5.15_プロンプト:Ↄ
セントラルの国土は、日本の5倍ある。
5倍ある国土は、東西南北のエリアに分かれている。
4つに区切っても、そのひとつひとつが、日本の基準だと広い面積を誇る。
エージェントの主だった拠点となっている西エリアだけでも、日本の1.5倍の広さはある。
その広い国土には、様々な交通網が張り巡らされている。
「サーキット」と呼ばれる道路は、科学と魔法が発展した、セントラルならではの交通網だ。
亜空間座標に浮かぶ、目には見えない道。
サーキットは、テレポートの技術を応用して敷かれている。
物質世界の上に、空間を重ね合わせることによって、巨大な道路を宙に敷設しているのだ。
――少し、テレポート力学を学んでみよう。
そも、時空とは、天体や宇宙に似ている。
惑星があって、衛星があって、惑星系があって、銀河があって、銀河系があって――。
と、そういった具合だ。
基本的に、自分たちが居る惑星 (次元)から距離が開くほど、自分たちの常識が通用しなくなっていく。
分析哲学の、可能世界論の考えを借りるのであれば、次元的な距離が開くほど、自分たちの惑星では真である値の個数が減っていく。
ごく近くにある次元では、雨粒一滴の落ちた場所が違うとか、地球の誰かが気まぐれでやったコイントスの結果が違うとか、極々小さな値の変化しか観測されない。
しかし、次元間の距離が大きくなればなるほど、世界の違いはありありと明確になっていく。
距離のある次元では、地球とは別の惑星に、地球人とは異なる知的生命体が暮らしているかも知れない。
魔法という、超常的な技術を核に、文明が発展している世界があるかも知れない。
逆に、魔法文明によって発展した”者”たちからすれば、魔法や魔力の存在しない世界など、想像ができないだろう。
次元の距離が大きくなれば、真の値が減る。
次元宇宙では、このような負の比例関係がある。
そして、次元宇宙では、自分の惑星と近い惑星同士の間では、引力では無く斥力が発生する。
ここは、物質宇宙と異なる点である。
考えてみれば当然だ。
自分ところと近い次元惑星のあいだで引力が発生していたら、次元同士が衝突し、重なり合い、崩壊してしまう。
いま、この世界がこの世界として成り立っているのは、次元の斥力によって、明確に次元が隔てられているからだ。
だからこそ、セントラルからオーストラリア大陸までのテレポートは、手間なのだ。
次元の持つ斥力の嵐を抜けないといけないのだから、同次元内でのテレポートには、膨大なエネルギーが必要となる。
逆に、魔法界のような、次元的な距離がある場所へは、比較的にすんなりと行ける。
昔からあった神隠しとは、次元の性質の上に成り立っているのだ。
次元宇宙においては、自分の惑星と距離が遠いほど、真の値が減少する。
次元宇宙においては、自分の惑星と距離が近いほど、斥力が増加する。
次元宇宙は、惑星間の斥力によって明確に隔たれており、斥力が次元空間を支配している。
もし、次元宇宙が物質宇宙のように、斥力ではなく引力を持てば、世界はたちまち崩壊するだろう。
互いに引き合い、衝突し、圧縮されて爆発する。
‥‥その崩壊こそが、新たなる宇宙の創造。
創造神が成す、御業の本質なのかも知れないが。
さて、このように次元には、宇宙の天体と似た共通点を持つ。
セントラルに張り巡らされたサーキットは、この次元宇宙の性質を利用したものだ。
つまり、物質世界の周りをぐるぐると回る、衛星のような空間。
ここにアクセスするのだ。
物質世界を周回する衛星の姿は、衛星の主たる惑星の鏡映しだ。
次元衛星は、物質世界を、鏡の中から見ている。
鏡の中の自分に触れることができないように、物質世界から次元衛星に触れることもできない。
が、特殊な方法を用いれば、鏡の中に入り込むことができ、鏡の世界の情報を書き換えることができる。
ここからは先は、魔法の領分になってくる。
魔法によって鏡の中に、実像を伴わない虚像を創り出すのだ。
魔法とは、可能性の力。
