SS6.6_バトルシスター・ダンスホール
クラブ、あるいはナイトクラブ。
音楽とダンスと、お酒と出会いの場。
熱狂と熱中のトリップの中では、様々な出会いや思い出が生まれる。
そして、酒や出会いの喧騒の中には、物騒な事案が紛れていることも少なくない。
とくに、毎分犯罪が発生するセントラルにおいては、現実のクラブとは比べ物にならないほど治安がよろしく無い。
教会に泥棒を働いた犯罪者は、グループで動いていると考えられている。
少し前、セツナがセントラルに不在の間に起こった一連の計画的な犯罪。
教会の泥棒も同じグループであると予想され、その尻尾を掴むためにここへ来た。
セントラルの犯罪者は、バカでドジでマヌケで、脳細胞が年中盆踊りな連中だ。
盗った金は、すぐに使う。
聞くところによれば、ここにガラの悪い連中が大勢で入ったらしい。
真昼間の日差しに負けないくらい、熱気とバイブスがむせ返る建物に向けて進む。
建物の外観は、小さなドームやスタジアムみたい。
ライブやコンサートも催せそうな、この街で人気のクラブハウスだそうだ。
エントランスに入り、入場するための受付を済ませる。
「身分証の提示をお願いします。」
現実のそれと同じく、身分証の提示を求められる。
現実でも、物理的なIDをはじめ、電子的なIDは存在する。
スマートデバイスを取り出して、身分証を表示する。
表示された身分証の顔と本人が一致するかの確認や、画面のワンタイムバーコードを読み取り、身分証が本物かを確認する。
「ありがとうございます。」
身分証の確認が終わり、入場の許可が下りる。
エージェントの身分は伏せておく。
尻尾を掴むまでは、民間人のフリをしておく。
セツナがスタッフに質問をする。
「すいません。VIP席って空いてます?」
「少々お待ちください。」
そう言って、端末を操作して席の空きを確認する。
クラブには主に、2つの料金体系が存在する。
一般客用のフロア料金、それから、vip向けのvip席料金。
vipはフロア料金よりも割高だが、より良質なサービスを受けられる。
特定の席とテーブルが用意され、スタッフが女性を見繕って席につけてくれる。
金さえあれば、見栄と自己承認を満たすことができる。
バカでドジでマヌケで、頭の中で年中盆踊りを開いてる連中には、もってこいのサービスだ。
vip席には、フロア料金では入れない。
なのでvip客として入場する。
‥‥もし席が空いてなかったら、スタッフさんに誠意を握らせたり、公職の権力をチラつかせることにする。
「1席だけ、空きがあるようです。」
良かった、さすがにここで躓く訳にはいかない。
「では、そこをお願いします。」
「かしこまりました。」
会計をするために、スマートデバイスをキャッシュレス端末にかざす。
会計で求められた金額よりも、遥かに多い金額を支払った。
「フロアのみんなにドリンクのサービスを。
それと、DJさんにリクエストも。激しいヤツをお願いします。」
そう言って、スマートデバイスをしまう。
スタッフは、セツナの意図を理解したようで、そのまま別のスタッフに2人の案内を引き継いだ。
(‥‥ボディチェックしないんだ。)
さすがセントラル。
みんなが武器を持たないよりも、みんなが武器を持った方が防犯になるという考えをお持ちのようだ。
◆
フロアは、真昼間から盛り上がっていた。
空に昇っているのは太陽なのに、すでにオールナイトの盛り上がり。
電脳世界特有の時間間隔に、体内時計が若干混乱する。
内装の様子は、外観を見たときに感じた通り、小さなスタジアムの印象通りかなり広い。
3000人が収容できるコンサートホールくらいのスケールがあり、日本の国土基準だと大きい部類の箱だ。
ただ、ダンスをしたりお酒を飲めるバーやカウンターがあることから、実際には3000人は入れない。
中は比較的ゆったりとしており、激しいダンスを踊っても他の人にぶつかるような心配はない。
まるで、大立回りを想定しているかのような収容密度だ。
天井では、ミラーボールが色を変え発光し、フロアの端々では、ムービングライトが光量を変え、パターンを変え明滅している。
流れてきている音楽は、ヒップホップだろう。
