4.21_青い幻想。
「ただ――。もし‥‥、もし叶うなら‥‥‥‥、あと‥‥少し‥‥。」
青い空に焦がれた吸血鬼は、灰となった。
灰は燃え、砂も残らず世界から消えた。
青い都市を覆っていた、砂っぽくザラつく魔力が霧散していく。
青い空気に立ち込めた、薄い暗がりが晴れて、地上に完全な光が戻ってくる。
吸血鬼と相討ちになっていたセツナが、JJの回復を受け、ダイナの手を借りて立ち上がった。
それから――。
パァン!
心地よい、乾いた音が響いた。
ハイタッチ。
セツナが両手を挙げ、JJとダイナの手とハイタッチを交わした。
その後、JJとダイナでもハイタッチを交わす。
片手を挙げたまま、2人向き合って、ダイナが少し跳ねるようにハイタッチをした。
戦闘状態が解除される。
体力が全回復して、アサルトゲージが空になる。
「――みんな、けっこうボロボロだね。」
セツナが、全員の様子を見て口を開く。
各々、先ほどの戦いでは、苦戦を強いられた。
JJとダイナも、それぞれの感想を口にする。
「ああ、タフな戦いだった。」
「一手違えば、負けてたかも。」
被弾の機会は、セツナを除けば少なかった。
体力的な余裕も、セツナを除けば余力があった。
しかし、どこかで形勢が劣勢になっていれば、そのままジリ貧となって押し込まれていただろう。
徹底的に吸血鬼と影ダイナを分断し、敵の連携を阻止したおかげで、相手に反撃の隙を与えることなく勝つことができた。
連携の恐ろしさを、チームを組んでいるセツナたちは良く知っている。
だからこそ、相手を分断し、疑似的な多対1の状況を作ることにこだわったのだ。
その戦術が功を奏し、ほとんどの盤面・局面において、有利な状況を積み上げることに成功し、最終的には幾ばくかの余力を残す勝利を掴んだ。
ダイナの言う通り、先の勝利はこちらの微有利が積もった結果であり、1度のリターンは相手の方に分があり、どこかで状況が狂えばジリ貧になって負ける可能性は大いにあった。
セツナたちは正確に把握してはいないが、吸血鬼は相手の背後に回り込むことで、プレイヤーの動きを封じることができる「影縫い」の能力を持っていた。
もし、安直な3対2の乱戦で戦っていれば、吸血鬼に影縫いをされて、影ダイナに強力な魔法を撃ち込まれるという、最悪のコンボを食らうことになっていただろう。
影縫いの能力があるせいで、1対2になったら押し返すのは絶望的。
なにせ、実力者の強さをそのままトレースする影の存在が凶悪だった。
影だけでなく、吸血鬼も厄介な状態異常を複数所持しており、また普通以上の近接戦闘能力を有していた。
‥‥間違いなく強敵であり、3人とも学ぶことが多い戦いだった。
セツナは、最期に吸血鬼が立っていた場所まで歩いて行く。
JJとダイナが、その後ろをついて行く。
強敵を倒すと、貴重なアイテムが手に入ることがある。
ゲームあるある。
その可能性を考慮して、何は無くとも、そこへ足を運ぶ。
灰となり、燃え殻すら残っていない、路面の上。
そこに、セツナは何か落ちている物を発見した。
インベントリから手袋を取り出して、指を通す。
フィールドワーク用の手袋。現実であれば、山を歩く時とか、キャンプをする時の手袋である。
セツナのそれは薄手で、指の動きを阻害しにくいタイプ。
手袋をしたまま、ペンで字が掛けたり、細かい作業ができたりする。
手慣れた様子で手袋をはめて、地面に落ちていた物を拾った。
(‥‥ウロコ?)
