幸せのかぎしっぽ
飼っていた猫が死んだ。
3年前の正月、寒さに震えていたのを見つけて拾ってきた野良猫。
黒と白の毛色で、尻尾の先が曲がっているかぎしっぽ。
名前はもちもち。
野良猫で体がガリガリだったから、餅みたいにふっくらするようにと願って付けた名前だ。
一人暮らしの淋しいアパート生活で、もちもちの存在は俺の癒しとなっていた。
それが、死んでしまうなんて……
「もちもち……たった3年で死んじゃうなんて早すぎだよ……」
まだ柔らかな毛皮を撫でる。
「もっと構ってやればよかった……」
もちもちの亡骸を抱きしめて泣く俺の頬に、ふわふわとしたものが叩く。
「へっ……?」
見たら、もちもちの前足だった。
「ちょっとご主人、顔の脂付けないで下さいよぉ」
おいらの御髪が乱れるじゃないですか! などとしゃべって迷惑そうな顔で、こちらを見上げるもちもち。
しゃべって……って、
「もちもちー! お前、しゃべれるようになったのかー!?」
前足で一生懸命毛繕いをするもちもちに叫んだ。
「というか生き返った……!? 死んでなかったのか!!」
「落ち着いて下さいよぉ、ご主人。声が大きいです」
驚く俺を尻目に、上体を起こして2本足で立ち上がる。
……ちょっと猫背だ。
「実はおいら、晴れて9回目の死を迎えたので、猫仙人になれたのです」
と、自慢げにふんぞり返るもちもちは、続けて言う。
「その記念に、今まで可愛がってくれていたご主人の願いを、2つまで叶えてあげます」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って……展開早すぎてついていけない……」
混乱する俺に、やれやれ……と、もちもちは詳しく説明してくれた。
猫の命はたくさんあり、9回も生まれ変わる事が出来るらしい。
そして9回目の死を迎えた猫は、猫仙人になる試験に挑戦する事が出来る、と。
「いやぁ~試験は大変でした」
「いつの間に試験、受けてきたんだ?」
「えっ? そりゃ死んでる間にですよ」
「早っ!」
「人間界とあちらの世界じゃ、時間の流れが違うのです」
ちなみに試験は、今までの9回分の猫人生を見て判断されるようで、その審査時間が長いらしい。
運転免許の更新で見させられる映像みたく、自分の人生を目の前で再生され、
「猫には退屈なのですよ」
と、もちもちはヒゲをしょぼんとさせる。
「さて、事情説明はしましたしご主人、何なりと願いを言って下さい」
もちもちは改めて問う。
「うーん、願い……かぁ」
「思いつかないですか? じゃ、『無い』という事で……おいら、向こうの世界に行って来ます!」
んじゃ! と、アパートの3階の窓に足掛けて去ろうとするもちもちを、慌てて捕まえる。
「待て待て、早いって! いま考えるし、ちょっと待て! 頼むから」
「では、さささーっとどうぞ」
一応丁寧な物言いだが、退屈そうに後ろ足で自分の頬を掻いている。
猫は気が短いらしい……
そういえば生きてる時も、もちもちは飽きっぽい性格だったなぁ……
新しいおもちゃを買ってもすぐに飽きていたし、いたずらっ子で困ったヤツだったけど……
「ご主人? 決まりました?」
不思議そうに首を傾げて見上げるもちもち。
「うん、決まった」
やっぱり、この願いしかない。
「これからもずっと一緒に暮らしてくれ、それだけで十分……」
「却下で!」
あまりの間髪を入れずの突っ込みに
「えっ?」
俺は一瞬、思考停止をした。
「いいですか、ご主人。おいらは願いを叶えたら、猫仙人として生きていくんです。それは無理です」
「いや……願いの注意事項とかなかったから……何でもいいのかな……って、思ったんだけど……」
はっ! とした顔になりもちもちは、
「おいらとした事が……猫仙人となって初めての事だったので……」
顔を洗って誤魔化している。
……
……
……毛繕いに夢中になってたっぷり10分程度経ってから、うちの猫仙人は言った。
「だいたい一般的な願いなら叶いますよ。あとひとつ、どうしますか?」
「あとひとつ……って、さっきのカウントされちゃってるの?」
「はい、言葉に出した時点で」
「まじか……」
なかなかシビアだ……
「研修で聞いたところ、人間の欲望は大丈夫みたいです」
「研修してきたの?」
「もちろんですよ、一通りは教わってきたのです」
アルバイトの研修みたいなもんかな……
「猫仙人になるのも大変みたいだな……お疲れ」
ノドを掻いてやると嬉しそうにゴロゴロ鳴らすもちもちは、生前のままだ。
「んー……じゃあお金が欲しいかな。今月、なんだかんだ使ったし……」
「なるほどですね、ではお金が欲しいという願いを叶えましょう」
もちもちは「あ! もちもち!」という俺の制止を聞かず、四つ足で軽やかに走り、3階のアパートの窓から空へ飛び出した。
「お、おいっ!」
姿が見えなくなり、慌てて窓の縁に手をかけて身を乗り出すと、
「ご主人、ここです」
もちもちは猫かき……(というのか)をしながら浮いていた。
「もう、なんでも有りなんだな……」
力が抜けて項垂れる俺に、
「猫仙人ですから、普通の猫と『すぺっく』が違うのです」
と言い一生懸命、空中を飛んでいる。
「うーん……まだうまく飛べないですね……仕方ない」
では行ってきます! と、もちもちは覚束ない足取り(?)で、浮上していった。
心配で見ていると、もちもちはなにやら、「へいっ!」「ほいっ!」と四苦八苦している。
「もちもち~、大丈夫かぁ~?」
思わず声をかけると、
「取れました~!」
もちもちはなにかを抱えて、降りてきた。
「……雲か? すごいな、もちもち」
「ご主人、これはただの雲じゃございません。猫仙人の眠雲の煙なんですよ」
「ねむぐも?」
話を聞くと、ネムグモは熟練した猫仙人が眠っている間に出している煙らしい。
新米の猫仙人は、まだこの眠雲を出せない。
その為に、先輩の猫仙人の眠雲を使って力を補う事で、願いを叶えるのだと言う。
「では、ご主人の頭に……えいっ!」
「ぶはっ!……げほげほ」
もちもちに眠雲をかけられて、咳込んだ。
「さあ、叶いましたよ」
「ほんとか?」
まさか本当に願いが……?
