4.07_スモールジャイアント
カンガルーは、オーストラリア大陸に広く見られる哺乳類だ。
哺乳類の中でも、有袋類と呼ばれる珍しい種で、メスの個体には赤ちゃんカンガルーを育てるための育児嚢という袋を持つ。
オーストラリアの国鳥であるエミューと同様に、豪州を代表する動物、それがカンガルー。
独特な生態系を築く豪州大陸において、カンガルーの生態系的な立場は、他の国でいう鹿に該当する。
中型の草食動物。
人が住む場所に現れては悪さを働いたり、その裏では肉食の捕食者との生存競争に明け暮れたり、そういう立ち位置。
しかし、カンガルーには、鹿のような被捕食者には見られないような特徴がある。
それが、異常に発達した筋肉と運動能力。
体内に筋肉を発達させる酵素を多く持ち、さらには筋肉を動かすために必要なエネルギーを生産するためのミトコンドリアという細胞を数多く有している。
飛び跳ねて移動するという、大量のエネルギー消費する進化を遂げたことから、跳躍に耐えうるだけの筋肉を発達させ、筋肉にエネルギーを供給する能力を獲得したのだろう。
カンガルーは、進化の過程において、被捕食者の追跡を振り切るための健脚だけでなく、捕食者をも返り討ちにできるだけのフィジカルを手に入れた。
そのため、彼らの天敵であるイヌ科のディンゴたちでも、群れているカンガルーには迂闊に手を出せないという。
逃げるだけでなく、戦う進化を遂げた草食動物。
それが、カンガルーという動物だ。
セツナに強襲を仕掛けたカンガルーも、筋骨隆々としており、二の腕には血管が浮き上がっている。
腹部に育児嚢が確認できず、オスの個体であると予想できる。
腕には、なぜかボクシンググローブを装備しており、両脚と尻尾を使って、サイドステップを踏んでいる。
その姿を見て、交戦の意思があるのは明らかだった。
ルーンカンガルー。
楽園が人の手を離れて久しいため、人類が知りようのない、新たな種族。
脳に、魔法野という魔法の力を扱うための領域を獲得した、魔力で汚染された大陸にカンガルーが適応した姿。
魔力は感情に感応し、また共鳴する性質がある。
魔力の共鳴は、天啓をもたらす。
そも、魔力とは物質世界の上位に位置する空間のエネルギーである。
そのことから、魔力と天啓は、中々どうして相性が良い。
上位空間にて、神と呼ばれるような存在と、何かの偶然で魔力が共鳴すれば、その存在の全知全能の一端に触れることが叶うのだ。
ルーンカンガルーは、全智ではなく、人智と共鳴し、天啓を得た。
人間の、武術と呼ばれる技法を学び、自分たちに取り込んだのだ。
この世界において、知識による進化とは、もはや人類の専売特許では無くなっている。
だからこそ、人も獣に学ばなければならない。
知恵による進化によって退化した、本能の使い方。
これを、彼らと共鳴することで学び、思い出し、呼び起こし、落とし込むのだ。
◆
セツナと、ルーンカンガルーが睨み合う。
どちらも、仕掛けるタイミングを計っている。
亀裂の入った大剣に、陽の光が反射して、地面にガラス片が散らばったような模様を描いている。
カンガルーは、筋骨隆々ではあるものの、体格はセツナよりも小さい。
成人男性よりは低く、成人女性よりは高い。
しかし、筋肉の厚みが、彼を実測値以上に背を高く見せている。
遠くからでは、セツナと同じくらいの身長と錯覚してしまいそうだ。
サイドステップを踏んでいるカンガルーに、空からの乱入者。
拠点防衛用のドローン2機が、射撃を開始した。
生存競争に、ルールも卑怯も無い。
生き残った者が、正義なのだ。
無粋な乱入者に、セツナは少し不満顔。
プレイヤーは不死であるが、他の人間はそうではない。
プレイヤーにとって、電脳世界での命の奪い合いは、エンターテインメントに過ぎない。
死なないのだから、それはスポーツと同義だ。
