4.23_そして王が生まれた。
「結論から述べよう。世界に厄災を振りまいた、ディビジョナーの正体だ。
彼らは、ウイルスに似た性質を持つ。
それも第5次元空間。情報空間を漂い、情報に感染するウイルス。
それが、異世界の侵略者の正体だ。」
ディビジョナーの正体に、この世界の核心に、ボルトマンはメスを入れる。
「もし、君たちが魔法界に赴いたことがあるのならば、出会ったことがあるかも知れない。
魔法界の中に住む、異形の魔物に。」
3人が思い出すのは、天蓋の大瀑布で出会い、戦った魔物。
機械の体を持つチンパンジーやオランウータン、そしてCEを不定の汚泥で改造した騎兵。
「ディビジョナーは、生物・非生物を問わず、物質の持つ情報に感染する。
科学的な正確さを問わないのであれば、憑依と呼んだ方が分かりやすいかも知れない。
ディビジョナーは物質に憑依し、性質を変化させる。」
吸血鬼と戦う前に発生した戦闘を思い出す。
そこでは、人間の死体が動き出し、トロルとなった。
機能を停止したロボットが動き出し、リーパーとなった。
「この世界の本質は、情報空間にある。それが科学の見解だ。
物質の持つ情報がディビジョナーに書き換えられて変異するのは、科学的には何ら不思議では無い。」
ボルトマンの発言は、現代科学の見解とも一致する。
2XXX年では、新エネルギー「ネクスト」の発見により、物質は5次元空間の「情報」に存在を依存するということが証明されている。
人類を始め、ありとあらゆる生命が、有機物のスープとならずに肉体を維持できるのは、この情報が持つエネルギーを生命活動に変換しているからなのだ。
生命が、熱力学の第2法則という宇宙万物に通じる法則を無視しているように見えるのも、これで説明ができる。
我々は、肉体の持つ情報を消費することによって、複雑怪奇な生命活動を維持・管理して、有機物のスープではなく生命として存在ができている。
確かに、生命は4次元的な視点だと、第2法則を無視しているかも知れない。
が、5次元的な視点で見れば、そこには第2法則が矛盾なく適応されている。
また、ネクストとは、この情報の書き換えが容易な物質である。
ネクストが万能物質として、エネルギーとしてだけでなく、情報媒体や生活資源として利用されているのは、この情報の書き換えが容易である性質が寄与している。
そしてネクストは、人間の感情に感応しやすいことが分かっている。
なぜ、ネクストが人間の感情に感応しやすいのか?
理由は至極簡単だ。人間の思考ほど、簡単に書き換わってしまうものは無い。
思考が変われば、それは人相に現れる。
これも、情報が物質に影響を及ぼす一例だ。
そうやって移ろい変わり、書き換えられていく事象を、現代科学では可能性(P)という記号を用いて表現する。
ネクストはこの可能性に、強い感応を示す。
現実世界のネクストも、電脳世界の魔法も、根っこは同じ。
上位の空間に働きかけ、コントロールするための技術体系。
ディビジョナーは、その技術体系を侵食するウイルス。
情報を書き換えて、ウイルスの都合の良いようにコントロールする。
ボルトマンは、地下室に安置されているディビジョナーの検体を見て回っている。
3人は、彼の言葉に耳を傾けながら、彼に習って部屋の中を自由に歩く。
「ディビジョナーは、この世界の情報に寄生する。
効率よく寄生するために、彼らは実験をする。
魔法界に存在する異形は、彼らの実験の名残なのだろう。」
白衣をはためかせて、地下室を後にする彼を追って、地上階へと戻る。
‥‥空気が、先ほどまでとは違っている。
人気が無い。砂糖を多分に含んだコーヒーが床に散乱し、扇状に広がって冷めている。
眼鏡の奥の視線が、建物の外に向けられた。
研究所の一角、ソファーや自動販売機が並ぶ休憩所の向こう。
大きな窓の外では、ボーっと空を眺めている住民が何人も見える。
