SS7.15_戦いは、後日譚を語って終わる。
「なるほどなるほど――、見えます、見えますよ~。
つい最近、なにか達成感を味わう出来事がありましたね?」
「あ‥‥当たってます。」
現実世界の日本。
日本の何処かの、のどかな喫茶店。
そこで、女性2人がテーブルを挟んで会話をしている。
テーブルの上には、タロットカードが広げられており、何をしているかと言えば、占いをしているのである。
タロット占いではメジャーな、ケルト十字占い。
6枚のカードで十字架を組む。
その右側に、4枚のカードを縦一列に並べ、10枚のカードで占う方式。
タロットの山から無作為に選んだ10枚のカードを並べて、それを会話の種に、2人はのどかな昼下がりを過ごしている。
科学全盛の時代であっても、占いや都市伝説などのオカルトには、一定の需要がある。
いや、むしろ科学全盛の時代だからこそ、オカルトの魅力は前時代よりも増している。
現代の科学は、それこそ創作の中だけに登場する、魔法と遜色が無くなってきている。
時代がさらに進めば、現実の世界で人類が魔法を獲得する日が来るかも知れない。
そう思わずにはいられない、科学と技術に期待する人々の心理が、オカルトに惹きこませるのだ。
占いをしている女性は、十字架を模る6枚のカードのうち、左側にあるカードを白く細い指でトントンと叩く。
カードから、インスピレーションを得ているのだ。
占いをしている女性の名を、七月 亜里亜。
占いをされている女性の名を、十塚 杏里。
「十字の左側にあるガードは、最近の出来事を表しています。
出たカードは、正位置の小アルカナ、 ソードのエース。
これは、勝利を意味するカードです。」
「な‥‥なるほど。」
「杏里さんは確か自衛団で、ゲームが趣味でしたよね?」
そういって、亜里亜は十字の右側に並べた4枚のカードの中から、1番下のカードをめくる。
そこには、大アルカナ「塔」が逆位置で配置されていた。
「ああ、分かりました。
どうやら、MVPだったようですね。
なにか、混乱を伴う、大胆な活躍をしたとか?」
「MVPなんて‥‥そんな‥‥。」
杏里は、眼鏡の奥の瞳をキョロキョロと忙しなく動かして、控え目な声で謙遜する。
十塚 杏里、電脳世界では、ジョニーを名乗るプレイヤー。
電脳世界では、魔神に「タコ助野郎」と殴りかかる勇ましい(?)彼は、現実世界では控えめで挙動不審な女性なのだ。
挙動不審なのは、脳内で妄想と妄言が爆発しているから。
逞しい妄想が災いして、対人関係、特に身目麗しい女性との会話にドギマギしてしまう。
思春期男児のような女性。
‥‥幸運だったのは、自衛団に入団できたこと。
こんな自分でも、自衛団として社会に貢献できている。
そんな脳内思春期男児の杏里の前に居るのは、柔和な笑みを絶やさない、亜里亜という女性。
杏里の目から見て、亜里亜は相当な美人だ。
女優やアイドルですら見たことがないほどに。
2人は、奇妙な偶然と縁で知り合った。
杏里はここの喫茶店を、パトロール後の休憩スポットとして利用させてもらっている。
街の繁華街から少しばかり距離があり、知る人ぞ知る、コーヒーと紅茶が美味しい喫茶店。
対人に難ありの杏里にとって、ほどよい客入りの喫茶店は、憩いの場に最適であった。
だがある日、いつに無く喫茶店が大繁盛で、杏里は相席をすることになってしまった。
彼女の座っていたテーブルで相席となったのが、いま目の前にいる、亜里亜という女性だ。
100人いれば99人が美人だと答える亜里亜に対し、杏里は漏れなくコミュ障を発動。
逃げるようにコーヒーを飲み干して立ち去ろうとするも、亜里亜に引き止められて、紅茶を振舞われ、それがきっかけで現在も交友が続いている。
亜里亜の、全てを包み込むような優しい声色、温かい雰囲気、やわらかい笑顔。
それらが、杏里の拗れに拗れた心を解し、ちゃんと会話のキャッチボールが成立している。
(はぁ~‥‥! 杏里さん、かわいい。
会話が苦手ながら、それを克服しようとする姿! なんて健気で良い娘なんでしょう!
杏里さんの良さを知ってるの、この世で私だけでしょ?)
