7.5_風月は靡き。
「アイ。君は、ここに残ってくれ。」
にのまえスカイホテルの外。
刹那と瀬戸との打ち合わせを終えた遠藤は、車で待機していたアイに、そう告げた。
「彼と一緒に行動し、支えてあげてくれ。
彼には、今それが必要だ。」
アイは、遠藤の護衛として、ここに同行していた。
人間の性質を持つアイの目は、幽霊の影響を受けない。
「私のことは心配いらない。
――少なくとも、この事件が終わるまではね。」
遠藤は、アイの父親の1人。
彼女を創った、彼女の設計に関わった1人。
同時に、アイとセツナを引き合わせた人物でもある。
アイから見て、遠藤には、2つの顔がある。
優しく、穏やかで、娘の成長を自分のことのように喜ぶ、父としての顔。
冷酷で、自分の命すら駒として使う、倫理観を捨て去った、科学者の顔。
最近は、科学者の顔を見ることが多い。
彼は、アイも知らない、何か大きな事をしようとしている。
刹那を使って。
「アイ。何かあった時は、君が彼を守ってあげるんだ。」
「‥‥了解しました。――行ってきます。」
「ああ。気を付けて。」
遠藤が、何を考えているのか?
何を隠していて、何を目論んでいるのかは分からない。
けれど、大切な友人を近くで守れる。
それだけで、今のアイには充分だった。
アイは、運転席から降りる。
地下の駐車場を歩き、地下の入口へ。
その後ろで車が発進し、ホテルを後にした。
◆
「こんこんこーん。セツナ~。アイちゃんですよー。」
ホテルの部屋の外から、聞き慣れた声が響く。
電脳の世界で知り合った、ちょっと変わった友人。
ドアのチェーンとロックを外し、開ける。
「‥‥アイ?」
「ふふ。こっちでは、初めまして、ですね。」
ドアを開けた先には、見慣れた赤い瞳の女性の、見慣れないスーツ姿。
電脳世界で見てきた外見と、寸分違わないアイが目の前に居た。
アイの横にIDが表示され、それをマルが精査する。
IDは本物であり、目の前に居る彼女が、本物であることを刹那に耳打ちする。
「改めて、時雨 アイです。
今後ともよろしく。」
アイが、右手を差し伸べる。
彼女の自己紹介に、困惑気味の刹那。
「ああ‥‥、久遠 刹那。
よろしく。」
刹那も右手を出して、2人は握手を交わす。
「どうですか? 純度100%、本物のアイちゃんは?」
少し震えている手を握って、からかってみる。
「ええっと‥‥。想像以上に美人で、ちょっと戸惑ってる。」
握手を交わしている手は、まるで本物の人間のそれだ。
彼女が機械だなんて、とても思えない。
それほどに、全く区別が付かない。
だが、自分の目の前に居るのは、紛れもなくアイであると、確信する。
居住まいや雰囲気、それらは、電脳の世界で見てきたものと全く同じだ。
「アイは、なんでここに?」
「それはですね~。」
アイは、シレっと刹那の部屋に入る。
あまりにも自然な行動過ぎて、道を開けて通してしまう刹那。
「あなたと一緒に戦うためにやって来ました。刹那。」
「オレと――、一緒に?」
刹那は、内開きのドアにストッパーを噛ませ、部屋を内見するアイの背中を追う。
アイが振り返る。
