6.4_夜の底。
夢戻りのエージェント3人は死亡した。
どことも知らぬ場所で、あっけなく死んだ。
死体は棄てられた。
イバラの腹、夜の底で、彼らは悪夢の糧となる‥‥‥‥。
◆
不思議な感覚を覚えた。
海の中で、じっと潜っているような感覚。
水に包まれ、音を感じない世界。
自らが刻む、拍動の音だけが、骨伝導によってのみ知覚される。
水の中に居るのに、いつまで経っても、息は苦しくならなかった。
‥‥死人に、呼吸の必要は無いのだから。
呼吸の必要は無く、心臓の拍動だけが、永遠と耳に語り掛ける。
目覚めよ――。
‥‥‥‥。
‥‥。
「――――!? ぷはー!!」
自分が水中に居ると知覚して、セツナは飛び起きた。
横になっていた身体を起こし、違和感から逃れるように反射的に立ち上がり、肺に大きく空気を送り込む。
(――生きてる?)
衰弱によって死亡し、電脳世界でどれくらいの時間が経ったのか分からない。
が、彼は生き返った。
身体に傷は無く、心臓は鼓動し、呼吸を繰り返す。
状態異常も、治癒していた。
彼の足元には、深さ20cmくらいの浅瀬と、ナメクジ。
琥珀色をした表皮。水色の液体を蓄えた体内。
ともすればスライムにも見える、体長60cmの巨大なナメクジが集っている。
ナメクジはノロノロと地面を這い、セツナの足元に大群で寄って来る。
数からして、寝ている自分に寄って集っていたらしい。
色のおかげか、そこまで不快感はなく、ナメクジを蹴って掻き分けて、前へと歩き周辺を探索する。
‥‥誤って、避け損ねたナメクジを踏んでしまった。
踏まれたナメクジは、水風船みたいに割れて、浅瀬の水へと返っていった。
足元に、軟体動物が持つ特有のヌメリが広がり、滑りやすくなる。
数が減っても、別の場所でナメクジが湧いて、ナメクジの総量は維持されている。
セツナの棄てられた場所は、地下水路のような場所だった。
薄ら赤いイバラの壁、足元を浸す透明な水、細くて長い、入り組んだ地形。
通路を歩きながら、身体をチェック。
濡れた身体は、若干ヌルヌルしている。
寝込みをナメクジに集られていたせいだ。
心なしか、顔の皮膚が、焼けたようにヒリヒリとする。
(溶けてる?)
この水やナメクジの粘液は、食虫植物の消化液に似た物なのだろうか?
ダメージを受けてはいないが、肌に擦りつけると、ヌルヌルヒリヒリとしてくる。
例えダメージが無くとも、こんな陰気臭いところに長居は無用。
取り合えず、JJとダイナを探すため、歩を進める。
真っ直ぐ歩いていると、通路の突き当りが見えた。
左右の二方向に別れている、突き当り。
同時に、何やら物音が聞こえる。
何か、硬い物を木に叩きつけている音。
水音を立てないように、静かに歩き、突き当りまで近づいていく。
慎重に進む彼の後ろにナメクジが湧いて、忍び足について行く。
――ナメクジを1匹捕まえて、突き当りに向けて投げる。
ビーズクッションみたいな感触で、生暖かいナメクジは、セツナに放られて着水。
セツナは様子を窺う。
ナメクジの音に、突き当りの向こうに居る何かが反応するのか、身構えて待つ。
‥‥‥‥。
硬い音は、変わらず突き当りからセツナ方へと響いている。
静かに歩くのを止めて、曲がり角まで速足で接近。
左右に道が分かれている場所まで来て、音がする方、右側の道を覗き込む。
そこに居たのは――?
(JJ?)
彼の仲間の1人、JJの姿が、曲がり角の先にあった。
そして、JJこそが、音の正体であったことも分かった。
それでも、セツナがJJにすぐ声を掛けず、物陰から様子を窺い続けているのは、どうにも様子がおかしいから。
「‥‥‥‥。」
彼は虚ろな視線をして、腰を落とし、目の前の壁に永延と正拳突きを繰り返している。
もう、それなりに回数をこなしているのか、拳を受けた壁は抉られ、JJの手からは赤いエフェクトが滲んでいる。
‥‥それどころか、手の指から、見えてはいけない白い体組織が露出して、空気に触れている。
おかしい。
この世界において、プレイヤーの皮膚の下にある組織が表現されることは、今までは無かった。
敵には、色々と見えているエネミーを居るが、プレイヤーの肌の下が露出することは無かった。
セツナは、虚ろなJJから、視線を自分の手に落とす。
(プレイヤーの身体が、エネミー化している?)
