5.8_リングの上では
川の街の地下闘技場は、ファンキー☆ヤマダの私財によって建てられた。
生き急ぐ若者の、有り余るエネルギーと行動力の捌け口として建てられた。
生き急ぐのは、若気の至り。
けれど、死に急ぐのは、ダチが悲しむ。
若者に無謀なことをさせないよう、そして、安全かつ非合法にエネルギーを発散させるため、この闘技場は建てられた。
闘技場は若者だけでなく、ワルの間で人気の娯楽となり、いまや巨大な興行と化している。
若者にとっては、己の身ひとつで、成り上がることができる場所。
それが闘技場。
バカなチンピラには、これだけ単純なくらいが分かりやすい。
そして、勝負があるところには、賭け事が流行る。
セントラルでは、ギャンブルはすべて国営化されており、これが税金の代わりになっている。
セントラル人が豊かになれば、ギャンブルに使うお金が増える。
逆に、国民が貧すれば、ギャンブルに使うお金が減る。
そういう単純な、キャッシュ&フローだ。
しかし、気持ちだけは一流のチンピラにとって、国営のギャンブルに通うようなヤツは、チキンのオカマ野郎なのである。
賭け事の、勝った負けたのスリルも大切だが、それ以上に、悪さを働いているスリルのがもっと大切なのだ。
だから、チンピラはバカなのである。
ヤマダは、地下闘技場の非合法性を前面に押し出し、プロモーションをした。
そこには、たくさんのファイターが属し、賭けが行われ、金が集まるようになった。
リングの上での試合は、年を追うごとに高レベルになり、年を追うごとに注目度が増している。
そのリングに、夢戻りのエージェントが立つとなれば、どうなるか?
バカなチンピラの行動は、犬よりも分かりやすい。
◆
ダイナは、ヤマダにコンタクトを取るために、自らの身体を闘技場に売った。
夢戻りのエージェント。
夢の跡地にて、彼女が龍を退けた話しは、多少の尾ひれを生やしてセントラルにも広まっている。
ここに集うファイターは皆、己の身ひとつで成り上がることを決意した者たち。
ギラついた野心と闘争心を隠しもしない連中の前に、セントラルに名を轟かせる戦士を放り込めば、どうなるか?
ダイナは、彼らにとって極上のエサなのだ。
表の凄腕エージェントが、裏のルールに則ってリングに上がる。
ひとかどの戦士を前に、ここでリングに上がらないヤツは、チキンのオカマ野郎。
ここで、全財産を掛けないヤツも、チキンのオカマ野郎。
ダイナの試合は、突然のオファーにもかかわらず、普段の5倍以上の金が動いた。
そして、動いた金以上に、この闘技場の「格」が上がった。
夢戻りが戦ったリング。
闘技場に箔をつけるには充分だ。
これだけのことをされて、オーナーたるヤマダが黙っている訳にはいかない。
別に彼は、ダイナたちに請われれば、すぐにだって情報は教える。
彼女たちとのパイプは唯一無二で、できるだけ太くしておきたい。
が、向こうが気を使ってくれるのならば、ありがたく上げ膳をいただく。
何事にも、形式は大切だ。
メンツが重要な、ワルの世界では殊更に。
タダで情報を渡すのは角が立つし、上客の放っておくのも角が立つ。
そして、角を立てるのは多くの場合、事情を知らない連中だ。
だからこそ、バカにも分かる形式が必要だ。
形式とは即ち、コミュニケーションやビジネスの角を取っ払う作業なのだ。
エージェントとヤマダ。
両者の目論見は一致し、ダイナたちは彼とのコンタクトを取り付けた。
‥‥あとは、リングの上で暴れるだけ。
ダイナはスーツ姿のまま、神聖なリングの鉄柵を潜った。
ナイフに変形するループタイを外し、髪留めも輪ゴムに変更。
このリングでは、武器もスキルも使用は不可。
己の拳ひとつで戦うのだ。
ちなみに、違法闘技場なので、急所への攻撃もオーケーだ。
セントラルの医療技術をもってすれば、新鮮な死体であれば蘇生が可能。
正々堂々とした戦いの最中、不幸な事故は起こり得ない。
ダイナがリングに上がると、闘技場では珍しい女性ファイターの登場に、会場は色めき立つ。
彼女に野次を飛ばす者は、1人もいない。
チンピラどもはバカだから、腕っぷしという単純な強さには、リスペクトを払う。
バカの一つ覚え、バカの礼儀。
それさえ理解できないようなら、自分たちは畜生にも劣る自覚があるのだ。
