギルドで関係者としても示される。さっきお前さんも言ってたが、借金のかたに、なんて奴もいるだろ? 逃げられなくなるらしい」
「こわ、マジで奴隷契約と変わらねぇじゃん」
「だから最初の契約書の作成が大事だって話だな。ネエチャンが立ち会いしますか? ってたのも、片方に不利がないか、第三者の立ち会いが必要か、ってこった」
ふぅん、と感心していればワインスは自前の紙を取り出してグリューの横に移動して座り直した。
「ま、その点、わしに関して言やぁ娯楽みてぇなもんだ。贅沢ができるほどの儲けはねぇが、バーバラと二人、雨風凌げるだけのもんはある。これからはその子竜ちゃんと三人でな」
「俺も入れろよ」
わはは、とワインスは豪快に笑い、そら、と紙を差し出してきた。
「下書きするとしようじゃねぇか!」
「ワインスは見た目と違って慎重派だよな」
「見た目から堅実な商人だってわかるだろう」
いや、と否定したらおっさんが唇を尖らせた。可愛くない。
おふざけはそこまでにして、じゃあどうするか、というのを話し合った。
グリューは子竜を安全に育てたい。そのためにモンスターを使役するという国に行きたい。そこまでの道中、専属護衛兼冒険者として、ワインスが望むのであればモンスターの討伐、素材入手など、率先してワインスの依頼やクエストをこなす。道中の食事や宿代はそういった労働の対価として受ける。
ワインスはグリューに専属護衛兼冒険者としての働きを依頼をする。商売を行う際には客寄せや荷運び、雑務にも手を貸してほしい。基本的にモンスター素材の取り扱いはあまりないが、この機会に増やせたら申し分ない。それら労働の対価として、移動のため足、食事、宿代を支払う。
「あとはお前さんの給与だな」
「えっ、金も貰えるのか!?」
「あのなぁ、言っておくが、飯や宿代は福利厚生っつーんだぞ」
フクリコウセイ、とグリューは目を丸くする。冒険者は身一つで生きるので、自分のことは全て自分でやる。だから、まさかそんな副産物がついてくるとは思ってもみなかった。しかし、これでは頭が上がらない、施しは居心地が悪い。
「だったら、街に居る時とかダンジョンが近い時、俺に単独行動も取らせてくれよ。街中のクエストだって、素材採取でワインスに卸したっていい。さすがに申し訳ないっつーか」
「情報集めてる間はそうしてくれていいさ。すぐに当たりを引くってぇわけじゃねぇだろうしな。わしもどこで聞いたかうろ覚えなのがな。お前さんが稼いでくれりゃぁ、その分わしはそっちに時間が割けらぁな」
これは落としどころとしてはいいのではないか。素材や採取品であればワインスが引き受けて売る、儲けの二割がグリューの手取り、八割は食事代や宿代に補填、やりくりはワインス担当。堅実な商人なのは先ほどサッと支払った金貨が証明している。お互いににんまりと笑い、手を打ち、強く握り合った。
「最高の条件だ、頼むぜワインス!」
「よしきた! 今の内容で作成するぞ、いいな?」
「おう!」
一言一句、二人でしっかりと確認し合い、契約書の内容を記載した。血判を押せと言われナイフで親指を切って紙に押しつければ、その赤が紙にジワリと広がり、文字をなぞり、紙が二つに割かれ、お互いの手首にするりと巻き付いた。繊維がほどけてミサンガのように編み込まれ、きゅ、と収まった。なるほど、技術料をあれだけ取るわけだ。いったいどういう技術なのだろうか。グリューはそれをまじまじと眺めてしまった。
「よし、これで契約は完了だ。宿取って飯にするか」
「おう。俺は、そうだな、飯の後、冒険者ギルドでちょっとしたクエストでも見てくっかな」
「働き者でなによりだがよぉ、子竜ちゃんはどうすんだ?」
胸元に入れっぱなしで戦闘となると確かに不安はある。グリューが胸元を覗けば、ぱちりと開いた金の眼と目が合った。驚いた、もう目が開くらしい。母親似の金の眼だ、綺麗だった。ぬろりとグリューの胸元から子竜の尻尾が蛇の尾のようにうねり、飛び出し、ワインスがキャァと言いながら部屋の端まで逃げた。そらみろ、内股だ。
「おおお起きた!? 起きたんだな!?」
「みたいだなぁ」
ンアー、と大欠伸をしながら子竜はグリューの胸元からひょっこり顔を出し、目をぱちぱちさせた。眩しいのか、眠る前とは違う光景に驚いているのか、きょろりと首を揺らし、グリューの首にすりっと顔を寄せた。んん、とグリューはその所作に悶えた。
「そうやって見るとよく懐いてるよなぁ」
「だな。お前もしかして血のにおいで起きたのか?」
グリューが子竜の胴を掴んでずるりと胸元から引きずり出せば、まだ薄っぺらい翼がぺしょんとしている。両手に持ち替えたグリューの指に細くて小さい手がちょんと乗り、まだ角も小さく、丸く見える子竜がことんと首を傾げた。
「可愛いなぁ」
ワインスのデレデレした声にグリューも頷く。テーブルの上に下ろそうとしたがするするとグリューの腕に絡みついて置けなかった。仕方なくグリューは子竜を腕に抱き、先ほど契約のために切った親指を差し出してみた。迷わずに子竜はかぷりと指を噛み、こんな小さな傷じゃ足りないと言わんばかりにグリューの指に牙を立てた。
「いってぇ! 容赦ねぇなもう!」
「ひぇぇ、本当にお前さんの血を呑むのかよぉ」
