6.11_夜明け。
「――ふむ。とても興味深い。」
そう言うのは、アリサの師である、ソフィア。
左眼を眼帯で覆っている顔で、紙に印刷されたレポートに目を通している。
目を通しながら、タバコをひと口。
ノンタール、ノンニコチンの電子タバコを吹かし、吐き出せば、煙が研究所の所長室に充満する。
煙の向こうには、セツナとアリサが、ソファに腰掛けている。
ここは、ソフィアが所長を務める、小さな研究所。
セントラル南部、南部諸島のとある島にある、緑豊かで、綺麗な川の流れる島にある、研究所。
研究所は、ソフィアの私財で建てられた。
「アリサ、これを。」
ソフィアは、自分の読んでいたレポートを、アリサに渡す。
受け取り、ホチキス止めされたレポートに、ペラペラ黙々と目を通していく。
‥‥セツナは、蚊帳の外。
採血をされたり、魔力の波長を測定したり、電気ショックを受けたり(?)したのに、蚊帳の外。
イバラ症は収束した、終わらない夜の元凶も討たれた。
人々は目覚め、夜に消えた者たちも戻って来た。
夜は明け、今回の任務は終わったのだ。
不可解な謎を、いくつも残して。
「――あの~~?」
控え目な声と、控え目な挙手で、セツナは蚊帳の中にお邪魔する。
ソフィアが、タバコから口を離す。
「ああ、すまない。これは、私たちの悪い癖でね。
師弟ともども、研究となると、周りが見えなくなってしまってね。
好奇心というヤツさ。ついつい、のめり込んでしまう。」
ソフィアは、セツナに謝罪をし、電子タバコでまた一服。
「君のメディカルチェックの結果が出た。
さて、何から話そうか?」
セツナも、聞きたいことが色々とある。
イバラ症のこと。
自分の身体のこと。
ソフィアとアリサのこと。
まずは――。
「じゃあ、メディカルチェックの結果からお願いします。」
「分かった。」
アリサが、ソフィアにレポートを返す。
ソフィアがレポートを受け取り、それと内容が同じものを、ホロディスプレイで表示する。
紙で読んでいたのは、その方が「閃き」と、「直感」が働きやすいから。
研究畑には、独特なジンクスが数多く存在している。
紙のレポートや論文も、そのひとつだ。
他にも、閃きを得た時は、そのアイデアを頭の中から落とさないように、ゆっくり歩いて机に向かう――。
なんてジンクスもある。
別に、ゆっくり歩こうが、普通に歩こうが、アイデアが頭から抜けることは無い。
が、研究者も、人間ということだ。
ソフィアは、ホロディスプレイに2つのグラフを表示して、セツナに見せる。
「君の身体の状態については、これを見てくれれば、一目瞭然だ。」
グラフは、魔力の波長を計測したもの。
魔力は、指紋や声紋と同じく、個々に違いがある。
人間同士であっても、親子や兄弟であっても、同じになることは、ほぼ起こり得ない。
ディスプレイに表示されているのは、ひとつはセツナの魔力紋。
ご丁寧に、顔写真と名前付きなのだ、そうと分かった。
そして、もうひとつは――。
「このグラフは、君の魔力紋と、赤龍の魔力紋を見比べたものだ。
――見てくれ。」
魔力紋の一部がピックアップされる。
波長の始端と終端の部分。そこが、赤線で強調される。
「君と龍で、魔力紋の一致が見られた。
そして、このパターンは普通、人間には見られない。」
セツナは、明けない夜の中で、ドラゴンウェポンを手に入れた。
手に入れて、それを使った。
結果、彼の身体は、一部が龍と同等になったらしい。
「龍の力を身に宿していながら、正気を保てているのは、とても珍しいな。
その昔、科学者は龍から悪魔を生み出したと噂されているが‥‥。
セツナ君の身体は、健康そのものだ。メンタルも安定している。
イバラ症が、災い転じて功を奏したかな?」
龍の魔力は、人の身には余る代物だ。
多くの場合、魂と肉体が耐えきれず、自壊するか、正気を失う。
だから、過去の人々は、龍の力をCEへ転用する方法に、多くの労力を費やした。
セツナの場合は、過去にあまり成功例を見ない、生身で龍の力を取り込んだパターン。
ディヴィジョナー因子がもたらす不死性にって、龍の魔力に力づくで耐えて、従えて、器へ取り込むことに成功した。
結果として、龍の力はセツナにUltスキルをもたらし、彼の糧となった。
なら気になるのは、このディヴィジョナーについてだ。
これは、ソフィアとアリサの専門分野。
「イバラ症っていうのは、結局のところ、何だったんですか?」
セツナが質問する。
「――ふむ。」
ソフィアは、電子タバコに口をつけて、口に煙を蓄える。
何から話そうか、どこから話したものか、思案している。
如何せん、専門分野であるだけに、説明がやりづらい。
相手が、どの程度ならついて来れるのか?
どの程度のことを知っているのか?