「はい。カッコつけたがりの刹那が、プルプルしてる頃だと思って、会いに来ちゃいました。
感謝してくれて良いですよ。」
「それは‥‥、ありがとう。
心強いよ。」
本当に、心強い。
2人居れば、プレッシャーも半分個だ。
マルも居るから、3等分。
後方支援と後始末を任せられる大人組の存在も有り難いが、肩を並べてくれる仲間の存在も有り難い。
1人でないと分かるから、頑張れる。
アイは、胸の前で両手をグッと握り込む。
「こう見えて、現実でも強いんですよ! 私って。」
「へぇ~。」
刹那は、アイのドヤ顔から、彼女の両手へと視線を移す。
「見た限り、ギアを着けてないみたいだけど。」
「ちっちっちっ! 分かってませんね~。」
アイは、部屋にある、丸いテーブルへと向かい、右肘を立てる。
「腕相撲をしましょう。
私の実力、お見せします。」
彼女の提案に乗り、刹那もテーブルに右肘を立てる。
アイの手を握り込む。
握った感じ、筋力や握力の強さは感じない。
通っているトレーニングジムで出会う、黒光りする筋肉の妖精たちのような、硬い皮膚の下に感じる筋肉の厚みを感じない。
細く柔らかい、女性らしい手だ。
刹那が、アイの実力を計っているように、彼女も彼女で、刹那の実力を計っている。
「おお! さすが男の子。ちゃんと鍛えてますね~。」
左手でペタペタと、刹那の手や腕に触れる。
ちょっと、照れくさい。
が、ここで照れたら、アイにどうやって揶揄われるか分かった物では無いので、ポーカーフェイスを決め込む。
‥‥アイの前髪に隠れた左の眉が、小刻みに動いているのが見えた。
ポーカーフェイスが少し綻び、動揺を隠していた目が、ジト目に変わる。
彼女も彼女で、ちょっと照れてるようだ。
ここは現実世界。
いつも会っている場所とは、色々と勝手が違う。
刹那の微妙な表情の変化に気づいたのか、アイは咳払いをひとつ。
「――こほん。それでは、いきますよ~。
マルさん。スタートの合図をお願いします。」
「かしこまりデス。」
刹那とアイは、左手でテーブルの端を掴む。
「レディ‥‥‥‥。ゴーーー!!」
刹那は、5割くらいの力を右腕に込める。
普通の女性であれば、簡単に捻れる程度の力。
男女の筋力差、特に、鍛えている男性との筋力差とは、普通それくらいの違いがある。
男同士であっても、トレーニングの有無による筋力差は大きいのだ。
それが男女となれば、中学生と小学生くらい違う。
成長期の前後くらい、筋力と運動能力に違いがある。
――の、はずなのだが‥‥。
「ふぬぬぬぬぬ――――ッッッ!!」
腕の力を、6割、7割、8割と上げるも、アイの右腕はビクともしない。
刹那の力に合わせて、アイも力を上げて、筋力の拮抗を保っている。
アイには、まだまだ余裕があるらしい。
目元と口元に、笑みを浮かべている。
「刹那、ハンデをあげましょう。
両手を使って良いですよ。」
余程、腕相撲に自信があるらしい。
その自信のほどを確かめるため、両手を使わせてもらう。
10割と10割。
20割の出力で、アイの右手を倒しに掛かる。
「ぬぅ――! ふんぬッ! ふんぬッ!