表の実力者が、裏のルールに則り、リングの上に立つ。
その事実が、空調設備でも間に合わぬくらいに、場内に熱気に包ませている。
ダイナの対戦相手は、闘技場で四天王と呼ばれている者の1人が務めることとなった。
「像殺しの虎」という異名を持つ四天王、トイ=パンソーク。
2メートルを超える長身と、長い手足。
恵まれた体格から、鍛錬で練り上げた鋭い技を駆使する正統派。
今回のマッチアップは、小柄なダイナと長身のトイの、体格差マッチとなった。
身長差は、優に50cmは離れ、60cmはあろうかというほどだ。
――試合のゴングが鳴った。
時間無制限、ステゴロオンリーのデスマッチ。
試合開始から、戦いの流れはトイにあった。
1メートルを超える腕と脚が、ダイナのリーチ外から一方的に、パンチとキックが繰り出している。
ダイナはそれを、小柄を活かして捌き、凌ぐ。
小柄である分、狙われる的が小さいので、小さく躱すだけで攻撃をやり過ごすことができている。
唯一、トイのハイキックだけに細心の注意を払う。
彼がちょっと足を上げるだけで、ダイナの側頭部は穿たれる。
ハイキックのモーションを見るとすかさず、軸足にタックルを狙う素振りを執拗に取る。
空振ったら、タダじゃおかない。
そう、トイをけん制する。
いくらリーチ差があると言えども、魔力で強化された肉体であれば、瞬きするあいだに距離を詰められる。
トイもそれを分かっている。
だからこそ、彼もハイキックを打つ素振りでダイナを揺さぶり、崩れる機会を伺っている。
ハイキックを中心に据えた駆け引きが、2人の間で何回も繰り返される。
トイが足を上げると、ダイナはすかさず屈みこむ。
足を下ろし踏み込んで、顔面に素早くジャブ。
ジャブが払われたら、もう一歩踏み込んで、膝蹴り。
この膝蹴りは、打つ膝蹴りではなく、打ち抜く膝蹴り。
相手の内臓に利かせるのではなく、相手の軸に利かせ、バランスを奪う攻撃。
ダイナは、膝蹴りを両手で受ける。
身長差50cm強。トイがちょんと膝を上げるだけで、ダイナの顔に膝が届く。
膝を受けた腕の感触で、これが打ち抜く攻撃だと、身体が認識。
思考するよりも速く、身体の筋肉が弛緩して衝撃を逃がす。
身体が緩み、水となった身体が、衝撃を吸収。
吸収しきれなかった、骨に響いたインパクトを、一歩後ろに下がることでやり過ごす。
体格差はあれど、ダイナはランカー。
日頃からロボット相手に、現実世界でスパーリングをしている。
いつの時代だって、戦いの基本は近接戦闘だ。
ランカーともなれば、殴る蹴るの動作は、歩くのと同じくらい自然に行える。
それを受けるのだって同じだ。
身体を強張らせることなく、自然体で受け止める。
自然体で受けるからこそ、トイは圧倒的な体格差があっても、決めきれない。
彼女の目から思考が読めず、何をして来るのか分からないのだ。
トイは追撃。
膝蹴りを打った脚で、連続攻撃。
衝撃を逃がしているダイナに、ミドルキック。
彼女は、ミドルキックに、肘を上から叩きつける。
攻撃と防御を同時に兼ねる一撃。
――しかし、脚の筋力に、腕の筋力は敵わない。
肘が脛を捉えるも、ダイナの肋骨にミドルが入った。
利いたミドルを気にせず、身を屈めタックルの姿勢、軸足を狙う。
トイは素早く足を引っ込めて、迎撃の膝を構える。
‥‥意識が下にいった。
ダイナは跳躍。
トイの腹部目掛けて、空中で前蹴りを放つ。
前蹴りは、迎撃用の膝に阻まれた。
だが、それでいい。
これは、守りを崩すための前蹴り。
前蹴りを、トイの膝に当てる。
片足立ちの状態で受けたため、踏ん張るために、わずかに身体が硬直。
足が、その場に居着いてしまう。
ダイナは着地と同時に、タックル。
ゴング鳴って初めて、彼女が主導権を握る。
トイは、タックルによって崩されるの嫌い、後ろに下がる。
体格差のせいで、拳でダイナを追い払えない。
蛇のように姿勢低く迫るタックルを、下がりながら捌く。
下がり、間合いを取り、膝!
――が、膝蹴りは空を切る。
地を這う蛇がするりと避けて、足元に潜り込んだ。
ダイナは立ち上がりつつ、トイの股に腕を通す。
タックルの推進力で前に進みながら、股に通した腕を上げる。
すくい投げ。
トイの身体が、宙に投げ出された。
(‥‥‥‥?)