セツナは、まだ知らない。
セントラルでは、イバラ症を患った人間が、植物の怪物になっていることを。
右手を握りしめ、意を決して、JJに声を掛けてみる。
「やあ――、JJ?」
呼びかけても、反応はない。
ただただ、壁に拳を打ち付けている。
「――JJ!」
彼の肩を叩いてみる。
すると――。
「‥‥‥‥。」
赤く光る瞳が、むくりとこちらを覗いた。
「――――!?」
白い拳が、こちらに向けられる。
鳩尾を狙った正拳突きを、右腕を使って払いのける。
赤くなった瞳にあっけに取られ、殺気の無い攻撃だったこともあり、セツナは後手に回る。
反射的に後ろへ下がって距離を取ろうとすると、JJの膝を腹に貰い、顔面に正拳突きを叩き込まれ、壁に叩きつけられた。
いつもよりも固く感じる拳、壁から伸びた棘に刺される背中。
セツナは、なぜか心臓を抑えて、その場にしゃがみ込み、動けなくなる。
JJは、しゃがみ込んだセツナに興味を失い、また壁に向かって拳を打ち始める。
呼吸が乱れ、発作が起こる。
心臓の上を、蛇が這いまわるような、ナイフの切っ先で引っ掛かれるような、表現し難い発作がセツナを襲う。
血が沸騰するように、血が泡立ち気泡立つような、耐え難い衝動が込み上げる。
胃の中からせり上がる吐しゃ物を飲み込むように、何とか呼吸を整え、発作を沈める。
発作は収まり、立ち上がる。
その瞬間、突き当りの左側から、水の跳ねる音が響く。
通路に群れ成していたナメクジの中から、ダイナが姿を現した。
彼女の瞳も、赤くなっている。
セツナは、今度は即座に戦闘態勢を取る。
案の定、ダイナは襲い掛かって来た。
ダイナの放つ拳を、体格で勝るセツナは余裕を持って捌いていく。
腕のリーチで勝るため、彼女を寄せ付けずに、間合いを保って攻撃をやり過ごす。
膠着した状態を打破するため、ダイナが飛び蹴りを放つ。
地面を蹴り、セツナの顔の高さまで飛ぶ。
(‥‥いつものダイナらしく無い。)
やはりというか、正気では無いのだろう。
セツナは1歩前に出て、飛び蹴りを腕で受ける。
インパクトのズレた飛び蹴りは、跳躍による勢いが乗っていても、半端な威力しか持っていない。
跳び蹴りを、余裕で受け止める。
そのまま、腕と身体を使い、入り身と当て身の要領で、ダイナを宙から叩き落とす。
実戦では通常、飛び蹴りの使用はご法度とされている。
その理由は、今の状況が物語る。
跳んだら、叩き落とされる可能性があるのだ。
タックル気味にダイナを押し倒し、水しぶきが舞う。
セツナが、有利な状況ととなる。
――が、しかし。
(ナメクジっ!?)
ナメクジを踏み、ぬるりとした表皮に滑り、転倒してしまう。
因果応報。
何の因果か、彼が踏んでしまったナメクジは、彼が放り投げたナメクジだった。
セツナとダイナ、互いに地面に転ぶ形となった。
これは、セツナにとって非常にマズい展開。
彼女との手合わせで散々やられた、グラウンドポジションからの関節技の数々を思い出す。
ダイナが、マウントを取ろうと、セツナに襲い掛かる。
セツナは応戦。
グラウンドポジションに、フロアステップで対抗。
地面に背中を付けて、脚を大きく振り、その遠心力を使い攻撃。
ブレイクダンスのパワームーブの1種、ウインドミルの要領で、マウントを取ろうとするダイナに攻撃。
地面が水と粘液で濡れ、滑りやすくなっている。
そのため、遠心力を溜めやすく、普段よりもスイングの乗ったウインドミルが、ダイナの側頭部に命中した。
「‥‥‥‥。」
ダイナの赤い瞳が、セツナを狙って離さない。
ウインドミルキックは、確実に入った。
脳や耳へのダメージ、脳震盪や三半規管の異常を起こしてもおかしくない入り方をしたのに、ダイナは止まらない。
曲がったままの首でセツナを睨みながら、無理やりマウントを取り、左腕を取り、流れるように関節技をセツナに掛ける。
選んだ技は、腕十字固め。
相手の片腕を、自分の脚と腕で取って、肘関節を固める、オーソドックスな関節技。
自分の両脚で相手を押さえつけて極めるため、相手は逃げにくく、自分は反撃を受けにくい。
オーソドックスということは、それだけ強力だということなのだ。
ダイナは、感情の灯っていない表情で、セツナの腕を締め上げる。
首の関節が鳴って、元に戻る音。
肘の関節が極まって、曲がっていく音。
「――――あッ!? ――――ぐッ!?」
関節の締められ方に、危機感を覚える。
腕に力を入れる。
ダイナの脚に噛みつく。
抵抗を試みるも‥‥。
――ブチ。
魔力で強化された筋力によって、セツナの肘はいとも容易く破壊されてしまった。
「――あぁッッッ!!??」
肘が、皮膚を突き破って、外に露出する。
肘から先の感覚が無くなる。
痺れたように、思うように動かない。
そこに感覚はあるはずなのに、筋肉が感覚について来てくれない。