と、突然スマホのメールの着信音が鳴った。慌てて開くと、
「……あ、当たった」
この前ネットの懸賞で応募したギフト券の当選メールだった。
「すごいな、もちもち。500円のギフト券が当たったよ」
そう言う俺に、もちもちは
「よかったですね、ご主人」
一緒に喜んでくれた。
そのまま一人と一匹、他になにか起こるか待ってみる。
……
…………
結局、小一時間待っても、なにも起きなかった。
「えっと、もちもち……」
俺が話しかけると、もちもちは明らかにシュンとしている。
……え、
「いやまさか、これだけって事は……ある、の……か?」
「たぶん……おいらの力だと『これだけ』です……」
そのまさかだった。
「いや、でも先輩の猫仙人が出した眠り……だま? だったんだろ?」
「ネムグモです……」
「ああ、ネムグモ……。で、その先輩ならもっと力が大きいんじゃないか?」
だから願いも大きく叶うんじゃ……そう思う俺に、もちもちは説明してくれた。
「ネムグモはそのままだとただの煙です。煙を材料に自分の力を注いで、願いが叶う煙にするのです」
そうしてやっと、願いが叶えられるのですよ、と。
「そ、そっかぁー……いやあの、ありがとうな。このギフト券、大事に使うからな」
そう言うと、もちもちは嬉しそうに尻尾をピンっと立てた。
俺の為に頑張ってくれたんだもんな、褒めてやらないと。
もちもちの頭を撫でていると、電話が掛かってきた。
「休みのところ突然悪いな、店長だ。急で申し訳ないが、明日バイト出てくれないか?」
「えっ、あっ、はい、わかりました」
俺の返事を聞くと「悪いな、助かる」と言って店長からの電話が切れた。
「……これも?」
「きっとそうですよ、よかったですねご主人」
休みが潰れた……あ、いやお金が欲しいとは言ったが……こういう事?
「まあ……いいか」
もちもちの『褒めて、褒めて』と言った顔を見ていたらそう思えた。
「ではご主人、さよならです」
「なんというか、別れを惜しむとか無いんだな……」
「猫ですから『待て』は出来ないのです」
「うん、そうか……」
もう少し一緒にいたいが、猫仙人は急ぐようだ。
「今まで可愛がってくれて、ありがとうなのです」
「こっちこそ、おまえがいてくれたおかげで、楽しかったよ」
「では」
もちもちは忍者の如く、煙と共に姿を消した。
「最後は空、飛ばないのか……」
しんとした空気に、さっきまでの出来事が夢みたいだ……。
「淋しいよ、もちもち……」
それでも猫仙人として生き返った事は、素直に嬉しい。
「じゃあな、もちもち。頑張れよ」
3年間、傍にいてくれてありがとうな。
翌日。
ピピピピーっという目覚まし時計の音で眠りから覚めた。
「早っ! 7時って今日休みなんじゃ……」
そこではたと思い出す。
……あっ、昨日もちもちに……
「もちもち……」
もういないんだと思うと、気持ちが滅入った。
ベッドの中でしみじみと、もちもちがいた時の事を思い出す。
3年間って、長いようで短かったな……もっと構ってやったり、うまい飯を買ってやればよかった。
朝は必ず俺のところまで来て、飯、催促をしてたのに……
けど、あいつは新たな人生を始めだしたんだ……本当に生き返ってくれて、よかった……それだけで十分だよな。
「猫仙人として頑張れよ」
「がんばってますよ~」
「!?」
慌てて起き上がり声がした方を見ると、俺のベッドの端でもちもちがアクビをしていた。
「もちもち、おまえ……あっちの世界に行ったんじゃないのか……っ」
「行ったんですけど、まだ修行中の身でして……戻って来ちゃいました」
俺は思わずもちもちを抱きしめた。
「よく帰ってきてくれた。ありがとう、もちもち!」
「く、苦しいですよ、ご主人~」
猫仙人でもなんでもいい、またもちもちと暮らせるなら、それが一番の願いだ。
「そうだ。もちもち、ねこプチ食べるか?」
「ね、ねこプチ! 食べるです、食べるです!」
はぐはぐと美味しそうに食べるもちもちを見てると、心が和んだ。
「今日バイト帰りに新しいおもちゃ、買ってやるからな」
「いい子で待ってるのです! 早く帰ってきて下さいね!」
「うん、仕事頑張って早く終わらせてくる」
こうして、新たに猫仙人として生き返ったもちもちと……
「ひとつ訂正を。おいら猫仙人になったので『もちもち』から『百千』になったのです!」
「そうなのか、前と対して変わらないけど……」
我が家の猫仙人、ももちとまた一緒に暮らす事になった。
完