1:不運な男
冒険者とは、未知と、富と、名声を求める者である。
冒険者ギルドとは、それを支援する組織である。
よくある説明文であり、もっともわかりやすい設定だ。期待を裏切ることなく、この場所でもそれは同じだった。
生活するための職業の一つで、選択は自由。ただ、冒険者は生きるか死ぬか、成功するか、しないか、本人の力量と運次第というところが大きい。実際、運が良ければ生き残れたのにな、という事例も少なくはなかった。モンスターと戦う時だけではなく、何かの取り引きであっても、仲間を得る時であっても、往々にして全ての事象に運は絡んでくる。その運が最悪であれば、人生もまた酷いものだ。この男のように。
「くっそ、なんでだ!」
男は悪態をついて道を行く。動きやすい革の防具、背負った長い直刀と腰には短剣。裾の長い装備が好きで、膝丈までのスリットが入った服は苛立たし気にバタバタと蹴られている。髪は手入れが面倒でざくざくとナイフで切っているせいで短く、ざんばら。鋏屋に行けよ、と冒険者ギルドで声を掛けられることも多い。行けるものなら行きたい、行けるならとっくに行っている。髪を切ってもらおうとすると、なぜか鋏が折れたり欠けたりするので、ついに出入り禁止になったのだ。それからは自分で適当に斬っている。
「今回だって新人がやるようなクエストだったのになんでだよ!」
往来で叫び、ひそひそ声と白い視線を送られる。男はそそくさとその場を離れた。
くすんだ灰色の短い髪をガシガシと掻いて裏通りを行く。表通りと違って石畳の手入れは後回し、少しがたついた道にはすっかり慣れた。人が二人すれ違えるかどうかの道は大通りの喧騒も横長住居や店に遮られて鈍い音に変わる。日中だというのに薄っすら影になった裏通りは少し涼しいが、冬は寒い。石造りの街並みをぶつくさ言いながら歩き、やがて少し古びたアパルトメントに辿り着いた。
鍵を取り出して差し込み、回す。ポキリ。まぁいつものことだ。もはやただの飾りになっていることに諦め、もう次は鍵を交換しないことにした。綺麗に折れた鍵の半身を手に家に入った。
入り口に長剣を立て掛け、はぁー、と深い息を吐く。家に入って見渡せば全てが見えるたった一部屋だけの自分の城。夕方にならないと日差しも入らないこの部屋は、今が夕方というかのように暗い。テーブル、椅子、ベッド、風呂はないので共用の井戸で二日に一回水浴びをする。トイレも公衆トイレという不便さはあるものの、家賃が安い。男はテーブルに折れた鍵を投げ、今にも足が折れそうなベッドにどさりと横になった。
今日のクエストは新人のやる薬草集めだ。本来ならランクEの駆け出しがやるような仕事を、なぜCである自分がやらなくてはならないのか。理由は簡単、このところクエストの失敗が続いていて、冒険者ギルドの顔見知りが心配し、気分転換に、という建前の下、お情けで差し出されたものだった。
馬鹿にしやがって、という気持ちもあった。情けなくて泣きたい気持ちもあった。気にかけてくれる冒険者ギルドの職員がいたことに感謝もあったが、とにかく恥ずかしかった。
「しかも失敗って……なんでこんなツイてねぇんだ」
採取するもの採取するもの、気づいたら無くなっていたのだ。手順も守り品質も保ち、加えて自分の腰に吊る下げた麻袋に入れていたというのにだ。慌てて確認をすれば採取前には開いていなかった穴があり、そこから全て落ちていた。近くで採取している新人がいるなとは思っていた。そいつが開けたのか、たまたまなのか、証拠も現場も抑えられず、結局必要数に到達せずに帰る羽目になった。
「マジで最近ツイてねぇ」
昔はこうじゃなかった。パーティを組んでいて、寡黙な相棒だったが腕も良くて、なんだかんだ馬鹿もやりながら楽しかった。その相棒がSランクパーティからスカウトされ、自分が足を引っ張っているのだと気づいて、喧嘩別れのようにパーティを解消し、そのまま逃げだした。剣を扱う自分と、世界の祝福、魔法を扱うあいつとでは実力差があり、置いていかれているのはわかっていた。だから、いつかSランクになってあいつの前に立ち、どうだ、俺もだぞ、と笑ってやりたかった。
