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検事、これでは起訴できません



「検事、これでは起訴できません」

 警察の手前、「お前」や「どんP」とは呼ばず「検事」と呼んだ。新任であっても検事は検事。この事件を起訴するかどうかを判断するのは検察官なのだから、威厳を持ってもらわなければならない。その前に、自覚と責任も。

 ただ、私にそう言われたどんPは

「えっとー、そ、そうですよね。難しいですよね。なるほどねーなるほど、難しいかぁ」

と明らかに動揺している。ほらほら、メモ書く手が震えてるで。


 今日は傷害事件の発生現場に来た。

 酔っ払いのおっさん中岸(なかぎし)が、あるスナックにたまたま居合わせた客の小早川(こばやかわ)というおっさんを殴ったという事件。

 そのスナックで働く朱美(あけみ)ちゃんにぞっこんの中岸が、小早川と話す朱美ちゃんにヤキモチを妬いたのが事の発端らしい。

 朱美ちゃんというのはスナックで働く学生アルバイトで、おっさん同士が取り合うのは滑稽な話しだ。

 中岸は小早川に口喧嘩を吹っ掛けたが、中岸と一緒に飲んでいた友人が止めに入って一先ず落ち着いた。

 しかし、中岸は納得がいかなかったようだ。


 アイツは何度かこのスナックに来たことがあるようだが、自分はこのスナックにほぼ毎週、開店当初から通っている。つまり、自分の方がこのスナックの常連である。それなのにアイツは朱美ちゃんを独占して生意気だ。

 朱美ちゃんも朱美ちゃんだ。

 誕生日にプレゼントしたり、ご飯をごちそうしたり、可愛がってきたのに、他の男の方に行って。

 店の売り上げのことを考えたら、あんな奴にもいい顔しないといけないのは分かるが、あんな奴はあと2、3回も来たら別の店に行ったりするのだから、通い続けている俺に付いていた方がいいに決まってる。今日だって、友人3人を連れて来て、一人客のアイツよりもよっぽど売り上げに貢献してる。ママや朱美ちゃんだってそこのところは分かってるはずだ。それに、俺といた方が絶対に面白い。

 そもそも、ここにジャケット姿で来て何を気取ってんだ。こういうスナックは堅苦しくなく、ジャージ姿で気楽に楽しむのがいいってことも分かってないんだから困る。どうせ少ない小遣いで、朱美ちゃんに入れあげちゃってるんだろ。

 おまけに俺の好きなサザンを歌い始めた。

 しかも「超」が付く音痴。他の客の酒がまずくなるってことも考えられないのかねぇ。

 アイツが『勝手にシンドバット』を歌ったら場が白けてしまったので、同じ曲を俺が歌う。ほらやっぱり盛り上がった。

 これで懲りたと思ったら、次に『いとしのエリー』って。エリーがサンダル履いて逃げちまう。本物を聴かせてやるよ。

 ふと気付くと、アイツが俺の方を睨んでいるのに気付いた。後から入ってきたやつが我が物顔して偉そうに。

 そこから口論になり、一緒に行った仲間が「帰ろう」って言うので仕方無く帰り道についたが、どうにも腹が立ったので、もう一言いってやろうとスナックに引き返したら・・・そこからのことは覚えていない。

 気付いたら警察署で朝を迎えていた。

 小早川という男を殴るつもりはなかったし、殴った記憶もないが、ママが言うなら殴ったのかもしれない。


 というのが中岸の言い分。

 中岸は小早川の腹を殴って全治一週間のケガを負わせたという傷害の事実で送致されてきた。

 その事件の担当がどんPと私になったというわけだ。

 通常、新任Pにはいわゆる「認め事件」と呼ばれる、被疑者が被疑事実を認めている事件が割り振られる(配点される)ことが多い。

 被疑者が被疑事実を認めていない「否認事件」では、被疑者の故意や過失が問題になることが多く、また、後々の裁判のことを考えると、集めなければならない証拠や、話を聴いておかなければならない関係者が多くなりがちで、つまり事件としては複雑になるため、ベテランの検察官に配点されることが多い。

 本件は、被疑者中岸が「覚えていない」と主張しているので否認事件ということになるが、副部長がどんPを鍛えるために配点したと思われる。私も、認め事件ばかりでは張り合いがない。

 ただ、否認事件とは言っても、警察からの一報では、被害者小早川の供述、目撃者であるママの供述に加えて、防犯カメラに中岸が小早川を殴っている映像が映っているというのだから、証拠としてはバッチリである。