ダイナに腕を握られているのに、通路を浸す水で濡れているのに、その熱すら分からない。
関節が壊れ、ダイナの拘束が弱まる。
――当然だ。
腕と胴が分離して、極めていた関節が無くなったのだから。
‥‥発作が起きる。
心臓の上を、蛇が這いまわるような、ナイフの切っ先で引っ掛かれるような。
血が沸騰するように、血が泡立ち気泡立つような。
セツナの瞳が、赤く光る。
肘関節の外れた左腕を、ダイナの拘束から無理やり引き抜く。
右手で、彼女の片脚を掴み、力任せに持ち上げて、叩きつける。
セツナの左腕が、暴走する。
叩きつけて、うつ伏せになったダイナに、左腕が勝手に掴みかかる。
彼女の頭を掴み、壁へ力任せに押し付ける。
肘から関節だった部分が飛び出た左腕。
通常であれば、ゴア状態となり、まとも利かないはずの左腕は、人間の枷が外れたような筋力を発揮。
壁にダイナの顔を勢いよくぶつけ、頭が埋まるほどの穴を作り、セツナの体力を大幅に奪う。
(このままじゃ‥‥! 止めないと。)
このままでは、ダイナも自分も持たない。
左腕は、負った傷の八つ当たりか、敵討ちでもするように、セツナの意に反して、掴んだ少女を地面に叩きつけた。
叩きつけ、また持ち上げる。
――柔らかい。
少女の頭蓋が、熟れた桃のように、柔らかい。
右手で、無法を働く左手首を掴む。
ダイナの背中を、足で踏みつけて、脚力を使って左手から解放する。
右手で左手を押さえ込もうとするも、左手は蛇が暴れるかのように抵抗し、右手を振り払おうとする。
セツナが、暴走する腕と格闘している足元では、ダイナが立ち上がろうとしている。
彼女も、止まるつもりは無いらしい。
足でダイナの脇腹を蹴り、背中を踏みつけて、怯ませる。
意識が逸れた隙に、左腕が拘束を解き、ダイナに掴みかかろうとする。
セツナは親指の付け根に噛みついて、顎の力で左腕の動きを封じる。
そのまま、ダイナの背に右膝を乗せ、立ち上がれないようにする。
右手で、彼女の頭を上から押さえつけ、右腕に体重を掛ける。
水深20cmの浅瀬が、ダイナの気道を奪う。
ダイナは酸素を求めて、ジタバタと四肢を動かして藻掻き、セツナの右手には引っかき傷が増えていく。
引っ掻かれている当の本人は、右手に増える傷に構う暇は無く、左手に歯が埋まるほどの勢いで噛みつき、腕を制御している。
‥‥‥‥。
次第に、ダイナの抵抗は弱くなり、糸が切れたように四肢が水に沈み、口元から大きな気泡がひとつ浮き出て、抵抗は止まった。
彼女が窒息し、戦闘不能となるや否や、左腕からも力が抜ける。
歯型の滲む手を、口から離し、大きく溜め息。
ぷらぷらと振り子運動をする左腕を抑えて、立ち上がる。
「――ぷはぁ!?!?」
すると、窒息していたはずのダイナが起き上がった。
思わず飛びずさり、戦闘態勢。
「うへぇ!? なんかヌルヌルする~~!?」
戦闘態勢解除。
「??? ここ何処? ――ん? JJと、――セツナ?」
周囲をキョロキョロして、状況を飲み込みダイナ。
「うえ!? セツナ、その腕どうしたの!?」
アクロバティックにバックフリップを決めるセツナの腕を見て、ギョッとして駆け寄るダイナ。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
「いや~、これは――。」
言い淀んでいると、左腕が勝手に動き始める。
痙攣を起こし、引き攣り、ギックシャックと指の関節が動き、肘関節を内側に折り曲げ、飛び出た関節を体内に収納。
その後、関節が突き破った傷口を塞いで、左腕は大人しくなった。
セツナは、左手を見ながら、閉じたり開いたりしてみる。
「――ああ、大丈夫になった? ぽい?」
知らないうちに、戦闘で失った体力も回復している。
自分の身体ながら、何が何やら、疑問が渋滞している。
思考放棄気味にフリーズするセツナと、彼の左手を恐る恐る触っているダイナ。
「――ぬん。――ぬん。」
そして、壁に正拳突きを繰り返す、JJ。
「――ぬん。――ぬん。」
ここに来て、彼が自己主張を始めた。
セツナとダイナが、顔を合わせる。
JJに近づいて、声を掛ける。
「JJ。」
「ただいま、留守にしております。」
「‥‥‥‥。」
「ご用件のある方は、ぬん! という合図のあとに、メッセージをお願いします。」
「‥‥‥‥。」
「――気が付いたら、セツナを殴ってて、気まずくなってた訳じゃありません。」
「ダイナ。」
「ほいよ。」
正拳突きを続けて、シラを切り続けるJJの両サイドを、2人で固める。
そして――。
「せ~のっ!」
――ドグシュ。
セツナの掛け声で、JJの脇腹を、両方から摘んだ。
「あ゛ふん!?」
脇腹が弱いJJの、正拳突き稽古は終わった。
――何はともあれ、3人合流。
3人とも五体満足で、探索ができる状態となった。
反撃の狼煙が、イバラの腹の奥、夜の底で上がった。