それすなわち、真偽の値を変える力を有している。
虚空から火球を生成するのも、足元に稲妻を纏えるのも、全ては真と偽の値を操作する作業へと収束する。
この魔法の力を使い、鏡の中に、実像を持たない虚像を創り出す。
そうやってサーキットは、次元衛星に投影された世界を、書き換えて成り立っている。
セントラルの宙空を駆け抜ける道を、我々は普段、目にすることも、触れることもない。
しかし、その実、鏡合わせのセントラルには、空を駆け抜ける道が浮いており、セントラルの交通網を支えているのだ。
◆
一行を乗せた車は、港の町をしばらく走り、ポータルエリアに足を踏み入れた。
一瞬、世界が水面のように揺らいで、それからは何事も無かったかのように、車は走り続ける。
世界が揺らいでから、周辺が明るくなった。
街灯の数が増えたのだ。
街灯が増え、道も増えている。
車は、ハイウェイに向けて進路を取る。
高速道路のインターチェンジに似た道を駆けのぼり、一気に港の町を一望できる高にまでなった。
港の夜景と、静かな川と、人々の住まう山岳地帯が、ハイウェイを走る者の目を楽しませる。
サーキットを走り、一行は都市部に向かうのだ。
ここは、制限速度が設けられていない。
大衆の目に付かないので、チンピラたちの承認欲求も満たされないため、治安も比較的に良い。
この車ならば、30分もあれば都市部まで戻れるだろう。
下道では決してお目に掛かれない、スポーツカーの本気に、シバは上機嫌。
セツナの上に乗ったり、アゲハの上に乗ったり、2人の真ん中でグルグル回ったりしてフルスロットル。
シバのエンジンだって負けていない。
高鳴るツインエンジンをBGMに、セツナはそれとなく呟く。
「スナイパーに、透明な連中――。アイツ等って何者?」
肘をついて、外の景色を眺めるセツナに、アゲハが答える。
「あれは、ↃↃↃよ。」
「「「プロンプト:Ↄ?」」」
聞き覚えのない名詞に、疑問符が浮かぶ。
「別名、シグマ部隊とも呼ばれているわ。
本部お抱えの、影の部隊。」
「特殊部隊ってヤツか?」
「そんなところ。そんなのを出してくるんだから、向こうも本気みたいね。」
ↃↃↃ。シグマ部隊、アンチシグマとも呼ばれる、本部が擁する特殊部隊。
セントラルの影で任務にあたる部隊。
影にして個、個にして軍。
速い話しが、エリート部隊だ。
「なんでアゲハが、そんなこと知ってるの?」
エージェントでも知らない情報をアゲハが知っていることに対して、セツナは当然の疑問を抱く。
「言ったでしょ? 本部とは、仲が良かったの。」
「それだけだとは、思わないけど。」
アゲハのことだ。爆弾を盗む感覚で、情報も盗んでいそうだ。
「隠す方が悪いのよ。」
「隠さない方が悪いでしょ。」
悪びれる様子のないアゲハに、セツナのツッコミが入る。
爆弾といい、シグマ部隊といい、この蝶は次から次へと厄ネタに事欠かない。
美しい外見のその下は、疫病神か? はたまた貧乏神か?
アゲハは、シバを撫でつつ話しを進める。
「さて、エージェントさんたち。
私と取引をしましょうか?」
セツナとダイナの前に、ホロディスプレイが表示される。
「私が提供する商品は2つ。
私が所有する全ての新型爆弾と、ハーマンの居場所。」
提示された条件に、ダイナが質問をする。
「ボクたちがすることは何?」
「私を本部から守ること。それだけ。」
「ボクらをハーマンにけしかけて、何を企んでるのさ?」
「簡単よ。借りを返すだけ。爆弾を盗ませた借りをね?」
「???」
「私に依頼して、ハーマンのところから爆弾を盗ませたのは、彼自身だったのよ。」
「なんでそんなことを‥‥?」
「さあね? 本人に直接聞いてみれば?」
今回の事件は、アゲハがハーマンの所から、最新式の爆弾を盗み出したことに端を発している。
が、その盗みはなんと、ハーマンからの依頼であったのだという。
ならば、いま3人が追っている事件は、すべてハーマンの壮大なマッチポンプであったことになる。
いったいどうして? 何のために?