ふぅぅぅぅぅぅんッ!!!!」
両手で、体重も掛けて、反動も使ってみるけれど、アイの手はビクともしない。
「はい、ザンネンでした☆」
アイの右手が容易く動いて、あっけなく刹那の右手がテーブルに着く。
両手を持っていかれ、あわやひっくり返りそうになる。
勝負の結果は明白。
アイの圧勝だった。
頬っぺにピースをくっつけて、勝利のポーズ。
「どうですか? これが、シグレヒロインの実力です。」
「‥‥‥‥アイ。」
刹那は、起き上がりながら冷静な声。
「キミ――、ネクストの力を使ってたでしょ。」
「あらら、バレちゃいましたか。」
腕相撲をしているあいだ、皮膚にピリピリとした感触を覚えた。
ギアが駆動し、ネクストを取り込んでいる人間が放つ気配。
それを、アイから感じたのだ。
「私には、ギアと同じ機能が組み込まれているんですよ。
まあ、それを抜きにしても、それなりに頑丈な身体をしてますけどね。」
そう言って、アイは右腕に力こぶを作ってみせる。
「‥‥‥‥。」
――ぷに~~~っと、そんな擬音が聞こえた気がした。
刹那が、力こぶを手で挟んだのだ。
「あうぅ!?」
力こぶが緩み、ぷにぷにとなる。
どこからあんな馬力が出ていたのか分からないが、アイは現実でも、相当動けそうなことは分かった。
アイは、刹那に触られた力こぶを、自分でもぷにぷにと触る。
それから――。
「さて、勝負は私の勝ちなので、刹那には何でも言うことを聞いてもらいます。」
「そんなルールだっけ!?」
「そんなルールです。いま決めました。」
「‥‥‥‥。」
「だいじょうぶ。安心してください。」
アイは、部屋の出口へと向かう。
「お茶をしましょう。
刹那の奢りです。喜んでいいですよ。」
「――。はいはい。」
軽いため息を吐いて、アイと一緒に部屋を出る。
少しだけ、右手を見る。
――手の震えは、もう止まっていた。
‥‥‥‥。
‥‥。
◆
刹那とアイは、ホテルの喫茶店でお茶をした。
時刻はお昼を過ぎたが、昼食は食べない。
軽食をつまむ程度に留める。
いつ出動命令が出ても良いように、いつでも動けるようにしておくためだ。
満腹では、充分なパフォーマンスを発揮できない。
これからすることは、スポーツでは無いのだ。
命の危険がある、戦いなのだ。
そう考えれば、小腹が空くくらい、なんてことは無い。
また、全部が終わってから、お腹いっぱい食べれば良い。
喫茶店でお喋りを楽しんで、展望台で景色を見ながら、軽く身体を動かす。
マルが言うには、出動はここからが、最速だという。
そして、午後3時。
冬の太陽が傾いて、白い日差しに橙色が混ざる時分。
刹那の元に、出撃命令が届いた。
暴動が起きた。
場所はアーケード街。
ここから、車で10分強の距離。
マルが、スマートデバイスから顔を出す。
「2人とも、こちらへ。」
先導するマルに、刹那とアイがついて行く。
アイは、自衛団では無いのだが、刹那に同行。
彼女には、人権が無い。
理由は、厳密には人間ではないから。
法律上、アイの身分は人ではなく、物として扱われる。
物なので、体内にギアに該当する機能を有していても問題ないし、本来ならばライセンスが必要な電脳野を脳に構築できる。
そして、物なので、自衛団と共に現場へ行くことができる。
人命を守るための道具として、ついて行くことができる。
元々は、研究倫理のつじつま合わせをするための法律と裁定なのだが、それを拡大解釈して、有事に適応しているのだ。
マルの案内で辿り着いた場所は、ホテルの非常口。
緊急事態における自衛団の権限により、非常口を開錠。外へと出る。
冬の冷たい風が、高層ホテルの上層に出た2人から体温を奪う。
高さ約150メートルで受ける風は、心なしか地上よりも強く、冷たく感じる。