戦術が決まったダイナの表情は、芳しくない。
投げたときの手応えが、まるで無かった。
まるで、自分から飛んだような‥‥。
トイの足が、リングを囲む鉄柵に着地する。
彼は、すくい投げを受ける直前に、自分から宙へと跳躍していたのだ。
脚に力を入れる。
獲物に狙いを定め、虎が樹上から襲い掛かる。
鉄柵は、トイの脚力で凹み、観客席にまで風圧を発生させる。
虎の牙、硬く厚く発達した膝が、ダイナを捉えた。
通常の地上戦であれば、推進力の乗る機会が少ない膝蹴り。
それでも、膝の一撃とは、一撃必殺の威力がある。
助走なしにファイターを昏倒させる一撃必殺に、推進力が乗ればどうなるか?
さしものダイナも、威力を完全に殺せず、バランスを崩した。
膝の一撃に軸を取られ、身体が意図せずに後ろへと勝手に下がってしまう。
たたらを踏むダイナに、トイが急接近。
首に左腕を回し、ダイナを捕まえる。
身動きを封じた彼女の脳天に――、右肘を叩き落とした。
人体の急所のひとつ、頭頂部。
頭蓋骨が薄く、脳に近い部分。
百会に、身長差を活かした肘打ちが炸裂した。
ダメージが、骨の髄を伝って、足のつまさきまで痺れる。
ダイナの身体が、ダメージによって硬直。
筋肉が強張り、動けなくなる。
トイの追撃。
首を捕まえていた腕をほどき、顎に膝蹴り。
さらに、後退するダイナの両肩を捕まえて、鳩尾に膝を入れる。
鳩尾の下にある、横隔膜が緊張して、肺から空気が抜けていく。
脳天への肘、顎と鳩尾への膝。
このコンビネーションは、「象牙打ち」と呼ばれ、トイを象徴する技のひとつとなっている。
長身の彼だからこそ成立する、殺人的なコンビネーション。
そして、象牙打ちから、コンボは続く。
3点コンビネーションで、相手の動きは封じた。
思考を奪い、三半規管を狂わせ、呼吸を制限。
動けなくなった相手の背後をとり、腰を抱き上げる。
そのまま腰を持ち上げ、自分の背中を反り、相手をマットに叩きつける。
ジャーマンスープレックス。
ダイナの身体は、抵抗もできずに反り投げられて、マットに叩きつけられた。
トイは、大の字に倒れているダイナを、腕を引っ張って無理やり立たせる。
腰に手を回し、持ち上げ――、叩きつける!
追撃のジャーマンが決まった。
トイの長身が、ジャーマンに凄まじい落下エネルギーを与えている。
この、高い崖から深い谷に落ちるようなジャーマンは、クレバスジャーマンと呼ばれ、恐れられている。
クレバスジャーマンを連続で浴び、内臓に電撃が走る。
口から肛門にかけて、強烈な痺れが襲い、ダイナは再びマットに倒れる。
レフェリーが、ダイナの傍に寄り、両膝をついてマットを手の平で強く叩く。
「ワン! ツー!!」
観客も、レフェリーのカウントに声を揃え、会場が湧き立つ。
トイは、リングをゆっくりと周回し、観客たちに向けてガッツポーズをする。
強者は、ファンサービスも忘れない。
――レフェリーの腕が上がり、マットを叩こうとする。
3度目のカウント。
「ス――。」
スリーカウント寸前で、ダイナの指が動いた。
上体を起こし立ち上がる。
立ち上がって、フラフラとしながらファイティングポーズを取る。
トイも表情を引き締め、ファイティングポーズ。
この試合は、デスマッチ方式。
どんなにフラフラでも、戦う意思があるのならば、試合は続行される。
レフェリーが、試合再開の合図を出す。
合図と同時に、トイは接近。
ダメージが抜けきらないダイナに猛攻を仕掛ける。
超リーチのミドル。
ダイナは受けるので、いっぱいいっぱい。
ミドルを連打。
硬く発達した足の甲が、鞭とも金属バットとも取れる猛攻を連打する。
ダイナの足が、猛攻に耐えきれずにもつれる。
渾身の力を込め、痛恨のミドル。
ダイナの華奢な身体は宙を飛び、鉄柵に叩きつけられる。
リング端に追い込まれたダイナに、前蹴りが突き刺さる。
致命的な攻撃を、両腕を交差させて受ける。
ダイナの身体が、鉄柵に沈む。
トイは、彼女を膝で鉄柵に抑え込む。
そのまま、脳天に肘を打ち付ける。
致死の豪雨が、ダイナの頭上に降りかかる。
両腕で頭を隠し、豪雨をやり過ごす。
ノーガードになった顎に、膝が突き刺さる。
顎から腹、腹から顎。
そして――。
大人しくなったダイナの顔面に、右ストレート。
