検事が話を聴いてるでしょうがぁ
「先ほどは申し訳ありませんでした」
滝口を取調室に戻し、再度取調べを始めようとしたら、滝口が土下座をした。その時に、どんPが言うように確かに私にも見えた。
「滝口さん、頭を上げて座ってください」
どんPが立ち上がって、すまなさそうに滝口に声をかける。こういう馬鹿正直というか、くっそ丁寧というか、誰にでも優しい、みたいなのが癪に障る。
さっき暴れたAを呼び戻して再度取調べるなんて通常は考えられない。浦田Pから
「多田野君にチャンスを上げてください。私からもお願いです」
なんて言われたら、やらないわけにもいかないだろう。副部長に知られたらどう言われるか・・・。
留置担当の警察からもチクリと言われた。
「今から取調べとなると、晩飯の時間がぎりぎりですよねぇ」
拘束されている被疑者は、その多くが各警察署の留置施設で拘束されている。
検察官が検察庁で取調べをする際には、通常、その警察署の留置担当の警察官が被疑者を検察庁まで送り迎えをしてくれるのだが、留置施設での晩御飯に間に合うように、取調べの終了時間は厳守するよう言われる。
また、検察庁と留置施設の間は、複数名が護送車で送り迎えされる集中押送と、個別で送り迎えされる個別押送がある。集中押送と言っても、被疑者によって取調べの開始時間も終了時間もバラバラだが、複数名が移動するために、一人の被疑者が遅れているからって待つにも限度がある。
もちろん、別途晩御飯を用意してもらったり、集中押送から個別押送に切り替えてもらったりなどの方法も無いではないが、あくまで最終手段。できる検察官、事務官は、その時間制約の中でなんとか終わらせるもんだ・・・ヤキがまわっちまった。
滝口はよろよろと立ち上がって、さっき振り回したパイプ椅子に座った。
「滝口さん、なんで覚醒剤を使うようになったんですか?」
滝口は「今更?」という顔をどんPに向ける。どんPはその顔を無視して話を続ける。いや、ただ気づいてないだけなのかもしれない。
「えぇっと・・・警察での調書によれば・・・『仕事がうまくいかなくなって、友人に勧められるがままに使用した』でしたっけ?」
「・・・そうですね。刑事さんに話したとおりです」
「こんな言い方してごめんなさい。何というかその、理由が薄っぺらいんですよね。いや、もちろん、刑事さんの前でしっかり話をした結果、まとめた調書はこういう簡潔な内容になってるんでしょうけど。仕事がうまくいかないことなんて世の中にいっぱいあるじゃないですか。僕なんてね、仕事で失敗してばっかりで。この隣に居る事務官さん、いるでしょ? 僕よりずっとしっかりしていて、断然仕事ができて、頭も良くて、僕なんて怒られてばっかりで全然ダメダメです。へこんでばっかりで。検事に向いてないんじゃないかって」
私はため息が漏れそうになるのをグッとこらえた。また余計なことをべらべらと。新任Pの相談所か、ここは。
「でも、薬物を始めるかって言うと、そんなことはないです。最初の一歩って、そんな簡単なことじゃないんじゃないかって思うんです」
滝口の手がそわそわと動く。話そうか話すまいか迷っているように見えた。
「もっと深い理由があるんじゃないですか? 聞かせてください」
滝口が貧乏ゆすりを始めた。
唇が少し動いたように見えたが、十秒、三十秒、一分、五分と経っても話さない。
被疑者の後方に座った戒護の警察官の咳払いが大きく聞こえる。
「滝口さん、僕はね、話してくれるまで待ちますよ」
どんPは本気でいつまででも待つつもりだ。優柔不断なビビりのくせに。
くうぅと腹が鳴った。
ほんとに、調べの長いPの取調べはキツイって。
高校生が被害者となった恐喝事件では、自分が高校時代の話をし始め、弓道部に入ったが3年間で一度も的を射たことがないだの、徹夜明けの数学の授業で寝言を言って怒られただの、2時間で終わるはずのところが、5時間近くかかった。心配した親から電話がかかってきたっけか。
思えば、被害者の高校生が緊張しないように、話しやすいようにと、自分の話をして和ませようとしたのかもしれない。
シャブの売人には、覚醒剤がどれ程有害な物なのかを語っていた。正直「その日暮らしの売人に言ったところで響きゃしねぇよ」と思った。しかも「あのー」とか「うー」とかが多いので、スッと頭に入ってこない。そういや、医学書みたいな分厚い本を開いて、成分みたいなことまで話してたな。あの話、聞かされた被疑者も辛かったやろうな。
しゃあない。
今日だけはどんPに付き合ったるか。
滝口の押送を集中押送から個別押送に変えてもらう連絡を警察にしようと思った途端、「ピリリリ」と内線電話が鳴った。
多分、留置担当からだ。
「留置です。滝口の取調べはそろそろ終わりそう・・・」
私の心にさざ波が立った。
いや、もちろん分かるよ。仕事やから時間は守らなアカン・・・色んな人に迷惑かかる、が・・・。
「今、検事が話を聴いてるでしょうがぁ」
気づいたら私は、息子のラーメンを下げられた親父のように叫んで、電話を叩き切っていた。チッ、後で謝りに行かないと。
滝口は大きく息を吸い込んで視線を上げた。
