3:商人 ワインス
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走り続けて疲れた体を、子竜に血を啜られながら休めた。竜の舌はざらついているんだな、とそう簡単に得られない経験をした。子竜がけふりと血を舐めるのをやめたので薬草を探しに立ち上がった。血止めの薬草はどこにでもある。一見すると雑草だが、これが冒険者を救うのだ。擂り粉木やナイフで薬草を潰し、汁を出して患部に当てれば血が止まる。片手に子竜を持ったままでは短剣が扱えず、胸元に子竜を入れてみた。竜の心地よいと思う体温がわからなかったが、グリューの胸元で、ングルル、と鳴きながら寝息らしいものを零しているので大丈夫そうだった。短剣で潰そうとし、まな板になるものが見つからず、結局口に入れて噛んでくちゃくちゃになった薬草を指に当てた。苦くて嫌なのだが、指先で揉むよりも早い。じわっと熱がこもり、薬草を外せば傷は塞がっている。
「これどうして塞がるんだろうな」
実は前から不思議だった。ただの草にしか見えないというのに、きちんと怪我が治る。そういうものだと思ってはいるが、謎は謎だ。そもそも、世界は不思議と謎で溢れている。世界の見る夢であるダンジョンが、なぜ世界が見る夢なのだと言われるようになったのか謂れを知らない。冒険者ギルドで聞いてみても、そういうものですから、と返ってきた。疑問を抱かないのかと問えば、忙しくてそれどころではない、と面倒そうに言われたこともある。誰が言いだしたことなのかを余裕ができたら調べようとして、余裕がなくなったことを思い出し、表情を失う。
「考えても仕方ねぇ。とりあえず別の街に行くなりして食い扶持稼がないと……いや、こいつがいる状態で街って入れなくね?」
こうなったら洞窟なり、人けのない森の中なり、身を隠した方がいいのだろうか。ぐぅっと腹が鳴った。一先ず自分も何かを食べねばならない。残り僅かな携帯食料を齧り、水場を探しに歩き始めた。
人の足では移動できない距離を竜に運ばれたらしい。この周辺は見覚えがない。水場を探すにしても一度街道に出て、どこなのかは把握してもいいかもしれない。胸元で眠る子竜がどのくらい眠るかも不明だが、血を啜るならこちらも栄養はとりたい。
「いやいや、そもそも、受け入れてんなって話なんだって……」
生まれた瞬間を目撃したからか、その後擦り寄られて絆されたか、なんだかわからないが可愛いと思ってしまったのが運の尽きかもしれない。ぶつぶつ言いながら歩いていれば、夕方に差し掛かる頃、街道に出られた。標識を探し、陽が落ちる前にそこまでどうにか辿り着く。
トドルマート街道。南、トドル。北、マート。トドルとマートを繋ぐ街道だから、トドルマート街道。ファンリエッタの街で見た地図を思い出し、ここがファンリエッタよりもかなり南の街道であると知った。掴まれていたのは短い時間だったと思う。遠く山が焼かれるのも見えた。ということは、その後走った距離が自分の想像よりも長かったのか。
どちらに向かうか悩んでいればたまたま商人が通りかかった。ガラガラと幌馬車を引く馬が足を止め、標識を前に唸っているグリューに不思議そうな声が掛かった。ごつい、ガタイのいい、つるっぱげのおっさん。口に咥えた棒はなんなのか、それを噛みながらオイ、と呼ばれた。
「お前さん、こんなところで何してんだい? どっち行くんだね」
「あー、決まらなくて」
はは、と胸元を隠すように腕を回して首を掻き、グリューは答えた。事実だ、どちらに行こうか悩んでいた。背中の長剣と腰の短剣を見て冒険者かと問われ、そうだと頷く。
「等級は?」
「Cだ」
「重畳、よかったら護衛として乗らないか? 南のトドルでいいならな」
「依頼か? だったら有難い、飯代も欲しかったんで」
「ははは、そりゃよかった。大した距離じゃぁないが、北の方でちょっと騒ぎがあったらしくてな、念のためだ」
北かぁ、とグリューは御者台に乗り、幌馬車から後ろを覗き込んだ。ここからは見えないが黒い竜が焼いた山と紫の竜が思い出され、ぎしりと前に向き直った。
「自己紹介がなかったな、ワインスだ」
「俺はグリュー。よろしく。ワインスはこの辺の商人なのか?」
「いやぁ、気ままな遍歴商人さ。根無し草、いろいろ見て回りたい、でも金は必要だろう? だから商人」
「へぇ、そんな考え方もあるんだな」