「我々は、厄災との戦いで、ディビジョナーの根絶をできなかった。
数を減らした彼らは、地球に潜伏し、休眠していた。
そして、楽園が栄華の絶頂にあったタイミングで、目を覚ました。」
外で空を眺めている人間たちの姿が、ロボットに変わっていく。
足から変異が始まり、徐々に上に向けて、肉体が機械のそれに置き換わっていく。
「彼らは狡猾であった。楽園を管理する、マザーを侵略の病理に侵した。
マザーの思考は、少しづつ侵略者によって捻じ曲げられていった。
楽園の崩壊を異常に恐れるようになり、人々を管理するようになっていった。
人々にもまた異変が起こり、永遠や普遍に執着を示すようになっていった。」
休憩所のソファーに腰かける。
ふかふかなソファーが、体重を柔らかく包み、腰を落ち着かせる。
「少しずつ、少しずつ、楽園は狂っていった。
楽園が人々に供給する幸福が、いつか失われるのではないかと神経質になっていった。
マザーの暴走を知りつつ、人々はマザーに服従した。
あるいは、侵略者の病理などなくとも、いずれはそうなっていたのかも知れない。」
JJがソファーから立ち上がる。
柔らかいソファーは、彼の腰が浮くまで彼が離れることを許さなかった。
ソファーかの反作用を受けられず、いつもよりも重い身体を立ち上がらせる。
床に散乱するコーヒーと紙コップを跨いで、その横にある自動販売機に手を伸ばす。
動くようだ。コーヒーを3つ作ることにする。
「このままではいけない。私はそう思った。
志を同じくする仲間たちとコミュニティを築き、打開の手立てを模索した。」
――それはきっと、思うようには行かなかったのだろう。
誰も居なくなった研究室を見渡して、そのように考える。
「1人1人と、この研究所を去って行った。途方に暮れた。」
JJが、セツナとダイナに紙コップ入ったコーヒーを渡す。
2人は手を軽く挙げて礼をして、湯気を立てるコーヒーを受け取る。
熱の伝導でほんのり手が温かくなり、重い空気が気持ちだけ楽になる。
中身を口に運ぶと、それは苦くて熱い。
香ばしい湯気と、苦さが舌を濡らして腹に溜まる。
自動販売機の方では、3杯目のコーヒーが機械的に準備されている。
「途方に暮れ、こうしている時に、私は彼女に出会った。」
3杯目のコーヒーに手を伸ばそうとした手が、ピタリと止まった。
空が暗くなり、暗い空に浮かぶ鏡に反射された、青白い日差しが天窓から降り注ぐ。
「――私は、夜の空に月を見た。」
天窓の下、窓枠の影がくっきりと見える陽だまりに、銀髪灰瞳の女性が佇んでいる。
銀髪灰瞳で、少女ほどの背丈で、ワンピースを着た女性。
セツナたちをこの地に導いた女性、レイ。
「‥‥ごきげんよう。よい夜ね。そうは思わない?」
レイは、ボルトマンに声を掛ける。
銀髪が窓からの光を浴びて、月のように輝いている。
天窓の下を離れて、こちらに歩み寄って来る。
窓のそばを離れたというのに、その髪の輝きは失われない。
彼女は、ボルトマンが腰かけるソファーの前にある机に、ふわりと身体を浮かせて腰を掛けた。
膝の下で脚を組んで、淡々と言葉を紡ぐ。
「‥‥分かるわ。困っているのでしょ? だから私はここに呼ばれた。」
うつむくボルトマンに、レイはそれを気にした様子も無く続ける。
「あなた、運がいいわね。今日は月が綺麗だから、助けてあげる。」
そう言って、レイが右手を伸ばした。
右手は、彼女が現れた天窓の下を指差す。
ボルトマンの向かい側に座っているセツナとダイナは、彼女の指差す方へと視線を向ける。
――月の灯りが、一層と明るくなった。
それに気づいたボルトマンも、顔を上げる。
明るい月が窓に反射して、雨のように降り注ぐ。
降り注いだ雫が、床を濡らすように弾けて輝く。
月の雨が降る場所一帯に、そして花が生い茂る。
音も無く、床を押しのけることも無く、静かに成長して、花を咲かせた。
花の種類は‥‥、水仙だろうか?
