6.3_茨の監獄。
セツナたちが蝶を追っていた頃である。
その時期、セントラルに謎の奇病が確認されはじめた。
眠りの病、イバラ症。
病に罹患した者は、決して目覚めることなく、終わらない夜の夢を見る。
セントラルでは、すぐさま研究チームと対策チームが結成された。
メンバーの中には、オペレーターのアリサの姿もあった。
彼女は、オペレーターを志す前は科学者であった。
専門分野は、ディヴィジョナーの研究。
とくに、「アナザーデブリ理論」という学説の構築へ大いに貢献をした、若くも卓越した科学者であったのだ。
厄災時代において、ディヴィジョナーは、ある日を境に忽然と姿を消した。
人類が、8体目の龍を討ってすぐのことだ。
異界の侵略者は、龍の全滅とともに居なくなった。
――そう、消滅したのではなく、居なくなったのである。
では、どこに侵略者は消えたのか?
アナザーデブリ理論は、その根城を明らかにした。
時空間の構造は、宇宙の構造に例えられる。
その例えを引用するならば、アナザーデブリとは、時空間に存在する宇宙ゴミのようなものだ。
我々が住む、時空的な惑星の衛星軌道上を漂う、次元の断片。
それが、アナザーデブリ。
侵略者たちは、時空間の断片を複製し、そこに巣くい、休眠をしていた。
人類の数が、再び増えるまで。
宿主の数が、回復するまで。
このアナザーデブリ理論は、つい最近まで有力な仮説に留まっていたのだが、夢の跡地にて、証拠の出現によって証明されることとなる。
夢の跡地に出現した、吸血鬼。
彼の故郷は、アナザーデブリのひとつであり、侵略者が支配を成し遂げた地球からやって来たのだ。
いま、セントラルで確認されているイバラ症も、目覚めたディヴィジョナーが原因である可能性が高い。
現に、患者の体内では、レッドアラートが反応するほどの因子活性が計測されている。
アリサが対策チームに召集されるは、ある種の必然であった。
◆
「アリサ、無事かい?」
「は、はい!」
イバラ症の罹患者を収容している研究病院は、硝煙と戦闘の燻る、戦場となっていた。
外に巨大なイバラが出現したとの報を受けた直後、患者の容態が急変した。
彼らの体内からイバラが生え、茂り、患者はイバラの化け物へと変貌した。
病の蔓延を防ぐため、病院の出入り口は完全に封鎖。
残された研究者たちは、避難シェルターに移動をしつつ、異形との交戦を行っている。
「――ふむ。やはり、ディヴィジョナーの研究をするのなら、アナログな施設が必要だな。
話しで聞いた通り、奴等はコンピューターをハッキングできるらしい。」
アリサの横を歩くソフィアは、そうやってタバコに火を点けて一服する。
ソフィアは、アリサの科学者としての師にあたる女性。
「ここのネットワークが、物理的に外へ繋がっていないのが幸いか。」
淡い金髪に、科学者とは思えぬ鋭い瞳。
左眼に眼帯をしており、白衣の下には、鍛えて引き締まった機能的な肉体。
院内喫煙禁止の表示を憚らず、ソフィアは細いタバコから煙を吸っている。
タバコを吹かしながら、手に持ったショットガンをぶっ放す。
暴れる患者に、容赦なく弾丸を浴びせて、患者を大人しくさせていく。
頼もしい彼女の横を、アリサもついていく。
アリサの手にも、銃が握られている。
スマートピストルと呼ばれる、自動で照準を行う拳銃。
オペレーターも、最低限の自衛が可能なように訓練がされている。
‥‥が、しかし。
「怖いかい? アリサ。」
「はい。――とても。」
「それでいい。戦場では、恐怖を感じない者から死んでいく。」
ソフィアがショットガンを裏返す。
タバコを吹かしながら、ローディングゲート (給弾口)を上に向けて、リロード。
アリサが銃を構える。
自分たちの背後を追って来ている、天井を四足歩行で這う化け物に照準。
アリサの瞳の中に、マジックレティクルが浮かび上がる。
対象に自動でロックオン。
照準完了、5点バーストで攻撃。
引き金を引く。
すると、銃口から青い閃光が奔る。
銃のスライドが5回ブローバック。
