3.6_森の強敵にご用心。
森の大猿、マッドウータン。
名前の通り、オランウータンに似た魔物である。
マッドウータンは、ダイナの目の前に現れて、人間が胡坐をかくように座り込む。
その座り込んだ姿勢でさえ、高さが2メートルほどあり、小柄なダイナは見上げるほどだ。
顔には目を覆うバイザーがあり――、いや、目をバイザー状に改造されているのか?
マッドモンキーと同じ、体の一部が改造されている魔物のようだ。
バイザーが埋め込まれるように、目があったであろう部位を横一直線に走っており、バイザーの中をモノアイらしき光がキョロキョロと動いている。
顔の両脇には、フランジというコブが発達しており、この個体が強いオスであることが分かる。
また、右手部分も両目と同じく改造されており、金属質な義手になっている。
他の特徴としては、大きな葉っぱを編んで作ったマントを羽織っている。
現実のオランウータンも、雨を葉っぱの傘で凌ぐことがあり、人間のように道具を使うことで知られている。
あのマントは、自分の地位を他の猿どもに誇示するための物かも知れない。
マッドモンキーは、マントの内側に左手を伸ばす。
――長い、片腕だけで2メートルくらいはありそうだ。
何やらガサゴソと音を立て、マントの中から長い棒状にくるんだ枯れ葉が取り出される。
棒状の枯れ葉を、口にくわえる。
金属でできた右手の、親指と他の指を擦り合わせることで火花を起こし、葉に火をつけた。
バチッ! バチッ! ――。
プハーーー。
煙を取り込んで、慣れた手つきで葉巻の一服を味わった。
口に葉巻を加え直して、地面を両手で慣らし、ダイナを威嚇。
戦闘態勢に入った。
「セツナには悪いけど、美味しいところ、独り占めかも。」
ダイナと、マッドウータンの戦いが始まる。
◆
最初に仕掛けたのは、マッドウータン。
左手で、口にくわえた葉巻を支える。
大きく深呼吸。
北風が木々の隙間を抜けるのに似た、高い音が大猿の口に吸い込まれていく。
葉巻の煙を、タバコを吸うように肺に送って、たっぷりと送って‥‥、吐き出す。
大猿の口から、山火事と紛うほどの大量の煙がダイナを取り囲むべく迫る。
(うう‥‥、タバコの匂い。)
思わず、服の袖で、口元と鼻を隠す。
煙が目に沁みる。
辺り一面を煙が覆い、ダイナの姿が煙にすっぽり隠れてしまう。
すると――、ダイナの体力がじりじりと減少し始める。
煙には、dotダメージ、継続ダメージ判定があるようだ。
ダイナは、ジャンプ。
空中ジャンプも使って、煙から抜け出す。
杖を左手で持って、マジックワイヤーを射出。
右手側の袖口の中から、毛糸を模した質感のワイヤーが射出される。
ダイナの着ているセーターと同じ色の、薄桃色の毛糸状ワイヤー。
木に撃ち込んで、ワイヤーを巻き取り、木の幹に張り付いて煙が及ばない高度を維持する。
左手の杖を構える。
すぐさま赤い魔力が集まって、轟々と音を立てて、大きな火球が生成される。
「フレアボール。」
≪魔導書フレアボール≫ が発動。
巨大な火球は、迷いなく大猿目掛けて直進していく。
大猿はそれを避けることなく、右手で払うように受けた。
金属の手が、火球を叩き、爆発させた。
(防がれた。)
硬い手を使って防いだ――、ように見えるが、右手を振って痛がる素振りを見せる。
直撃するよりもダメージを軽減しているが、完全には防げていないようだ。
(それなら。)
地上を滞留していた煙が晴れる。
(防げない位置から、攻撃する!)
