5.5_蝶の住む美術館。
セントラル、青い雲美術館。
様々な芸術作品が、分野を問わず展示される美術館。
格式あるカッチリとした中央美術館とは異なり、青い雲美術館は、カジュアルな美術館。
より芸術を人々に身近に感じてもらうべく、意欲的な企画や展示を行っている。
青い街の傍らで、緑道と森林公園に囲まれて、青い雲の美術館は建っている。
今日も、未来の巨匠を育てるべく、来訪者を待っている。
「じゃあダイナ、美術館を回ってみるね。」
「よろしく。」
ダイナは、美術館に併設されている喫茶店で、この建物の見取り図を開いていた。
コーヒーを片手に、通信でセツナを見送る。
彼女の横には、シバが椅子にお座りをして座っている。
店員が持ってきた、ワンちゃん用のケーキをペロリと平らげて、卓上に置かれている呼び鈴を鳴らし、おかわりを所望している。
JJは、美術館外のベンチで、週刊エージェントを読んでいる。
腰かけたベンチも、美術館の近くということで、造形芸術 (彫刻などのこと)の粋を凝らしたデザインをしている。
彼が座っているベンチは、切った石を組んで作られたベンチ。
素材となった石材は魔法界の代物で、物理的なストレスには強いが、魔力的なストレスには弱い特徴がある。
このベンチに雨が降り、木々から滴った雨粒が落下すると、大気中の微量な魔力と反応して、風化と浸食が発生する。
風化によってベンチには、雨粒が穿った小さな穴が開くのだ。
制作当初はゴツゴツしていた天板も、風化によって滑らかになり、角が取れている。
ベンチの隅に空いた穴には、さすらいの植物が根を下ろし、無機質なベンチの上で生命力を見せつけている。
風化を計算に入れた、動くアート。
立体的な造形芸術は、絵画とは異なり、見る角度、見る時間によって印象が変わる。
このベンチも、時間の流れによる変化を積極的に取り入れた作品なのだ。
JJは、緑豊かな並木道の傍らに設置されたベンチに腰掛け、あんパン片手に週刊エージェントを開き、彼の横では缶コーヒーが、ぼーっと空を眺めている。
今回も、役割分担をして調査に望む。
3人と1匹は、美術館の外観をグルリと下見をしながら、作戦会議をした。
マルが言うには、蝶を追っているなら美術館を調べてみると良いらしい。
この美術館は、意欲的な企画やイベントを開催しており、その運営方針からか、頻繁に荷物の搬入出が行われている。
そして、美術館なのでセキュリティも厳重。
なるほど、物を隠すには打ってつけの場所だ。
なら問題は、どこに隠しているか?
これが問題だ。
作戦としては、セツナに館内を見て回ってもらうことにした。
館内は、鉄砲玉を担当(?)しているセツナに一任。
互いの得意を活かす慣例に従った形だ。
パルクールに優れ、環境利用も得意なセツナは、偵察 (威力偵察のほう)と鉄砲玉に向いた能力を持っているのだ。
正面切っての戦闘も充分にこなせ、仮に何かあっても、何とかできる人材。
本来であれば、先輩エージェントのシバに、帯同のお願いしたかったのだが‥‥。
件の先輩は、ケーキにご執心。
シバの耳と鼻があれば、偵察能力もアップ間違いなしなのだが、先輩はアゴと舌を動かすのに忙しい。
よって、セツナ単独での偵察。
JJとダイナは、そのバックアップ。
JJは、もし蝶を追いかけることになった時を想定して、尾行役を任せている。
彼が座るベンチの後ろには、大型バイクが脚を休めており、例え「荷物」の運び出しがあっても追跡ができる。
昨日の逮捕劇は、まんまと蝶に欺かれた。
今回は、何でもいいから彼女の尻尾を、少しでも掴みたい。
入場料を払い、セツナが展示会に入場した。
警戒されないように、CCCのピンバッジは外しておく。
来館者を、美術館特有の静寂と時の流れが歓迎する。
展示物を鑑賞して、普通の来館者を装いつつ、怪しいところが無いかを見て回る。