それは、本人に直接聞いてみるしか無さそうだ。
「さあ、取引の返事を聞きましょうか?」
ダイナたちに、断る選択肢はない。
取引や交渉とは、テーブルに座る前に勝負が決まる。
相手に、ノーと言わせない準備と用意をする。
それが、取引の常套手段だ。
ダイナは、しばし沈黙したのち――。
「わかった。」
アゲハの取引を受け入れた。
シバが、アゲハの手から離れて、セツナの方へと寄って来る。
何か言いたげな視線で、彼をじっと見る。
なんとなく、シバが思っていることが分かる。
「アゲハが取引をちゃんと守るっていう保証は?」
「あら、首輪を付けたいの? でも残念。いま、持ち合わせが無いの。
だから――、そうね――。
もし裏切ったら、また私を探して、見つけ出して、その時は煮るなり焼くなり、好きにすればいいわ。」
セツナは、背もたれに深く身体を預ける。
取り合えず、今はそれで納得することにする。
車内のカーナビに、目的地の更新がなされる。
JJが目的地を確認するために、画面へと目をやる。
「これは‥‥、セントラル第5ビルか?」
「そうよ。車で行くなら、丁度良いでしょ?」
「違いない。」
東の地平線が明るくなってきた。
セントラルの夜が終わり、朝が来る。
明るみ、地平線から顔を出す太陽に向かい、車は走っていく。
まもなく、車両は港の町を東進し、都市部に入る。
赤いスポーツカーは朝日に燃えて、最高速度を維持したまま、サーキットを突き抜けていく。
◆
都市部のサーキットを駆け、ポータルを通ってサーキットを下りる。
鏡合わせの世界から、元の世界へと戻って来た。
車は、セントラル第5ビル近くのハイウェイを走行している。
セントラル第5ビルは、都市部にそびえる、13塔からなる摩天楼の一角。
セントラル第7ビルが、後ろ暗い連中の巣窟であるならば、第5ビルは技術者やエンジニアたちの楽園だ。
ビル内には、未来の技師を育成するための大学があるだけでなく、CEや車などの性能をテストするための試験場がある。
この試験場は、厳密にはビルの中からポータルで移動する、セントラル南側に浮かぶ無人島なのだが、ともかく技術屋たちが望む物の大半がここで手に入る。
第5ビルでは、志を同じくする同志たちが互いの技術を切磋琢磨し合い、時には畑違いの者が協力することによって、日々新たな技術を世に輩出させている。
同胞による技術の濃縮と、他分野との弱い紐帯による化学反応。
JJが先ほどまで運転して通って来たサーキットだって、この第5ビルの前身から誕生した。
だから、第5ビルには、サーキットから行けるようになっている。
だから、ポータルを抜けた先のハイウェイは、柱を持たず宙に浮いている。
だから、このハイウェイは、第5ビルの内部を突っ切るように敷かれている。
ハイウェイの先に、高くそびえる第5ビルが小さく見え始めた。
このペースなら、あと5分もあれば目的地だ。
東から登った太陽は高く昇り、朝日の赤るみは光量を増して、白い日差しとなる。
シグマ部隊の夜襲から一夜明けた。
セントラルの時間軸では、そうなっている。
目的地を目前にして、オペレーターから通信が入る。
同時に、ハイウェイの前方上空に、魔法陣が展開される。
「――おお! や~っと繋がった! みんな、聞こえてる?」
通信から、カエデの声が聞こえる。
「もう見えてると思うけど、所属不明CEのフォールを検出。
CEは使えるようになってるから、思う存分やっちゃって!」
このタイミングでの所属不明CE。
不明とは言うが、十中八九、本部の差し金だ。
空中に展開された魔法陣は、10個ほど。
どんな機体が出て来るかは分からないが、セツナたち3人であれば、たかだか10機では足止めにすらならない。
「ワン! ワン!」
と、ここでシバが自己主張をし始める。
そして、パワーウインドウのボタンを自分で押して、窓を開ける。
「シバ!?」
困惑するセツナの脚に乗っかって、彼女はそのまま外へと飛び出した。
飛び出して、背中に翼を生やして、車と並走。
空中では、追加でもう1個、魔法陣が展開される。
(((‥‥‥‥。)))
もしかして――。
3人の無言の予想は、目に見える形で的中する。
『センチュリオン、オーバードライブ。』
シバの前方に、CEがフォールした。
一般的な人型のCEとは異なり、四足の獣型CE。
黒いボディがイカした、パンツァーパンサーが呼び出された。