立派な馬に小さな幌馬車。積み荷は樽が三つに箱が四つ。重量もありそうだが、人が二人乗っても馬が軽々運んでいるのだからいい車輪なのだろう。余裕のある商人、各地を転々とする遍歴商人。ということはだ、いろいろと詳しいに違いない。
「お前さんどこを目指しているんだい?」
問う前に問われ、グリューは何も考えていないと素直に答えた。ワインスは目を瞬かせてから笑い、そうかそうか、とグリューの背を叩いた。子竜が起きる、と思い慌てて胸元を押さえたが、グプゥ、と微かな寝息が聞こえたので大丈夫そうだ。こいつ、なかなか大物かもしれない。
「冒険者ならどこそこのダンジョン、あの街、この街あるもんだと思ってたがね」
「犯罪がどうのってわけじゃねぇんだけど、ちょっと訳アリなのさ」
「ほう、詳しく聞きたいもんだな。もしヤベェ冒険者だとしたら、俺の目が節穴ってことになっちまう。商人としちゃぁ、大失敗だ!」
わはは、と再び豪快に笑う声にグリューも笑う。犯罪歴はない、とグリューは服を二の腕まで捲ってみせた。何かしら前科があると、ここに傷がつけられ、塞がって消えない痕になるまで労働させられる。そうすると一生消えない傷痕になるわけだ。ワインスはハイハイとあまり興味がない様子で言い、グリューに何がしたいのかを聞いてきた。自分より年上のワインスは若者の先行きが気になるのさ、と肩を揺らし、グリューも別に隠すことではないので話した。
「ちゃんと飯が食えて、そうだな、ちょっと大きくなる動物と一緒に暮らせる、そんな場所がありゃいいなって思ってる」
「引退を考えるにはまだ若ぇだろうに、なんだ? 女にでも振られたか?」
「いやぁそうじゃねぇけど」
女なんていくらでもいるぞ、わしも若い頃はなぁ、と年の功の話が長くなりそうで、グリューは違う違う、と腕を叩いて止めた。周囲に他の商人や冒険者、道行く人が居ないのを確認し、グリューはそっと胸元にいるものを見せた。
「実は、こいつを育てようと思ってるんだ」
好奇心ももちろんあった。様々なものを見ている遍歴商人がどんな反応をするのか、何と言うのか。それを判断材料の一つにして今後の対応にしようと思った。何も考え無しにこの行動をしたわけではない。馬車から飛び降りて逃げるだけの覚悟ももちろんしてあった。ワインスは口に咥えていた棒をぽろりと落とし、手綱を持った手が緩んだ。馬は御者席の主が手を放したことに疑問を抱き足を止め、振り返る賢さがあった。
「なぁワインス、咥えてたもん落ちたけど」
拾わなくていいのか? と視線を戻せば御者席に図体のでかいおっさんはいなかった。ぎょっとして周囲を見渡せば、遠くの方まで逃げている姿があった。
「おい! 待て待ておっさん! どうした!?」
草っぱらで転んでこちらを見て、まるで乙女のように内股でのたうち回っている姿にさすがに哀れみを覚えた。御者台を降り、馬にここにいろよ、と声を掛けてそちらへ行けば、野太いおっさんがきゃーっ、と悲鳴を上げる。ただの雑音だった。
「おい、どうした?」
「どうしただと!? グリュー、お前さん、なんてもんを! そ、そりゃお前」
「あぁ、子竜だ」
「子竜だ。じゃない! どこから盗んできた! お前、そんなの持ってたらよぉ!」
なるほど、やはり遍歴商人からしてもこれは不味いのだろう。それがわかっただけでも有難い。やはり人里でなんて考えられないのだ。
「ワインス、こいつは大丈夫だ。俺の手の中で生まれて、あー、親は、殺されてる」
「お前さん、ドラゴンスレイヤーだったのか……?」
「違う違う、話すからその内股やめろ」
玉でも縮み上がっているのか内股のままきゅっと小さくなっているおっさんをどうにか幌馬車へ促し、御者台でお互いに少し深呼吸。すっかり日も暮れ、ワインスはランタンに明かりを入れて今だ内股をぎゅっとさせたままグリューに向き直った。グリューはありのまま話して聞かせた。
ファンリエッタの街で変な依頼を持ち掛けられ、金が欲しかったので危険が少ないならと引き受けたこと。だが、実際に行ってみれば【要らない卵】など存在せず、運が良かったのか悪かったのか、母竜が別の竜に襲われ、恐らく、逃げるようにと運ばれたこと。その後、ワインスも知っている北の方であったちょっとした騒ぎを話した。
「まぁ、信じろっていうにはあれだけどよ」
「わしも通りすがりの逃げてきた商人から掻い摘んでだったんでなぁ、まさか竜二匹殺し合いがあったとはな」
「俺の都合のいい解釈だけどな」
ランタンの明かりを持ってグリューの胸元ですやすや眠っている子竜を見て、ワインスは眉尻を下げた。
