8.6_飛ばない蝶
数日前、セントラル。
ハーマンの謀反のあと。
――この仕事には、手を出すべきではなかった。
そう思う者は、後悔する者は、誰も居なかった。
なぜならば、彼女たちは蝶だから。
女の幸せというのも理解ができる。
普通に生きていくことだって、できないわけじゃない。
――だが、自分たちはどうにも、これ無しの生き方は考えられない。
お金よりも、宝石よりも、価値がある。
むしろ、それでは買えない、危険とスリル。
冒険は、男だけの専売特許ではないのだ。
その蜜だけを吸った蝶は、美しい。
お金よりも、宝石よりも価値がある。
なぜなら、決して手には入らないから。
‥‥‥‥。
‥‥。
「お目覚め、かしら?」
アゲハは目を覚ます。
目を開けると、自分はベッドに寝かされていることに気付く。
手足は縛られているようで、四肢を拘束されている。
ベッドの四隅から鎖が伸びて、力づくでは壊せそうにない。
アゲハは、仲間を逃がすために、囮となり捕まった。
音も無く飛ぶ、見えない鳥人間に捕まった。
天井を見上げるアゲハの顔を、紫瞳の女性が覗き込む。
ルフランと呼ばれていた女性だ。
(デアソラ‥‥、オラクル‥‥、うまくやって頂戴。)
「あらあら? こんな状況でも、仲間の心配?」
心を見透かされるアゲハ。
ルフランは、アゲハの視線の動きから、心を読んでいるようだった。
下を向くように動いた視線の意味を、鋭く察知する。
「ありきたりなセリフですけど、人の心配よりも、自分の心配をしてはいかが?」
ルフランは、被っているシルクハットを、テーブルの上に置く。
ベッドの斜め前方。
簡素なテーブルの上には、アタッシュケースが寝そべっている。
ルフランの足音を追っていると、アゲハを浮遊感が襲う。
身体が、ベッドごと浮く。
ベッドは、床から少しだけ浮いて、起き上がり、45度くらいの角度を取る。
重力で身体がベッドからずり落ちて、腕を拘束している鎖が音を立ててピンと張る。
殺風景に広がる灰色の、廃墟のような部屋。
‥‥自分は、緑色の患者着を着せられている。
病院で着る、浴衣のような、あの服だ。
「――趣味が良いのね?」
「よく言われるわ。」
アゲハの皮肉もサラリと流し、ルフランはアタッシュケースを開ける。
中身を取り出して、ベッドに拘束されたアゲハの目の前へ。
「服装とは、自己の表現。
服装は、個人の価値観だけに留まらず、社会的な地位をも表現する。」
「なら、いまの私は、これから実験に使われるモルモット?」
「ご名答。」
プスリと、腿に針を打ち込まれた。
心臓が強く高鳴る。
体中を巡る魔力が高まる。
(これは‥‥。)
強化ナノマシン。
違法な魔導兵器のひとつで、強力なドーピング効果がある。
アゲハは、打ち込まれたのはナノマシンにより、身体能力と魔力が強化される。
腕に力を込めるが、鎖は千切れない。
腕に食い込むだけで、振りほどくには至らない。
ルフランは、空になった自動注射器を捨てる。
アタッシュケースを乗せたテーブルを浮かせて、自分の元へと持って来る。
強化ナノマシンが充填された注射器を、アタッシュケースから取り出す。
プスリ。針を自分に打ち込んだ。
「強化ナノマシン‥‥、これは便利な道具よ。」
‥‥とてつもなく、イヤな予感がする。
ぞわりと、おぞましい感覚が背中を駆け抜ける。
ルフランの瞳と髪から、紫色の色素が抜ける。
髪のインナーカラーが失われ、完全な灰色髪と、灰色の瞳へと変わった。
――プスリ。
2本目の強化ナノマシンを、ルフランは、自分自身へ投薬した。
小さな身体が小刻みに震え、手に握った注射器を握力で握りつぶす。
テーブルに片手を着き、もたれ掛かるように体重を預ける。
「これが、なぜ違法なのか? それは、ご覧の通りよ。」
オーバードーズ。
薬物を過剰に摂取する行為のこと。
強化ナノマシンには、安全なドーピングナノマシンと異なり、リミッターが設けられていない。
だから、重複使用ができる。
人間、死んだら終わりだ。
生き延びるためには、自傷を覚悟で、複数個使用することだってあるだろう。
今、まさしく、この状況だ。
アゲハに、2本目の強化ナノマシンが投薬される。
心臓が脈打つ。血が熱くなる。
身体の底から膨張する魔力によって、血が身体の末端へと押し広げられる。
「く‥‥‥‥ぅ‥‥‥‥!」
身体が強張り、痙攣する。
頭に血が集まり、思考がぼやけていく。
「なにが‥‥、狙いなの‥‥?」
浅い呼吸を繰り返し、ルフランへと問う。
ルフランは、アタッシュケースへと手をやる。
――3本目。
それを自分に打ち込んだ。
一瞬、瞳が紫色に輝いたが、すぐに光は失われる。
「くふっ!? ――くふふ。
簡単なことですわ‥‥。
あなたに、出演して頂くの。
舞台装置として。」
プスリ。
3本目が、アゲハに打ち込まれた。
「あっ!! あぁぁあああああ!!」
身体から、拒絶反応が起こる。
身体の震えが止まらない。
寒い‥‥。
酷い酩酊状態に陥ったかのように、感覚が鈍る。
アゲハが苦しむ様を、ルフランは特等席で独占している。
「分かりますわ。分かりますわよ! あなたの苦しみが、痛みが!