テレポート。最大移動距離で移動して、一気に大猿に接近。
≪ブレイズキック≫ で加速。
大猿は、その場から動かずに、左手を振り下ろす。
長さが2メートルもある腕、プレイヤーが扱うほぼ全ての武器のリーチを上回る腕を、乱暴に振り下ろす。
横に大きめにステップを踏んで回避。
止まらず前に踏み込み、腕の間合いの中に入り込む。
長物の武器は小回りが利かない。
長い腕も、また同じ。
「アイスランス。」
氷の槍が、大猿の右わき腹を突き刺した。
大猿は仰け反り、右手を横に払い、ダイナを追い払う。
テレポートで回避、距離を取る。
それから、 ≪魔法書サルベージドロー≫ を発動。
アサルトゲージを消費して、使用した魔導書スキルを回復させる。
ダイナが左手を胸の高さに挙げると、手のひらの上を浮かぶ透過した青い本が現れて、ページが勝手にめくれて、パタンと閉じる。
スキルが回復する。
大猿はダメージを追ったものの、いまだに地面に座ったまま。
あくまでも、その姿勢でまだまだ戦うつもりのようだ。
マントの裏を、ガサゴソ。
今度は、果物が出てきた。
大きなスモモのような食べ物で、なんだか少し、痛んでいるように見える。
葉巻を手に持ち、果物を口に運び、もごもごと咀嚼する。
ゴクリと飲み込んで、息を吸い、葉巻の火を口の前に置く。
口から突風が巻き起こり、葉巻の火が着火し、燃え盛る火球になってダイナに襲い掛かる。
(大きい!?)
横っ飛びに、ローリングをするように回避。
火球が地面に着弾、爆風が発生して、体力が削られる。
ダイナの使うフレアボールに匹敵、あるいはそれ以上の攻撃範囲 がある。
テレポートやリゲインがあるためか、敵は回避が困難な攻撃を平然と連発してくる。
回避が困難な技は、ダメージこそ多くないものの、戦いが長引けばボディブローのように効いてくる。
多少の被弾は、必要経費と割り切って、こちらもリターンを狙っていく。
大猿の火球攻撃、2撃目。
――テレポートで回避。
さすがに、テレポートならば避けられた。
遠距離攻撃を防ぐアサルトシールドも選択肢としてあるが、ダイナはビルドの都合上、アサルトゲージは温存しておきたい。
ならば、どうするか?
3撃目。
木の後ろに飛び込んで、木の幹を盾にしてやり過ごす。
大猿の作り出す火球。
それは、自然の中で発酵した果物に含まれるのアルコール分を葉巻に引火させることで、火球を作っているのだ。
森の哲学者と呼ばれる知能と、ロングコールと呼ばれる1km先まで聞こえる鳴き声を支える肺活量。
それが、マッドウータンという魔物の生物的な優位性。
ダイナは木の影に隠れたまま、回復アイテムである「回復石」を使用。
自分の体力が20%回復する。
さらに、パッシブの「ケヒトの泉」の効果で、セツナもダイナと同じ分だけ体力が回復した。
回復石は、回復量と効果範囲に秀でるアイテム。
その効果範囲を、ケヒトの泉でさらに強化することで、遠くの味方も回復できるようになっている。
セツナから、「ありがとう」のスタンプが返ってきた。
自分のために使ったのだが、お礼を言われてしまうと、やっぱり嬉しい。
木の幹をカバーにしているダイナに、葉巻の煙が襲い掛かる。
煙であれば、木の影に隠れる敵を攻撃できると、大猿は理解している。
しかし、煙の特性はさっき見て、知っている。
テレポート、高所に移動。
マジックワイヤーで高度と姿勢の維持。
杖を構えて、魔法を発動。
「サンダーボルト。」
≪魔導書サンダーボルト≫ が発動。
森の屋根の上に魔法陣が描かれて、小さな落雷が幾度となく降り注ぐ。
落雷は、無作為に地上へと降り注ぐ。
「そんなに大きいと、良く当たるんじゃない?」
マッドウータンは、座った姿勢で2メートルという巨躯を持つ魔物。
充分に、大型と呼べる体躯を持つ。
ゆえに、小さな落雷が、いくつも命中してしまう。
≪魔導書サンダーボルト≫ は、攻撃判定が複数個発生する。
よって、動きが鈍重で大型な対象には複数回命中し、効率的なダメージソースとなる。
稲妻の槍が雨のように降り注ぐこの魔法は、金属の右手だけでは凌げない。
葉巻で作られた煙が晴れる。
落雷に気を取られている大猿に接近。
気配に感づいた大猿は、長い腕を我武者羅に振るって、ダイナを牽制する。
臆することなく、大蛇の如く暴れる腕の間合いへと入る。
≪魔導書アイスランス≫ を発動。
このスキルには、スキル発動直後に無敵判定がある。
振り回された右手の一撃を、体内に凝縮された魔力を膨張させることで――、弾き飛ばす。
大猿が怯み――。
「アイスランス。」
無防備になった腹に、氷槍が貫いた。
会心のダメージが入った、そう手応えで分かる。
現に、大猿はダメージで後ろに転げてしまう。
≪ブレイズキック≫ で加速、接近。
追撃を狙う――、が、大猿は葉巻の煙を吐いてダイナの接近を咎める。
充分に煙が吸えていなかったのか、範囲も持続も大したほどでは無い。
しかし、それでもマッドウータンが態勢を整えるには充分であった。
マッドウータンは、両腕を振り上げて、感情に任せて叩きつける。
その後、バイザーの中で光るモノアイでダイナを睨みつけてから、大きく飛び上がった。
今までのドッシリとした待つ戦いから一変、アグレッシブに木を登って、森の屋根に姿を隠す。
そして――、屋根から飛び降りて、その巨体でダイナを踏み潰そうとする。
バックステップで回避、急降下攻撃の硬直に、 ≪飛燕衝≫ 。
掌から放たれた衝撃波でダメージを与える。
マッドウータンは、怯む様子も無く、飛び上がり樹上に戻る。
樹上に登り、また飛び降りてくる。
バレバレの攻撃を難なく躱し、カウンターを狙うダイナ。
しかし、今度は、大猿の口はたっぷりと煙を蓄えている。
(やば――っ!?)