音響施設の整った環境に流れる音楽は、普段イヤホンやヘッドホンで聴くそれとは感じが異なる。
音とは、突き詰めると空気の振動だ。
なので、物凄くやっつけて言うと、デカい機械でデカい音を出すと、デカくブチ上がる。
ダンスが趣味なセツナに限らず、ハルもヒップホップのノリに無意識に身体が釣られている。
身体の芯を突き抜ける、腹から入って背中に出ていく音に、気持ちも肉体も勝手にノッテいく。
三半規管が音楽に反応して、振動して揺れる空気にバランスを取ろうとしているのだ。
クラブの警備をしているセキュリティスタッフに先導してもらいつつ、vip席に移動する。
途中、通路を歩いていた女性型アンドロイドから2人はお酒をもらう。
手に載せている銀色の丸いトレーからお酒を持ち上げると、自動で決済が済まされた。
グラスを持ち上げると、チョコレートと生クリームの甘ったるい香りが、揮発したアルコールに連れられて鼻腔をくすぐる。
これは、アレキサンダーと呼ばれるカクテル。
ブランデーとカカオリキュール、そして生クリームで作られたカクテル。
別名、レディキラー。
お酒を貰い、煽情的な衣装をまとったアンドロイドをクルリと躱して、セキュリティのスタッフについていく。
‥‥セツナとハルの後ろで、人が投げられた音がした。
音楽に紛れて、鈍い音と男性の呻き声が聞こえるが、無視して前へと歩く。
ほどなくして、自分たちの席に到着した。
vip席は、フロアから3段ほどの階段を登り、周りよりも高くなっている。
DJの位置から近い位置に設けられており、それをフロアの客が囲むような形状になっており、vip席はとにかく目立つ。
この席は、この特別感と承認欲求を買っているのだ。
席は丸いテーブルを並べた周りを、ソファーや丸椅子が囲んでいる。
5人くらいは座れるだろうか?
団体客からあぶれた席というだけあって、小さめだ。
席に座り、スタッフが一礼して戻っていく。
スタッフを見送って、その姿がフロアで踊る客の中に消えたことを確認して、ハルはひょっこりと席を立ちあがって首を伸ばす。
周囲の確認。
vipエリアの隅から見渡しただけでも分かる。
vipエリアに座っている客の質が良くない。
ガラの悪い連中が、タバコや葉巻を吹かしながら女に囲まれ、酒を煽っている。
タバコの匂いは酷いもので、ここに来たばっかりだと言うのに、服にも髪にも匂いが移ってしまいそうだ。
これではカクテルの香りも楽しめない。
足元も、酒をたくさん零しているのかベタベタしている。
これは、さっさと仕事をした方が良さそうだ。
ハルがジェスチャーで、自分が行ってくるとセツナに伝える。
了解とジェスチャーで答えて、セツナはvipエリアの入り口に立つことにする。
移動中に周囲を確認していたが、フロアにも良くないのが紛れている、それを彼が担当する。
ハルはカクテルを片手に、お行儀の良くない方々のテーブルへと向かう。
半透明なサングラスを掛けた男が、ソファにドカッと座り、両手で女性を抱き寄せながら自分の武勇伝を語っている。
「オレから言わせれば、エージェントなんて大したことないね。
所詮は秩序の犬、飼い主とのリードが切れると何もできやしない。」
ワンワン! そう言って、エージェントの陰口をたたいている。
「もう、そんなこと言ってたら、逮捕されちゃうよ。」
男を囲う女性がそんなこと言っている。
お酒をグラスに注ぎ、男に渡す。
「構うかってんだ。むしろ望むところよ。」
酒を受け取った男は、気を大きくして大言壮語を吐き、酒を一息で飲み干した。
アルコールを含んだ溜め息を吐き出し、武勇伝を続ける。
「ヤツ等、バカでドジでマヌケで、大腸菌がしゃっくりしているような連中だ。
アイツらのマヌケ顔ときたら、ざまぁ無かったぜ。」
そう言って、女性に肩を回し抱き寄せた。
ハルが、その男のテーブル席にスルリと座る。
「面白そうな話しね。私にも聞かせてくれない?」
ソファに腰かける男の向かい側、通路側の丸椅子に座り、ニコニコと愛嬌を振りまく。
しかし、男の方はタバコを取り出し、ハルに興味が無さそうだ。
「なんだァ? ここはガキや聖職者が来るところじゃねぇぞ。」
タバコを咥え、火を点けてもらう。