「はは、無理そー」
くそ、と男はベッドで丸くなった。
しかし、生きるためには仕事をしなくてはならない。昨日恥をかき、恥をかかせた冒険者ギルドに今日も行く。大きな三階建ての建築物。開かれた扉を入ってすぐはホールのようになっていて、右手に酒場、左手にクエストボードが置いてある。真正面にはカウンターがあり、納品や報酬のやり取り、これからクエストを発注する商人などで賑わっている。カウンターに横に階段があり、そこから上の資料庫や会議室、縁のないギルドマスターの部屋などがある。
カウンターへ足を向ければ、あいつだぜ、袋に穴が開いてて採取全部落としてた奴、と既に噂が回っていることに驚いた。大方クエストが上手くいった件の新人が言い触らしたのだろうが、先輩に対する敬意というものがないのだろうか。睨み、喧嘩をするよりも今日の食事、明日の家賃だ。カウンターへ腕を置き、スタッフの女性に声を掛けた。
「やぁ、なんかクエストある?」
「ようこそ、グリューさん! ……昨日は大変でしたね」
憐憫の含まれた眼差し。今目の前で対応してくれているスタッフはまだましだ。向こうの方でくすくす嘲笑を聞かせてくるスタッフには目を取られないようにした。
「まぁ、あれだ、一緒に居た新人が荷物に気を付けるようになればいいさ。それはいいんだ、クエスト、なんかあるか?」
「そうですねぇ」
グリューさんはダンジョンに行かないですもんね、とスタッフが手元の紙をめくる。男、グリューは頬を掻いた。
ダンジョン、それは世界が夢を見た際に生まれるという不可思議な場所だ。この世界、どこにでも突然生まれるそれは危険な場所だが、同時に魅力的な場所だ。高値で取引されるアイテム、あっという間に上がるランク、そして手に入る富と名声。冒険者の多くはダンジョンの攻略を目的に、その職業を選ぶ者が多い。ただ、ダンジョンを放置するとモンスターがいくらでも出てきてしまう。それもあり、ダンジョンを壊す、最下層への攻略が早い者勝ちで行われているのだ。
スタッフは暫く手元の紙と睨み合っていたが、やがてそろりとグリューを見上げ、困ったように笑った。
「ダンジョン以外ですと、薬草採取とか、迷子の猫の捜索とか……」
「ははは……」
まぁ、こうなるのだ。けれど、これもまた必要な仕事ではある。薬草を集める冒険者がいなければ、ダンジョン攻略をする冒険者の傷は癒せない。だが、現実問題としてダンジョン攻略をする冒険者の方が大事にされるし、街や冒険者ギルドの依頼を請ける冒険者は雑魚扱いされる。だから、新人は必死にランクを上げ、報酬を上げ、装備を整えダンジョンを目指す。
「世界が夢を見るのをやめたら、どうするつもりなんだか」
始まりがあれば終わる。グリューはそれをしっかりと痛感していた。経験もある。だからこそ、ダンジョン攻略勢だったのをやめ、堅実に、地に足つけて仕事を取れるように転向したのだ。その姿が情けなく映った者もいたらしく、グリューは嫌な思いもしてきた。最初は噛みついたりもしたが、前述のとおりダンジョンに行かない冒険者に味方はいない。相手にするのをやめたのはグリューの方だった。いつか働きが認められればランクも上がるし、ダンジョンが消えた後は先駆者として尊敬もされるだろう。そんな邪な思いも抱きながらクエストをこなしていた。
「よう、グリュー」
ぽん、と肩を叩かれ振り返れば、昨日お情けでクエストを斡旋してくれたスタッフだ。この街に来てから何くれとなく気を配ってくれるいい奴だ。
「昨日のクエスト、聞いたぞ」
「やめろよ、言いたいことはわかる」
