5.6_甘い蜜には罠がある
「三毛猫のオス(※)って、要するに男の娘だと思うんだが――。
そのことについて、どう思う?」
※三毛猫は、遺伝的な関係から、メスが圧倒的に多い。
オスが生まれる確率は、3万分の1とも言われている。
‥‥ダイナの口から、苦くて黒い飛沫が舞って、にたりとしたシミを見取り図へ描いた。
コーヒーが鼻に入って、ちょっと痛い。
肩を震わせて、プルプル笑うダイナが、シバや他の客の視線を集める。
笑気が抜けたところで、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、汚した見取り図やテーブルを吹いていく。
ひと段落して、コーヒーをひと口。
(三毛猫のオスって、要するに男の娘だと思うんだが――。)
(そのことについて、どう思う?)
(どう思う? どう思う? どう思う――?)
見取り図は、また、にたりと濡れた。
「三毛猫? オス? 男の娘?」
奇怪な質問をされた職員は、困ったように視線を揺らす。
パンツルックのスーツを着て、黒い髪を背中まで伸ばしている女性。
容姿は端麗。
黒い瞳には、隠し切れない自信に満ちており、その自信が大人の余裕と落ち着いた雰囲気と、それでいて強かな印象を与える。
自分自身に対する、確固たる自信と信頼が、彼女の端麗な眉目を惹き立てている。
強い女性、独立した女性。
凛として軽やかな居住まいが、異性同性を問わず、視線を集める。
――彼女が、裏社会の蝶。
セツナの質問は、大失敗でもあり、大成功でもあった。
なにせ、自信と落ち着きに満ちた職員を、困惑させている。
心を揺さぶれている。
コミュニケーションのアンカーとしては充分だ。
心に撃ち込んだ錨が、海底に隠した感情に、波を立たせる。
彼の質問が、2人の間を繋ぐ役割を果たす。
女性は、しばし逡巡して。
「ふふふ。面白い考え方ね。夢戻りのエージェントさん?」
柔和な笑みを浮かべて、そうセツナに返した。
セツナは、CCCのバッジは外しているのだが、効果は無かったようだ。
「あれ? 正体バレてた?」
「服装のせいで、すぐには分からなかったけれどね。あなた、有名人だもの。」
夢の跡地に遠征へ行き、龍と戦い生還したエージェント。
セツナたちは、いまやセントラルでは有名人だ。
そのため、顔が知られていても、何ら不思議ではない。
服装であるていどカモフラージュはできるものの、こうやって面と向かって対面するとバレてしまう。
女性は、部屋の中心に鎮座している、ガーゴイルの像へと向き直り、ショーケースに背中からもたれかかる。
職務に従事する者とは思えない態度を取ることで、セツナに対して言外に、「蝶」として応対する意思を伝える。
セツナも、女性の動きをミラーリングして、ショーケースに背中からもたれた。
ショーケースは、彼の腰くらいの高さがある。
互いの正体が明らかとなり、互いにリラックスした状態で、今度は女性がセツナに質問する。
「美術館には、よく来るの?」
「ええ、それはもちろん。」
もちろん、ウソである。
美人を前に、カッコをつけたい。
浅ましくも涙ぐましい、男心である。
芸術を嗜む男って、なんかカッコイイじゃん?
「どんなジャンルが好き?」
「う゛っ‥‥‥‥。」
テキトーなことを言うから、こうなるのである。
JJとダイナに、助け舟を求める。
暗号通信で、「HELP」のスタンプを送る。
通信からは、ダイナのプルプルにたりが掠れ聞こえており、彼女は現在、行動不能に陥っている。
思い出し笑いをしてしまった自分に笑ってしまうという、フラッシュバックループに陥っている。
セツナの開口一番は、ダイナのツボにホールインワン。
盛大なフレンドリーファイアとなった。
助けを求めるセツナに、ツボに入って動けないダイナ。
JJは溜め息。
メッセージを返信。
電脳野を介したメッセージは、一瞬で入力を終え、送信される。
『とりあえず、印象派って答えとけ。』
こういう質問には、印象派って言っておけば、無難かつ間違いない。
「趣味は何ですか?」と聞かれた時に、「映画鑑賞です。」と答えるくらいには、無難で間違いない。
「印象派とか、マジでイカしてますよね。超クール、超ロック。」
JJは、追加の溜め息を注文する。
なぜ、ナチュラルに蛇足を付け加えるのか?