5発の弾丸を吐き出して、それらは化け物の頭部・両肩・背中に命中する。
銃の名手も驚きの射撃精度。
セントラルで、相応の身分の者が携帯を認められている、高性能兵器。
手足のイバラを天井に突き刺して、天井を這っていた化け物は、アリサの射撃によって床に叩き落とされる。
のたうち回る化け物に、一服とリロードを終えたソフィアの銃が向けられて、化け物は大人しくなった。
間髪入れず、ソフィアは一服の2本目を懐から取り出す。
タバコを吸いながら、弟子のアリサを褒めた。
「やるじゃないか。」
「あ、ありがとうございます。」
実戦で引き金を引いたのは、初めてのことだった。
上手くいって良かった。
額に汗をにじませながらも、わずかながらの安堵を浮かべる。
ソフィアは、そのアリサの顔をじっと見ている。
――やはり、見間違えではない。
アリサの首元。
そこから、イバラの痣が伸びている。
痣は時間と共に触手を伸ばし、いまはアリサの左頬に迫らんほどになっている。
ソフィアは、自分の左手を見る。
――手の平には、アリサの首元と同じく、痣が浮かび上がっている。
自分もアリサも、どれくらい猶予が残されているのか、分からない。
(‥‥シェルターには、行く訳にいかないな。)
謎の奇病、謎の災害。
頼りのエージェントは、イバラに落ちて音信普通。
今回の異変は、今までやってきたチンピラとの小競り合いとは規模が違う。
未曽有の危機が、セントラルに迫っている。
◆
暗闇の中、意識は朧げで、思考は瞼の裏に映された夢を見ていた。
朦朧としている意識の中で、はっきりと感じたのは、痛み。
頭は寝ていても、身体はしっかりと起きているようで、痛覚が意識に覚醒を促す。
覚醒が促され、痛みが輪郭を持つようになり、背中を鋭く刺す感覚に、両目が開いた。
覚醒と同時、背中を起こす。
背中の痛みは引いたが、今度は脚の裏に痛みが集中する。
歪む表情を地面へ向けて、そのあと周囲を見渡す。
(イバラの‥‥、檻?)
目覚めた場所は、床も、壁も、天井も、すべてがイバラで出来ている、檻。
指の第一関節くらいある大きな棘が、服を貫通して、身体の至る箇所を刺している。
セツナが目を覚ましたタイミングで、JJとダイナも目覚めたらしい。
皆、同じような反応をする。
とりあえず、脚の裏が痛いので、立ち上がる。
――当然のように足の裏が痛くなるが、座っているよりはマシだ。
「なにが――、どうなってんの?」
セツナの疑問に、JJとダイナは顔を横に振った。
3人が立ち上がったところで、セツナはさっそく違和感に気付く。
タクティカルベルトが無い。スマートデバイスも無い。
取り上げられた?
主力火器をインベントリから呼び出そうとする。
‥‥主力火器も呼び出せない。回復アイテムもそうだ。
今度は、魔導ガントレットを装備しようと試みる。
ガントレットは呼び出せて、装備することができた。
JJは、檻の鉄格子のところへ。
彼が歩くたび、足元で赤いエフェクトが発生している。
これが、電脳の世界で良かった。
これが現実であったならば、発狂一直線だ。
丈夫な電脳の身体と、幾分かマイルドになっている痛覚フィードバックのおかげで、歩くことができている。
12畳ほどの広さの檻を歩き、イバラの鉄格子の前へ。
鉄格子を握ってみる。
棘がびっしりと生えた格子は固く、本物の金属のようだ。
格子の向こうに見えるのは、自分たちのところと同じようなイバラの檻。
中がどうなっているのかは見えない。
ただ、赤い液体がべったりと広がっていることだけは分かった。
真っ赤になった手をぷらぷらとさせながら、JJは踵を返す。
ダイナは、視界に映るUIを確認していた。
そこには、過去作でも見慣れた状態異常が1つ。
テレポート禁止:特定区間中、テレポートの使用ができない。
それから、見慣れない状態異常が2つ。
イバラ症:茨の呪縛を受ける。
衰弱:AGが負の値を取るようになる。AGが -100ポイントになると死亡する。
各々、状況は理解した。
ならば、次はどうやってここから脱出するか?