‥‥杏里は知らない。
目の前の美人の中身が、杏里くらい残念であることを。
それと、杏里の良さを知っている人間は、それなりの数が居たし、居る。
知らないのは、杏里だけだ。
亜里亜は、今日泊まる宿の方まで行きかけた妄想を仕舞い込み、杏里とのお喋りを続ける。
タロットカードに視線を落とし、塔の上に配置されたカードをめくる。
めくられたカードは、正位置の小アルカナ、カップの10だった。
聖杯とは、トランプだとハートに位置づけられるシンボル。
主に、対人関係の象徴して解釈され、カップの10は、家族・仲間・同士を象徴する。
「ゲームでの冒険は、楽しんでいますか?」
「はい。それはもちろん。」
杏里の口調はやっぱり控えめだが、この質問に対しては、どもらずに答えた。
「仲間と、大きなことを成し遂げた?」
「えっと‥‥、私は裏方で‥‥。」
少し前の出来事、魔神との戦いを思い出す。
あの時、自分は確かに魔神と戦い、勝利した。
だが、勝利を勝ち取ったのは、他の7人だ。
自分は、自分なりに、できることをした。
それを、たまたま優れたプレイヤーが、最大限活用した。
それだけだ。
どこか視線が下を向く杏里に、亜里亜は優しく微笑む。
「――ですが、勝利を呼び込んだのは、杏里さんではないのですか?」
どこか見透かす笑みで、亜里亜は語り掛ける。
挙動不審の杏里の視線が、彼女の視線と交わり、離すことができない。
杏里と目を合わせたまま、亜里亜は次のカードをめくる。
「カップの10」の上に並んだ2枚のカードを、同時にめくった。
「カップの10」の上には、逆位置の「力」のカード。
最後のカードは、正位置の「愚者」のカードが現れた。
「杏里さんは、自衛団として社会に貢献されています。
電脳の中でだって、人知れず誰かのためになっています。
そういう自分を、ちょっとは認めてあげても良いと思いますよ?」
「自分を‥‥、認める‥‥。」
亜里亜は、テーブルに肘をつき、手に頭を乗せる。
行儀の悪い行動でも、亜里亜がすると様になる。
「人間、誰しも欠点のひとつやふたつあるんです。
でも、人間って、驚くほど他人の欠点に無関心なんですよ。」
「‥‥‥‥。」
杏里は、亜里亜の言葉を脳内で噛み砕く。
噛み砕き、咀嚼し、――飲み込むには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
だけど、味わいのある言葉だ。
「誰からも嫌われないようにするということは、誰からも好かれないようにするということです。」
不思議と、亜里亜の言葉に聞き入ってしまう。
年齢は同じくらいなのに、その言葉には、千年の年輪を刻む大樹よりも重い、説得力がある。
「人間、いい加減が、良い加減なんです。
気楽にいきましょ?」
「は、はい!」
にこりと微笑む亜里亜に、反射的に返事をする。
自分でもビックリするほど、ちょっと大きめの声が出た。
亜里亜は、テーブルについていた肘を正す。
「まあ、私は子猫みたいにキョロキョロして、そのくせ自己肯定感は高めな、杏里さんも好きですけどね?」
「うぐ――っ!?」
「自分のこと、ちょっと可愛いと思ってみちゃったり?」
「うぐぐ――っ!?」
教えを説き、解きほぐした杏里の心に、突然ナイフを突き立てる。
胸を押さえて苦しむ杏里に、亜里亜はイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「すいません。からかっちゃいました。」
「亜里亜さん‥‥。」
イヤな気持ちはしない。
むしろ、他人に心の底を見られたことに、安堵と開放感すら覚える。
「言ったでしょう? 人は、他人に無関心なんです。」
人は、他人の本質を知りたがる。
だが、知ったところで、どうすることも無い。
興味深々であり、無関心なのだ。
もちろん、個人の性格によって度合いはことなるが、大多数は他人にどうこう言うことは無い。
――ちょっとだけ、勇気が出てきた。‥‥気がする。
お喋りがひと段落したところで、亜里亜のカバンの中で、スマートデバイスが鳴った。
「ちょっと失礼。――おや、妹から連絡です。」
「妹さんから?」
「はい。名残惜しいですが、私はお暇させていだだきますね。」
「私も、そろそろ帰ります。」
「なら、お店の外まで一緒に。」
「はい。」
そういって、タロットカードをしまい、席を立つ。
‥‥‥‥3人で。
会計は済んでいるので、喫茶店のマスターに「ごちそうさま」を伝えて、外に出る。
秋も深まり、いよいよ寒く、上着が欠かせない。
亜里亜と杏里は手を振り合い、道をそれぞれ反対の方向へと歩いて行く。
人通りの少ない道を、亜里亜は住宅街の方へと、杏里は繫華街の方へと向かい、2人の姿は喫茶店の前から消えていった。
‥‥‥‥。
‥‥。
◆
閑静な住宅街を、亜里亜は1人で歩いている。
そう、他の人間には見えている。
亜里亜は、バレないように背後を確認。
「おっ姉ちゃん!!」
ぽすんと、亜里亜の背中に、心地よい衝撃が走った。
銀髪の女性が、亜里亜の背中に抱きついている。
「あぁ‥‥、お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
「おやおや、今日のリリィは甘えんぼさんですね。」
リリィと呼ばれた女性は、亜里亜から離れ、彼女の横へ。
そして、唇を尖らせる。
「あの女ばっかり、お姉ちゃんに可愛がられてズルい!」
「あらら、ヤキモチですか。」
姉妹愛の強い妹との会話。
それは、他人には聞こえていない、見えていない。
傍目には、亜里亜が要領を得ない独り言を言っているように見える。
そうで無ければ、サポットと会話をしているのか? 誰かと通話をしているのか?
