5.19_夜空を走る
「ファイヤーボ――――。」
ハーマンとの第2ラウンドは、彼女の詠唱と共にゴングが鳴った。
「重複詠唱」と「多重詠唱」によって強化された ≪ファイヤーボール≫ が唱えられる。
多重詠唱による強化は、全5段階。
現在ハーマンのファイヤーボールは3段階目。
ここから先は、AGを消費することによって強化段階を進めていく必要がある。
3段階目の時点ですら、火球は砲撃ほどの威力を誇っている。
これ以上の強化を許せば、ジリ貧だ。
三日月の加護と奇跡を受けたダイナが踏み込む。
足に炎を宿し、屋上を駆ける。
昏い残火を伴いながら、一息でハーマンの懐に入り込む。
(速い‥‥!)
三日月の加護は、唱える魔法を強化する。
それこそ、人間ごときが加減などできないほどに。
加護を受けているあいだ、術者は魔法の出力をコントロールできなくなる代わりに、人間の限界を超えた魔法を扱うことを許される。
『「‥‥ブレイズ。」』
ダイナの蹴りが、ハーマンの腹部に命中。
加減の利かぬ、凶器と化した炎が、筋肉の鎧を撃ち抜く。
ハーマンのファイヤーボールは不発に終わり、大きく後ろへ後退させられる。
それをダイナが追いかける。
自分が魔法使いであることを忘れているかのように、執拗にインファイトを仕掛ける。
屋上に延焼を残して、再度ハーマンに接近。
鎌を構え、振るう。
『「‥‥飛燕衝。」』
湾曲した三日月の刃が、下から上へと振るわれた。
刃の軌道をなぞるように、魔力の刃が生成され、高さ3メートルほどの大波となってハーマンに襲い掛かる。
ハーマンは魔力の大波を、杖を横に構えて受ける。
並みの得物であれば、武器ごと標的を両断する刃を、霊銀製のステッキが受け止める。
刃とステッキが鍔迫り合い、火花を起こし、ハーマンを後退させる。
彼女の後方に、もう道は無い。
「ぬぅ――、覇ァ!!」
ステッキが大波を押し返した。
魔法の刃は軌道が逸れ、明後日の方向へと飛んで爆発して霧散した。
それでも、大波を押し返しても、ハーマンの後退は止まらない。
このままでは、地上へと真っ逆さま。
「ラブリー‥‥、ウイィィング!!」
その時、ハーマンの背中に翼が生えた。
天使の羽を模した、彼女の肉体に不釣り合いな小さく可愛らしい翼が生える。
翼が輝き、足元には何やらキラキラした粒子を光らせて、ハーマンは空中に留まる。
ハーマンの反撃。
杖を構える。AGを消費。
「ファイヤー、ボォォォル☆☆☆☆」
セントラルの空に、太陽が2つ出現する。
ファイヤーボールの多重詠唱、4段階目。
その威力は、いよいよ必殺の領域となり、双子の火球が火災旋風に似た現象を引き起こす。
大型バスほどある火球が周囲の空気を膨張させ、気圧を下げて、局所的な突風を巻き起こす。
突風で火球は燃え盛る竜巻に姿を変え、屋上のダイナとJJへと迫る。
龍の息吹が如き劫火が、膨大な熱と魔力に任せ暴れ狂い、襲い掛かる。
ダイナの右手に冷気が集まる。
空気を凍らせるほど冷たい右手を、屋上に叩きつける。
『「凍えろ。」』
スキル ≪魔導書アイスランス≫ 。
氷の槍を生成する魔法が、禁忌に触れて狂気に堕ちる。
地面に叩きつけられた右手を起点に、前方へ巨大な氷柱が何本も発生していく。
巨獣さえ刺殺さんばかりの、街中で使用すれば大きな被害をもたらす魔法は、セントラル上空に氷の海を創り出す。