その算段を立てる必要がある。
‥‥‥‥。
‥‥。
-10。
3人が目覚めてから程なくして、檻の外から足音。
彼らの元に、2メートル体躯のイバラ看守が現れた。
薄ら赤いイバラが、人の形をした化け物。
2メートル長さのイバラの杖刑棒をついて歩き、3人の収監された檻の前で止まる。
看守が檻の前に立つと、杖刑棒の先端が赤く光り、鉄格子が動き、看守1人が通れるスペースが空く。
3人は身構えながら、看守を警戒する。
ここで彼奴をぶちのめすのは、リスクが大きい。
相手の出方を窺う。
看守が檻の中に入り、杖刑棒で床を叩く。
すると、天井が蠢いて、上から何やら落ちて来た。
落ちて来たのは、緑色のサボテン。
棘でびっしりと覆われた、ゴルフボールサイズの、丸いサボテン。
数は10個。
看守はその中のひとつを摘まみ上げて、頭を開いてムシャムシャと食べ、檻の外に出た。
外に出て、無貌の顔で3人をじっと凝視している。
「まさか――、これを食べろって?
そんな、ラクダじゃないんだから――。」
看守が、杖刑棒で強く床を鳴らした。
「「「――――!?」」」
3人が檻の中で跪く。
脳の中で、鐘の音が鳴り響く。
火災報知機のような、けたたましくやかましい鐘の音。
同時に、身体中を締め上げられるような激痛が襲う。
四肢の骨に絡みつき、神経をすり潰しながら締め上げるような、耐え難い痛み。
床の棘など気にせず、3人は檻の中に倒れ込んでしまう。
‥‥これが、イバラ症の呪縛とやらなのだろう。
呪縛から解放され、嘘のように痛みが引いていく。
看守が、杖で鉄格子を強く叩く。
甲高い大きな音が、衰弱した神経を脅かして、音にすくみ上ってしまう。
JJが身体を起こし、床に座り込み、サボテンを手に取る。
「‥‥仕方ない、食べよう。」
セツナとダイナは、頷いた。
-24。
サボテンは、味は最高だが、食感は最悪だった。
甲殻類のキチン質に似た棘が、容赦なく歯茎に突き刺さり、棘は歯茎を傷つけ食い込み、埋没した。
砂漠に住むラクダは、サボテンを食べるために進化した口を持っており、棘が刺さっても平気な構造をしている。
しかし、人間の口は、サボテンを食べられるようには進化しておらず、これは、ただの拷問でしかない。
食用のサボテンも存在するが、それらは棘を焼いて除去したり、刃物で削いで除去してから調理を行う。
自然の恵みを生で食べるのは、食用であってもやらないし、しない。
このサボテンは味が最高。
なのだが、その味をセツナたちが知ることは無い。
鉄の、錆っぽい味しか感じない。
錆びの中に、メロンのような甘さが時折り漂うばかりだ。
口・喉・食道。
あらゆる器官がダメージを受けるのを感じながら、1人3つのサボテンを完食した。
‐58。
3人の完食を見届けて、看守は檻の前から去って行く。
「「「‥‥‥‥。」」」
‥‥一瞬のうちに、目配せを済ませる。
檻を離れようとする看守の首を、セツナがひっ捕まえた。
魔導ガントレットで後ろ首を掴み、力づくで鉄格子に磔にする。
JJとダイナが、武器を構える。
火薬刀、魔女の槍。
それらを、看守の胴体に突き刺す。
セツナの右手が燃え上がる。
右手の炎は、看守の首と棘を焼いて調理し、彼の頭を黒焦げ丸坊主にした。
燃えるイバラは、糸が切れたように動かなくなり、倒れた。
茨の呪縛を使わせずに、看守を制圧。
ダイナが、魔法の杖で杖刑棒を檻の中に手繰り寄せる。
杖刑棒に魔力を流すと、杖の先端が赤く輝く。
檻の格子が開いた。
急いで脱出を――。
行動に移った矢先。爆発が起こった。
看守だ。
鎮圧した看守が、爆発をした。
身体に棘が刺さり、吹っ飛ばされて、壁の棘も身体に刺さる。
-61。
それでも、脱出をしようと、檻の外を目指す。
爆発の音に気付いたのか、檻の外では大勢の足音が聞こえてくる。
‥‥3人は、戦闘を行うまでも無く、非常事態に駆け付けた看守によって取り押さえされた。
茨の呪いで這いつくばらされて、大勢の看守に囲まれながら、再び檻に収監される。
檻に入れられた後は、罰として暴力を受けた。
茨の生えた拳で殴られ、茨の生えた足で蹴られ、腕で絞めあげられ、茨の壁に何度も頭を打ち付けられた。