ワインスはまた少し身を引いて、子竜の可愛いと怖いの狭間でぶるぶる震えている。べろり、べろりと零れる赤い雫を子竜は美味しそうに舐めとっている。うっとりとした顔で飲んでいるので不味くはなさそうだ。子竜をそのままに会話を続けることにした。
「それぁもう、そういうものだと思うことにするけどよ、子竜ちゃんを連れてモンスターと戦うわけにはいかんだろう。薬草採取なり、街ン中の雑務だったり、慌てずその方がいいだろうなぁ。とりあえずわしも暫く食うだけのもんはあるしよ」
「悪い、助かる。そうだな、その方がいいかもな。少し大きくなったら留守番もできるようになるだろ」
「もしかして、留守番はわしが預かるんか?」
「それ以外に方法なくねぇ?」
ワインスは未だ可愛いと怖いの中間で揺れている。子竜はグリューの血を呑んで満足したのか、けふっと人間の赤ん坊のようにげっぷをして、するすると腕を登り、勝手に胸元に戻った。最後、ひゅるりと尻尾が服の中に消え、それを追って二人で覗き込んだ。子竜はぷっくりした腹をグリューの肌にくっつけて、あっという間に寝息を立てはじめていた。
「寝る子は育つって言うからなぁ、子竜ちゃん、でっかくなれよぉ」
「使役できる国に着くまでには、で頼むぜ」
そらそうか、とワインスは笑う。とにかく、あまり子竜に負担を掛けないクエストからにしよう。ここ一年の失敗続きもあり、小さな命を危険に晒すような真似はしたくない。契約も終わり、部屋を出ようといろいろを片付けた。グリューの指からは血がぽたぽたと垂れ、それだけは血止めの薬草をもらわなくてはいけないだろう。商人ギルドでは、契約の際やりすぎてしまう人もいるというので、用意があるらしい。
廊下を行きながらワインスに問われた。
「その子の名前はなんてぇんだ?」
「え、ないけど」
お前さんなぁ、とワインスは自分の額をぺたりと叩いた。
「ちゃんと名前つけてやらんか、父親だろうが」
「名前なんてつけたら、もし独り立ちして離れていくときに悲しくなるだろ」
「グリュー、お前さん、犬猫も飼えないタイプだな?」
「そうだが?」
なんか文句あんのかよ、と睨みつければ、ワインスはそっと肩を組んできた。
「だってぇのに最初に世話ぁすんのが子竜ってのはお前さん……、ツイてんだか、ツイてないんだか」
「そのうち、肉が必要になったらワインスは良い糧になりそうだよな」
「やめんか!」
軽口が叩ける相手というのは助かる。昨日出会ったばかりではあるが、根っからの実直なおっさんは、ある程度懐が広いらしい。グリューもまたあまり気にしない質ではあるので、それなりに似た者同士の可能性が出てきた。一先ず、名前はいずれ考えることにして、二人で笑いながらカウンターへ戻り、血止めの薬草をもらい指を治し、商人ギルドを後にした。
預かってもらっていたバーバラと幌馬車を受け取り、宿はワインスの好みに任せる。金を出さない人間に、口を出す資格はないとグリューは考えている。ワインスは遠慮せず好みを言えと言ってくれるが、そのへんは弁えているつもりだ。選んで決まった宿にも文句は言わないと決めている。
宿通りは呼び込みと交渉が賑やかだ。かつてダンジョン目当ての冒険者を相手にしていた宿は、今はここを通り過ぎて行く冒険者や旅人、商人をいかに呼び込めるかの生存競争になっているのだ。この中からワインスがどれを選ぶのかは気になった。
「うちはお湯がタダよ!」
「朝食はサービスだ!」
「布団が干し立てよ!」
お兄さんどう? そこの人、ぜひ部屋を見てってくれ!
中には少し強引な呼び込みもあったが、ワインスの無表情は相手に躊躇も与える。便利な顔だ。暫く行って少し喧騒が晴れた辺りでワインスは一つの宿に目をつけた。
「グリュー、ちっと冒険者ギルドには遠いだろうが、この辺でいいか?」
「俺は別にどこでも。足腰は丈夫だ。でもなんでここらにしたのかは知りたい」
おうとも、とワインスは御者台から降り、バーバラの頭絡を掴んで敷地に入りながら言った。
「お前さんは小さくとも家を借りてたから知らんだろうが、ああいう呼び込みの宿ってのぁな、部屋に入ったあとも、これは要らんか、あれは要らんかとうるさいんだ」
「あぁ、それは嫌だな……。子竜が顔を出してる時にそんなことがあったら」
「だろう?」
「ありがとな、気を付ける」
わしわしと頭を撫でられ、初めてのことに困惑した。
「わしは部屋の空きと手続きをしてくっからな、お前さんここで馬車とバーバラの護衛を頼んだぞ」
「任せとけ」
グリューはバーバラと並び、ワインスを見送った。まつ毛の長いバーバラは美人な馬だと思う。体躯も立派で鬣も長く、ところどころ編み込みされているのはワインスが大事にしている証拠だ。そうっと手を伸ばして首の横を撫で、その温もりに、おぉ、と感動の声が出た。生きものとは、どうしてこうも温かいのだろう。
「挨拶してなかったな、よろしくな、バーバラ」
そっと顔の方に手を寄せれば、ぶるん、と鼻を鳴らして顔を寄せてくれた。受け入れてくれたことが嬉しい。グリューは、服の中で眠る小さな温もりも、自分を旅に受け入れてくれたバーバラも、何より、豪快で懐の広いおっさんを守ろうと思った。
背負った長剣の出番は、まるでグリューを試すかのようにすぐに来ることになる。
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