「とっとと迷子は帰って、ミルクでも飲んでな!」
言い捨てて、煙をハルに吹きかけた。
ハルは依然としてニコニコしたままだ。
持ってきたカクテルをゆっくりと傾けて、全部を飲み干す。
ウイスキーと同じくらい度数の高いブランデーを使ったというだけあって、アルコールがキツイ。
カカオと生クリームのおかげで飲みやすくなっているが、これは確かに女性が飲むには危険だ。
「――にひひ。」
グラスをテーブルに静かに置く。
同時に、彼女の横にCCCのホログラム手帳が表示された。
男はサングラスをずらし、手帳を見て、顔色が変わる。
「テメェ!?」
机に肘をつき、頭を乗せる。
「ええ。バカでドジでマヌケで、大腸菌がしゃっくりしてるエージェントです♪」
机の上に置かれている、新しい灰皿を手に取り男の顔に投げつける。
灰皿は鼻っ柱に当たった。
男を囲んでいた女性たちが悲鳴を上げる。
(はじまった、はじまった。)
セツナは、それを遠巻きに見ている。
トイレから帰ってきたのか、vipエリアに戻ろうとしているチンピラ2人組が彼の前を通った。
チンピラ1人の襟首をつかんで引き倒す。
残ったもう1人が拳を振り上げたところに、カクテルをかける。
顔から胸にかけて、カクテルがかかってチンピラは怯む。
チンピラの胸に靴底を押し付ける。
ベタベタした床から左足を浮かせ、電気が霹靂と走る。
フロアに、ミラーボールでもムービングライトでもない光が瞬いて発火した。
(よし、容疑者は確保。)
ホールに流れる音楽が変わる。
ヒップホップからEDMに変わって、電子楽器を多用したアップテンポな調子に変わった。
襟元を掴んで引き倒した男が立ち上がったのを素早く蹴り飛ばして、再度寝かしつける。
蹴り飛ばし、片足を上げた状態のまま、通りかかった女性スタッフにグラスを返却する。
騒ぎを聞きつけたチンピラや野次馬が、彼を取り囲んだ。
◆
騒動の引き金となったハルも、ガラの悪い連中どもと乱闘になっていた。
ハルの背中側の席に座っていた、怖いお兄さんたちが彼女に襲い掛かる。
自分の座っていた丸椅子を持ち上げて、怖いお兄さんの側頭部に叩き込む。
丸椅子は砕けて床に転がって破片が散乱し、お兄さんは床に転がって赤いエフェクトが散乱した。
灰皿をぶつけた男が状況を飲み込み、ソファから立ち上がろうとする。
丸机を蹴っ飛ばし、男にぶつけてソファー座らせた。
グラスやボトルが床に転がり、割れて散らばる。
帽子を後ろ向きに被ったお兄さんが、背中から殴り掛かってきた。
懐に潜り込み、胸倉と腕を掴み、背負い投げ。
色々と散乱している床に背中から叩きつけた。
徒党を組む男ども相手に暴れ回るじゃじゃ馬が、背後から羽交い絞めにされる。
両腕を封じられ、身動きも取れなくなった。
それを良いことに、正面からバタフライナイフを取り出して暴漢が切りかかる。
――間合いを計って、タイミングを合わせて、両足で踏み切る。
ふわりと、羽交い絞めしている悪漢を支えにして、両脚で暴漢を蹴り飛ばす。
両脚を揃え、脚を伸ばし、変則ドロップキックは命中する。
‥‥男の急所に。
「マ゜ッ!!」
クラブの薄暗い中でその表情は分からない。
が、たいそう辛そうな声を上げて薄暗い床に消えていった。
羽交い絞めしている男が、あまりにも残酷な光景に身体が強張ってしまう。
下腹部に、鈍い幻痛が走った。
ハルは両脚で着地。
手のひらを開いて――、思いっきり強く握る!
「アッー!」
後を追ってもう一人、薄暗い床に消えた。
床に沈んだ仲間を見て、怖いお兄さんたちの勢いが止まる。
ハルから距離を取り、遠巻きに囲んでいる。
「――にひひ。」
人は、痛みを知らなければ、残酷になれる。
悪い笑顔。そして確信犯。
小悪魔ではなく、正真正銘の悪魔の笑みで床を蹴った。
蹴り出し、手頃な男に狙いをつけて、脚を振り上げてキックの姿勢。
手頃な男は、咄嗟に急所をガードした。
それを確認して、跳躍。
後ろ蹴り、兄譲りの後ろ蹴りが炸裂。
空中で身体を捻りつつ、手頃な男の側頭部を撃ち抜いた。
じゃじゃ馬の足癖は止まらない。
また1人、お兄さんに近づいて、キックをチラつかせる。
下か? 上か?
フェイントで翻弄して手玉に取る。
ルーレットの答えは――?