広がる氷柱は、ビルの屋上を離れ、空中にさえ触手を伸ばし、2つの巨大な竜巻と激突した。
両者の魔法は、相討ち。
氷の海は、熱と風に晒され砕かれて、砕けた巨大な氷柱は地上へと落ちていく。
竜巻は、海の冷たさに凍え、熱を失い、標的に届くことなく霧散した。
ここでJJが前に出る。
火炎旋風で砕けて溶けた氷を足場に、ハーマンに接近。
魔法の翼で宙を飛ぶハーマンに、火薬鎚を振るう。
「ぬぅん。」
黒炎と爆炎が舞うも、攻撃は空振りに終わる。
さすがに、宙を飛ぶ敵を簡単には捉えられない。
‥‥ブースター、オン。
左手から、蒼い炎が迸る。
相手が宙を飛ぶならば、自分もそうするまでだ。
「ぬぅぅん。」
上へと回避したハーマンに、JJの拳がヒットする。
拳が胸を貫く、寸でのところ。
紙一重でハーマンのガードが間に合う。
右手の筋力で、火薬の爆発力を受け止めた。
空中だと踏ん張りが利かないため、火薬武器の威力が完全に発揮できていない。
ハーマンはJJの左拳を掴み、腕力に物を言わせて放り投げた。
ここは空中。
ひとたび足場を失えば、すがる藁すら無く地上に落ちていく。
JJは、空から捕まる場所も無く、地上へと落下していく。
それをハーマンが追いかける。
――火薬籠手の撃鉄を落とし、火薬を炸裂させる。
火薬の力により、空中機動を行って体勢を整える。
籠手の残弾は、残り1発。
武器の残弾は、残り2発。
ふわりと身体が浮いて滞空する。
彼の上方では、ハーマンが翼で加速し、勢いをつけてキックの姿勢を取っている。
「ラブリー‥‥、ダイナミィィック!」
火薬鎚の撃鉄を起こす。
火薬籠手の撃鉄を起こす。
1発で足りないなら、2発!
赤青混じった爆炎が、ハーマンのエンゼルフォールキックと衝突。
先ほどは力負けした火薬の力も、2倍の出力であれば、拮抗を演じている。
だが、競り勝つにはまだ足りない。
――2発で足りないなら3発!
火薬鎚のスラムファイヤ機能を駆動。
鎚のエンド部分を捻り、弾倉に残った最後の1発に火を点ける。
「ぬぅぅぅん!」
火薬が競り勝った。
ハーマンの膂力を押し切って、彼女をカチあげる。
魔法の翼で姿勢を整えるハーマンに、ダイナが迫る。
足に炎を纏い、空を足場にして、空中戦を繰り広げる2人の元へと駆け下りてきた。
ダイナが空を走りながら、鎌を振るう。
上から振り下ろした鎌は、筋肉が大気を足場にして跳躍され、上を取られる形で回避される。
ハーマンの脚から、空気が裂ける音と衝撃波が発生して、攻撃を躱された。
鎌を下から上へ。
上へ逃げたハーマンを追う。
刃が太陽の光を吸って鈍く光り、魔力の大波を引き起こす。
「させないわ。」
ハーマンが、鎌の上に両足を乗せる。
振るおうとした鎌は、岩にでも刺さったかのようにビクともしなくなる。
「ダイナ!」
そこへ、JJの援護射撃。
彼は、火薬鎚のシリンダーをイジェクト。
それをダイナ目掛けて鎚でかっ飛ばした。
動かない鎌から手を離す。
鎌は自由落下で地上に落ちていく。
ハーマンから空を走って距離を取る。
ダイナの目の前に、シリンダーが下から飛んでくる。
下から飛んで上がってきて、重力に捕まって落ちていくシリンダーを、足の甲で受け止める。
サッカーのリフティングにおける、ストッピングという技。
AGを消費。
ストッピングの状態から、シリンダーを足で放り上げて――、蹴り飛ばす!