彼の視覚情報は、JJとダイナ、それからシバにも共有されている。
現在、青い雲美術館では、M&Cのファンアート展示会が開かれていた。
ユーザーが制作したファンアートが並べられ、美術館を賑わせている。
それらを、セントラル市民たちが立ち止まり鑑賞している。
腕を組み、顎に手を当てながら、有志の作品を味わっている。
来館者は、全体的にお年を召した方が多いようだ。
若い、セツナくらいの来館者は、いずれも芸術を嗜んでいるような服装と体型で、身体の線が細い者が多い。
ワインレッドの派手なスーツを着て、引き締まった身体つきのセツナは、同年代からも浮いている。
この空間で浮いた存在の彼のことなど、来館者は気にしていない。
展示された作品と向き合うことだけに集中をしている。
うって変わって、芸術の造詣など微塵も持ち合わせない、セツナの視線はあっちにいったり、こっちにいったり。
作品をチラリと見たら、次の作品へと目移り。
そして、時たま周囲をキョロキョロとして、不審な箇所が無いかを調べている。
今のところ、怪しい所はなく、展示された作品がセツナの感性を心地よく刺激している。
展示物の中には、魔法界にある天蓋の大瀑布で撮影した絶景や、自分のCEを撮影した写真なども展示されている。
イラストから写真、あるいはぬいぐるみなどなど、ファンアートのジャンルは多岐に渡っている。
美術館など、自分には縁遠い場所だと思っていたが‥‥、これはなんだか楽しい。
「美術館、なんか良いかも。」
素直に感想を口にする。
「現実の美術館も、大きいところだと、ホントに1日潰せちゃうからね。」
「現物を生で見るっていうのは、やっぱ違うよな。」
ほうほう、それは俄然興味が出てきた。
これは、水族館ばかり行っている場合ではない。
「――でも、デートスポットには選びにくいんだよねぇ~。気軽にお喋りできないし。」
「分かる。」
分からない。
やっぱり、水族館がナンバーワン。
大水槽の前とか、平気で2時間は居れる。
そこから、ペンギンショーのコンボが、ジャスティス。
「――ん?」
セツナの足が止まる。
何かを見つけたようだ。
彼の目の前には、とあるアートが展示されている。
額縁の中に、大量のクレジット紙幣が並べられている。
「‥‥‥‥。」
この作品には、なぜだか見覚えがある。
このアートの肝は、紙幣の記番号だ。
紙幣に刻まれている、アルファベットや数字の1文字目を抜き出すと、それが金庫の暗証番号になっている。
ご丁寧に、作品の傍には小さな金庫が設置されている。
なぜ、そんなことを知っているのか?
他でもない、これはセツナが自分で作って、自分のセーフハウスに飾ってあるからだ。
「‥‥‥‥。」
隣の作品に目を移す。
そこには、やはり見覚えのある作品があって――。
宝石で花びらを表現し、火薬の濃淡で風を表現した作品。
宝石の瞳を持つ、オッドアイの猫の作品が並んでいる。
いずれも、JJとダイナが制作した作品だ。
「‥‥贋作が出回っているんだけど?」
3人が制作したアートの前にも、市民が立ち止まり、作品のアート性とストーリーを味わっている。
「あはは‥‥。なんかちょっと、恥ずかしいね。」
「ぬぅ。こういうのが、一番効くかもしれん。」
もともと公開するつもりの無い物が、白日の下に晒される羞恥心。
セツナは逃げるように、その場から足早に立ち去った。
◆
気恥ずかしさに背中を押され、足早に歩いて次の区画へ。
ファンアートコーナーは終了して、別の展示物が並ぶエリアに移動した。
屋外の日が差し込んでいた、明るいファンアートコーナーから雰囲気が変わる。
橙色の室内灯が、柔らかく照らす、落ち着いたエリアとなった。
セツナは、青い日差しが届かない、ほんのりと明るい区画へ。
足を踏み入れると、そこには沢山のアートが彼を出迎えて――。