転落防止用のフェンスの向こうに、ドローンが2機、飛んでいる。
フェンスの物理鍵を、マルが操るロボットが会場。
フェンスの扉となっている部分を刹那が開けて、ドローンに飛び移る。
高さ150メートルもある場所で、躊躇なくドローンに向かって飛ぶ。
続けて、アイもドローンに飛び移った。
ギアで強化した筋力で、ドローンの下部に取り付けられた取っ手を強く握る。
ドローンが動き出し、現場へと急行。
車であれば、到着までに10分掛かる距離。
それをドローンは、直線距離で、制限速度すら無視して現場へ直行。
3分足らずで現場へと到着した。
空からアーケード街を観察すれば、なぜか屋根の上に、小銃を持った人間がうろついている。
服装は一般人。
傍から見れば、武装した自衛団にも見える。
ドローンから手を離し、アーケードの上に飛び降りる。
刹那たちの降下に気が付いた屋根上の人間が、発砲。
空に向けて、小銃を乱射する。
日本の銃は、ナイフよりも安全だ。
センサーとロックが内臓されており、許可された対象以外への発砲ができなくなっている。
なのに、発砲を行えたということは、その銃はまともな銃ではない。
イコール、彼らは通報にあった暴徒ということになる。
刹那は、ギアに内蔵された機能を解放。
自分を覆えるほどのシールドを展開し、弾丸から身を守る。
実弾に当たっても、ギアで強化されしていれば、死ぬことは無い。
‥‥メチャクチャ痛いし、何発も浴びれば、痛みに意識が耐えきれず、気絶してしまうが。
刹那とアイは、ガラス張りの屋根に着地。
ガラスを割ることなく、音も衝撃も立てずに着地する。
屋上で暴れていた連中は、全員で6名。
なぜ、こんなところに陣取っていたのかといえば、上から彼奴等の味方を援護するためであろう。
ところどころ、アーケードのガラスが割れている。
地の利を得て、上から自衛団なり、警察官なりを撃ち下ろしていたのであろう。
一方的に上から撃ち下ろすテロリスト部隊と同じ目線に、刹那とアイは落ちて来た。
問答は無用。
即座に鎮圧へ動く。
刹那は、暴徒の1人に向けて突進。
盾を構え、身を守りながら走る。
彼の背中を守るように、アイも1人の暴徒に狙いを付けて走る。
過保護な親が装備させた、シールドを展開。
左手を前に出すと、身を守れる盾が出現し、弾丸を弾く。
走るアイの側面を、別の暴徒が銃で狙う。
盾で守れない、無防備な横合いから、銃撃。
照準を合わせて、引き金を――、引こうとしたところで、ドローンの突進。
2人をここまで運んで来たドローンが、突撃して射撃を妨害。
後頭部へ、全力の体当たりをお見舞いして、昏倒させた。
マルに、撃破カウントが1つ付いた。
残り5人。
マルは、もうひとつのドローンを使い、刹那たちの手が回っていない敵の気を逸らす。
アイが、暴徒の1人と拳の距離となった。
暴徒と目が合う。
相手の顔立ちは、日本人のものだった。
整形したのか、日本人のネメシス構成員なのかは分からない。
そんなことよりも、今は鎮圧が先だ。
暴徒が扱う小銃には、銃剣が取り付けられていた。
ギアという兵器が誕生して、戦場での戦い方は変わり、銃の価値も変わった。
銃で致命傷を与えることは難しくなり、近接戦闘の重要性が飛躍的に増した。
銃剣は、その近接戦闘を考慮した装備。
拳の間合いで、銃を槍のように扱うことができるだけでなく、相手に心理的なプレッシャーを与える効果がある。
銃剣をつけた銃は、近接戦闘において奪われにくいのだ。
銃口を握られるリスクが、格段に下がる。
暴徒は、銃に取り付けた銃剣でアイを狙う。
コンバットナイフとしても使える銃剣で、刺し貫こうとする。
射撃体勢から、スムーズに銃剣での攻撃へ移行。
切っ先で突きを放つ。