「じゃあやめておくさ。しかし、ダンジョン攻略勢に戻る気はないのか? そっちだったら、その長剣だって短剣だって」
ちらりと視線が肩の向こう、長剣の柄に注がれる。これは、ダンジョン勢だった頃、元相棒と行った先で手に入れた、グリューの一番の宝物であり、現在の唯一の相棒だ。
「どうして戻らないんだ」
「夢が終わるのは誰だって怖いからさ」
「また無駄にロマンチストなんだからな。グリュー、これは忠告だ、お前みたいに落ち目の冒険者ってのは、自暴自棄になりやすい。そうなる前に、変なプライドは捨てるべきだ」
反論はしない。目の前の男は心からの善意で言っている。その言葉がどれほどグリューを傷つけているとも気づかずに、だ。
「気を付けるよ」
冒険者ギルドの職員との仲違いは避けたい。グリューはそれだけを絞り出すと、薬草を採取してくる、と踵を返し、冒険者ギルドを後にした。
ダンジョンに行けば、そこにいるモンスターを狩り、殺し、なぜか出てくる素材やアイテムを売り、あっという間に二か月分は家賃を稼げる。この街、ファンリエッタの近くにも三つ、四つ、小さい規模だが途切れなくダンジョンがある。突然現れる光る扉。もはや人々は慣れてしまっているが、本当にそれでいいのだろうか。
「なぁ、あんた、金が必要じゃないか?」
足早に歩いていたグリューへ素早く掛けられた声。さっと振り返ってしまったのは、本当に金が必要だからだ。この街に来て三年、それなりの付き合いになっているから追い出されないだけで、家賃は五か月も滞納、昨日のこともあって胃の中は空っぽ、冒険者ギルドのスタッフに「お前は後がないんだ」と言われた直後でもあり、藁にも縋る思いではあった。
視線をやった路地裏への細い道に、黒いマントを深く被った怪しげな人物がいた。訝しむグリューの視線に動じることもなく、おいで、とゆっくり指先を揺らして誘い、逡巡の末、その後を追った。ついていった先にはガラの悪そうな男たちが四人。
「何の集まりだ?」
「おいおい、【幸運のグリュー】さんじゃねぇか」
「ばぁか、今や【不幸のグリュー】さんだぜ」
ゲラゲラ、クスクス、笑われるのにはもう慣れた。こちらでも踵を返そうとすれば、黒いマントの人物が道を塞いだ。退けと言う前に言葉を遮って本題に入られてしまった。
「ここから南の山に、竜が棲み付いたのです。まだ冒険者ギルドも知らない……極秘情報です」
竜。それは災害を起こす生きものだ。街を焼き、人を焼き殺し、一面を焼き野原に変える人の敵。もしそれが事実だとすれば、Aランクも、Sランクも集まって討伐せねばならない。ここにいるたった五人の落ち目の冒険者が対峙する相手ではない。
「何も討伐してくれという話ではないんですよ」
言いたいことがわかるのか、黒いマントの人物はゆるゆると頭を横に振ったらしい。深く被ったマントのフードが少しだけ揺れていた。
「我が主が、竜の卵を求めておりまして。一つ、盗み出していただきたいのです」
「竜のねぐらに行けってのか? 卵なんて奪ったら、地の果てまで追われるに決まってる」
「そう、ですから、【要らない卵】を選ぶのです」
そんな卵があるのだろうか。詳しく聞こうとすれば、再び先手を打たれた。
「ここから先は、依頼を請けていただける方にのみ、お話しいたします」
男たちが金が貰えるなら、と眉唾なその話に乗っていく。グリューは黒いマントの人物からどうしますか、と問われ、脳裏に声が蘇った。
お前みたいに落ち目の冒険者ってのは、自暴自棄になりやすい。そうなる前に、変なプライドは捨てるべきだ。
そうだな、冒険者ギルドのスタッフにまで、三年の付き合いのダチだと思っていた奴にまでそう言われたのなら、もう後はないのだろう。
「いいぜ、参加してやる。【要らない卵】ってのはなんだ?」
運が良ければ生きる。運が悪ければ死ぬ。冒険者なんて本来そんなものだ。ならばこの博打に起死回生、命を賭けてやる。
もう、どうにでもなれだ。