だが、この世界の住人にとって生存競争で、正々堂々などと言っている場合では無い。
人間の倫理を持ち出せば、自然の理不尽によって死ぬだろう。
ドローンは射撃で弾幕を張り、弾幕は地上に鉄の雨粒を降らし、局所的な集中豪雨を生み出した。
雨粒が、乾いた地面を叩いて土煙を上げさせる。
――しかし、その豪雨の中に、カンガルーの姿は無い。
まるで、雨の中に溶けるように、姿が揺らいで消えてしまった。
第七感が反応する。
魔力の流れを電脳野が受信、それを肌感覚に変換して、意識に知覚させる。
カンガルーは、上に居る。
セツナが視線を上に向けると同時、ドローンのひとつが、撃墜された。
自然の中で鍛え上げられた両脚のキックが、ドローンを豆腐のようにバラバラに破壊した。
(――アサルトステップ。)
プレイヤーが使用するアサルトアクションは、敵も使用してくる。
ルーンカンガルーは、相手の攻撃を回避して瞬間移動するという、アサルトステップを発動したのだ。
アサルトステップでの回避に成功すると、アサルトラッシュ状態となり、攻撃のノックバック性能が強化され、連続でテレポートが使用可能になる。
アサルトラッシュ状態になったカンガルーは、残りのドローンの前に瞬間移動し撃墜。
バルクアップした二の腕が振るわれて、粉々に砕かれて、乾燥した大地の一部になった。
さらに瞬間移動、セツナの目の前に現れる。
尻尾で地面をしっかりと捉え、体重とバランスを保持。
両脚に力を込めて、幅跳びで7メートルを飛べるほどの脚力で――、時速70kmで跳ぶことができる脚力で、セツナの腹を蹴っ飛ばした。
魔力の力が無くとも、人間の内臓を破壊できるほどの剛脚。
それが、魔力と武術の力で、さらに強化されている。
第七感が魔力の流れを捉えてくれていたおかげで、セツナのガードは間に合う。
大剣を身体の前に突き立てるように振り下ろして、カンガルーの攻撃を防いだ。
――ガラスの割れる音がして、満月の大剣が粉々に砕けた。
アサルトラッシュによって、重いノックバックがセツナを襲う。
月の破片を土煙に混ぜながら、身体が後退していく。
カンガルーは、地面を滑りながら後退するセツナを追いかける。
テレポートはせずに、両脚で跳ねながら追う。
その健脚を持ってすれば、あっさりと追いつくことができた。
再び、両脚によるミドルキック。
今度は助走の勢いも乗っている。
威力は、先ほどとは比べ物にならない。
尻尾に体重を預けて、踏み込ん――。
瞬間、セツナの手元から銀色の光がするりと伸びる。
銀月の剣、新月の姿。
砕けた満月は、二振りの剣となり、敏速の加護を与える。
彼の右手からエストックの突きが放たれる。
カンガルーも、エミューと同様に、方向転換に難がある生き物。
逆に、人間のように四方八方に自由に動き回れる種は、非常に少ない。
人間は進化の過程で、筋力よりも柔軟性を獲得する道を選んだのだ。
その昔、ヒトの祖先が森を追われた時、道具を使って投擲で身を守ることを選んだ頃から。
種の特徴を知り、種の特徴を活かした攻撃は、しかしカンガルーを捉えるには至らない。
この世界には魔法が存在する。
骨格的に方向転換が難しいのならば、それを魔法で補えば良い。
地球の生態系は、魔法さえも青い海と緑の大地に取り込んで、人類が絶滅に瀕してもなお、その揺りかごは変わらずに生命を抱き続けている。
カンガルーは、セツナの突きを、魔法の力で躱す。
体が、野球の変化球のナックルボールのように、軸が動かずに軌道だけがブレて変化する。
軌道が読めない。移動先が読めない。
第七感と視覚の情報が一致しない。
突きが空を切る、カンガルーは、伸びきった右腕の側面を取る。
エストックの死角に潜り込んだ。
太い二の腕が、セツナに組み付こうとする。