アイの胸を目掛けて放たれた突きは、避けられることなく――、左手で受け止められた。
銃剣の刀身を、アイは躊躇なく素手で掴む。
刹那にも言ったが、この身体は、丈夫にできている。
ちょっと掴み方を工夫すれば、ナイフの白刃取りだってできてしまう。
暴徒に取っては、不幸なことだ。
アイに、人間的な常識は通用しない。
製造されてから5年。
彼女には、幼少期というものが無かった。
アイは、アイとして生まれ、生きてきた。
ゆえに、恐怖への感受性が、一般のものと異なる部分がある。
ナイフの白刃取りは、まさにそれで、生まれて間もなくギアの力を使えるようになった彼女に、恐怖心に付け込んだ牽制などは通用しない。
アイは、左手に力を込め、ナイフをへし折る。
まるで、化け物に遭遇したかのように動転する暴徒。
戦慄している暴徒に、右手でボディブロー。
暴徒は銃を握っており、脇腹へのガードが疎かになっていた。
そこに、丈夫な身体から繰り出された拳が炸裂。
すかさず、怯んだ暴徒の首筋を、そっと左手で撫でてやる。
へし折ったナイフを握った左手で、撫でてやる。
暴徒の首を裂いた。
敵は首から出血し、咄嗟に首を抑えて止血を行う。
無防備となった彼の背後に回り込み、盾として使う。
アイを狙う銃撃の盾として使い、その影からナイフの白刃を投擲。
折ったナイフが、銃口を向けた相手の顔面に目掛けて回転しながら飛んで行く。
咄嗟に、ナイフを避ける暴徒。
アイは、肉盾から銃を奪い、後頭部に一撃。
肉盾を横にして、大人しくさせる。
首から出血しているが、病院に搬送されれば、後遺症も傷跡も無く治療されるであろう。
これで、1人倒した。
マルが1人倒し、アイが1人倒し、刹那も1人倒している。
残り3人。
奪った小銃を構えて、引き金を引く。
走りながら発砲し、まだ立っている暴徒の1人を狙う。
相手も銃を撃ち返し、同じく走って来る。
互いに銃弾を何発か浴びせ、受ける。
アイの眉間に銃弾が当たるも、彼女は気にせずに突っ込む。
のけぞる頭が、すぐに前を向いて、突進。
彼我の距離が詰まり、近接戦闘の距離となる。
暴徒は、小銃を捨てた。
先ほどのアイの動きを見ていたのか、小銃は邪魔になると判断。
腰からナイフを抜いて、近接戦闘に備える。
アイは、小銃の銃口を持ち手に、力いっぱい銃を振るう。
銃を鈍器として扱って、暴徒を牽制。
迂闊に踏み込めば、ゲームさながらの怪力で、腕がへし折られる。
時代と文明が進もうが、いつだって単純な力こそが、死地では猛威を振るう。
小銃という金属塊を、易々と振るうアイ。
暴徒は、ナイフを取り出したはいいものの、リーチで劣り、中々踏み込めない。
ナイフでの攻撃を諦めて、ピストルを取り出す。
左手にナイフを持ち、右手で射撃。
アイの胸に弾丸が数発命中。
彼女の動きが止まる。
ナイフで攻撃。
距離を詰めて、ライフルを振り回せないように。
鈍く光る、鋭利な刃を、アイは腕で受ける。
防刃防弾のスーツが、刃を受け流す。
ナイフは素早く引いて戻り、即座に二撃目が伸びて来る。
ライフルを盾に、ナイフを受ける。
ナイフが銃の上を滑り、引いて戻っていく。
暴徒がピストルで射撃。
ナイフとピストルのコンビネーションで、アイにダメージを蓄積させていく。
ピストルの射撃によって後退させられつつも、アイは思いっきり小銃を振るう。
上から下へ、渾身の力を込めて。
大振りの攻撃は、暴徒に当たり前のように避けられる。
反撃として、冷静にピストルでの射撃。ダメージを蓄積させていく。
アイの攻撃は、勢いをそのままに、足場を強く叩きつけた。
‥‥アーケード街の屋根、ガラス張りの、足元を。
足元一帯に、ヒビが入る。
入ったヒビによって、光がガラスを透過できなくなり、ガラスが曇る。