「噓つきは、口数が増える」を、地で行っている。
‥‥印象派が型破りだというのは、歴史背景的には間違っていない。
たまたまだろうけど。
宗教画や写実画が主流であった西洋芸術において、ルネサンス以後に登場した印象派の興りは、人類史的にも、芸術史的にも大きな影響を与えた。
目で見たものを描くのではなく、心が感じたものを描く。
それが、印象派の本質であり、基本。
だからこそ、印象派の作品には、ストーリーがある。
これが、現代まで続く芸術の基盤となっている。
――そんな蘊蓄も、教養も持ち合わせていない、セツナの受難は続く。
女性の口元に、えくぼができる。
「印象派、ね。私も好きよ。――誰の作品が好き?」
「う゛ぅ‥‥‥‥!?」
『助けて、JJ!』
『俺の趣味で良ければ、モネの睡蓮。』
「モネの睡蓮? とか?」
なぜ疑問形で、なぜ女性に聞いてしまうのか?
「有名よね。睡蓮のどこが好きなの?」
「ぐふぅ‥‥‥‥!?」
『たすJJ!』
『モネは、睡蓮を題材に200の作品を描いた。ここに、葛飾北斎の富嶽三十六景と似たアート性を感じる。』
葛飾北斎の富嶽三十六景。
それくらいは、セツナでも知っている。
――あれでしょ、波がざばーんってしているヤツでしょ?
「モネの睡蓮って、葛飾北斎の富嶽三十六景に似てるかな~って。」
「北斎‥‥。日本の天才ね。私も好きよ。特に、アザラシの絵がね。」
「ふ、ふ~ん‥‥。」
セツナの微妙な反応に、女性はクスクスと笑みを零す。
「うふふふ――。ごめんなさい。揶揄っちゃった。さっきのお返し。」
当然だが、ウソはバレてた。
女性が自分の真ん前に、右の人差し指を出す。
ホロディスプレイが起動し、そこに画像が表示される。
ディスプレイには、浮世絵が表示されている。
波打ちの岩場に、アザラシが三頭、絵描かれた浮世絵。
話しの流れからして、これが北斎の「海豹」なのだろう。
アザラシの横に、もうひとつディスプレイが起動する。
そこには、セツナでも分かる名画「モナリザ」が映されていた。
「浮世絵と、西洋絵画の違いって、何だと思う?」
「描いた人が違う。」
――小学生みたいな答え。
「これは、私の勝手な解釈だけど、西洋は永遠を、浮世絵は一瞬を描いているのよ。」
「永遠――。一瞬――。」
再び見比べてみる。
モナリザと、アザラシ。
見るべきポイントの知識を得たおかげで、先ほどと作品の印象がガラリと変わった。
「モナリザは、ダヴィンチに描かれてから、今までずっと微笑んできたわ。
――これからもね。
でもアザラシは、私たちが目を離した隙に、額縁の外へと逃げてしまいそう。
そう見えない?」
ディスプレイに映るアザラシと、にらめっこをする。
言われてみれば、このアザラシは、次の瞬間には海に飛び込んで、絵の中から居なくなってしまいそうだ。
そんな、生命のうねりと、時間軸の存在を感じさせる。
「だから、北斎は天才だと思うの。一瞬の時を切り取る、一瞬の時を描く、天才。」
「なるほど――。」
知らなかった。北斎がそんな偉人だったとは。
日本人が、国内の世界的な偉人に疎いのは、現代でも変わらない。
純正調オルガンを発明し、1890年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の前で演奏を行った歴史的な音響学者、田中 正平のことなど、ほとんどの日本人が知らない。
そもそも、旧時代においては、ピアノやオルガンの、平均律や純正律などすら教えていなかった始末。
現代では改善傾向にあるものの、やはり日本人の自国に対する疎さは、まだまだ改善の余地を残す。
※
平均律:日本においてなじみ深い、1オクターブを12分解した方式。音階を数学的に分割した方式。
純正律:最も和音が美しく響く、音響学や物理学に則って音階を定めた方式。
※
まあ、彼らの気質へのフォローをするのであれば、日本は島国で、自国の文化と文明が確立されている。
そのため、他所と比較する必要性が薄いことが、疎さの大きな原因となっているのだ。
比較の必要性が無いのだから、知る必要が無い。
ホロディスプレイが、2人の前から消える。