『「‥‥ブレイズ!」』
ダイナの脚から、火の玉シュートが放たれる。
加減の利かぬ魔法により強化されたシュート力は、まさに殺人シュート。
シリンダーという金属の塊を、殺人的な速度で蹴り出した。
火薬の爆発にも耐えうる、硬く重い金属塊は、最短距離でハーマンまで到達する。
ハーマンが燃える金属塊を両手で受ける。
が、殺人シュートは彼女の筋力をもってしても止めること叶わず、彼女は金属塊ごとビルに突き刺さった。
ガラス片と瓦礫を巻き上げて、ビルに大穴が空く。
ダイナの手から離れ、自由落下をしている鎌は、独りでに回転を始め、持ち主の手元に戻っていく。
この鎌は、奇跡によって呪われている。
決して捨てられず、決して手元から離れない。
JJがダイナの横まで戻って来た。
空から落ちながら、火薬籠手の装填を行って、ここまで下から戻って来た。
ダイナは、自分の鎌を彼に差し出す。
上を向く鎌の刃を足場にして、JJも空中に留まる。
束の間の静寂。
間髪おかず轟音。
吹き飛ばされたハーマンが、ビルに空いた大穴から飛び出して突進。
両手に拳を握り、その横をステッキが追従する。
「キツく、行くわよッ!」
ダイナは鎌を振り上げて、JJを上へと放る。
そして、スキルを発動、 ≪魔女の七つ道具≫ 。
狂気の七つ道具、魔女の鉄槌。
ダイナの右手を影が覆っていく。
影は、泥のような粘性を有している。
腕に集まり、這いまわり、巨大な拳の形を取って、彼女の腕を異形へと変えていく。
爪が長く、7本の指を持つ、人間のそれとはかけ離れた異形の拳。
「征ッ也ッッッ!!」
『「砕けろ。」』
正拳突きと異形の拳がぶつかる。
拳の威力によって、大気が震えて泣く。
ハーマンの正拳突きが競り勝つ。
異形の拳は砕けて霧散し、ダイナはたたらを踏む。
上に放り投げられたJJが武器のリロードを終え、上から火薬銃を撃ち下ろす。
スキル ≪飛燕衝≫ を発動。3点バースト。
火薬の花火は、追撃を仕掛けようとしたハーマンの勢いを削ぎ、脚を止めさせる。
ダイナの右腕が、また異形へと変わる。
右腕に昏い泥が集まり、身の丈を超える剣の形へ。
剣を振るう。
すると剣の切っ先がさらに伸びて、鞭のようにしなり、距離の離れたハーマンを切りつける。
さらに、左の鎌を振り上げて、魔力の刃で連撃。
剣戟も刃も、どちらも命中する。
このまま押し切る。
ダイナが、右手に夕暮れの魔力を集める。
スキル ≪魔導異書ブラックパイル≫ 。
JJが、火薬籠手の撃鉄を起こす。
落下速度も乗せた、左ストレート。
黒い貫手と蒼い拳がハーマンを狙い、筋肉のカーテンを貫通し、肉の砦を打ち破る。
筋肉の牙城が、音を立てて崩れ始める。
「ぐ、ふぅ!?」
今まで蓄積したダメージによって、鋼の肉体も限界を迎えつつある。
底無しのタフネスの、限界が近くなる。
だがしかし――。
「捕まえた♡」
悲鳴を上げる肉体を、鋼の精神で動かし、ダイナとJJを捕縛する。
両腕を使い、2人をガッシリとホールドした。
ホールドからは抜けられず、掴まれた腕は、ハーマンの握力によって軋み上がる。
宙に浮いた魔法のステッキが輝く。
AGを消費。
「ラブリー、マックス――。」
杖を中心に、火球が広がっていく。
2つの太陽は、互いの引力によって衝突し融合。
火球は瞬く間に膨張し、3人を包み込む。
「ファイヤーボォォォォル☆☆☆☆☆」
セントラルの上空に、巨大な太陽が出現した。
直径50メートルはあろうかと言う火球が3人を包み、容赦なく肌を焼き、体力を奪っていく。
ハーマンは、捕まえた2人を決して離さない。
火中の我慢比べ。
タフネスの限界が来ているとはいえ、そのダメージ許容量は、軽傷のエージェントを凌駕している。
必殺を必中させる。
それこそハーマンの真骨頂。
筋肉は攻防一体であり、敵の身動きを封じる罠でもあるのだ。
ダイナとJJは、規格外のタフネスとパワーによるトラップに、引っ掛かってしまったのだ。
2人の渾身の一撃をまともに食らって、怯まぬとは思えまい。
火の中は、炎の嵐。
あらゆる方向から炎がぶつかり、とてつもない速度で消耗させられていく。