くふふふふ――――!」
4本目。
常人ならショック死する投薬量。
ルフランは歯を食いしばり、苦悶の表情。
小さな鼻から、血が流れ始める。
サラサラと血が流れ、床をドボドボと汚していく。
白い手袋で拭っても、すぐにサラサラ、ドボドボと垂れていく。
舞台装置の加工作業は続いていく。
4本目を、アゲハに投薬。
蝶は、ジタバタと暴れ始めた。
金切り声のような悲鳴、荒ぶる鎖の音。
四肢が、血で滲んでいく。
(‥‥終わる。あと1本で‥‥‥‥、おわる‥‥。)
朦朧とする意識の中で、アゲハはそんなことを考えている。
アタッシュケースの中に入っている注射器は、あと2本。
1人に1本。
それで終わりだ。
そう考えないと‥‥、そうでも考えないと‥‥、もう‥‥‥‥。
5本目。
気を利かせたルフランは、アゲハと自分、同時に投薬した。
直後、ルフランはその場に倒れる。
倒れ、膝を抱えてうずくまり、寒さに凍えている。
身体の小さい彼女の方が、薬の影響は大きかったのだ。
幸か不幸か、アゲハはまだ意識が残っていた。
ルフラン同様、鼻からサラサラとした血が流れる。
腕に、脚に力を込める。
鎖が肌に食い込み、皮膚が裂ける。
裂けて、削がれていく。
その痛みさえも、もう感じない。
強化ナノマシンによるオーバードーピング。
それと、火事場の馬鹿力が合わさり、鎖はついに引き千切れた。
勢い余り、床に転がる。
受け身を取れずに、顔から倒れ込む。
ベッドが音を立てて、あるべき角度へと戻る。
病院で見かけるような金属フレームのベッドは、天井を見上げる。
「はあ‥‥、はあ‥‥。」
立ち上がり、鼻を拭う。
おぼつかない足取りで、部屋の外を目指す。
ペタペタと音を立て、ふらふらと歩き、部屋の扉に手を掛ける。
――カギは、掛かっていないようだ。
扉を開ける。
‥‥‥‥。
「えっ‥‥‥‥?」
窮地にも関わらず間の抜けた声が漏れる。
――扉の先には、何も無かった。
紫色の、星空に似た空間が、どこまでも広がっている。
前も、下も、上も右も左も――。
「――がはっ!?!?」
部屋に大きな音が響いた。
ぐしゃりと、アゲハが飛んで来たベッドに轢かれる。
壁とベッドの間で、サンドイッチにされる。
「怪我人は、大人しく寝てなさいな。」
ルフランが立ち上がっている。
灰色の瞳が、愉快そうにアゲハを見ている。
強化ナノマシンでドーピングされた筋力で、ベッドを投げ飛ばしたのだ。
‥‥ベッドを投げ返す。
勢いよく、ルフランの元へとベッドが迫る。
「くふふ――。」
避けようともせず、ベッドを右手で受け止める。
アゲハが、距離を詰める。
ルフランが受け止めたベッドの上に飛び乗り、ベッドを足場に跳躍。
低く、鋭く飛んで、ルフランの背後を取る。
ベッドは、蹴られた力によって、脚が床にめり込む。
めり込む力に釣られて、ルフランの姿勢が崩れる。
彼女の後頭部を掴み、ベッドのフレームに叩きつける。
唇がフレームと衝突。
歯が欠けて、唇が切れる。
アゲハは、ベッドに巻き付いている鎖を引き千切る。
引き千切った鎖で、ルフランの顔を殴る。
遠心力が乗った鎖が、ルフランの頬を裂く。
千切られて、切り口が鋭くなった先端が、頬の肉を削いだ。
打撃と斬撃を併せ持つ攻撃に、たたらを踏んで怯む。
もう一度、鎖で攻撃。
上から下へと、しならせて攻撃する。
ルフランは、左腕を前に出す。
勢いが完全に乗る前に鎖を腕で受け、腕に絡みつかせる。
鎖が巻き付いた左腕を引っ張る。
アゲハは、反射的に鎖を離す。
奪われた鎖が、今度はアゲハを襲う。
ローリングで掻い潜り、テーブルの上のアタッシュケースを拾う。
鎖の攻撃から身を守る、盾として使うのだ。
「――――!」
咄嗟に、ケースを腹の前で構える。
ルフランの右拳がケースを砕く。