暴行を一通り受けて、床に押さえつけられたセツナの右脚に、杖刑棒の石突きが置かれる。
「――――ッ!」
抵抗しようと藻掻くが、呪縛に縛られて力が入らない。
石突きが宙に上がり、降りかかり、直撃し、沈み込み、セツナの腿を貫いた。
「――ッ!?!?!!」
痛覚を通して分かる。
杖刑棒から、ツルが伸びている。
ツルが、筋肉を削ぎ落しながら、脚の中で伸長している。
伸長し絡み合い、太くなり――。
セツナの脚に、いくつもの穴を開けて外へと飛び出した。
ツルが床に伸び、床と一体化した茨の枷を外そうと、セツナは脚に力を入れて、無駄な抵抗を続けている。
彼への刑罰の一部始終を見ていたダイナは、ジタバタと暴れ始める。
小柄な彼女は、看守に持ち上げられるようにして、壁に押さえつけられている。
拳が振るわれる。
暴れるダイナを大人しくさせるために、腹部に、棘の拳が食い込んだ。
3発も殴られれば、身体の力が抜けて、大人しくなる。
――大人しくなったダイナの右肩を、杖刑棒が貫いた。
「うぅ‥‥‥‥あぁッ!!」
腕の肉が削がれ、腕に穴が幾つも空いて茨が生え、彼女の腕は壁と一体化してしまう。
看守は、身動きが取れなくなったダイナの腹を、蹴りつけて嬲っている。
JJは、左腕をやられた。
左手を壁に磔にされて、背中を杖刑棒で何度も打たれている。
「「「‥‥‥‥。」」」
看守たちが去る頃には、3人は今までにないほど、ボロボロな姿となったいた。
-97。
「みんな‥‥、生きてる?」
「うぅ。ほぼ死んでるかも。」
ボコボコにされて、身体中を真っ赤した状態で、会話をしている。
「――はあ。自衛団の、投薬訓練を思い出すな。」
JJが、現在の状況と比較するように、ぼやく。
現実世界で受けた、苦痛に耐えるための訓練。
それを引き合いに出す。
あまり思い出したくない訓練に、セツナは天井を見上げたまま答える。
「訓練には、終わりがあるから。」
そう、訓練は、いつか終わる。
そして、乗り越えられることを想定されている。
だから、耐えられた。
自衛団の苦痛に耐える訓練とは、拷問に耐えることを想定していない。
あくまでも、ストレスを知識としてでなく、経験として学ぶことを想定している。
射撃訓練で、生身の人間を的の前に置く、ストレス訓練と同じだ。
人間とは、人間が思っている以上に、馬鹿な生き物なのだ。
理性の限界を知らない者は、自身の愚かさに気づくことは無い。
旧時代の投資の世界には、こんな話しがある。
「投資家の判断は、その日の朝に見たニュースに左右される」。
投資家は、朝に聞いたニュースが明るい物であれば、取引に積極的になるし、暗いニュースを聞けば保守的な取引をする。
人間の理性など、所詮はその程度でしか無いのだ。
この他にも、裁判において、裁判官が空腹を覚えていると、被告に重い判決を言い渡す確率が高くなることが、統計的に証明されている。
自衛団を志す者は、理性の限界を知る訓練を行う。
そのひとつが、投薬訓練。
極限状況において、愚かな人間の理性がどのような判断をするのか?
それを、身をもって経験し、実体験とすることで、狂っている自分と状況への、ストレスに慣れさせるのだ。
極限状況では、まともで居ようとするから、狂ってしまうのである。
ならいっそ、狂ってしまい、その状態でまともなことをすれば良い。
まともでいても狂ったことをするのだから、その逆だって、人間はできるはずなのだ。
――昔のことを思い出していると、天井からサボテンが降ってきた。
さっき食べた物よりも棘が長く、数も多い、食事の時間。
身体から生えて、鉄枷のようにへばりついた茨を、床や壁から引き千切り、サボテンのところへ。
セツナが率先して、そのひとつを口に含んだ。
-100。
彼は、サボテンを口に含んだまま、動かなくなり、目の前のサボテンの山に向かって倒れた。
「「‥‥‥‥。」」
――数分後。
「せーのっ!」
ダイナの掛け声で、彼女とJJは刺し違えた。
鉄のように固まった茨を使って、互いの心臓を貫いた。
-100。
-100。
夢戻りのエージェント。
次代の英雄と目される者たちの最期は、あっけないほど静かで、救いの無いものだった。
‥‥‥‥。
‥‥。