カンガルーのキックは本来、相手に組み付いてから放たれる。
二本の腕で組みつき、尻尾でバランスを取ることで、安定して強力なキックを撃つことができるのだ。
組み付かれてしまっては、得物のリーチは活かせない。
それどころか、返って邪魔になってしまう。
側面を取られたセツナは、バックステップをするのではなく、逆にカンガルーの方へとタックルをする。
身を少しだけ屈め、組み付きを潜り抜けるように懐に飛び込んで、右肩からのショルダーチャージを放った。
ショルダーチャージは、カンガルーのすでに放たれてしたキックと相打ちになる。
タックルはカンガルーの胸に、キックはセツナの腿に命中した。
セツナは、蹴られて態勢が崩れることを利用して、そのまま地面に倒れ込む。
カンガルーは、足元への攻撃を苦手とする。
人間のようにローキックは放てないからだ。
カンガルーのキックは骨格上、両脚でしか打てない。
両脚でしか打てないから、尻尾を支えにする必要があるし、低い位置を蹴ることができない。
地面に伏せてやり過ごす。
オーストラリアでカンガルーに襲われた場合の対処法としても知られる方法だ。
足元に倒れた標的を狙うために、カンガルーは魔力を使い地面の上を滑って距離を取る。
カンガルーの体が、重力を忘れたように後ろの方へと退いていく。
――それを待っていた。
背中を下にして、 ≪ブレイズキック≫ を発動。
炎の慣性を使ってダンシングムーブ。披露するのは、フロアムーブのバックロックキック。
肩を支点に、上半身を捻り、遠心力を乗せたスピニングキックを撃ち出す。
カンガルーは、それを尻尾で体を浮かせることでやり過ごす。
武術の天啓を得て、紙一重で躱すという技法を学習・会得している。
セツナは素早く立ち上がる。
紙一重で避けようが、下がった時点でエストックの死角から離れている。
刺突剣を前に構えるだけで、彼奴は迂闊に手を出せない。
今度は、セツナがカンガルーを追いかける展開となった。
さしものルーンカンガルーであっても、苦手を克服するには至らない。
魔法の力で後退が可能になっても、当然ではあるが前進に匹敵するほどの速度は出せない。
新月の剣によって、敏速の加護を得ている相手ならばなおさら、振り切ることは不可能だ。
カンガルーの足元に滑り込む。
左手に持っている、逆手持ちのカランビットナイフを地面に突き刺して、支点を作る。
ナイフを支点に、エストックで回転斬り。
カンガルーの脚を狙って、斬撃を放つ。
刃はやはり、カンガルーには当たらない。
今度は、横っ飛びに回避された。
横に避けたのは、反撃に転じるためであろう。
支点にしていたナイフを、地面から抜き取る。
猛獣の爪のように湾曲したナイフが引き抜かれて、身体は低空を滑空、カンガルーとの距離が離れる。
地面に足を付けて、中腰の姿勢になり、反撃に転じたカンガルーを迎え撃つ。
健脚が一息で、彼我の距離を拳と脚の距離に縮める。
カンガルーから拳が振るわれた。
浮き出た血管が太くなり、勢いの乗った右ストレートがセツナを目前に迫り来る。
――カランビットナイフの出番。
このナイフの、本来の使いどころがやってきた。
迫り来る拳を、ナイフで上から撫でて軌道を逸らす。
逆手に持った刃で、袈裟斬りをするように、斜め上から斜め下へと撫でて、拳の軌道を逸らした。
それだけでない。
新月の剣は、猛獣の牙と爪。
爪であるナイフは、刀身の背にも刃を持つ。
背についた刃が、カンガルーの攻撃をいなすと同時、皮膚を切り裂いた。
筋肉を裂く必要は無い。
浅く、舐めるように、それでも体力は奪われる。
新月の猛獣は、攻撃の手を止めない。
カランビットナイフには、人差し指を通せるリングが、ナイフのエンド部分に空いている。
そこに指を通すことで、素早く逆手と順手の持ち替えが可能。
