4.28_月は語る。
「賢い子は好きよ。‥‥もっと、お話しが楽しくなりそうね。」
レイは抑揚の無い声に、ロウソクの灯火ほどの感情を乗せる。
彼女の正体は月の女神だと、そう言った。
ここまでは予想通り。
ここを切り口に、もっと情報が欲しい。
この世界の謎に踏み込める、数少ない機会だ。
ダイナが続けてレイに質問する。
「レイ、あなたは月の姉妹の何番目?」
「‥‥‥‥。」
月の女神は姉妹だと言う。
何人いるのか? レイはその中でどんな立ち位置なのかを知りたい。
しかし、それ聞いたレイは黙ってしまった。
答えたくない――、というよりは、答え方に困っている様子が見て取れる。
小首をかしげ、銀髪がさらさらと流れる。
「困ったわ。どう答えたものかしら。」
彼女は右手の人差し指を前に出した。
指先に銀色の光が灯り、それが7つに分かれる。
「月の女神の話しをしましょう。
月の女神は、全部で七人。
銀月のアリアン。
灼銀のディーナ。
暗い月のリリウム。
樫の木のウィドル。
満月のフィオン。
輝けるシュミーシカ。
そして、陽月のグラニー。
七人を指して、七曜の女神。
‥‥困ったわ。月の女神に、レイなんて姉妹は居ないの。」
そこまで言って、イタズラっぽく、とぼけてみせる。
「‥‥でも、そうね。せっかくだから、私は新月のレイとでも、そう名乗ろうかしら。
異界渡りの英雄が残した手記にも記されない、私は七人とそれ以外の女神。」
異界渡りという言葉に、ダイナが反応する。
「その異界渡りの英雄の名前は、エフトラだったりする?」
レイを始めとした月の姉妹は、ケルト神話のアリアンロッドをモチーフにしている可能性が高い。
そして、ケルト神話で異界渡りと言えば、妖精の世界や冥界の冒険譚をまとめた異界行が挙げられる。
エフトラという言葉を聞いて、レイは銀髪の毛先をそっと撫でる。
「その通りよ。あなたたちの世界では、私たちのことはケルト神話の名で伝えられているのだったわね。」
――――!!
三者三様、表情が驚愕に変わった。
レイ自らが、自身の出典やモチーフに言及する。
セツナたちを理外者、電脳の外の人間と知って発言しているのか? それとも――。
「安心して。物語の登場人物が、自己言及してはつまらいでしょ?
だから、教えてあげる。‥‥あなたたちの世界と、私たちの世界は、神話で繋がっている。」
‥‥‥‥。
完全に、この場はレイの物になっている。
他者の興味や好奇心を利用し、弄び、お喋りを楽しんでいる。
「その昔、人が信仰に神の姿を見出すよりも昔、人とそれ以外の距離は今よりもずっと近かった。
ずっと近かったから、神は気に入った人間を自分の世界へと連れて行って、行き来していた。
この世界のケルト神話は、そうやって生まれた。」
レイが空から消える。
消えて、セツナの目の前に現れる。
小さな身体をセツナに寄せ、彼の瞳を覗き込む。
「神話の続きを生き、八百万の神と共に暮らす、あなたたちはその末裔なのよ?」
「末裔?」
再び、レイは空に立つ。
「あなたたちは、太陽と月の末裔。あまねく神が、あまねく世界から人を集めた、その末裔。
聡いのだから、気付いているでしょう? 日の国の者は、この世界の誰とも違うということを。」
科学的な知見によると、日本人の遺伝子とは、あらゆる民族から独立しているらしい。
母親から遺伝するミトコンドリアDNAこそアジア系のそれだが、父親から遺伝するY染色体の遺伝子はユダヤ人に近い。
また、文化的にも独立しており、中国大陸由来の文化もあるものの、そのどれもが日本式に改変されている。
興味深いのは、大陸由来の儒教は一切として日本に定着しなかった。
信仰とは、支配者の道具として使われていた。
信仰の定着とは、支配の定着と差異は無い。
極東に根付いた価値観は、天の上に唯一人が立つ価値観と、相性がすこぶる悪かったのだ。
その代わりに、諸行無常を説いた釈迦の教えは、精霊信仰の極東と相性が良かった。
肉体に刻まれた遺伝子、魂に刻まれた文化。
これらを照らし合わせて考えられた仮説が、太陽信仰を元にした仮説だ。
なぜ、日本人がチグハグな遺伝子を持つのか?
なぜ、日本人は八百万の神を受け入れたのか?