右手で拾い上げて、持ち上げる。
JJとダイナも、セツナが摘んでいるウロコを一緒に見る。
ウロコの大きさは、けっこう大きい。
500クレジット硬貨の、倍くらいのサイズがある。
太陽を浴びて緑色の光を透過するそれを、チャック付きのビニール袋に入れて、手袋を外した。
JJがセツナに質問をする。
「なんのウロコか分かるか?」
「ぜんぜん。多分だけど、ファンタジーの代物かな?」
そう言って、JJに袋に入ったウロコを手渡した。
「硬いな、石みたいだ。」
手触りは、石のように硬い。
思いっきり力を入れてみたい欲求に駆られるが、大切な調査の成果物なので、ちょっと摘んで力を入れるだけに留める。
質感を確かめたあと、ダイナに渡した。
「――宝石みた~い。」
太陽に透かして、緑色に光るウロコを眺める。
ウロコは、その凹凸によって光の入射角が複雑に変化して、透過した光が風に吹かれる水たまりのように揺ら揺らと変化している。
今現在、青い都市のあちこちから上がる煙とか、銃声とかは気にも留めず、ウロコの外観や手触りを確かめていた。
‥‥彼らは、セントラルでエージェントの職務に着いて久しい。
青い都市が、セントラルの雰囲気と似ていることも相まって、すっかり気持ちがリラックスしている。
かくも、慣れとは恐ろしい。
――そんな彼らの、夢現を覚ます大音声。
近傍で、大きな爆発音が響いた。
爆発音のあと、建物が倒壊するパラパラという音が先の大音声を追う。
爆発の前に、魔力の膨張が起こったので、音に驚かせることは無かった。
音がした方向に、JJとダイナの視線が向く。
セツナだけ、表情が固まったあとに視線が上を向いた。
――自分は、とても大切なことを忘れているのでは?
影ダイナに吹っ飛ばされた時、ビルの壁を打ち破った時、自分は一体何を見た?
‥‥‥‥。
「こっち来て! ボルトマンがいた!」
吸血鬼たちとの戦いに夢中になっていたあまり、すっかり忘れていた。
爆発音がした方向と、ボルトマンと遭遇した方向は一致する。
セツナが先導し、壁の割れたビルの内部を突っ切り、向かい側の崩れた壁から外に出た。
視界が、明順応する。
屋内から外に出た時、一瞬だけ太陽が視界を焼いた。
外は、あちこちで炎が上がっており、気温を高く上げている。
炎が大気を温めて気流をつくって、熱波が肌をチリつかせる。
炎の先、道の真ん中、瓦礫の山の上。
そこに、スーツを着込んだスキンヘッドの男が立っていた。
彼の手元では、彼と戦っていた女性型のロボットが力無く項垂れている。
人型ロボットの首を握り、横たわるロボットを持ち上げていた。
ロボットは、腕と脚をそれぞれ1本ずつ失っている。
腕と脚の千切れた口から、ロボットを動かすための電力がスパークして、白い電光と火花が走っている。
ロボットは、明滅する瞳で、ボルドマンを見上げる。
「なぜ‥‥です? 人間には‥‥私が‥‥必要‥‥。」
ロボットの声には聞き覚えがある。
この都市で、まだ闘争が起こっていなかった頃、3人が初めてこの空間に迷い込んだ時に、迷い人に「幸福か?」と問うて来た声である。
どうやら、彼女こそが、この都市を支配していた「マザー」と呼ばれた存在なのであろう。
命を持たぬくせに、息も絶え絶えな様子でボルドマンに問うロボット。
彼はその問いに、ぶっきらぼうに答えた。
「認めよう、人類にはアンタが必要だ。」
そう言って、ボルトマンは軽く首を傾げて、すぐに戻す。
「――だが、俺には必要ない。」
ロボットの明滅する瞳が、力を失っていく。
「理解‥‥不能‥‥。闘争を‥‥求める‥‥ナ‥‥ド‥‥。」
ロボットは、鉄の塊になった。
意識は途絶え、活動を停止した。
意識を失ったロボットに対し、ボルトマンは興味を失った。
乱雑に放り投げて、手放した。
放り投げられた鉄の塊は、瓦礫の山を止まることも無く転がり落ち、セツナたちの目の前で止まった。