暴徒の、足が止まった。
下手に動けば、足場が割れる。
この瞬間、勝負は決する。
どちらが、よりイカれているかを問う勝負だった。
アイは、ひび割れた足元なんて気にもせず、力強く踏み込む。
そして、小銃を振り上げて、叩き下ろした。
金属塊の打撃は、下に気を取られた暴徒の脳天に直撃。
ガラスを割り、彼奴を地上へと葬り去る。
同時に、屋根に空いた大穴に、アイも落ちていく。
慣性の法則により、ほんの一瞬だけ身体が宙に浮き、ふわりと浮遊感を内臓が感じて、地上へ真っ逆さま。
身体が屋根から沈み、頭の上に屋根がきた時、身体の落下が止まる。
刹那だ。
彼が、ベルトの裏に仕込んでいたムチをアイに伸ばし、彼女がそれを掴んだ。
およそ2年ほどの歳月で築き上げた関係性が、阿吽の呼吸を生んだ。
現実世界では初めましてでも、こういうところでは、よく見知った仲。
アイに脳天を割られた暴徒は、10メートル以上ある高さを、掴む蜘蛛の糸すら無く、落ちていく。
意識を失っている。
気絶し、無抵抗に落ちていく。
――その身体が突然、ぬるりと動く。
瑞々しい音を立てて、地面と激突するも、彼奴は動き続ける。
「ネメシスに、栄光あれッ!!」
気絶から覚醒し、そう叫び、彼は取り出した爆弾のスイッチを押した。
刹那は、大急ぎでアイを引き上げ、この場から離れる。
ドローンは、2機とも戦闘で潰してしまった。
ギアで身体能力を強化して、少しでも遠くへと離れる。
ガラスの屋根から離れ、手頃なビルへと飛び移る。
飛び移り、走り逃げる後ろで――、爆発が起こった。
黒い煙が空へと上がり、爆風でガラスが吹き飛ぶ。
粉々になったガラスが、辺り一帯に散らばって、空から落ちてくる。
ビルの屋上に伏せていた2人に、砂のように降りかかってくる。
爆発をやり過ごし、立ち上がる。
髪の中に入り込んだガラス片を、手で払い落す。
立ち尽くしていると、爆発によって電源が落ちていたはずの、アーケードビジョンが点灯し、映像が流れる。
『我々は、ネメシス。人類を解放する者たち。
我々は、世界から抑圧を根絶する。
我々は、世界を、日本を、救済する。
そして、そのための闘争と、犠牲を厭わない。』
ビジョンから流れるのは、聞いたことのある、あの演説。
それを掻き消すように、サイレンの音。
警察に消防、それから救急車。
警察から連絡が入り、アーケード街に出没したテロリストは、全滅が確認されたことの報告を受ける。
ただ、重軽症者が、自衛団や一般人にも出てしまったようだ。
大人に子ども、お年寄り。
老若男女を問わず被害が出た。
おそらく、数時間の後、政府から外出禁止の声明が発表されることになるだろう。
街中での、テロリストとの抗争。
事態は、いよいよ相当深刻になってきた。
‥‥故郷が、生まれ育った街が、平穏が、壊れていく。
アーケード街を茫然と見ている刹那の手を、アイが握る。
「だいじょうぶ。私がついていますよ、刹那。」
何が大丈夫なのか?
根拠なんて、これっぽっちも無いけれど、「だいじょうぶ」の言葉に励まされる。
「うん。そうだね。オレは大丈夫。
ありがとう。」
空から、新しいドローンがやって来る。
朝に話した、瀬戸のサポットから連絡があり、ホテルでの待機を言い渡される。
今夜、あぶり出しを決行するそうだ。
それに備えて、仮眠を取るなりして休息を取れとのことだった。
ドローンに掴まり、余燼燻るアーケード街を後にする。
‥‥‥‥その後ろ姿を、双眼鏡で追っている人影にも気付かずに。
「ついに見つけたぞ――!。
同志よ、◆◆を見つけた。この街に、にのまえへ集え!
今宵、我々の悲願は成就するッ!」
要領を得ぬ言葉を残し、人影は形も無く、その場から消え去った。
‥‥‥‥。
‥‥。