そのように見えているのだ。
‥‥隠す必要も無いだろう。
リリィと呼ばれた女性の正体は、七曜の女神が3番目。
暗い月のリリウム。
彼女は狂気の化身。
暇つぶしとして人に狂気を授ける、悪女にして悪神。
それでも、亜里亜にとっては――、七曜の1番目、アリアンにとっては愛すべき妹。
「許してください。お互い様でしょう?
姉妹愛と、色恋は別物で、別腹なんですから。」
「それは‥‥。そうだけど‥‥。」
リリィは、悪女にして悪神。
人に、人の器には納まらぬ力を与えて、それで破滅する姿を見て、腹を抱えて大笑いするような悪女。
その所業に、邪神すら怖気る悪神。
だが同時に、大切なものにはとことん入れ込む。
入れ込んで、貢いで、尽くす。
彼女は、姉妹に対して並々ならぬ愛情を注いでいる。
ただ1人を除いて。
「リリィが私を大好きなのは承知していますが、デートにまでついて来られると困ってしまいます。」
「任せてお姉ちゃん。アイツが何かしでかしたら、私がやっつけてあげるから!」
亜里亜の言葉など、どこ吹く風。
まったく悪びれる素振りも見せず、リリィは子どもっぽい笑顔を浮かべている。
シュシュシュとシャドーボクシングをして、やる気は満々。
じつは、亜里亜と杏里がお喋りしているあいだ、リリィはずっと2人の傍に居た。
傍に居て、杏里を下から深海のような瞳で覗き込んだり、彼女の背中にナイフを突きつけたり、姉の亜里亜に抱きついていたりしていた。
姉妹からすれば、いつものこと。
いつもの日常。
ふぅ。無邪気な妹に、溜め息がでる。
「まあ、そういうところも、私は大好きなんですけどね。」
「でしょでしょ!! 私ってば、自慢の妹なんだから!」
パァっと明るい表情になって、リリィは上機嫌。
キラキラした笑顔で、姉である亜里亜の腕に抱きついて、頬をスリスリする。
「‥‥あの女の匂いがする。」
「はいはい。」
姉妹水入れずの団欒を楽しみつつ、歩を進める。
閑静な住宅街に、人の気配は無く、車が前方に停車している。
亜里亜が「ところで」と切り出して、話題を変える。
「リリィ。レイのことですが――。」
「あの女きら~い。」
露骨に嫌そうな顔をして、亜里亜からも距離を取る。
よほど嫌なのだろう。
「まったく、あんなババアのどこが良いの?」
「そう言ってはいけません。同じ月の姉妹、私の妹なんですから。」
「は~ん! 周回遅れのババアが、この世界にしゃしゃって来んなって話し――。」
リリィの言葉は、亜里亜を掴んだ腕に阻まれた。
停車していた車だ。
車のドアが開き、亜里亜の腕を掴み、車の中へと引きずり込んだ。
「うっ‥‥。」
車内に連れ込まれた亜里亜に、麻酔銃が撃ち込まれる。
視界が揺らぎ、意識が遠のいていく。
車は走り出し、リリィ1人を置いて去って行く。
「‥‥お姉ちゃん。」
キラキラしていた瞳が、深海の底、光届かぬ色へと変わる。
‥‥‥‥。
‥‥。
「よし、上手くいったな。」
「まだ油断するな。港に届けるまでが仕事だ。」
亜里亜を攫った犯罪者たちは4人組で、日本語でそう会話をしている。
車は、入り組んだ住宅街を走りつつ、なるべく目立たないルートを選び、目的地を目指している。
亜里亜の誘拐から5分が経過したが、自衛団やセキュリティが動く気配は無い。
監視社会である現代において、これは由々しき事態だ。
「‥‥本当に、誰も追って来ないんだな?」
「あぁ。半信半疑だったが、どうやら俺たちは、透明人間になれているらしい。」
「なるほど、興味深い。」
ドライバーを除く、3人の男の視線が、亜里亜に向けられる。
驚いた表情とセットで。
彼女には、間違いなく麻酔が効いていたはずだ。
体質にもよるが、3時間は昏倒する。
なのに、亜里亜は5分足らずで昏倒から回復したのだ。
誘拐が上手くいったと、気が緩んだ矢先の出来事。
犯罪者は一等驚き、思考が停止してしまう。