意識を失った瞳が、虚ろにこちらを見ている。
――銃声が止んだ。喧騒が止んだ。
戦いが終わったのだ。
街の隙間から、人が集まってくる。
瓦礫の山に、人が集まってくる。
皆、銃を手に持ち、防具を身に纏い、戦う姿をしている。
成人した男性だけでなく、女性も老人も、腕っぷしの良さそうな者から、痩せた者まで。
全ての人が、瓦礫の山に、ボルトマンの元に集まってゆく。
瓦礫の上に立つ、彼らの王は、手を天に掲げる。
「俺たちの勝利だッ!!」
山を囲んで、大きな勝鬨が起こった。
青い空の太陽に届かんばかりの、大きな勝鬨。
大気が震え、煙を上げる炎さえその熱量に及ばない。
人が風を起こし、熱を上げた。
そして――。
空間が歪んでいく。
この世界との因果が薄れていく。
身体を、強烈な引力が襲う。
元の世界へと、引き戻される。
3人は、こちらに背を向けて、天に腕を掲げるボルトマンを臨みながら、もとの世界へと帰還した。
‥‥3人が消えてもなお、勝鬨は止まない。
今日という日は、神から人間が独立した日。
歴史には語られぬ、神を王が破った日。
だから勝鬨は、いつまでも止まない。
◆
「対ショック体勢!」
青い都市と緑の都市では、地形が異なる。
ビルが崩れていたり、木が生えていたり。
そのせいで、元の世界に戻る時は、オブジェクトが干渉して吹っ飛ばされることがある。
3人は、そのことを痛いほど理解していた。
急な転送に対応するように、対ショック姿勢を取っていた。
頭を両腕で隠して、小さく丸くなる。
緑の都市には、3つのダンゴムシが出来上がっていた。
街に生えた木の上に止まっている鳥が、ダンゴムシを見下ろしながら鳴く。
「ピーピピピ。ピーピピピ。」
オーストラリアの固有種、ビセイインコの鳴き声。
木がサラサラと鳴りながら、インコがピーピピと鳴いている。
‥‥どうやら、彼らが転送されたポイントは、亜空間に飛び立つ前の座標だったようだ。
対ショック体勢は、不発に終わる。
「何やってんだ? あいつら?」
上空から様子をドローンで確認していたブレッドが呟く。
力場の乱れにドローンをギリギリまで近づけて、彼らの様子をモニタリングしている。
「あはは‥‥。お帰りなさい、皆さん。」
「‥‥ただいま。」
苦笑いするアリサに、乾いた声でセツナが答えた。
‥‥‥‥。
さて、ディビジョナーの脅威は去った。
そのことをアリサに伝えると、彼女からは力場の乱れが大きいポイントに移動して欲しいとの指示があった。
3人は、野生の木が生えた街の中を歩いて進んでいく。
指定されたポイントは、いま居る道の一本奥の通り。
ちょうど、亜空間で瓦礫の山とボルトマンが居たポイントと合致する。
その地点に、急激な力場の乱れが観測されたらしい。
移動中、アリサは3人の視覚データを確認し、セントラルのCCC支部にデータを共有する。
ディビジョナーとの戦い。これは、貴重なデータだ。
もはや昔話と化した侵略者の姿を、3人は見て、戦ったのだ。
アリサは、データを確認する傍ら、それをCCCに送信した。
セツナたちは、指定されたポイントに到着する。
そこには、亜空間で見た通り、瓦礫の山が積み上がっていた。
セツナが、先行して瓦礫の山を登る。
安全を確認して、地上でこちらを見上げる2人に手を振って登ってくるように促す。
瓦礫の山の頂上。そこには、ボイスレコーダーのような機械が転がっていた。
‥‥真新しい。跡地には似つかわしくないほどに。
セツナが、そっと触れる。
瞬間、レコーダーが起動する。
起動と同時に、世界が塗り替わった。
空に、黒い輝きが広がって、太陽が月に塗り替わる。
空を見上げて、あっけにとられる3人を前に、レコーダーから落ち着いた男性の声が流れ始める。
記録は語る。夢の跡地に眠る、知る者を忘れてしまった真実を。
「――私は、夜の空に月を見た。」