女性は、セツナに微笑む。
「あなた、刹那っていうんでしょ? 素敵な名前ね。」
「ありがとう。」
自分も、この名前は気に入っている。
少々、物珍しい名前だが、気に入っている。
両親は、一瞬一瞬を大切にして生きて欲しいと、この名前をつけてくれたらしい。
だが、なかなかどうして、自分が思うよりもずっと、日本人らしい名だ。
セツナの親は、彼や妹から見ると、ただのバカップルなのだが、それでいて思慮深いところがある。
恋は盲目、愛は慧眼。
人を愛するには、相手の見ている世界を、自分の眼で見る能力が要る。
だてに、何十年もバカップルをしていないのだ。
きっと、自分の名前にも、まだまだ隠れた願いや想いがあるのだろう。
だから、ありがとう。
「改めて、オレはセツナ。今度は、キミの名前を教えてくれない?」
「アゲハよ。偽名だけど。」
「本当の名前を教えてくれたり?」
「ふふ。特別に教えてあげる。サキよ。大村 サキ。」
別に、本名がバレたところで、サキにとっては何の問題も無い。
名前などたくさん持っているし、大村サキの名で調べても、何も出ては来ないのだから。
セツナの視線が、少しだけ上を向く。
「大村サキ――。オオムラサキ。良い名前だね。名は体を表してる。」
オオムラサキ。日本の国蝶であり、最強の蝶。
「スズメバチにだって、勝てそうな名前だ。」
「ありがとう。私もこの名前、気に入っているの。」
静かな笑みを口元に湛え、彼女はセツナの方へ向く。
彼の口元に、自分の人差し指を、そっと置く。
「でも、みんなには内緒。私のことは、アゲハって呼んで。」
セツナの唇に添えた人差し指を、アゲハ自分の口元に持ってくる。
蠱惑的な仕草に、セツナは無言で頷いて答えた。
――さて、お互いに自己紹介は済んだ。
もう一歩、踏み込んでみる。
「ところで、何でオレがここに来たか知ってる?
バレちゃったけど、芸術鑑賞ってガラじゃ無いんだよね。」
「分かってる。私に会いに来たんでしょう?
なんでここが分かったのかは、知らないけど。」
「情報元はトップシークレットだけど、アゲハを探していたのは正解。
――あの爆弾、どこで手に入れて、何に使おうとしてるの?」
アゲハは、再びショーケースにもたれかかる。
もたれて、ショーケースの上を指でなぞって遊ぶ。
情報を渡すかどうか、ウソを言うか、本当を言うか。
チラリとセツナを見て、彼の反応で遊んでいる。
ここで、行動不能になっていたダイナがやっと復活。
セツナとアゲハの会話に、暗号通信で割って入る。
『ハーマン=オウクスホーデンについて聞いてみて。』
セツナが、ホロディスプレイを展開。
ハーマンの顔写真を、アゲハに見せる。
「商品の卸元は、彼かな?」
「いいえ。」
「仲介業者を挟んだ?」
「いいえ。」
「じゃあ、どうやって手に入れたの。」
「簡単よ――。」
背もたれに預けていた体重を、自分の脚に。
「やり方は、買うよりも、もっと簡単――。」
セツナの前を歩き、しゃなりと彼に身を寄せる。
そして、耳元で囁いた。
「――盗んだの。」
セツナから、香水の香りだけ置いて、アゲハが後ろに離れる。
ゆっくりと、残り香を感じさせて離れて、いつの間にか彼女の手元には、セツナが懐にしまっていたニューナンブが握られている。
急いで、自分のショルダーホルスターを確認。
ホルスターは空になっており、そこにあるはずの拳銃が無くなっている。
アゲハは銃口をセツナに向ける。
「バァン。」
トリガーに指を掛けていない手で、銃を撃つ仕草を見せた。
それから、銃をセツナに返す。
「慣れない武器の管理は、気を付けないと。」
「‥‥肝に銘じとく。」
返されたニューナンブを、ホルスターにしまい直す。
これは手強い。
セツナが手玉に取られている様子は、通信を介してダイナとJJにも伝わっている。
3人はランカーで、腕っぷしには自信があっても、まだ若輩の青二才。
ケンカ自慢の若輩者に過ぎないのだ。
舌戦や心理戦をはじめ、暴力で解決できない問題については、後手に回ってしまっていがち。
苦戦するセツナの様子を、通信で聴いているJJ。