バランス能力と、地上での運動能力に優れる体躯。
鋭い刀のような、長い牙と爪。
背骨の上を走るように搭載された、巨大な一門の砲。
その姿は、まさしく地上を駆ける戦車。
運動能力を活かしたインファイトも、巨大な砲によるアウトレンジもこなせる、優良機体。
シバが、黒豹戦車に乗り込む。
空からは、不明機体が次々とフォールしてくる。
フォールした機体は、いわゆるスクラップCEと呼ばれる機体。
東の悪党が用いる、ジャンク品をツギハギした機体だ。
CEとしては落第品だが、それでも歩兵にとっては脅威となるCE。
それらの相手を、シバは自ら買って出たのだ。
優秀な後輩のために、ここは先輩として、露払いの名誉に預かる。
JJは、アクセルを踏みフルスロットル。
貸し切り状態のハイウェイを、最高速で駆け抜ける。
「助かる。ここは任せた!」
車両を止めようと、スクラップCEが動く。
それを黒豹が咎める。
背中の砲が火を吹いて、スクラップCEを一撃で仕留めた。
黒豹は走り出し、走りながら調子に乗ってもう一発砲撃。
四本歩行の安定性により、巨大な砲を反動制御姿勢なしに撃つことができている。
惜しくも、砲撃はスクラップCEに躱される。
躱されて、第5ビルに大穴を開けた。
「先輩!?」
驚いたセツナの声など露知らず、黒豹は車を追い抜いて、CEの一機に飛び掛かった。
飛び掛かり、押し倒し、鋭く長い牙を首に突き立て破壊する。
景気づけに、もう一発砲撃。
今度はちゃんと当たって、CEを沈める。
そうこうしているうちに、車がスクラップCE地帯から抜けた。
そのまま、第5ビルに向けて突っ走る。
「全員、シートベルト。」
JJが、同乗者にシートベルトを促す。
後部座席に座るアゲハは、素直に指示に従う。
セツナは何かを察して、シートベルトをする代わりに、グレネードランチャーを構える。
ダイナも、窓を開けて、杖を構える。
「行くぞ! スリーカウントで頼む。」
「「オーケー。」」
グレネードランチャーを構えて、窓から身を乗り出す。
杖の先に、火球を生成する。
「スリー‥‥、ツー‥‥、ワン‥‥。」
引き金が引かれ、魔力が圧縮されて擲弾に込められる。
火球を、竜巻が圧縮していく。
車は、第5ビルの内部へと進入。
吹き抜けとなった、商業区へと入り込む。
ビル内部に敷かれた道を走り、透明な障壁が、道とビルを隔てている。
「ゴー!!」
グレネードランチャーから、3発の擲弾が撃ち出される。
杖の先から、炎の槍が撃ち出させる。
ハイウェイと第5ビル、それを隔てる障壁を、爆風が包み槍が穿った。
障壁は破壊され、ガラスのように砕けて消える。
道とビルを隔てる物が無くなり、車両は勢いをそのままにビルの商業区に突っ込む。
突っ込んで、ビルの利用者にそれなりの迷惑を掛けつつ、車でエスカレーターを登り、道なき道を走って、途中で見つけたエレベーターに乗り込んだ。
技術者ビルであるがゆえ、機材などの搬入出を考慮した広々としたエレベーターに車両は乗り込み、エレベーターでさらに上階へと移動をしていく。
そして、エレベーターと車は、ビルの企業区へ。
そこの、とある階層。
ハーマンが居るという階層へ。
鈴の音が響いて、エレベーターの扉が開いた。
車は、無人の企業区へと歩を進める。
無人なのは、階下で騒ぎが発生したため。
CEの戦闘と、暴走車両によって、善良でまともな市民は避難をした。
企業区は、いくつか別々の企業がシェアをしている階層であった。
カーナビの案内(?)にしたがって、公共スペースを車で進み、ハーマンの会社の前で停まる。
野球やサッカーのスタジアムがすっぽりと入るくらいの広さがある階層に、ぽつんとハーマンの会社はあった。
入り口の前に車を置いて、無遠慮にドアを開けて中に入る。
そこにあったのは、おもちゃ屋さん。
ちびっ子たちが夢中になる、様々なアイテムが陳列された玩具屋があった。
ガラスケースのカウンター越しに、1人の大男が立っている。
間違いない、彼はハーマン=オウクスホーデン。
新型爆弾の開発者にして、この事件の元凶。
元凶たる彼は、両手を広げて、来客を歓迎。
朗らかな笑顔で接客をする。
「ようこそ! ラブリーブラザーズ・カンパニーへ♡
歓迎するわ。うふふ――――。」
ガタイの良い――、オールバック頭の――、整えられた口髭のナイスガイが、4人を出迎えた。