その答えは、信仰が神を欲する以前、1万年以上も過去の太陽信仰にある。
信仰とは、この世に聖書が書かれる前から存在した。
紀元前の日本、縄文時代。
その時代の縄文土器には、しめ縄の紋様が描かれており、これは現代の神社にも見られる信仰の様式だ。
信仰は、この世に救世主が生まれる以前から存在した。
救世主が、馬小屋で生まれる以前から存在した。
その信仰は太陽を崇める物だった。
太陽信仰は、世界で広くなされていた。
エジプト神話の太陽神ラー、ケルト神話の太陽神ルー、日本神話の天照。
世界の人々は太陽を信仰し、そして東を目指した。
東から昇る太陽を追い、旅をした。
太陽が最初に昇る大地。
そこには、この世の楽園があると信じられていた。
そうやって、極東の地には様々な民族が集まり、皆で楽園に暮らし、血が混ざり、肉体と魂は世界から独立した。
レイが言うには、その民族の中に異世界の者も混ざっており、日本人には異世界の血が混じっているのだと言う。
日本人が持つ、独特な価値観。
一見すると分裂的で、チクハグに感じられる価値観。
太陽神を信仰しているのに、月を愛してやまない理由。
そこには、遠い血の奥で見た、母のぬくもりを思い出しているからなのだ。
「学者は魔法界を自力で見つけたと思っているそうだけど、これは傲慢ね。
魔法界へは、私たちが招いてあげたの。
‥‥そう決めたのは、1番目の女神。銀月のアリアンよ。」
淡々連々と話すレイの言葉に耳を貸しながら、JJはセツナを横目で見る。
情報量が多すぎて、ツラそうだ。目が少し泳いでいる。
「レイ、ちょっと話しを整理してみないか?」
彼女はまた、自分の髪の毛先を弄ぶ。
「ごめんなさい。‥‥たくさんお喋りできるから、楽しくなってしまったわ。」
気を取り直して、JJがレイに確認をする形で、これまでの情報を整理する。
「まず、レイは月の女神で間違いないんだな?」
「ええ。」
「それも、俺たちの世界では、アリアンロッドと呼ばれている女神。そうなんだな?」
「ええ。」
「アリアンロッドを伝えている神話、ケルト神話っていうのは、魔法界の神や物語が分派して伝わったもの。
そういう認識で問題ないか?」
「問題ないわ。この世界の人の子も、私たちの子。極東の子らは、その血が強く残っている。
‥‥強く残っているから、魔力と魔法の扱いに長けている。」
「じゃあ、ここからは質問だ。
なぜ、こっちの人間を魔法界に招いた?
魔法界の人間が絶滅したからって、移民でもさせようとした?」
「それは違うわね。私たちの世界では、絶滅は人の営みの一部。
今はただ、夜の時代にあるだけ。女神の腕に揺られて眠る、夜の時代にあるだけ。
‥‥魔法界に人を呼んだのは、そのほとんどが気まぐれだけど、強いて言えば進化のためかしら。」
「――進化?」
「我が身は女神。人の母、運命を運ぶ者。
人の子とは、いと可愛らしいもの。可愛い子らには、立派に育って欲しい。」
「‥‥随分と、過保護なんだな。」
「揺りかごから墓場まで、墓場から揺りかごまで、この世は輪廻で巡るものよ。
我が子が、夜明けの黎明へと巣立つのならば、私はその背中に翼を与えましょう。
巣立ち、羽ばたき、いつかの眠りに、母の膝元に戻る夜を待ちましょう。」
情報過多で熱のこもっていたいたセツナの頭が、急激に冷えた。
JJのおかげで頭の中が整理できた。
整理した情報を、自分の知識と照らし合わせて、直感が一足飛びに結論を導き出す。
「――で、進化を促すために、オレたちの世界にディビジョナーをけしかけたと。」
JJとダイナの表情に疑問符が浮かぶ。
あまりもの突拍子が過ぎる。
レイとディビジョナーが、なぜ進化で繋がる?
‥‥沈黙。乾いた空気が、重く喉にヒリつく。
パチ――、パチ――、パチ――。
小さな拍手がセツナを包んだ。
レイの口角が、遠目では分からないくらいの角度で上を向く。
「‥‥理由を。そこに至った理由を、あなたの口から聞きたいわ。ぜひ聞かせてくれる?」
レイは、科学界の人間に進化を望む。
セツナが言うには、その進化を成すため、彼女はディビジョナーを科学界に送り込んだのだという。
それをレイは肯定した。
世界に厄災を振りまいた原因を作ったのは自分だと、そう白状するようなことを。
――この世界は、女神によって破壊された。