すると、彼の耳が、通信音声以外の大きな音を捉える。
音は、どんどん大きくなり、どんどん近づいてくる。
通信音声が、騒音に掻き消されていく。
嫌な予感がして、読んでいた週刊エージェントから目を離し、騒音のする方へ。
遠目から、装甲車の軍団が美術館に向かって来ている。
美術館周辺の緑道は、車両通行禁止。
言うまでもない。緊急事態だ。
「2人とも、襲撃だ。」
セツナとアゲハのやり取りに割って入り、緊急事態を伝える。
「装甲車が、5――6――、全部で8両。」
装甲車にマウントされた機関銃が、銃声を上げる。
JJに向かって、機銃が乱射される。
素早く木の影に隠れて、銃弾の雨から身を守る。
先ほどまでJJが腰を預けていたベンチが、粉微塵に破壊された。
先陣を切った装甲車は、美術館の入り口前に陣取り、急ブレーキ。
装甲車から、ロケットランチャーを担いだチンピラが降車して、照準を建物に向ける。
シバが吠え、彼をサポートするAIが、館内の緊急警報を鳴動させる。
警報が、来館者と職員に、避難するように指示を出す。
シバは、素早く避難誘導を開始する。
ダイナは、少し冷めたコーヒーを飲み干し、席を立つ。
――瞬間、ロケット弾が、美術館2階の喫茶店を破壊した。
屋外では、武装したチンピラたちが、銃を建物に乱射している。
「蝶を探せ! 見つけて殺せ!」
2階に空いた風穴から、外目掛けて巨大な火球が飛んでくる。
ダイナの魔法が、地上に陣取る装甲車を1台破壊した。
2階から飛び降りて、着地。
美術館に侵入しようとするチンピラ集団を、紫色の左眼が睨む。
視線は呪いへと変わり、彼奴等の体内に潜伏する。
間を置かず、チンピラたちの周りに竜巻が発生。
風に紫色の呪いが晒されて、弾ける。
瞳が黄色くなり、黄昏の中にチンピラたちは沈んだ。
ダイナの魔法に注意が逸れたのを利用して、JJが物陰から飛び出す。
火薬籠手の推進力を利用して、機関銃を握るガンナーの1人を強制下車。
選手交代。
装甲車の上から、他のガンナーを蜂の巣にしていく。
自分に注意が集まると、機関銃を火薬と腕力に物を言わせて失敬し、機関銃を片手に大立回り。
隙を見て、もう一丁機関銃を失敬して、2倍の手数で大立回り。
彼らは、ケンカ自慢の青二才。
心理戦や情報戦は勉強中だが、暴力沙汰なら、どんとこい。
状況は読めないが、民間人の安全と避難が最優先。
美術館にチンピラを侵入させないよう、ダイナが入り口に立ち塞がり、JJが敵陣で暴れ回る。
◆
暴動と騒動が始まるのと、同時刻。
セツナの方でも、アクシデントが発生していた。
ニューナンブを懐にしまい、アゲハに次の質問をしようとしたところで、屋内が暗くなった。
まるで美術館の中に雲が広がったみたいに、館内が薄暗くなる。
ポツポツと、小雨がセツナとアゲハの髪を濡らす。
「――――ッ!!」
過去の経験と激闘が、セツナの身体を反射的に動かす。
「危ない!」
アゲハに覆いかぶさるように、咄嗟に床へ伏せた。
彼らの頭上を、水の塊が通り過ぎて、背後のショーケースを粉々に破壊した。
‥‥ガーゴイルだ。
ガーゴイルが、顔だけを2人に向けて、水弾を吐き出したのだ。
彼奴は、その場から動かずに、2発目を口元に生成する。
「下がって。」
アゲハは指示に従い、部屋の外に出た。
セツナは、ニューナンブで射撃をして応戦するも、相手は魔神。
雨足から鑑みるに、力こそ衰えているものの、豆鉄砲ていどでは止まらない。
水弾の2発目が、ガーゴイルの口元から離れた。
バク宙で水弾を回避。
水弾は、着弾と同時に霧煙となり、視界を奪う。
ガーゴイルは、霧の中を歩き、部屋を出て行こうとする。
――霧を、風が切り払った。
セツナを中心に、嵐が巻き起こる。
ショーケースに飾られていた、ストームアンバーだ。
それを砕き、魔石の魔力を解放し、身に宿した。
AGが少量回復し、彼のあらゆる攻撃に、嵐の力が付与される。
そして、この嵐は、雷と非常に相性が良い。
セツナの足元に、嵐と雷の力が集まっていく。
ガーゴイルは、自身を妨害するセツナを敵として判断、排除に移行。
口元から、高圧水流を吐き出す。
