SS8.01_友達の友達は、友達。
AIの進歩には、様々な学問が寄与していた。
数学はもちろん、脳科学、統計学、電気工学、分析哲学、言語学――。
様々な学問の知識を横断的に組み合わせ、「人としての機械」を誕生させる目的に向かって協力し合っていた。
そのAI誕生を支えた学問の中に、「グラフ理論」という学問が存在する。
グラフ理論とは、その名の通り、「点」と「線」の科学。
数学的なグラフから、X軸とかY軸を排し、距離という概念を取っ払った、単純な繋がりについてのみ探求する分野。
グラフ理論は、交通網の整備や渋滞の予測、ネットワークウェブの構築にも用いられている。
特に、この学問の「物理的な距離に囚われない」性質は、電子の世界たるネットワークやAIの発展において、大切な役割を果たした。
18世紀、数学者のオイラーによる「ケーニヒスベルクの七つの橋問題」に端を発したグラフ理論は、コンピューターの登場と進歩により、時代を下るごとに重要性が増していったのである。
先人たちの築き上げた知識と技術、それから文化と文明によって、現代は成り立っている。
それは、新エネルギーであるネクストの発見前後で時代を分ける、「新現代」と「旧時代」のいずれにおいても変わらない。
――さて、その先人曰く、グラフ理論を紐解いていくと、興味深い逸話を知ることができる。
逸話のタイトルは、「6次のつながり」。
「6次の隔たり」とも呼ばれているこの逸話は、人間社会が構築するネットワークにおいて、興味深い知見を得ることができる。
曰く、世界中からランダムな2人を選んで、彼・彼女たちが知人や友人を通じて手紙を渡そうとした場合、平均で6人の知人や友人を仲介すれば、手紙が届くと言うのだ。
たった6人の手を借りるだけで、地球の裏側の見ず知らずの人へ、手紙が届くのは面白い。
グラフ理論の核を成す、単純な繋がりだけを考えるという発想。
距離や時間軸を完全に排しているからこその、自由でダイナミックな逸話だ。
もちろん、これは理論上での話しであって、現実でそうなるとは限らない。
ネットワークには、大量の点と繋がっている「ハブ」と呼ばれる部分があり、6次のつながりにおいては、このハブからハブに手紙が渡ることによって、効率的に手紙を届けることができるとされている。
しかし、ハブに繋がっていない、つまり顔の広い知人を持たない人間やネットワークでは、いつまで経っても手紙を届けることはできない。
6次のつながりは、グラフの形状や性質などを度外視しており、確かにツッコミどころもある。
しかし、たった6人を介するだけで、地球の裏側に手紙が届くという、科学的なロマンを示唆しているのだ。
――この逸話を聞くと、多くの者は思ったことだろう。
そう、「世界とは、そんなに広くない」。
日本の慣用句で言うならば、「世間は狭い」のだ。
◆
「寒っっっむ。」
季節は11月の下旬。
日はみるみる短くなって、秋の夜長の候。
この時期になると、本当にあっという間に外が暗くなる。
地方によって、日の出と日の入りの時間は異なるけども、1ヵ月前と比べて明らかに日の入りが早くなったように感じるのは、全国共通だ。
これから冬至までは、つるべ落としの時分が続くだろう。
そして、冬至から1ヵ月も過ぎれば、つまり1月の下旬頃になれば、太陽が顔を出す時間も増えていく。
外は秋の夜長も手伝って、もう上着が欠かせない。
今日の最高気温は、今秋の最低値を記録して、いよいよ冬の到来を感じさせる。
街のあちこちでは、クリスマスの飾りつけやイルミネーションなんかがキラキラしていて、すっかりウィンターシーズンの装い。
刹那も冬の服装に衣替えをしたのだが、寒さに身体がまだまだ慣れていない。
防寒着を突き抜けて、寒風が服の下に入り込む。
彼はいま、夕食の食材をスーパーに買いに行って、自分のマンションに帰って来たところ。
家を出た時には夕日があったのだが、帰る頃には外は真っ暗。
1ヵ月前は夕方だった時間帯は、今や夜の時間帯だ。
暖房の利いた室内が、冷えた身体と、冷たくなった頬を温める。
帰ったその足でキッチンに向かい、食卓の椅子に上着を掛ける。
そのまま、晩御飯の支度を始める。
と言っても、家を出る前に少しだけ支度は済ませてある。
炊飯器ではご飯が炊き上がり、キッチンでは水切りをしている豆腐がシャキっとしている。
今日の晩御飯は、麻婆豆腐。
自分で作る。
汁物は作らない。
科学技術が進歩した現代では、身の回りのことは全部ロボットがやってくれる。
だけども、自炊や掃除に洗濯など、自活する能力が軽視されることは無い。
人間は、AIの隣人として、ロボットの主として、彼らに使われることの無い教養が求められる。