カランビットナイフは、軍人が装備として用いられることがある。
その理由は、このナイフが凶悪な攻撃性を帯びているからだ。
このナイフは、一度の動作で二度、攻撃することができるのだ。
セツナの左手に、拳をいなした重い衝撃が伝わる。
この衝撃は、そのままナイフの攻撃力に変わり、カンガルーの腕に傷をつける。
――追撃。
リングに通した人差し指を軸に、ナイフを逆手から順手に持ち替える。
セツナの手の平で握られていたナイフが、するりと回転し、手の平から飛び出す。
握りしめていたナイフが、人差し指から伸びる爪になった。
人差し指の第2関節の下、指輪を身に着ける位置に刃が止まり、指に猛獣の爪が生える。
カランビットナイフの順手持ち。
順手持ちとなったナイフが、カンガルーの皮膚を再度削いだ。
逆手持ちで一撃、順手持ちで一撃。
ナイフを回転させることで、腕を振り上げることなく、カランビットナイフは最小限の動きで2度攻撃することができる。
扱いは難しいが、1本で2倍の手数を持つナイフは、例え訓練された兵士や武人であっても、完全に捌くことは至難。
近接戦闘において、凶悪な威力を誇るのだ。
たった一回の袈裟斬りで、2度の斬撃、2度の傷を与えたナイフは、今度は逆袈裟の位置を取る。
手の平を上に見せて、右下から左上に逆袈裟を放つ。
順手持ちのナイフは、カンガルーの首筋を湾曲した内側の刃で狙う。
カンガルーはこれを、尻尾に体重を預けることでやり過ごす。
魔法の力で体の向きを整え、尻尾に体重を預けて上体を引っ込める。
紙一重のところで、新月の三日月は首筋の前を通り過ぎた。
しかし、猛獣は執拗だ。
銀月の剣は、月の女神の剣。女神の嫉妬や恨みは、この世の何よりも執拗だ。
セツナの手元で、ナイフが順手持ちから逆手持ちになる。
カランビットナイフは、リングに指を通す都合上、得物を握り込む必要が無い。
握らないから力まないし、力まないから素早く振るえる。
ナイフが横一文字に首を狙う。
左から右へと、物言わぬ銀の爪が獰猛に、執拗に追いかけ回す。
肉食な嫉妬狂いを前に、カンガルーは危機的状況。
だが、それもまた良し。
ピンチとはチャンスでもあるのだ。
尻尾に体重を預けているということは、こちらもキックが放てる。
ナイフを扱うために、意識が上に向いているならば、足元から繰り出すキックの通りは良くなる。
カンガルーは、自慢の両脚キックをためらわずに放った。
――ナイフよりも先に、キックがセツナに届いた。
自然の力は伊達では無い。
安心と安全に満ちた社会で暮らしている一般人が、覚えたての技でどうこうできるほど、甘くは無いのだ。
両者の距離が離れる。
カンガルーは上げた両足を地に降ろして‥‥、少しよろめいた。
腹に痛みがある。
カンガルーの体には、刺し傷ができていた。
首を狙うナイフはブラフ。
本命は、エストックでの一撃。
セツナは、エストックの柄を握るのではなく、刀身を短く握り込むことで、長物を密着距離で扱えるようにしていたのだ。
右手には魔導ガントレットを装備しており、多少刀身を握り込んでも、手傷は追わない。
中世の時代では、ロングソードの切っ先近くを握り、柄と鍔の方を攻撃に用いる技術があった。
重心と遠心力が乗る、柄と鍔の部分を振り回し、フルプレートメイルの装甲を砕いていたのだ。
刀身を握り込むという手法は、西洋甲冑の文化においては、日本よりも常識的に行われていたのだ。
殴り合い、騙し合い、互いの技術の応酬が、地平線が広がる大地の真っただ中で、たった数メートル数十センチの距離で交される。
現在、両者は相打ちに相打ちを繰り返し、戦況は拮抗している。
セツナが、新月の二刀を構える。
西洋剣術の、オックス・スタンス。雄牛の構え。
剣を顔の横まで持ち上げ、刃を横に寝かせ、切っ先を相手の顔に向ける構え方。