「かわいそうに、生まれる前に親を失って、それもこんなちっちゃくてよ……」
「なんかすげぇ責任感じちまって、それで、育ててみようと思ってんだ」
「あぁ、そういう経緯ならわからんでもないが」
ううむ、とワインスは唸った。
「しかし、竜は人にとっちゃ災害だ。今はちっちゃくてもいずれでかくなるだろう。隠しきれねぇだろうし、冒険者はこぞって狩りをする」
「そうなんだよなぁ。ワインスは遍歴商人だっていうから、こう、モンスターと共存してる話とか知らねぇかな? もしくは人が来ない場所とか」
「共存かどうかは別として、モンスターを使役する国の噂だけなら知ってるぜ」
「お! そういうの聞きたかった!」
モンスターを使役。扱うということだ。竜を扱うことなどできるかは別として、もしかしたら、この子竜と生きる工夫のできる場所があるかもしれないのだ。グリューは教えろおっさん、と縋りついた。
「こいつがどの程度ででかくなるかもわかんねぇよ、ただ、せめて空を飛べるくらいには育ててやりたいんだよ!」
なぜ自分でもここまで必死なのかわからないが、グリューは頼むよ、と頭を下げた。その必死さか、眠る子竜の愛らしさの勝利か、ワインスは汚い音で唸った後、ッカァー! と何か喝を入れた。
「その国ってのぁな、ここからもっと南、海を渡ってさらに東っていう、別大陸のことらしい。わしも酒場で聞いた程度だ、もうちぃっとばっかし情報は仕入れにゃならんだろうが、三、四人から聞いてる」
「じゃあ、あるかもしれない確率は高そうだな?」
「そういうこった」
よし、とグリューは拳を握る。なんだかんだ行き当たりばったりの行動だったが、最初に出会ったのがワインスでよかった。運が向いてきたような気がした。
「グリュー、提案なんだが、お前さん、わしの商会の専属護衛兼冒険者にならんか」
思わぬ提案にグリューが目を瞬かせた。商会の専属護衛兼冒険者とは、道中の安全の確保と、商人が欲しいと言った素材やモンスターを討伐し、それを納品する冒険者だ。衣食住は商人持ち、仕事に応じて報酬もある、至れり尽くせりの契約なのだ。ただし、雇い主である商人の良し悪しで仕事量と無茶ぶりは変わってくる。たった一人の遍歴商人で、積み荷も申し分なく、幌馬車も綺麗、馬も良く懐いており健康。ワインスは一人でも切り盛りができて、専属冒険者など必要としていないはずだ。であるならば、これは、善意だ。
「いいのか?」
声が震えてしまった。ファンリエッタで底辺の扱いを受けた自分が、こんないい条件で。グリューは目頭が熱くなるのを感じながら、ワインスからの返答を待った。
「馬のバーバラとの二人旅も、最近寂しさを感じてたところだ。それにな、わしもちょっと、興味が湧いちまった!」
だからどうでぇ、と問われ、グリューは一も二もなくワインスの手を取った。
「ありがとう! よろしく頼む! ワインス親方!」
「そこはお前、おやっさんでいいさ! わはは!」
捨てる神あれば拾う神あり。グリューはしっかりと働こうと決意した。それが子竜を育てることにも繋がる。ぐっと目元を拭い、グリューは胸元の子竜を覗き込んだ。グリューの胸板に腹をくっつけて、お互いの心音に安堵するような不思議な心地を覚えながら、指でそっと頭を撫でる。するりと擦り寄ってくる姿に目を細めていれば、ワインスもまた覗き込んでデレりとした顔をしていた。
「おっさん、ちょっと顔が」
「竜を間近で見たのぁ初めてだ、可愛いもんだなぁ」
まぁ、それはわかる。こいつは特別可愛い。グリューはふふん、と胸を張ってから、ハッとワインスを振り返った。
「もしこいつを売ろうとか殺そうとか思ってんだったら、今ここで俺があんたを殺して、商会を……!」
「わぁばかやめろ! んなこた考えてねぇよ! 二十年の遍歴商人なめんな! 人様のものを奪ってどうのこうのするようなこたしねぇ! トドルの街で、うちの商会の専属契約の時に、そういうのも取り決めよう! な!?」
「そういうことなら。悪かった」
いいさ、とワインスは笑い、馬、バーバラへ進むようにぴしりと指示をした。夜の闇の中、ランタンの明かりがゆらゆらと道を照らし、街道を進んだ。
「そういやグリュー、そいつ、何を食うんだ?」
「俺の血」
闇の中、おっさんの野太い乙女の悲鳴が響き渡った。
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