「!?!?」
その区画に入った瞬間、セツナは飛び上がって、急いで順路を逆走。
身を屈めて物陰に隠れた。
突飛な行動に、来館者の視線がセツナに集まる。
「あははは‥‥。何でもありません。」
我に返ったセツナは、頭を掻いて周囲に謝罪する。
気を取り直して、歩を前へ。
「はぁ――、ビックリしたよ、もう。」
彼を迎えたのは、体長3メートルの石像。
翼を持ち、風化した石の甲冑に身に纏った、石と雨と嵐の悪魔。
ガーゴイルの姿をした魔神、晴嵐の雨樋が、そこには佇んでいた。
彼奴は、その威厳と威圧感こそそのままだが、動く気配は無い。
「タイムリーだね~。」
セツナは、この魔神と交戦経験がある。
気まぐれで1度だけ、天蓋の大瀑布に現れた地下迷宮に潜ったら、歩けば棒に当たる天運が働いて、見事に邂逅を果たした。
その時は、シ兎に強制連行されて来た拳銃の名手や、他のプレイヤーと協力し討伐を果たした。
ガーゴイルに近づくと、ホロディスプレイが展開。
この魔神を討伐したプレイヤー名が表示され、スクロールされる。
そして、セツナの名前のところで止まった。
自分の名前は黄色文字で強調され、大業を成したプレイヤーを讃えている。
この世界の理不尽に討ち克ったプレイヤーに対しての、ささやかなご褒美。
語られぬ激戦を脳裏に想起しつつ、周囲を見渡す。
どうやらこのエリアは、天蓋の大瀑布から持ち込まれた品々が展示されているようだ。
嵐の後に森で採取できるストームアンバーや、丘の上の遺跡を守護していた騎兵の肖像などが飾られている。
他には、天蓋の大瀑布に生息する魔物のラフ画も展示されており、ここは言うなれば、設定資料エリアだ。
M&Cのファンが制作したアートコーナーの次は、M&Cのファンに向けたコーナー。
これは、ダイナが喜びそうなエリアだ。
そうやってガーゴイルの手前で周囲を見渡していると、背後から人の気配。
この美術館の職員らしき女性が、魔法界の展示エリアに入って来る。
職員と判断したのは、首から職員証のようなカードを下げていたから。
JJから通信が入る。
「うん? セツナ、いまの女性――。」
「うん。話し掛けてみようか。」
女性の姿と顔に、見覚えがある。
‥‥蝶を見つけた。
接触を試みる。
サングラスを掛け直す。
怪しまれないように、それとなく職員の女性に接近。
職員は見回りをしているのか、ストームアンバーが展示されているショーケースの施錠を確認している。
女性に、ポケットに手を突っ込んだセツナが声を掛ける。
彼女が確認をしているショーケースの上に、片肘でもたれかかって、注意を引く。
「少し良いかな? お嬢さん。」
キザったらしい口調で、声を掛ける。
職員はセツナの方を向き、JJとダイナは沈黙する。
((これは、ダメかも‥‥。))
セツナの意図も、分からなくはない。
目当ての人物は見つけられた。
今度は、相手から情報を引き出すフェーズだ。
ここで、変に普通の客を演じても、社交辞令で煙に巻かれるだろう。
ならば、あえて突飛な言動を取って、お客様応対のマニュアル通りに対応されないようにする。
その目論見は分かる。
ロールプレイにおいて、妄言は言い得だ。
‥‥だが、それをするのがセツナだから心配だ。
運命の女神に好かれるのには、それなりの理由がある。
ダイナは、苦笑いを堪えるために、苦いコーヒーに口をつける。
職員は、セツナの行儀の良くない行動にも表情を曲げず、笑顔で応対する。
「いかがされましたか? お客様。」
「ふっ――。」
サングラスを外し、裏ポケットにしまう。
「聞いてくれベイビー。
三毛猫のオスって、要するに男の娘だと思うんだが――。
そのことについて、どう思う?」
‥‥ダイナの口から、苦くて黒い飛沫が舞って、にたりとしたシミを見取り図へ描いた。