日本武術の、霞の構えに似た構え方である。
剣術においては、相手の上段攻撃を抑制し、切っ先を向けることで間合いを計りづらくし、相手の攻め気を削ぐ、守りに秀でた構え。
セツナは左半身になり、エストックの切っ先を相手に向け、刀身の下に左腕を添えて構えている。
いわば、変則オックス・スタンス。
切っ先を相手に向ける威圧感は失われるが、エストックを握り込まないので、素早く突き攻撃が放てる。
そして、仮にエストックの攻撃を潜られようとも、左手に逆手持ちしたカランビットナイフで迎え撃てる。
オックス・スタンスや、霞の構えとは大きく性格が異なる構え方。
得物の刃渡りを小さく見せて、相手に撃ち込ませることを目的とした構え方になっている。
眼前のカンガルー相手に、下手に刀身を前に伸ばして見せれば、最悪、剣を蹴り飛ばされる。
野生の筋力と膂力を危惧し、自身の「動と虚」を活かせる構え。
それが、この変則的なオックス・スタンス。
静かに風が吹いて、地面から土煙が舞った。
じりじりと、絶妙な間合いの図り合いが始まる。
リーチに分があるのはセツナの方。
リーチの差は、主導権の差。
彼の方から積極的に、足を地面に擦りながら近づいていく。
じりじり――、じりじりと――。
詰め寄り、にじり寄り、一息で突ける距離に入り、タイミングを計り、大きく一歩を踏み込む。
同時に、ニードロップのステップ。
左の膝裏に、右の膝をぶつけて屈みこむ動きを見せる。
彼の動きを見て、脳裏によぎるのは、回転斬り。
新月の爪を地面に突き立てて、足元を狙う回転斬り。
カンガルーの注意が、一瞬だけ足元に向いてしまう。
しかし、それは虚の動き。
本命は、混じりっ気無しの、最短距離を走る突き攻撃。
脱力したエストックに殺気がこもり、穿たれる。
カンガルーがスウェーバック。
突きを前に避けるのではなく、後ろに避ける。
あえて距離を取る。
体を左右に振って刃をやり過ごし、魔法の力でバックステップ。
エストックのリーチが届く、ギリギリのところで攻撃を避けつつ、エストックを殴り飛ばした。
脚力の力を、腰・背中。腕に伝えて、ボクシンググローブから強烈なアッパーカットが繰り出される。
本来、動物が持ちえない人間のような動きで、エストックの一撃にカウンターを入れた。
大剣よりも幾分も軽いエストックは、下から上に殴られたことで、刀身が上に大きく跳ねる。
セツナは、反射的にエストックから手を離した。
あのまま握っていては、エストックに振り回されて態勢を崩してしまう。
銀色の光が、宙に大きく舞った。
リーチの優位が崩れた。
カンガルーが素早く踏み込む。
セツナも、右手の拳と、左手のナイフで応戦する構えを取る。
魔導拳士はもとより徒手空拳のクラス。
得物を失ったからと言って、平常心が乱れることは無い。
互いの右ストレートが繰り出されて、互いにそれを左側へのスウェーで避ける。
――コンビネーション。
右ストレートの後の、左ストレート。
左手のナイフが順手持ちとなり、セツナの拳が先に相手を捉える。
カンガルーは、被弾承知でそれを受ける。
左から右の斬撃が、頬に傷を付けた。
――こっちの番。
反撃の、右ジャブ。
カンガルーは組み付かない。
下手に組み付けば、ナイフで腹を滅多刺しにされてしまう。
ナイフの脅威を理解し、密着距離では無く、近接距離で戦い、拳と蹴りが打てる距離で戦う。
カンガルーのジャブがセツナを捉える。
気にせずに、彼も右のジャブを返す。
ジャブに対して、カンガルーの左クロス。
ジャブを遮るように、カンガルー拳が上からジャブを抑え込みながら、セツナの顔面を捉える。
セツナも負けじと、左手でフックを放つ。
ナイフを逆手持ちにして、腹の皮膚を薄く裂いた。
セツナの足が、炎に包まれる。
スキル発動!
カンガルーが、体重を尻尾に預ける。
野生発動!