 と思っていた。


 被害者小早川は退職したばかりの役所の元職員で、警察での供述調書からも、いかにも実直そうな印象を受けた。

 同調書によれば、本件当日は知人と別の店で飲んだ後、一人で帰る途中、たまたま見かけた本件スナックに立ち寄ったのだという。

 小早川の言い分はこうだ。


 私がこのスナックに行ったのは今回が初めてです。

 ですから、お相手の中岸さんという男性は、私に「朱美さん」というホステスさんを取られたと勘違いされたようですが、朱美さんは一人客だった私に気を遣って、積極的に話しかけてくれただけでしょう。

 ただ、朱美さんがずっと私と話していたということではなく、中岸さんが再三「朱美ちゃん、こっちおいで」などと言うので、朱美さんは中岸さんのいるグループの方へも行っていましたよ。

 自分の後に同じ歌を歌う中岸さんに対しては、確かに良い気はしませんでしたが、だから腹が立ったり、ましてや睨んだりしていません。

 なぜなら、中岸さんは見るからに相当酔っていたので、酔っ払いに腹を立てたり、睨んだりしたって仕方がないからです。

 口論どころか、大声を出す中岸さんを彼の友人と一緒に止めていただけです。

 中岸さんの友人が彼を連れて帰ってくれたので、私も帰ろうとしたのですが、ママや朱美さんが「飲み直しましょう」と言うので、このまま帰るとママや朱美さんの後味も悪いだろうと思って飲み直しました。

 三、四十分もしないうちに中岸さんが店に戻ってきたので驚きました。

 足取りはふらふらで、呂律もうまく回っていませんでしたが、私に「外に出ろ」だのなんだのと言うので、店の中で暴れでもしたら大変だと思い、二人で外に出たら中岸さんに殴られたのです。


 小早川の言い分はスナックのママの供述とも合っており、特に不審な点はない。

 ママは外に出た二人が心配で、店の中から様子を眺めており、中岸が小早川を殴ったところを見たという。

 中岸は常連客で、小早川は一見さんの客だから、ママが小早川の肩を持つとは考えられない。

 否認事件のくせにあっさり終わりそうだな。まぁ念のため、本件スナックの防犯カメラ映像をチェックしとくか。

 と思って、どんPと防犯カメラ映像を見た。

 近年、防犯カメラは安価でも良い映像のものが多くなり、至る所に設置されている。それだけに、犯罪抑止や犯人検挙、裁判の証拠として有用な物ではあるが、警察の捜査も大きく変わった。

 犯罪が起きると、昔は聞き込みだったのであろうが、近時の警察はまず、付近の防犯カメラ映像の入手に駆け回る。防犯カメラによっては映像の保存期間が数日というものがあるので、上書きされる前、できるだけ早く入手する必要がある。

 しかも防犯カメラは千差万別で、警察が複製して入手するには、長時間かかるものや、特別なソフトが必要なものもある。

 警察による膨大な苦労の上に、検察庁の捜査は成り立っているのだ。

 防犯カメラ映像には、中岸と思われる人物が午後10時半頃に友人たちとスナックを出て、その26分後にスナックに戻り、さらに7分後に小早川と思われる人物とスナックを出る様子が映っていた。

 画面中央に二人はしばらく立っていたが、画面端に移動したかと思うと、一人がうずくまった。うずくまったのが被害者の小早川で、突然うずくまったことから、もう一人、被疑者の中岸に殴られたと推定しても不自然ではない。

 どんPは

「この映像が決定的な証拠ですね」

と安堵顔だが、私にはなんか引っかかる。

 うずくまる前の二人の距離が異様に近い気がする。それに、肝心の暴行の様子がはっきりとは映っていない。中岸の腕は動いているように見えるが、動いていないようにも見える。

「現場行くか」

 私の提案に、安堵顔のどんPは驚く。被害者・目撃者の供述があり映像もある。これ以上に何があるというんですか、とでも言いたげだ。

「え、現場、ですか? いつ?」

 ここのところ業務が立て込んでいるから、外に出て時間を使うのがもったいないというのは分かる。ただ、現場を自分の目で見るのは重要なことだ。写真や映像では分からない気づきがいくつもある。

「7時からの調べが終わったら行こか。現場に着いたら、丁度、犯行時刻くらいになるやろ」

「げげっ、そんな遅い時間に?」

「返事は『ハイ』っ」

「はいっ」

 一応担当の刑事さんに電話すると、一緒に行くということで、現場で落ち合うことになった。






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お読みいただき、ありがとうございます。

平和や治安を守ってくださっている方々にスポットを当てた作品を作っています。よろしければリアクションや感想等をお願いします。

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