試合を決めにいった一撃。
ダイナは歯を食いしばる。
食いしばって、額で拳を受けた。
人体で最も分厚く硬い骨が、トドメの一撃から身を守る。
それならばと、トイはダイナの胸倉を掴んで、リングの中央に放り投げる。
なおも足掻くのならば、防ぎようのない、最大級の攻撃で仕留めるまで。
立ち上がったダイナに、トイはハイキックの構え。
心頭滅却。
迷いを消し去り、研ぎ澄まされた技が、ダイナの側頭部に迫る。
ダメージの蓄積した身体では、軸足を狙うこともできない。
トイにとっては、この上ない有利な状況。
当たればケリがつく。
防がれても、避けられても、有利な状況が続く。
逆に、ダイナにとっては最悪な状況。
この上なく。
‥‥だが、最高の状況でもある。
はじめから、軸足なんて狙っちゃいない。
ダイナはその場で跳躍。
自身の側頭部を狙う、ハイキックを脚で受ける。
執拗にタックルを仕掛け、執拗に軸足を狙っていた蛇が、宙に跳んだ。
跳んだ蛇は、ハイキックを仕掛けた脚に絡みつく。
蟹ばさみ。
脚に絡みついたまま、マットに片手を付いて、トイの軸を奪う。
左腕で、捕まえた足をホールド。
蟹ばさみに使用した脚で、トイの膝をホールド。
そのまま――、右手でトイの踵を絞る!
関節技、ヒールホールド。
相手の踵と膝を固定し、膝の十字靱帯を極める技。
現実世界の格闘技では、禁止技になっている凶悪な関節技。
だがしかし、セントラルに禁止技なんてものは存在しない。
関節を極められ、トイは痛みで、反射的にマットに倒れ伏す。
関節技やグラウンドポジションは、知識と経験が物を言う。
練習すれば練習しただけ、成果が出る。
反面、派手さは無く、地味な技。
しかも、銃弾や魔法が飛び交う、切った張ったの大立回りで使われる場面は、まずない。
それでも、努力を努力とは思わないダイナにとっては、面白くて仕方のない技。
同じポジションからの脱出ひとつとっても、状況によって抜け方や捌き方が異なり、面白い。
そして、いっとう面白いのは、関節技は極まれば抜けられない。
「詰み」の状況を作れるのが、ダイナのゲーマー魂をどうしようもなく刺激する。
トイは悟る。
初めから、自分はダイナの術中だったのだと。
最初から、この勝ち筋を通す瞬間を、虎視眈々と狙っていたのだと。
レフェリーが、素早くマットに手をつく。
「ワン! ツー!!」
ヒールホールドからは抜けられない。
ダイナには、関節を破壊しない、加減をする余裕すらある。
「スリーーー!!!」
レフェリーと観客のスリーカウントが響いて、試合終了のゴングが鳴った。
力を抜いて、ヒールホールドを解く。
立ち上がって、トイに手を差し伸べる。
ダイナの手を借りて、彼は立ち上がる。
――立ち上がったものの、今度は緊張が解けたダイナがふらつく。
それを、トイが肩に手を差し伸べて支える。
2人は笑みを浮かべ、握手を交わした。
トイが、ダイナの手を取って上に掲げる。
神聖なリングの上で、正々堂々と戦った勝者を祝福する。
鉄柵の中に、花束を持ったラウンドガールが入って来て、花束をダイナに手渡す。
ありがたく受け取るダイナ。
激闘を制し、勝利を噛みしめる彼女に、小悪魔のイタズラ。
ラウンドガールが、ダイナの頬にキスをした。
珍しく、思考が停止してしまって、あっけにとられる。
大きな瞳が、くりくりと見開かれた。
会場も、一瞬だけ静まりを見せたものの、美女のキスに大盛り上がりを見せる。
ダイナは、リングの上から観客に礼をして回り、最後にもう一度トイと握手を交わして、リングを下りた。
案内のスタッフに連れられて、セツナとJJと合流する。
セコンドを務めたシバは、配当金を受け取るために、何処かへ行ってしまったそうだ。
ホールの外に出ると、2人が待っていた。
花束片手に、にへら、と表情を崩す。
「えへへ――。頬っぺにチューされちゃった!」
「良かったな。おめでとう。」
「うらやましい!」
3人のところに、シバが戻って来る。
背中に、たんまりとクレジットの札束を背負って、プンスと鼻を鳴らす。
情報は手に入れた。
路銀(?)も手に入った。
一行は、次なる目的へ。
向かうは、港の町。
そこに停泊している、貨物船が次なる手掛かりだ。