水流が足元を削りながら、セツナの方へと伸びていく。
それを、嵐と雷の力で回避。
嵐の魔力が雷の力を増幅させ、電光石火となって身を走らせる。
ガーゴイルは、セツナに殴りかかる。
巨体を風の力で疾駆させ、さらに背中から水を噴き出すことで、瞬発力を増強させる。
残像を発生させる巨体から拳を振るうも、電光を捉えられない。
ガーゴイルの背後に、一瞬で回り込む。
斧槍の尻尾で追撃。
それは、半身になって躱される。
――反撃。
振り上げられたセツナの片脚が、雷の如く振り下ろされ、尻尾を切断する。
石像は、尻尾を切断されても怯まない。
尻尾への攻撃を織り込んでいたかのように、背中から高圧の水流を噴き出す。
いくつもの鉄砲水が、セツナに襲い掛かる。
「‥‥‥‥。」
当たらない、捕まらない。
セツナの卓越したバランス能力が、電光の高速機動下にあっても、足をもつれさせることなく、嵐の力を完全に乗りこなす。
空から落雷が降り注ぐ。床から鉄砲水が噴き上がる。
無作為な落雷と、無差別な鉄砲水が、室内をキルゾーンへと変貌させる。
回避一辺倒のセツナをキルゾーンに閉じ込め、ガーゴイルは翼をはためかせる。
――はためかした翼の片翼が、電光に穿たれた。
嵐がガーゴイルの横を通り過ぎて、すぐさまもう一度、反対の方向から電光が穿たれる。
‥‥闘志を両足に。
AGが消費され、嵐と雷が苛烈さを増していく。
穿ち、穿ち、電光の速度が増し、ガーゴイルを一瞬で何発も蹴り上げる。
石を砕き、翼を砕き、ガーゴイルを雷の檻に閉じ込める。
落雷は止み、鉄砲水は止まり、室内には雷が疾る音だけが、姿無く轟く。
「ライトニングアクセル!」
一等苛烈な轟雷が天から鳴って、セツナがガーゴイルの目の前に現れる。
ガーゴイルは、体中から黒い煙を上げ、後ろ向きに倒れる。
倒れる上体を、足を後退させることでバランスを取り、片膝をついた状態で何とか堪える。
石像に痛みなど無い。動ける限りは、与えられた命令を遂行する。
「エージェントさん。」
部屋の外からアゲハの声。
彼女の手から、拳大の物体が放られた。
昨日、セツナに致命傷を負わせた、小型爆弾。
爆弾は放物線を描き、彼が戦う部屋へと投げ込まれる。
セツナの後方で、ガーゴイルが立ち上がる。
立ち上がり、軋む腕で拳を突き出す。
拳は空を切り、電光が焦がした床を粉微塵にする。
攻撃を空振ったガーゴイルの顔面に、雷が突き刺さった。
雷は兜を砕き、そこに爆弾を埋め、深く沈める。
スーツの内ポケットで、スマートデバイスが鳴動する。
ブルーアラート。
爆弾が爆ぜ、その爆風を置き去りにして、雷光は部屋から脱出。
爆心地となったガーゴイルは、至近距離で爆風を漏れなく浴びる。
全身に亀裂が入り、体が自由を失い、爆風の中で痙攣する。
爆発の余波は、部屋の外まで届き、壁に爪痕で絵画を描き、割れた窓から外へと去って行った。
部屋の中を、じっと覗き込む。
‥‥さすがと言うべきだろう。
あの爆発をもってさえ、ガーゴイルは原型を留めている。
が、もう動くことはできないようだ。
静かに前に倒れ、大きな音を立てて、地に伏した。
ホッと一息の溜め息。
視線を部屋の中から、アゲハの居た方へ。
ところが、彼女の姿は、もうすでに見えなくなっていた。
この場には、セツナがポツンと1人で立っている。
彼女が居た場所へ歩いて近づく。
そこの壁には、「Thank you」の書置きが貼られていた。
名刺よりも少し大きいサイズの書置きに、口紅の後が残されている。
頭を振り、光が差し込む窓の方へ顔を向ける。
外は静かになった。ケリがついたのであろう。
セツナの耳元に、見覚えの無い周波数からの通信が入る。
「スリリングだったわ。また会いましょう、頼もしいエージェントさん。」
大きな溜め息。
肩が上に膨らんで、下へ萎む。
「手のひらの上だった、ってことか‥‥。」
セツナの元に、避難誘導を終えたシバが合流する。
1人と1匹は、外の仲間と合流すべく、順路を逆走して、外に向かうのであった。
人気の失せた美術館が、次なる来訪を心待ちに、彼らを見送っている。
‥‥‥‥。
‥‥。




