どんケツ
「田畑福男さん。あなたをね、何年も、何十年も探してる人がいるんですよ」
「え? 探してる? 検事さん、何を言ってるんですか?」
「いや、生まれる前からね、あなたが生まれてくるのを、心の底から待ってね・・・節分に生まれた、『我が家に福が来た』ってね・・・だだだから、ふふく福男・・・ふく」
どんPはふくふく言いながら泣き始めた。
「検事さん、大丈夫ですか? ど、どうしたんですか?」
どんPは泣いて鼻をかみはじめ、被疑者にまで心配されだした。
ったく、なんやねんコイツは。検事やろうが、しっかりせいや。
そう思う私の心にも静かな波が押し寄せる。
「事務官さん、どういうことですか? 何がなんだか」
滝口、いや、田畑福男が私に体を向ける。
言うか言うまいか。
告げたところで、目の前の田畑が懲役3年以上をくらうことに違いはない。
そう思っていたはずなのに。
勝手に口が動いていた。
「お前の母親は、お前を産んですぐにお前を連れさられて、それ以来、ずっとお前を想っていた。お前の誕生日の節分が来る度に、太巻きを用意してな」
「事務官さんまで何言ってんですか? えっ、え? 本当なんですか? 俺の母親?」
「いきなり聞いても訳が分からんやろうな。でも事実や。お前の母親から聞いた。福男という息子をずっと想っていると。ずっと探していると。うなじに痣があると言っていた。お前と同じや」
田畑福男が先ほど確保された時に、うなじに痣があることにどんPは気付いた。それでラストチャンスをくれと私に言ってきたのだ。
「たき、田畑さん。あなたも、あなたのお母さんも、少し道をそれてしまいました。でも、そろそろ戻りましょう。進むはずだった道に戻りましょう」
そう言ったかと思うと、おーいおいと、どんPが泣き始めた。
どんPにティッシュを差し出す。被疑者をほったらかしにして泣き崩れる検事。まったく世話が焼ける。
激しかった雨はいつの間にか止み、梅雨空から夕焼けが見えた。
「被告人を懲役3年に処する」
判決を告げられた滝口 貴嗣こと田畑福男は、裁判官に頭を下げた後、傍聴席に向かって深く頭を下げた。
その視線の先には妻と息子、そして、母である田畑やす子がいた。
福男はシャブの使用前科5犯だから懲役3年6月でもおかしくないが、情状証人として出廷した母やす子の証言がある程度効いたのかもしれない。まぁ、福男の弁護人にやす子を紹介したのは私なのだが。
万引きで捕まった田畑やす子は、起訴猶予で不起訴となった。
万引きの常習犯だから、裁判になれば実刑の確立がかなり高い。それを不起訴とするためには、副部長、部長の高い決裁ハードルを超えなければならず、社会福祉士に相談したり、資料を用意したりと時間も労力も要する。
ただ、万引きしたスーパーと示談が成立して宥恕してもらえたことと、82歳と高齢であることが大きかった。もちろん、実の息子が見つかったということも。
「おい、いつまで泣いとんねん」
裁判所からの帰り道。
どんPは公判の冒頭からすすり泣きを始めたかと思うと、福男がやす子にお辞儀をした場面でピークに達したらしく、「ぐうぅぅ」と変な声で泣いてハンカチを噛み締めた。公判はとっくに終わったというのに、まだ泣いている。
「よよよ、良かったですねぇ。ほんとに、ほほほん・・・ぐうぅぅ」
「なんやねん、ぐうぅって。腹の虫か。腹減ってんのか。さっき昼飯食ったやろ。そんなすぐに腹が減るって成長期か?」
「よ、横居さんだって、めめめ目が赤いじゃない、ないですかぁ・・・ぐうぅ」
「はぁ? 私が泣いてるとでも言いたいんか? まぁ母子そろってムショにぶち込めなくて残念で泣けてくるわ」
「そ、そんな人情の無いこと言ってるから男に」
「貴様、その続きを言ったら、ケツの穴からナメクジ入れるぞ」
「ききき気持ちわるいぃぃ・・・ぐうぅ」
検察庁には実に色々な者が訪れる。窃盗常習者、医師、シャブ中、教授、ストーカー、政治家、どこでも立ちションするやつ、外国人に少年も。
田畑やす子と田畑福男が二度と来ないことを願う。
いや、違う。
誰であってもだ。
この世の全ての者が二度と検察庁に来ないことを、一度として検察庁の敷居をまたがないことを願う。
それでも。
それでも来たやつは、私がきっちりムショに叩き込んでやる。
初夏の風が吹いた。夏はカツラが蒸れる。
了
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