自活だって、立派な教養だ。
コンロに火を点ける。
よく遊ぶ友人に触発されて、調子に乗って買った中華鍋が、コンロの上で温まる。
バスケ仲間であり、海や山へ一緒に出掛けることもあるグループの中に、料理長ポジションの友人が居る。
仲間とキャンプに行ったとき、彼が中華鍋を振るっている姿が格好良かったので、自分も調子に乗って買ってみた。
‥‥鍋を育てるとかいうのは、全然わからん。
でも、中華鍋で作った料理は美味しい。‥‥気がする。
中華鍋に油を、ひとひと注ぐ。
油ならし。鍋全体に油を膜を作る。
これをしないと、鍋に入れた具材がくっついて大変なことになる。
油をケチってはいけない。
油ならしが終わったら、ならしで使った油はオイルポットの中に。
酸化を防ぎつつ、再利用。
鍋にラードを投下。
料理長が言うには、使う油で料理の味が全然違うものになるらしい。
特に、良い肉を料理する場合は、良いラードを使わないと肉の味が台無しになってしまうらしい。
逆に、普通の肉でも、良いラードを使うと美味しくなるらしい。
とりあえず、彼からオススメを聞いて、聞いたそれを鍋に適量ぶち込む。
チューブから絞ったラードが、鍋の上で透明になって溶けていく。
鍋の温度は上々。
買い物袋から、挽き肉を取り出す。
麻婆豆腐には、豚の挽き肉が一般的。
だが今回、牛の挽き肉。
スーパーで半額だった。
挽き肉を鍋に入れて、塊を解していく。
――スイッチを入れ忘れていた換気扇が、自動でオンになった。
挽き肉の塊を解したら、火が通るまで別の作業。
袋から長ネギを取り出す。
今回、薬味用の細い葉ネギではなく、鍋や焼き鳥に使用する、太い長ネギをチョイス。
チョイスした理由は、なんか面白そうだったから。
流し台で軽くネギを洗う。
「うぅ――。冷たいぃ。」
気温が下がれば、水温も下がる。
料理をするだけでも、季節の移ろいを感じる。
洗った長ネギを、まな板の上に。
ネギの白い部分を、薄い斜め切りにしていく。
ネギを1/4ほど切ったところで、一時作業中断。
中華鍋に入れた挽き肉に火が通ってきたので、鍋に豆腐を投入。
水切りしてシャンとした豆腐を、包丁で荒く4等分。
そこからは、手でちぎって大きさを整えていく。
手でちぎることにより、豆腐の表面積が大きくなり、味がよく馴染むようになる。
見栄えは少々落ちるが、男の一人暮らしなので問題なし。
豆腐を1丁まるまる使って、ちぎって入れた。
次に、マーボーソースを少々。
それから、チューブにんにく、チューブ生姜を適量。
鍋に水も適量を加えたら、これでソースのベースは完成。
ここに、ちょこっとひと手間。
酒・砂糖・醤油、追加で鶏がらスープの素。
これらでマーボーソースの味を整えて、自分の食べやすい味に。
計量はしない、分量は勘である。
鍋の中身を中華お玉で均したら、まな板の前に移動。
ネギ切りを再開。
ネギを切り終わったら、麻婆豆腐にとろみをつける。
片栗粉を計量カップの中で溶かして、それを鍋へ。
片栗粉が ”だま” にならないように、お玉で静かにかき混ぜる。
とろみが付いたら、切った長ネギを投入。
ネギの歯ごたえを楽しみたいので、ネギには火を通し過ぎないように気を付ける。
あくまで、ネギを他の具材と均すだけに留める。
ネギを均しながら、仕上げにゴマ油。
料理長の友人が言うには、仕上げにゴマ油を使っとけば、中華っぽくなるらしい。
火を止めて、麻婆豆腐を器によそう。
よそう先は、どんぶり。
食べ盛りの男の子を支える、大盛りサイズのどんぶり。
普通、麻婆豆腐をよそうならば、背の低く、深さがそれなりにある食器が好ましい。
が、刹那は男の一人暮らし。
大は小を兼ねるの精神で、どんぶりに麻婆豆腐をぶち込む。
炊飯器の白米も、別のどんぶりにぶち込む。
2つのどんぶりを食卓に並べて、お箸やスプーンを用意。
ここから、ちょこっと後片付け。
中華鍋が温かいうちに汚れを落とす。
お湯で洗ってから、コゲなどをささら (細い竹を束ねた道具)でこそぎ落す。
お玉も同様に洗う。
洗剤を使わないので、掃除は30秒もあれば終わる。
買い物袋から、カット野菜のサラダを取り出して、水とコップとドレッシングを用意して、食卓に並べて――、いただきます。
最初のひと口は、麻婆豆腐から。
牛肉の旨みと、豆腐と調和された辛み、それとゴマ油の香りが口の中に広がる。
口を動かすと、ネギのシャキシャキとした食感が、口の中にバラエティを生み出し、楽しませる。
(うん、美味しい。)
ノリで入れた長ネギ。
これはこれで、ありな気がする。
麻婆豆腐の具材が増えるので、辛い物が苦手な人にも良さそうだ。
(‥‥ちょっと、ソースが少なかったかな?)