咄嗟に高所へとマジックワイヤーを使って退避。
体力を削られながら、身体を高い位置へと引き上げる。
地上に、煙が滞留して、ダイナの行動を制限する。
マッドウータンが飛び上がり、木の枝にぶら下がる。
右手で枝を握り、左手には葉巻、口はもごもごと咀嚼させている。
(まずいかも!)
マッドウータンの次の攻撃は、十中八九、アルコールを発火させる火球攻撃。
行動範囲が制限されている今の状態では、避けられない。
高所では火球が避けられない、テレポートには連続使用のペナルティがあり、2撃目以降の火球の加害範囲から逃げられない。
かと言って、地上に降りては、煙の持続ダメージの餌食となってしまう。
「‥‥‥‥。」
大猿が息を吸い込み、口に葉巻の火を近づけ、火球を吹いた。
「舐めないでよね! マジックサイクロン。」
火球の射線上に、魔法の竜巻が発生する。
≪魔導書マジックサイクロン≫ 、この魔法は、相手の遠距離攻撃を無効化する。
竜巻の風が、火球を打ち消した。
2撃目の火球が飛来し、竜巻に吸い込まれて消滅する。
――残り1発。
「――なんでメイジが強クラスか? それを見せたげる!」
杖を構える。
赤い魔力が杖先に集まり、轟々と赤熱し、巨大な火球となる。
大猿の3撃目を竜巻が受け止めて、竜巻と火球が消失した。
同時に、地上では滞留していた煙が晴れた。
竜巻が消えた先には、大猿に向けて魔法を構えているダイナが居た。
「フレアボール。」
魔法は大猿に直撃。
魔導書スキルは使用制限がある分、ひとつひとつが強力なスキル群。
フレアボールの直撃に大猿は耐えられず、枝から手を離してしまう。
猿も木から落ちる。地面に背中を向けて、落下していった。
それを追いかけるように、ダイナもワイヤーを外して、木から飛び降りる。
飛び降りながら、 ≪魔法書サルベージドロー≫ を発動。
体力をコストに使い、赤い本が現れて、スキルが再使用可能になる。
ダイナと大猿、同時に着地。
ダイナは静かに足をつけ、大猿は大きな音を立てて、背中を地についた。
大猿は立ち上がる気配が無い。
痛みにのたうち回っているのか、四肢をばたつかせて足掻いている。
特殊ダウン状態。
一部の敵には、特定のタイミングで攻撃を当てると、大きな隙を晒す。
マッドウータンは、樹上での攻撃中にまとまったダメージを受けると、特殊ダウンになる。
基本的に、特殊ダウンは強力な攻撃に対してカウンターを決めた場合に多く発生する。
近強遠弱、リスクを背負って貪欲にリターンを狙う、前のめりなゲームバランスを象徴するシステムだ。
アサルトゲージを2本使用。
EXスキルを発動。
左手を胸の高さに。
透過した紫色の本が、手のひらの上で浮いている。
本のページが独りでにめくれ、ページが送られていく。
送られるページの中から、1枚、また1枚と光のカードが取り出されて、宙に浮く。
――パタン。と、本が閉じられた。
本から取り出されたカードは、全部で4枚。
≪魔導書フレアボール≫
≪魔導書アイスランス≫
≪魔導書サンダーボルト≫
≪魔導書マジックサイクロン≫
この4枚を、EXスキルのコストとしてリリース。
杖を前に構える。
――このEX魔導書スキルは、AG2ゲージと、使用可能な魔導書スキルを1枚以上消費して発動する。
構えた杖の前に、4枚のカードが瞬間移動して出現する。
上・左右・下、それぞれにカードを配置。
カードを頂点として、ひし形を作るようにセットされる。