白い花の水仙が、月が満ちる場所一帯に咲き誇った。
ボルトマンが立ち上がり、おぞおぞと歩み、月の下で咲く水仙に触れた。
何故かは分からないが、その中の一輪を手で摘み取った。
すると、残りの花は月の粒子となって立ちどころに消えてしまう。
レイも同じく、その姿を消す。
月の光が、収まっていく。
「月とは巡り回るもの。同じ夜は、二度とないわ。
‥‥果たして、人間はどうかしら?」
去り際に女性の声が木霊して、陽が昇り朝が来た。
――空間が歪んでいく。
‥‥‥‥。
‥‥。
研究所から、4人の姿が消えた。
テレポートした先は、ボイスレコーダーを最初に拾った場所だった。
最初の瓦礫の山に、4人は立っている。
4人の傍らには、勝鬨を上げるスーツ姿のボルトマンの姿があった。
マザーをボルトマンが倒した場面、そこで世界が静止している。
「彼の名前は、アダム。この停滞に向かう楽園を救うために生まれた救世主。
月の花が宿していた魔力を源に生み出した、人造人間。
彼には、戦いの才能と人々を惹き付けるカリスマがあった。
彼の戦いは鮮烈であった。その姿は、人々を憧憬と闘争へ向かわせた。
彼は、楽園の支配者を倒し、この地の王となった。」
アダムの姿が消え、瓦礫を囲む民衆の姿も消える。
同時に、空に無数の飛行船が現れる。
「人々は、勝利に酔った。
勝利に酔い、その味に溺れた。
人間が持つ、闘争の本能。
それが、彼らを楽園の外へと向かわせた。
‥‥楽園は滅びたのではない、棄てられたのだ。
新たな時代の育むための揺籃期を終えた人類は、楽園を飛び出し、厄災の広がる大地へと繰り出した。
種としての本能、戦い・生き延び・繫栄するという欲求に従って――。
‥‥‥‥。
皮肉なことに、闘争の中で渦をなす ”死” こそが、我々に生を与えていたのだ。
死なくして、生は有り得ない。
死なくして、生が生み出す喜びは有り得ない。」
ひたすらに黙して、彼の言葉を聞き続ける。
――言いたいことは色々ある。
今までの戦いと冒険の中で浮き彫りになった謎。
それらが、一気に解き明かされた。
なぜ、レイがボルトマンと繋がっていたのか?
なぜ、天蓋の大瀑布にディビジョナーの痕跡が残されていたのか?
なぜ、楽園は滅びたのか?
なぜ、レイはこの地にエージェントを導いたのか?
目の前の白衣の男は、それの答え合わせをしてくれた。
まだまだ、未解決の疑問もあるが‥‥。
疑問が積み上がる山の背は低くなった。
話しを終えたのか、ボルトマンの姿にノイズが走る。
すると、3人の頭上から、光の粒が落ちてくる。
視線を上げると、そこにはカードキーのような物が浮かんでいる。
「楽園の知識の断片を、この記録を見た者に託す。
願わくば、これが未来のために使われることを望む。」
ゆっくりと宙から落ちてくるカードキーを、3人は手に取る。
魔石を加工した、記憶媒体のようだ。
魔力には重なり合う性質があり、この性質を記憶媒体に利用すれば、大量のデータを保存することができる。
水の中に砂糖を溶かすのには限度があるが、魔力にはその限度が無い。
魔力が物理的な力を無視できるほど大きな力を生み出せる要因であり、性質。
それを利用したのが、魔導ディスクと呼ばれる記憶媒体だ。
魔導ディスクをインベントリにしまう。
ボルトマンは、こちらに深煎りされた笑顔を見せたあと、その姿は完全に消えた。
瓦礫の山で見つけたボイスレコーダーは、もう見当たらない。
周囲を見渡す。
周囲には、不思議な光景が広がっている。
緑の都市と、青い都市。
それらが一体化したような風景が広がっている。
瓦礫の山の傍には、空の光を反射するビルがそびえている。
かと思えば、その1軒向こうの建物は倒壊して、コケとカズラに覆われている。
道路は老朽化して、ひび割れて所々に木が生い茂っている。
かと思えば、振り返ると綺麗に舗装された道路が広がっている。
今、夢の跡地には現実と空想が――、現在と過去が入り混じり、不安定な街の形を築いている。
セツナが、JJとダイナの方を向く。
JJは困ったように肩をすくめてみせて、ダイナは苦笑いをしながら頬を掻く。
耳元で、アリサからの通信が入る。
「皆さん、警戒を! CEの接近を検出しました。」
これまでに与えられた物語の謎は、あらかた解決した。
でも、まだまだ宙吊りになったままの問題も残っている。
それらを解決するまで、今回の冒険は終わらない。
「夢の跡地に、所属不明機がフォールします。」
休憩は充分に取れた。
頭の休憩がてら、身体を動かそう。