それを見定める必要がある。
タバコ片手に思案するソフィアに、弟子のアリサが助け船を出す。
セツナの方を向いて、僭越ながら説明を始める。
「セツナさん。
まず、ディヴィジョナーが我々にも寄生している事実は、もうご存じですか?」
「それは知ってる。」
地球人は、ディヴィジョナーに感染することによって、魔力を扱えるようになった。
人間のDNAが持つ二重らせん構造を、体内に入り込んだウイルスがもたらしたように、ディヴィジョナーは、地球人に魔力と魔法をもたらしたのだ。
それが、夢の跡地への遠征により発覚した。
逆から言えば、それ以前は、この事実は明らかになっていなかった。
「我々も、ディヴィジョナーと同じ因子を有していますが‥‥。
それは普段、計器で観測できないほどに微量しか活性化をしていません。」
セツナは、自分の左腕に装備している、スマートデバイスを見る。
イバラの厄災中は、とかくピーピーやかましかったが、今は静かなものだ。
「イバラ症は、何らかの原因により、人体のディヴィジョナー因子が活性化した状態。
言わば、ディヴィジョナー化の兆候が見られる状態だったのです。」
アリサの解説に、セツナは相槌を打つ。
「つまり、イバラ症って、風邪の引き始めってこと?」
ソフィアが、タバコの煙を吹かす。
「風邪――か。なるほど、確かに、それに似ているね。」
ディヴィジョナーをウイルス、イバラ症をディヴィジョナー化と考えるのなら、そのフローはまさしく、風邪のそれだ。
普段は大人しい、体内の悪性ウイルスが、何らかの要因で増殖 (活性化)。
結果、体調を崩す (イバラ症やディヴィジョナー化)。
イバラ症の症状は、言わば風邪と同じだ。
となると、問題は――。
「その、ディヴィジョナー因子が活性化する原因っていうのは?」
ソフィアが、首を横に振る。
原因は、まだ分かっていないらしい。
「少なくとも、イバラの厄災により、因子の活性と、ディヴィジョナー化が促されたのは確かだ。
しかし、そうなると――。」
「初めの1人は、どうやってディヴィジョナーになったのか?
そこが疑問として残りますね。」
「その通りだ。」
セツナの言葉を肯定するソフィア。
イバラの厄災は、間違いなく、多くの人間のディヴィジョナー化を促進した。
ならば、最初の1人は?
どこで、どのように因子を活性化させ、最初の1人となり、イバラの厄災を振り撒いた?
それは、現段階の情報だけでは、明らかにできていない。
そもそも、ソフィアの専門外だ。
「そこに関しては、うちの弟子と、その仲間たちがやってくれているだろうさ。」
ソフィアの言葉に、アリサが頷く。
「イバラ症の発端となった人物の、身元の特定ができました。
現在、オペレーターの方で、彼女の過去と動向を洗っています。」
今ごろ、オペレーションルームでは、アリサの同僚であるカエデが、おでこに熱さましシートを張って、知恵熱を冷却しながら格闘していることだろう。
オペレーターが手掛かりを掴み、動き出したのならば、疑問が解決するのも時間の問題――。
そう思いたい。
ソフィアは、愛弟子のアリサと、彼女が担当しているエージェントのセツナを、交互に見る。
タバコを大きく吸って、吐きだす。
アリサは、オペレーターとして、しっかりとやれているようだ。
イバラの厄災は、未曽有の災害となったが、久しぶりにアリサと一緒に研究ができたのは、悪く無かった。
「見違えたね。アリサ。」
「ふえ――!? いえ、私なんてまだまだで――。」
今度はセツナが、アリサとソフィアを交互に見る。
何となく、2人の関係が分かった気がする。
そうやって、ひと段落したところで、ソフィアがセツナの方を向く。
「さて、セツナ君。
――これから少しだけ、私の妄言に付き合ってくれないかな?」
「ぜひお願いします。」
中々どうして、彼は飲み込みが早い。
腕っぷしだけでなく、頭脳も優秀なようだ。
多少、ソフィアが買い被り過ぎてはいるものの、セツナの得意分野ということもあり、彼は珍しく話題に置いていかれずに、ついて行けている。
なのでソフィアは、自分の独り言を、セツナに聞いてもらうことにする。
「これから話すのは、赤龍と、ディヴィジョナーの関係について、だ。」
「‥‥‥‥。」
セツナの表情が引き締まる。
物怖じしないリラックスした表情から、仕事人の顔つきとなった。
彼も、赤龍とディヴィジョナーについて、思うところがある。
「その表情。もしかすると、私と同じ妄想をしているんじゃないかな?」
「どうでしょう? 見当違いかも知れません。」
「研究において、突飛な閃きはバカにできないよ。
特に、単純でシンプルな閃きは、だいたいの場合において正しい。」
それが、研究畑のジンクス。
ソフィアは、そう続けながら、電子タバコにキャップをして、テーブルに置く。
「ソフィア女史のお考えを、聞かせて頂いても?」