――このEXスキルは、発動した時に消費したスキルの数に応じて、威力が上昇する。
カードを白いラインが結び、杖の前にひし形の魔法陣が形成される。
その魔法陣から、4つの頂点から紫色の魔力が噴き出して、膨張していく。
魔力の膨張に呼応して、大気が震え、森が怯え、大地が悲鳴を上げる。
魔力は塊となり、なおも膨張し、成長する巨体で地面を抉りながら胎動を続ける。
――このEX魔導書スキルは、AG2ゲージと、使用可能な魔導書スキルを1枚以上消費して発動する。
――このEXスキルは、発動した時に消費したスキルの数に応じて、威力が上昇する。
――暴走した魔力を前方に放ち、攻撃する。
「グリモワール・エレメンタルブラスト!!」
暴走した魔力が、大地を穿ち、大気を裂き、大森を慄かせ。
大猿を飲み込み、大地を飲み込み、森を飲み込み、巨大な悪魔の尾を大地に残しながら、遥か彼方へと進み。
大猿を、森ごと消し去った。
‥‥‥‥。
‥‥。
◆
「う‥‥、くぅ~‥‥。」
EXスキルの反動で、「魔力欠乏」という状態異常にかかる。
身体から生命力が抜けていき、虚脱感に襲われる。
思わず倒れそうになる身体を、魔法の杖に寄りかかって支える。
「見たか! これが、メイジの力。グリモワールのチ‥‥カ‥‥ラ。
うへぇ~~~‥‥。」
はにゃ~っと、その場にへたり込んでしまう。
魔力欠乏の状態異常が、大魔法を放った後の疲労感を疑似的に再現する。
この感覚は、長距離走をした後の疲労感に似ている。
走っている間は、脳から分泌されるアドレナリンで疲労も何も感じない。
しかし、走り終わって、アドレナリンが身体から抜けると、途方もない疲労感と節々の痛みが襲ってくる。
今のダイナは、アドレナリンが切れた状態。
明日は筋肉痛まちがい無し!
杖を支えにして、内股でへたり込むダイナのところに、セツナがやって来た。
彼も、自分の持ち分にケリがついたらしい。
「やあダイナ。お疲れ。」
「セツナ、お疲れ。」
互いの健闘を称える。
セツナは、自分のポーチからポーションを取り出して、ダイナに渡した。
「飲んでおくといいよ。」
「ありがとう。」
アンプル瓶という、ガラスの素材で密閉された瓶の封を割って、中の液体を口に流し込む。
――甘い。
スポーツドリンクに蜂蜜を溶かしたような味がして、身体から元気が湧いて来る。
美味しい飲み物を飲んだことで、疲労が抜けて、活力が戻って来る。
スポーツドリンクは、万病の霊薬。
スポーツマンあるある。
甘いドリンクを飲んで、ダイナはほっと一息。
戦闘状態が解除されて、魔力欠乏状態も解除される。
回復した様子を見て、セツナはにっこり。
いま一度、周囲を見渡す。
「それにしても――。」
ダイナとマッドウータンの戦いの後を、セツナはまじまじと見つめる。
そこに広がるのは、抉られた地面、薙ぎ倒された木々、陽の光が差し込んで、風が迷わずに吹き抜けている更地。
抉られた土の香りが、辺り一杯に、こんもり広がっている。
≪魔導書エレメンタルブラスト≫ が、森に空白地帯を創り出していた。
「これまた随分と‥‥、陽当たりが良くなったね?」
「ふふ。日向ぼっこが好きな子には――、丁度いいかもね。」
木々が薙ぎ倒され、ぽっかりと青空の見える穴が空いた下には、小鳥やウサギが集まっていた。
鳥は地中の虫を探し、ウサギは倒木の下に巣を作る。
自然とは、破壊や死さへも、その循環の一部分に過ぎないのだ。