――互いの蹴りが交錯し、互いのボディを穿った。
互いに吹き飛び、転がり、土ぼこりを身体につける。
セツナはナイフを捨て、タクティカルベルトからコアレンズを取り出し、スロットに装填する。
「ストライクコア――。」
カンガルーは、筋肉をますます膨張させる。
体の細胞からエネルギーを作り出し、それを筋肉に送る。
筋肉がエネルギー受け取り、呼応して膨張。
カンガルーの呼吸に蒸気が混じり、躍動する筋肉は乾燥した大地に蜃気楼を立ち上がらせる。
互いに、必殺技を繰り出す準備が整った。
――ストライクコア × ブレイズキック = スーパーブレイズ。
セツナの周囲に舞う土ぼこりが、彼の服に付着した土汚れが、熱で焦げて消えていく。
足を前に出し、走り出す。
隼が、キックボクシングの猛者を狙う。
先に宙へと飛んだのは、カンガルーの方。
漲る筋肉、野生の本能、そして迸る魔力。
魔力を生態系に取り込んだ地球の力。
それが、厄災如きで絶滅に瀕した人類に、身の程を分からせる。
カンガルーは、地面にクレーターを作り、音を置き去りにして、宙に飛び立つ。
そして、音を置き去りにして、地を走る隼に襲い掛かる。
カンガルーに置き去りにされた音が、地上にソニックブームの置き土産を残す。
音速を超えた空気が圧縮されて、衝撃波を生み出す。
セツナの跳躍が遅れた。
衝撃波に脚を取られるも、魔力の流れを頼りに、大空目掛けて炎のキックを繰り出す。
「スーパーブレイズッ!!」
野生の力と、文明の力が激突した。
互いの魔力がぶつかり合い、大きな光と音を立てる。
魔力は、周囲の環境を変化させる。
強力な一撃の鍔迫り合いは、そこに存在しないはずの水を生み出し、空に雲を生み出した。
霧散した魔力が雲となり、衝突の余波に煽られてドーナツ状に空で広がる。
野生の力と、文明の力が激突。
譲れぬ激突を制したのは――、野生の力だった。
カンガルーを追って来た音が衝撃波となり、セツナの纏う炎を掻き消し、彼の必殺の一撃を上から圧し潰していく。
身体が、空を飛ぶ力を失い、重力に引っ張られていく。
野生の両脚が、身体にかかる重力と加速度を何倍にも増幅させる。
音に追い抜かれ、その音を身体が追い抜こうとする。
「――――!! まだだッ!」
ブレイブゲージを消費。
ブレイブアーマーを発動。
勇気の力で、大自然に打ち勝つ。
ブレイブアーマーにより、一時的にハイパーアーマーを得る。
セツナの身体は、大自然と野生と衝撃波に圧し潰されて、地上に叩きつけられた。
それでも、勇気の力を身体から振り絞り、勇気が肉体を凌駕する。
身体は怯まない。勇気が、再び立ち上がる力をセツナに与える。
2枚目のコアレンズをガントレットに装填する。
「ストライクコア × グランドスマッシュ――。」
一発で止められないなら、一撃で足りないなら、もう一発!
ただ、そうするだけだ!
地面がめくり上がり、大陸が震える。
めくり上がった大地が、セツナの右腕に集まる。
大地の力が、大陸の力が、魔導ガントレットを覆い、岩盤の拳を創り上げる。
空の力で勝てないなら、大地の力で挑む。
試行錯誤こそが、人類の強みであり、不死の身が持つ特権なのだ。
無限の命で、無限に学び、脆弱な人の身を主人公たらしめる。
空から野生と大自然が降って来る。
小さな巨人の地鳴らしを、大地の力でもって迎え撃つ。
――ストライクコア × グランドスマッシュ =‥‥‥‥。
「アース・ストライク!!」
両脚が大地に沈み込む。
乾燥した大地がヒビ割れて、クレーターができた。
それでも、セツナは立っている。
今度は、野生にも、衝撃波にも負けない。
負けていない――――ッ!!
岩盤の拳は、両脚に纏う野生と本能を受け止め‥‥、弾き返した。
拳が振り抜かれる。
カンガルーは、再び空へと飛び立ち――。
青い空の、地平線の彼方へと消えた。
右手の岩盤が崩れ去る。
腕からサラサラと砂になって、風に溶けていく。
赤茶けた荒野が静かになる。
薄い雲が太陽を遮って、束の間の曇り模様となって、空に散って消えていった――。