「そうかしこまるほどの物でもない。
言っただろう? これから言うのは、ただの妄言さ。」
妄言にしては、ずいぶんと重い沈黙を一呼吸。
「赤龍が、ディヴィジョナーの天敵と言ったら、どう思う。」
‥‥‥‥。
それを聞いたら、世間の人間も、過去の研究者も、ひっくり返ることであろう。
この世界の、そもそもの設計、シナリオそのものがひっくり返る。
龍は厄災の主。
過去、人類を絶滅に追い込み、世界に明けない終末をもたらした、災禍の王。
それが、龍だ。
だのにソフィアは、彼の者が、ディヴィジョナーの天敵だと言う。
なるほど、これは確かに、妄言としておく方が良いだろう。
彼女の、社会的な地位を案じるのであれば。
「「‥‥‥‥。」」
しかし、その妄言に返って来たのは、沈黙。
セツナもアリサも、黙って彼女の話しを真剣に聞いている。
「おや? その様子だと、2人もこちら側かい?」
「どうやら、そうみたいです。」
セツナが、アリサの真剣な表情を見てから、答える。
――最初は、小さな違和感だった。
不幸か幸いか、セツナはこれまで何度も、龍と遭遇した。
チュートリアルで初めて出会い、夢の跡地で出会い。
悪夢の中と、イバラの龍と対峙している最中に出会い。
1ヵ月遅れのサウィン祭でも遭遇した。
最初は、小さな違和感だったのだ。
その違和感が、龍との邂逅を重ねるたびに積り、ひとつの結論を暗示させた。
それが、「赤龍は、ディヴィジョナーの天敵」。
ソフィアが前のめりとなり、セツナとアリサに顔を近づける。
「2人がこちら側なら、話しが早い。
君たちの方が詳しいだろうが、赤龍の出現時に、レッドアラートは反応していない。」
チュートリアルで、夢の跡地で、イバラ龍との戦いで。
3度に渡り、測定の機会があった。(※)
※悪夢の中での遭遇時は、スマートデバイスを持っていなかったので、測定ができていない。
そのどれもが、警報を吹鳴させていない。
対して、サウィン祭りで戦った厄災の幼体や、イバラの龍は、レッドアラートが反応した。
いずれも、人の手垢がついた龍である。
厄災の幼体は、ハルの力を取り込むことで龍となった。
3悪魔の機体は、レッドアラートが反応しなかった。
イバラの龍は、元が人間であったことが分かっている。
そう。赤龍と、その他の龍では、何かが違うのだ。
ソフィアは、妄言を続ける。
「赤龍は、夢の跡地を焼き、イバラの龍を焼いた。
物証は上がっていないが、魔法界で龍の幼体を焼いたという証言もある。
私には、赤龍がディヴィジョナーを殺して回っている。
そのように見えて仕方がないのだよ。」
セツナにも、ソフィアと同じ様に見えている。
だからこそ、幾つかソフィアに問うてみる。
「赤龍が最初にセントラルに現れたとき、彼は何をしようとしていたのでしょう?」
「セントラルに漂う、微かなイバラの香りに惹かれて来たのだろう。
――妄言に、妄言を重ねて良いのなら、ね。」
「イバラの厄災は、なぜ龍の姿を取ったとお考えですか?」
「簡単さ。最強の種を模倣するためさ。
龍に至ることができれば、侵略者の進行を何人たりとも止められない。」
「――赤龍は、何処から来たと予想しますか?」
「さあ? それは分からない。
だが、魔法界での目撃情報もあるのであれば、その地の由来である可能性が高いと考えている。」
セツナの脳裏に、新月の女神、レイの顔がよぎる。
彼女は、赤龍のことを悪魔と呼んだ。
1番目の悪魔、7番目の龍と。
魔法界に、由来を持つ龍。
魔法界の、月の女神の伝説。
――話しが、繋がりそうな気がする。
記憶を引き出し、情報を照合し、考えを整理するセツナ。
彼に対して、今度はソフィアが質問をする。
「では、妄言を真に受けているエージェントと、オペレーターに質問だ。
仮に、赤龍がディヴィジョナーの敵対者だとして、君たちがしなければいけないことは、何か答えられるかな?」
セツナとアリサが、顔を見合わせる。
アリサが頷き、セツナが答える。
「人間がディヴィジョナー化する原因を突き止めて――、潰します。」
「ほう。その心は?」
「赤龍を、セントラルに呼ばないためです。
パンデミックが起きる前に、ケリをつけなければいけません。
我々に巣くう侵略者が、龍の逆鱗を撫でてしまう前に。」
ソフィアは、テーブルに置いていた電子タバコを手に取る。
「満点だ。」
――いつものように、煙を味わう。
この嗜好品がもたらす幸福感が、今はいつもよりも、美味しく感じられた。
‥‥‥‥。
‥‥。
◆
「あ~あ。な~んだ、バレちゃった。
そのまま、馬鹿みたいに赤龍を追っていれば良かったのに。
‥‥ま、それも面白いか。
さあ、追っておいで。
そして、踊りましょう。
わたくしたち、X³ (サウザント)と一緒に。
あの方の、理想の世界のために。
お待ちしておりますわよ。
――クフフフフ。」