「膝!」
膝を横蹴り、態勢を崩す。
膝をついたお兄さんの顎に膝蹴りをして床に静めた。
後ろに人の気配。
気配に対して回し蹴り。
床を蹴って宙に浮きつつ、身を翻して側頭部を狙う。
蹴りは命中し、しかし振り抜かれること無く止まってしまう。
蹴りを浴びせたのは、身長2メートルはあろう巨漢だった。
巨漢が、ハルの回し蹴りをフィジカルの強さだけで受け止めていた。
ハルの脚を掴み、片手で放り投げる。
野球ボールでも投げるかのように、ハルの身体は抵抗もできずに吹っ飛んだ。
宙に放り投げられた身体は、テーブルの上のグラスや酒を身体で払いのけて、ソファの背もたれにぶつかる。
背中に、ボトルの硬い感触が伝わる。
後ろに右手を回してボトルを回収、首の部分を持つ。
ソファに寝そべるハルに向かって、テーブルが投げられる。
放物線を描いて飛んでくるテーブルを、寝そべった体勢のまま、後ろのソファに転がり込んで避ける。
背もたれに手を回して、背もたれ同士をくっつけてて並べている後ろのソファに逃げ込んだ。
間一髪で、飛んで来たテーブルの直撃を回避する。
しかし、ハルの守勢は続く。
逃げ込んだ先のソファに仰向けに寝そべる彼女に、ナイフが振り下ろされる。
背後から奇襲をしようとしていた暴漢の前に逃げ込んでしまったのだ。
振り下ろされる凶器を左手で払う。
払いつつ、右手のボトルで反撃。
ボトルは、まだ半分ほど中身が残っていた。
中に残ったお酒が遠心力を溜め込んで、ボトルの威力を高める。
ナイフの暴漢にボトルが命中し、鉄琴のような音が響き、ボトルを握る手にボトルと酒が震える振動が伝わる。
ボトルは割れていない。
ハルは知らないが、このお酒は「セントラルブルー」と呼ばれる架空のお酒。
ボトルは防弾仕様。
ボトルで殴った暴漢の腕を掴み、ソファに引き込み押し倒す。
男に馬乗りになって、お酒をラッパ飲み。ちょっと一服。
セントラルブルーは、セントラルで採れた青リンゴを原料に醸造されたブランデー。
ボトルの中にも、カットされたリンゴが入っており、お酒の度数に負けないくらい甘い。
ひと口煽って、近くのテーブルにボトルをキープ。
隙を見せるハルに反撃しようとした男に対して、テーブルから灰皿を取って男の顔を殴打。
3発ほど殴打して、ノックアウト。
ボディチェック、男の服を物色する。
上着とズボンのポケットを、遠慮も無く上からベタベタと触る。
そうこうしているうちに、ハルを投げ飛ばした巨漢が、彼女の座るソファを担ぎ上げた。
ハルとノックアウトされた男の2人が乗っているソファを、巨漢は軽々と、子どもを高い高いするかのように持ち上げる。
ソファから脱出。意識を失った男は、ぐらりと力無くソファから落ちた。
テーブルに着地して、キープしていたボトルを回収。
ソファの大上段攻撃を、後ろに飛んで回避。
テーブルにソファが叩きつけられて、両方とも粉々になった。
巨漢は鼻息を荒く、両腕を振るいながらドシドシと近づく。
ハルはそれを尻目に、左手を腰に当て、ボトルの中を一気に飲み始める。
――現代日本において、飲酒は18歳になる年度から。
18歳になり、お酒を飲める年齢になったハルは、母親に似て酒豪であった。
ウイスキーやブランデーなど、往年の酒好きでも好みが別れるお酒を、ソフトジュース感覚で喉を通していく。
驚くべきは、それで酒焼けを起こさない、強靭な喉であろう。
キツいアルコールの刺激と、リンゴの高い糖度が目立つ甘酸っぱさを堪能しつつ、ほっぺたいっぱいにブランデーを貯め込む。
左手に隠していた道具を使う。
ライター、さっきノックアウトした男から失敬しておいた。
ライターを顔の前に置いて火をつける。
鼻から息を吸い込んで――、口に含んだお酒を吐き出した。
度数の高いお酒は、ライターの火に触れるとたちまち炎上する。
セントラルブルーは、発火すると鮮やかな青い炎を上げる特徴がある。
そのため、飲んで楽しむ以外にも、カクテルを作る際のパフォーマンスにも使用されるという設定がある。
霧状に散布された酒は青い炎となって、巨漢の顔に命中した。