亜里亜は周囲を一瞥。
車は8人乗り。
車の後ろには、武器を積んでいるようだ。
確認おわり。
口を開く。
「あなたたちの目的は? 身体? それともID?」
犯罪者たちは、呆然としている。
「その前に、何者です。 皮こそ日本人ですが、どうやら中身は違いますね?」
そういって、亜里亜は自分の頭を指差した。
指差し、トントンと頭の中を疑うジェスチャーをする。
彼女の問いに対しての返答は、拳だった。
亜里亜の横に座っていた男が、彼女の顔面に拳を振った。
「うるせぇ! 黙ってろッ!」
男は何度も、何度も亜里亜に拳と、暴力を振るう。
「おい! 大事な商品に何してる!」
「構うもんか! 傷が付いたって、治しゃいいんだ!」
暴力男を止めようとした、彼の仲間は、あきれて溜め息。
(感情的な振る舞い。白昼堂々の杜撰な誘拐。
おそらく、末端の木っ端ですね。)
暴力は、亜里亜には効いていない。
効いているフリをしつつ、冷静に相手の「格」を見極めている。
(‥‥レイの試練とやらと、何か関係が?)
すると、車が急ブレーキを踏み、急停車した。
ブレーキを踏む前に、大きな衝撃が車体を揺らし、衝突音が車内に響いた。
「おい! 何やってる!?」
「いや‥‥。急に人が目の前に出てきて‥‥。」
急停止した車の前には、路上に横たわる女性の姿があった。
助手席に座っていた男が、車内から周囲を見渡す。
‥‥最悪だ、人に見られた。
人通りが少ない道を選んでも、人の目は完全に逃れられる訳ではない。
運悪く、車で人を撥ねたところを、通行人に見られてしまった。
万事休す。
――そう思っていた。
しかし、通行人は事故の現場をスルー。
路上で横たわる女性など居ないかのように目もくれず、車の横を通り過ぎて行った。
車内が、疑問符で満ちる。
疑問符が喉を通って、感情を言葉に変換する。
「どうなってる?」
「お迎えですよ。私と、あなたたちのね。」
倒れていた女性が、ゆっくりと立ち上がる。
手を使わずに、リンボーダンスの反り身から身体を起こすように、反った背中を起こして立ち上がる。
車の前には、銀色の、歪んだ、三日月。
「あははははははははははは――――――。」
歪んだ三日月は、狂ったように嗤いだす。
「おい! 車を出せッ!」
「やってる! けど動かねぇ!」
ドライバーは車のアクセルを踏んでいる。
けれども、ドライバーの意に反して、車はピクリとも動かない。
「クソが!」
助手席の男が窓を開け、拳銃で狂い嗤う女を撃つ。
銃弾は命中し、女の胸や頭から血しぶきが舞う。
だが、だがしかし、この狂った嗤い声は、いつまでも鼓膜にこびりついて憑き纏う。
亜里亜に暴力を振るっていた男が、彼女の胸倉を掴む。
「おい、何しやがった!」
「すぐに分かりますよ。」
そう淡々と告げると、空に夜が来た。
車の時計は、昼下がりを過ぎた時分。
いくら晩秋といっても、夜が来るには早すぎる。
空に夜が来て、夜は街の景色を変える。
比喩ではない、物理的に、景色が書き換えられていく。
日本の、平凡な住宅街が、レンガと石造りの、まるで異世界のような景色に塗り替えられていく。
世は科学全盛の時代。
これは、ただの立体映像――。手の込んだ、立体映像――。
いくら知識と理性でそう念じても、本能と直感が、これは本物だと警鐘を鳴らす。
あっけに取られている犯罪者たちの目前に、歪んだ三日月が昇る。
いつの間にか、車のフロントガラスに張り付いている。
「「「「――――!?!?!?」」」」
絶句、恐怖、錯乱。
三日月が手を伸ばすと、フロントガラスをすり抜けて、腕が車内に侵入する。
そして、中に居た、亜里亜に暴力を振るっていた男を捕まえる。
彼を、磁力で引き付けるように、女性の細腕が吸い寄せた。
腕を車内から引き抜く。
男の身体がガラスを割り、外に出されて、地面に叩きつけられる。