反面、具材が増えたので、いつものソースの量ではソースが足りなかった。
ここは次回の改善点。
コップに注いだ水を飲むと、口の中には、ネギの後味。
苦味がほんのりと、舌の上に残る。
苦味が辛みの刺激を和らげて、舌がヒリヒリしないのは良き。
食事をしながら、ポケットからスマートデバイスを取り出す。
取り出して、食卓の上へ。
すると、食卓の上にホロディスプレイが表示される。
そして、彼にオススメの動画が自動で再生される。
流れ始めた動画は、M&Cの動画。
M&C公式による、週刊エージェントの動画である。
(この映像は、前のイベントの――。)
週刊エージェントでは、プレイヤーの好プレーや珍プレー、ネタ映像などがAIによってピックアップされて公開される。
刹那が見ている画面では、つい先日まで開催されていたPvPvEの映像が流れている。
そこでは、フィールドに突如として現れた、「魔神ボス」と呼ばれる強敵に挑む即席チームの雄姿があった。
(いやぁ~。あの魔神は強敵だった。)
彼自身も、そのイベントで魔神と相対し、討ち勝った経験がある。
さすがにPvPvEのサーバには、いつもの3人で潜るのは自重した。
ランカートリオで潜るのは忍びなかったので、物見遊山 (見学や遊び目的)がてら1人で潜った。
そしたら、ばったり魔神と出くわして、さあ大変。
幸い、何の因果か、自衛団のトライアルで知り合った友人も同じフィールドに居て、彼や他のプレイヤーと協力して、強大な敵を倒すことができたのだ。
――自分の経験を思い出しつつ、動画を視聴しながら食事を進める。
そんな風に、のんきに構えていた刹那の、箸がはたと止まる。
(んんーーー!!??)
動画を一時停止。
スマートデバイスが彼の視線を読み取って、彼が凝視しているポイントを拡大する。
拡大されたポイントには、刹那の良く知るプレイヤーの姿があった。
金髪碧眼、戦闘修道服に身を包む、ガンスリンガーのバトルシスター。
(遥花?)
そこには、刹那の妹である、遥花 (ハル)が映っていた。
ハードVR初心者である彼女が、早々に魔神と戦っているとは‥‥。
我が妹ながら、将来有望なプレイヤーである。
動画の一時停止を解除。再生。
――即座に一時停止。
(んんーーー!!??)
映像を拡大。
またもや知り合いを発見。
服装がいつもと違うので、パッと分からなかった。
普段のドレス姿の印象が強くて、気づくのが遅れた。
軍服を着た、赤い瞳の、大鉈を振るうプレイヤー。
(アイ?)
そこには、ハルの姿だけでなく、アイの姿もあった。
ハードVR界隈はニッチで小さなコミュニティと言えども、これだけ知り合いを見かけるのは珍しい。
動画を再生して、ハルたちの魔神戦を一部始終、観戦した。
魔神戦の最後は、ハルが道連れ上等の必殺技を決めて、魔神に討ち勝った。
食事の手を止めて、刹那は拍手を送る。
良い戦い、良いプレイだった。
これは、週刊エージェントにピックアップされるのも納得である。
ドラマ性やエンタメ的に、申し分ない戦い。
みんなが全力を尽くしたからこそ生まれたドラマであり、紡がれた勝利だ。
――ごちそうさまでした。
良い動画を視ながら食べるご飯は、いつもよりも美味しく感じられた。
食器を食洗器に入れて、刹那は食卓に再び腰かける。
先ほど見た動画の検証に入る。
動画を再生。
スマートデバイスを操作して、より詳細な情報を表示させる。
映像を映すホロディスプレイの隣に、もうひとつディスプレイが出現。
そこには、プレイヤーたちの体力やAGのリソースが表示されている。
2つの画面と、しばし睨めっこ。
‥‥‥‥。
――検証終了。
スマートデバイスを手に取って、フレンドを遊びに誘う。
返事は、その日のうちに返って来た。
予定を聞き、予定を合わせ、トントン拍子で予定が決まる。
(これは、楽しくなるぞ~。)
そう、ちょっと悪い笑顔をして、刹那はほくそ笑むのであった。