熱が肌にへばりつき、身体の自由を奪う。
火炎に巻かれているのに、水の中に居るような錯覚を覚える。
これでは、身体が持たない。
JJはEXスキルを発動、 ≪バレットタイム≫ 。
火薬武器に、無限の火薬が装填される。
ブースター、オン。
赤熱する火薬籠手から、蒼い火薬が噴き上がる。
無限の火薬は、無限の出力を生み、ハーマンの拘束に囚われたまま、3人を火中の外へと動かす。
徐々に徐々に、3人の位置が太陽の中心から離れていく。
ダイナは、蒼い火薬に向けて竜巻を唱える。
狂気に触れた竜巻は、黒い旋風となり、火薬の力に奇跡を与える。
――蒼き炎と黒き旋風が、太陽の引力を振り切った。
焼ける熱の中を抜け出し、3人は勢いそのままビルに激突。
ビルに2つ目の大穴をこさえて、ハーマンの拘束が解けた。
2人は、大穴から空へ。
ダイナが宙へと躍り出て、杖を構える。
パッシブ「二度目の満月」を発動。
ブレイブゲージを消費。EXスキルを発動。
‥‥セントラルに、夜がやって来た。
EXスキル ≪魔導書ブルームーン≫ 。
青空を夜空が覆い、そこに月が浮かび上がる。
月は、地上を感情なく見つめ、雲に隠れる。
月が輝き、光が雲を貫いた。
天から光柱が降り注ぐ。
天から降り注ぐ光は濁流となって、月の下にあったビルを光の中へと飲み込んだ。
光の中でビルのシルエットが黒く浮かび上がり、その形は徐々に崩れていく。
亀裂が入り、建物の端から光に浸食され、崩壊していく。
月は輝き、地上を飲み込んでいく。
光がいっそうと強くなって、次の瞬間には失せて消える。
そこに、ビルの姿も形も無かった。
ビルの跡地には、ハーマンが大の字になって倒れている。
「うふふ‥‥。完敗ね‥‥。」
人道も道徳も併せ持たない、殺しに掛かった大魔法を受けてなお、ハーマンは原型と意識があった。
変身は解け、彼女の傍らには、砕けたハート形のコンパクトがあった。
『あはははははははは――――!』
月は歓喜に震えたように嗤い、空から居なくなった。
同時に、ダイナに与えられていた加護と奇跡も失われ、空を飛ぶ能力が無くなってしまう。
「うぇ!? そんな――!?」
まだ、加護の残り時間はあるはず。
にも関わらず、突然として身体から月の気配が抜け去ってしまう。
‥‥すべては、女神の気まぐれ。
与えるも奪うも、女神の気まぐれ。
ダイナとJJは、空から自由落下していく。
頼みの綱であり、貴重な足場でもあるビルは、ダイナが1棟まるごと消し飛ばしてしまった。
――さて、これからどうしよう?
「やり過ぎたな。」
「あはは‥‥、そうっぽいかも。」
ハーマンとの戦いには勝利した。
しかし、地に足を付けるまでが戦闘だ。
空中に取り残された2人は、残された時間で、空からの脱出の計画を立てるのであった。
‥‥‥‥。
‥‥。
※補足:魔導異書ウィルドネスサイスについて。
この魔法は、月に触れることによって、本当の姿を顕現させる。
魔導異書スキルを、5枚以上装備している時にのみ使用が可能。
(ダイナは、パッシブ「法の抜け道」で発動条件をちょろまかしている)
この魔法は、月の女神が3番目、リリウムの狂気と奇跡を宿す大禁忌。
奇跡を宿しているあいだは、すべてのスキルが強化される。
しかし、出力のコントロールが不可能になり、基本的に街中での使用には向かない。
また、奇跡を宿していあいだは、魔法書サルベージドローが使用できない。
奇跡の任意解除も不可能であるため、魔導書系統の魔法を使用するタイミングには注意。
その代わり、ウィルドネスサイスの発動時に、サルベージドローが自動で使用される。
この時、サルベージドローのコストは、女神に肩代わりをさせている。
――女神の愛情は、ひどく歪んで、ひどく狂っている。3番目は、奪われる悦びを我が子に説くのだ。
狂気に侵された魔導書ブルームーンは、本来はもっと小規模の攻撃。
月光の柱が、直径10メートル包囲を焼く魔法。
だが、今回は女神の気まぐれで、ビルを1棟まるごと消し飛ばす威力となった。
――その方が、愉しかろう?