三日月は、そんな彼を、昏い瞳で見下ろしている。
「薄汚いブタが――! お姉ちゃんを殴ったな? お姉ちゃんを殴ったな?」
胸倉を掴み、男の身体を何度も地面に叩きつける。
とても女性とは思えない腕力に、男はまったく抵抗ができない。
「あは☆ そっか~、この手がいけないんだな~。 悪い手だぁ~!」
そう言って、子どもが虫の脚でも千切るように、男の腕を引き千切った。
腕と肩から、血が滲み噴き出す。
「――!? あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ!!!!」
一瞬遅れてやってきた激痛に、男は絶叫する。
三日月は、引き千切った腕を捨てて、のたうち回る男を愉快そうに眺めている。
ひとしきり眺めて、愉悦の表情を浮かべ、彼の傷口に触れた。
すると、嘘みたいに痛みが引いていく。
「ダメよ。そんなに、うろたえちゃ☆」
口元の三日月が、ますます吊り上がる。
「豚の脚は、あと3本も残っているんだから!!
あははははははははは――――。」
‥‥どうして、どうしてこうなった。
悪い夢なら、今すぐにでも覚めてくれ。
「リリィ。イタズラはほどほどに。
彼らは、お客様です。」
車内から聞こえた亜里亜の声に、リリィは反応する。
瞳に輝きが戻り、脚を1本失ったブタに向けて、キラキラとした笑顔を見せる。
「なんだぁ~。それなら、ちゃんとおもてなしをしないと♪」
そう言って、先ほど捨てた腕を拾い上げ、事も無げに男にくっ付けた。
もがれた腕を動かす。――問題なく動く。
車のドアが開く。
アリアが車から降りる。
髪から黒い色素が抜けて、銀色に。
服は、白い装束へ。
アリアンの腕に、リリィが抱きつく。
「ようこそ、常夜の都へ。月の女神の、膝元へ。」
車の横にある、石造りの建物から、男が飛び出して来た。
顔は憔悴し、しきりに後ろを気にしている。
男の背後から、豚の頭を持った怪物が走っている。
怪物は男を捕まえ、その足を引っ張りながら、建物の中へと消えていく。
男は何かを叫んでいるが、言語が違うのか、何を言っているのか分からない。
「ここは楽園ですよ。なにせ、女神の都なのですから、疑いようがありません。
さあ、皆さんもこちらへ――。」
その後、4人の行方は、誰も知らない。
‥‥‥‥。
‥‥。
◆
青い空、青い街、いつものセントラル。
そこの場末にあるゲームセンター。
「もっかいもっかい! アイさん、もっかいやりましょう!」
「ふふふ。良いでしょう、受けてたちます。」
そんなやり取りをするのは、ハルとアイ。
先日、魔神を討伐した縁で、2人はフレンドとなった。
その戦いは、週刊エージェントでも紹介され、戦闘映像はユーザーたちから好評を得ていた。
ハルは、今やちょっとした有名人になっている。
有名になったところで、やることは変わらない。
自分なりに、この世界を楽しむだけだ。
ハルとアイは、格闘ゲームに興じている。
「次は勝ちますから! ゼッタイに負けませんから!」
「その意気や良し、どっからでも掛かってきなさい。」
こんな調子と口ぶりだが、戦績はアイの惨敗である。
ついさっき、噛み合ってたまたま1本取れただけである。
100クレジット硬貨を、筐体に入れようとした瞬間、ゲーセンの入り口が爆風によって破壊される。
ハルとアイ、その他大勢のお兄さんたちの視線が、吹き飛んだ入り口に集まる。
そこには、ダイナミックな入店を決めた、4人組の姿があった。
100クレジット硬貨をしまう。
筐体から立ち上がる。
お兄さんさちが、指をポキポキしたり、首をパキパキしたりしている。
入り口に、人だかりと包囲網が出来上がる。
「「「「ウェルカ~~~ム!!」」」」
今日も、セントラルは平常運転。
そこに集まるプレイヤーも、平常運転。
つまり、平和なのだ。
――4.5章_2。銃士と狂戦士の、地下ダンジョン、完。