「俺、親に絶縁されたんですよ」
滝口がようやく口を開いた。
「物心ついた時はすごく甘やかされてたんです。お手伝いさんが居るような金持ちの家だったんで、欲しい物は何でも買ってもらえて。それが6つ下の弟が生まれてから、親の態度が変わったんです。人が変わったみたいでした。特に母親はひどかった・・・それまでは何する時にもついてきて、転んでケガをしようものなら大騒ぎ。それが・・・」
滝口が口をつむぐ。
「言いたくなければ無理しなくても」
とどんP。
「大丈夫です。今で言うDVってやつです。つねる、叩くから始まって、殴る、蹴る。飯の無い日なんてしょっちゅうでした。ガキの頃の自分には訳が分からなかったですね。つい数日前まで『たかし、たかし』って呼んでた母親が、まるで汚い物を見るように俺を見てくる。いや、見てる時はまだ良かったかのもしれない。そのうち、まるで俺なんて居ないかのようでしたよ。中学校に入る前くらいからは、離れと言うか物置小屋に住まされてました。お手伝いさんが残り物で作ってくれた飯を運んできてくれてなかったら、俺は餓死してたと思います。そこで息を殺すように生活してたんです」
「監禁されてたとか?」
「いや、監禁されてるとかではないんです。ただ、何かの拍子に母親の視界に入ろうものなら、気が狂ったように叫ぶんですよ。『アイツそっくりだ、怖い怖い』って。だから陽の出ているうちは物置でじっとしてるんです。動き回りたいはずのガキがですよ。そして陽が沈んだら外に出たりしてね。今でもたまに聞こえてくるんですよ。母屋に居る、父親と母親と弟の笑い声が。みじめで、本当に寂しかった。でも俺が中学3年の時ですね。母親が本当に気が狂ってしまって、殺されると思ったんです。お手伝いさんに助けてもらって、裸足で家を飛び出しました。不安で、怖くて、悔しくて、全てを恨んで、泣いて泣きまくりました。どうやって行ったのかは覚えてないんですけど、全然知らない所に着いて、頼れる人もいなくて、何も持って無かったけど、なんだかホッとした気もしました」
ただのシャブ中だと思っていた滝口の話は、私が想像していたよりもずっと壮絶なものだった。昔、「人は誰でもその人生が小説になる。ただ平坦な道を歩んできた者はいない」と言われたことを思い出した。
「それからは新聞配達やら、皿洗いやら、工事現場やら、働ける所はどこへでも行きました。ずっと働いてましたよ。自分を痛めつけるようにね。働いて酒飲んで寝る。それだけで良かったんです。朝起きたらお陽様が見える。それで良かったんです。親元を離れて20年をとっくに超えて、もう親の顔も思い出せないくらいになった時に、たまたま当時のお手伝いさんに会ったんです。向こうも覚えててくれて、『あの時はありがとうございました』なんて話をしてたら、父親の容態が悪いって言うんです。『もう長くは持たないみたい』って。なんて言うか、ショックでしたね。顔すら覚えてなくて、死んだって聞いても泣かないだろうとさえ思ってたのに、良い思い出ばっかり思い出すんですよね。そういう時って。そんで『もしかして父親は自分が来るのを待ってるんじゃないか』とすら思い始めて、急いで教えてもらった病院へ行ったんです。30年近く会ってなかったから、病室に入る時にはこれまでにないくらい緊張しました。会わない方がいいんじゃないかとも思いましたよ。でも使命感というか、『会わないといけない』みたいな思いの方が強くて。久しぶりに会った父親は俺に何て言ったと思います?」
「・・・『すまなかった』ですか?」
「検事さん、世の中そんなに良い話ばっかじゃないですよ。『遺産目当てか』って言われたんです。『遺産が欲しくて来たのか、お前は俺の子じゃない、遺産はやらない』ってね。そしたら傍らにいたヨボヨボの婆さんが、財布から万札を抜き出して俺に押し付けてくるんですよ。その婆さんがあまりに年取ってて、小汚い恰好だったんで気付かなかったんですが、母親だったんです。昔はいつでも化粧して、綺麗な恰好していた母親が、拾ってきた服を着てるような恰好で。そんな母親が『あんたはうちの子じゃない。遺産は幸一のものだ』って喚くんですよ。幸一っていうのが弟です。『この金持って消えてくれ』って。その金で初めてシャブ買いました。クソみたいな話でしょ?」
確かにクソみたいな話だ。誰がコイツにこんなクソみたいな運命を背負わせたんや。
「ガキの頃から『自分はこの家の子どもじゃない』ってのは分かってたんです。何度も『うちの子じゃない』って言われてたし、さすがに実の子にあんなことはできないだろうと。事実として突きつけられて、納得したというか。ただ、俺が遺産目当てで今わの際に現れたと思われてるのにやり切れなくなって」
「事実として突きつけられて、っていうのは?」
滝口は一瞬言い淀んだが
「父親に本当の名前を言われたんです。『お前の親が付けた名前だ』って」
と言った。
どんPが間髪入れずに
「たばたふくお、ですね?」
と言った。
滝口は目を丸くした。
「え、検事さん、なんでその名前を?」
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