リンゴを齧って育った炎の蛇が、青い街に蔓延る悪党を消毒する。
巨漢は髪と服が炎上。火だるまになり、火を消そうと腕で火を払っている。
火の粉が振りかかったり、着衣炎上が起こると、人は反射的に腕を使おうとする。
これは訓練された人間でも、状況によっては反射的に行ってしまうほど、反射の中でも特に強烈な反応だ。
軍人や警察は、暴徒の火炎瓶対策として、実際に炎に巻かれる訓練を受けるのだが、心身ともに屈強な者であっても、最初のうちは炎の恐怖に身体がすくんでしまう。
そんな反射と恐怖を、ただのチンピラが耐えられる訳がない。
燃やす人間は、自分が燃やされることを考えていない。
マジックワイヤーを射出。
巨漢の胸を捕まえて、全身を使って引っ張る。
巨漢は、これに対してハルに抱きつこうとする。
男の行動は滅裂だが、これもまた人間の反射。
火だるまになった人間は、水に溺れている人間と同じく、他者に抱きつこうする反射を起こす。
そのため、炎上している人間の火を消す時は、炎上者の背後から消火処置をすることが好ましい。
ハルは、あえて巨漢の前に立ったまま居ることで、この反射を利用する。
抱きつこうと近寄って来るのであれば、自分の膂力でも巨漢をコントロールできる。
魔法のワイヤーをリードの代わりにして、巨漢を引っ張って走らせる。
数メートルほど連れ立って、まだ乱闘の被害に遭っていないテーブルの前に到着。
ここが目的地。
ワイヤーを引っ張る手に、力を込める。
左手でワイヤーを握り、右肘でワイヤーを引っ張って張力を強める。
その力で、巨漢の頭をテーブルに置かれたアイスペールの中へ、氷を入れている容器の中に突っ込ませた。
鈍い金属の音と、氷がジャラジャラと擦れる音がして、燃えていた炎が静かになる。
膝裏を蹴る。
アイスペールに頭を突っ込んだ巨漢の膝裏を蹴って、両膝立ちにさせる。
右手のボトルで、アイスペールを叩いて攻撃。
肉体的なダメージは期待していない、狙いはもっと別のところ。
防弾仕様のボトルは、ガンガン振り回して、バンバン叩きつけても傷ひとつ付かない。
アイスペールを打鍵し、金属音を奏でて容器を凹ませていく。
アイスペールの中では、殴打の衝撃が空気を震わせ、逃げ場の無い衝撃音が巨漢の三半規管にダメージを与える。
鼓膜をつんざくノイズが、バランス感覚を容赦なく奪っていく。
力無く、フラフラと巨漢の胴体が揺れ始める。
身体を捻り、勢いをつける。
足元を魔法の炎が覆う。
スキル発動、「ブレイズキック」。
腕の遠心力を使い、跳躍し、後ろ蹴り!
炎を纏ったキックはアイスペールを凹ませ、巨漢の後頭部を穿つ。
テーブルに勢いよくぶつかって、アイスペールを凹ませ、テーブルを砕いて巨漢は眠りについた。
――残身。周囲の確認。
‥‥戦闘終了。
チンピラどもは、臆病風に吹かれて、散り散りに逃げて行った。
右手にボトルの中身を、全部お腹にしまって、無事なテーブルの上に返した。
「ごちそうさま。」
そう言って、床に寝っ転がっている男どもを跨いで行く。
彼女の足は、vipエリアの隅っこへと向かう。
にひひと、満天の笑顔で、vip席の隅でビクビク怯えているチンピラさんの元へと向かう。
可哀そうに、腰を抜かして逃げるに逃げられないらしい。
「よいしょっと。」
「ひぃぃ!?」
にんまりスマイルで、丸椅子に腰かける。
テーブルの上にあったボトルを手に持ち、チンピラさんの前にあるグラスに注いだ。
自分は自分で、飲み残しのお酒を一気に飲み干す。
一気に飲み干し、勢いよくグラスを下ろし、静かにテーブルに戻した。
肘をテーブルについて、頭の乗せて、人好きする笑顔。
人に可愛がられて育った犬にも負けない、見る者を幸せにする笑顔。
「こんにちはチンピラさん。私と、お話ししましょうか?」
フロアに流れるミュージックが変わる。
ややゆったりとしたR&Bが流れる。
ヒートアップをチルするには丁度いい。
チンピラさんは、肩をビクビクさせながら、首を縦にブンブン振った。
拒否権は無い。
不幸にも、人を幸せにする笑顔の毒牙に掛かってしまったのだ。