右半身から繰り出された拳は、体当たりのように重い。
距離を詰めるさいに発生した速度を、そのまま拳に収束させた一撃は、小柄な体躯からのそれとは、とても想像ができない。
アゲハは背中から床を転がり、衝撃を逃がす。
そうでもしていなければ、いまので決着がついていた。
腕の骨が折れるか、内臓が破裂するか。
どっちかであっただろう。
立ち上がるアゲハを、ルフランは左腕に巻き付けた鎖を振りながら見ている。
「くふ――。くふふふふ――――。」
灰色の瞳が、嗜虐的な笑みを浮かべて、蝶の羽根に手を伸ばした。
◆
――プスリ。――プスリ。
自動注射器の針が伸びる音がする。
「‥‥‥‥。」
蝶は、針を打たれたると、ビクリと一瞬だけ身体を跳ねさせて、動かなくなる。
空になった注射器を床に投げ捨てて、新しい注射器を取り出す。
自分に打って、蝶に打つ。
「‥‥‥‥ぁ‥‥‥‥ぅぁ‥‥‥‥。」
時たま、こうやって、死にかけの虫みたいに、思い出したように暴れることがある。
‥‥が、それも意味を成さない。
今、2人はベッドの上。
背の低くなったベッドの上で、ひたすらに倒錯的で破滅的なオーバードーズを続けている。
ルフランは、アゲハの後ろから、強化ナノマシンを投薬している。
アゲハの首に鎖を巻きつけて、首輪の代わりにして。
ベッドの周りには、20本を超える量の注射器が、無造作に転がっている。
オーバードーズにより、内臓から出血。
2人の口元では、赤黒い口紅が乾いている。
目の血管からも出血し、両目から赤い涙を流している。
――プスリ。
――プスリ。
また2本。注射器がカラカラと床に転がる。
「‥‥‥‥。」
ついに、蝶は痙攣ひとつ起こさなくなった。
――仕上げの段階だ。
アゲハを、ベッドに寝かせてやる。
ベッドを下りる。
足がもつれて倒れ込み、四つん這いの状態で、盛大に吐血する。
ルフランの髪と瞳に、紫色の色素が戻る。
すると彼女は、確かな足取りで立ち上がった。
転がっているテーブルを、手も触れずに起き上がらせる。
テーブルに置いてあったシルクハットは、床に転がったまま。
テーブルの上に、薬品の入った小瓶と、銃を取り出す。
ひび割れた紫色の空間に手を突っ込んで、小瓶2つとデリンジャーを用意。
200mlサイズの瓶には、銀色の液体と、紫色の液体が入っている。
蓋を開けて、それぞれをテーブルに向けてひっくり返す。
銀色の液体は、水銀のような表面張力を持っているらしい。
テーブルの上を、玉状になって転がっている。
転がる銀の液体に、指を伸ばす。
手袋を外し、素手で触れて、液体を伸ばす。
伸ばして、紫色の液体と混ぜていく。
テーブルの上で、渦を描くように、伸ばして、混ぜて――。
卓上に広がる、銀と紫のグラデーションを、テーブルから持ち上げる。
2色の渦が宙に浮き、ルフランの手のひらの上で、さらに攪拌される。
混ぜ合わせて、圧縮して、それは銀色の弾丸となった。
デリンジャーに、弾丸を詰める。
中折れ式のデリンジャーに、ピッタリと弾のサイズが一致して装填される。
カツリ。カツリ。
革靴の音。
無機質な灰色の部屋の、殺風景な寂しさを強調するかのような靴の音。
銃口が、死んだ蝶に向けられる。
虚ろな黒い瞳は、銃口に対し、怖気も怯みもしない。
「そう、怖がる必要はありませんわ。
これは喜び――。これは祝福――。
厄災の、福音。」
銃の引き金が引かれ、撃鉄が落ちた。
火薬など込められていない弾丸は、しかし薬莢と弾頭が分離する。
弾が銃口から射出され、蝶の頭部に吸い込まれて消えた。
‥‥‥‥。
蝶の指先が、わずかに動く。
身体が痙攣し跳ね上がる。
虚ろな瞳に、赤いインクが滲んで広がる。
亡骸から生まれた蝶は、悲劇の蝶。
狂言回しに操られ、舞台の上で羽を折られる、操り人形。
‥‥‥‥。
‥‥。




