SS6.5_遥かなハル。
「せんぱ~い。わたし~、手伝って欲しいサブミッションがあって~。」
「‥‥‥‥。」
「その報酬が、メルヘンベアの巨大ぬいぐるみなんですよ~。
クマさんに抱っこされる感覚を味わえる、女の子に人気な限定品なんですよ~。」
「‥‥‥‥。」
わざとらしい、実にわざとらしい猫なで声。
ハルがハンドルを握る車は、セツナを乗せて青い街を走る。
教会の新人とは、セツナの妹、ハルのことだったのだ。
金髪碧眼のアバター。
戦闘修道服という、修道服と軍服の意匠を組み合わせた服装。
紺色のベレー帽に、二の腕が隠れる長さのケープ。
両方にスリットの入った紺色の修道服から、ショートパンツと透け感の無いストッキングが覗いている。
足元はロングブーツを履いており、修道服の清楚さと軍服の洗練されつつも野暮ったい印象が同居した装。
少女の面影が残るアバターとプレイヤー自身が放つ雰囲気は、修道服の要素によって女性の可憐さや可愛らしさを強調し、軍服の要素が可愛らしさと相反する力強さを与え、そのアンバランスな均衡が戦闘修道服に身を包む物の魅力を惹きだしている。
服装のファッションは、目で分かる自己表現だ。
ハルの内面を良く知るセツナからすると、なるほど戦闘修道服は彼女のイメージにピッタリだ。
「あっ! 先輩みてください! 地元猫のチーター!」
「‥‥その服、良く似合っているよ。」
「え? ほんと!」
「ほんとほんと。一目で分かる可愛さ、‥‥一目で分かるヤバさ。」
「どういう意味よ! それ!」
車は、赤信号を前にブレーキを踏む。
慣性で、着用しているシートベルトが前に引っ張られた。
どういう意味かと聞かれたら、それ見たことか、そういう意味だと心底思うのである。
「さぁね?」
とぼけるセツナに、ハルは鼻を鳴らす。
ハル、久遠 遥花。
才能と時間を持て余す才媛。
彼女は小さい頃から飛び級に飛び級を繰り返し、一般人が学業にあてる時間の多くを、他のことに費やしてきた。
飛び級を繰り返したこともあり、同年代の友人が少なく、セツナとその同級生たちに混ざって遊ぶことが多かった。
そのためか、彼女はいわゆるお転婆に育った。
‥‥いや、物心ついた頃からセツナは振り回されていた気がするのだが、男子に混ざって遊ぶにつれてお転婆に拍車が掛かった。
年上にチヤホヤされつつ、甘やかされつつ育ったので、甘え上手でもある。
自分がして欲しいことは素直にお願いするし、お願いを聞いてくれれば素直に大喜びする。
セツナは思う。
ハルは確かに学力に秀でるが、最大の長所はこの世渡りに長けているところだと。
自分が何をされれば喜ぶか知っているからこそ、人が何をされれば喜ぶかも心得ている。
明晰な頭脳と、それに負けず劣らずの旺盛な好奇心と行動力。
そのことを、ボーダーコリー (牧羊犬、世界一賢い犬)みたいだと言ったら、セツナはファーストペンギンみたいだと返ってきた。
ファーストペンギンが、褒めているのか、皮肉なのか、真意はハルのみぞ知る。
「それはさておき、青石教会に所属してるんだ?」
「うん。」
「なんで?」
「制服が可愛い。」
「良く分かった。」
プレイヤーは所属やバックボーンをキャラ設定として選ぶことができ、ハルは青石教会で修道経験のあるエージェントという設定らしい。
青石教会のシスターでありながらエージェントとしての任務にも当たる。
何やら、政治の色が見え隠れするバックボーンだ。
そんなハルは、兄を慣れた手つきで車に連れ込んで、上機嫌な様子。
セツナの驚いた顔を思い出しつつ、イタズラの成功を喜び、ドライブ中の会話に興じている。
赤信号で止まった車の上に、地元猫のチーターが乗っかる。
ハルが今年度、ダイバーライセンスを取得できる年齢 (18歳)だという事は知っている。
ダイバーライセンスを取得したという話しも本人から聞いた。
だけども、このような形でダイバーとして対面することになるとは、思いもしなかった。
‥‥とか考えつつ、ホントは心の隅でちょっぴり、こんな展開を期待していた自分も居たりする。
まさか、M&Cとか言うマイナータイトルでこうなるとは思いもしなかったが。
男女比9:1のタイトルは、伊達では無いのだ。
セツナが窓を開ける。
握り拳をチーターの方に出す。
チーターは拳に鼻を近づけたあと、スリスリとセツナの手に頭を擦りつける。
地元猫というだけあって、人馴れしているようだ。
手の感触を頼りに、チーターの喉を撫でる。
体毛の感触は、毛が短いがやっぱり猫のそれだ。
イヌのようなゴワゴワした感じではなく、ふわふわサラサラと滑らか。
手の平に、幸せな感触が広がる。
チーターの方も、目を細めて気持ちよさそうだ。
ゴロゴロと喉を鳴らしている振動が手に伝わってくる。
信号が青になり、車はチーターを乗せたまま走り出す。
ハルが、窓の外に手を出しているセツナを、アクセルを踏む前にチラリと見た。
「ねぇねぇ、せっかく妹が遊びに来たのに、もっと喜んだり質問してくれたりしても良いんじゃない?」
「後輩になったり妹になったり、忙しいね?」
「ここでの私は、妹で後輩なんですぅ。」
チーターを撫でながら、会話を続ける。
旅の道連れは、本格的にくつろぎ始めたようで、前足が窓の上からちょこんと垂れてきている。
思わず、肉球を触りたい欲求に駆られるが、ガマンする。
ネコは、足を触られるのを嫌う性分のものが多い。
脚が仕事道具のチーターとなれば、その性質も人一倍、猫一倍だ。
「いつからM&Cを始めたの?」
「じつは発売日から。」
2人とも、だいたい1か月前から同じ世界を冒険していたことが判明した。
「なら言ってくれれば良かったのに。」
「勝手が分からないのに、付き合わせちゃ悪いじゃん?」
‥‥そんな風に気を使えるのであれば、兄を誘拐するのを控えて欲しい。
喉まで出かかって、飲み込んだ。
誘われれば普通に一緒に行くのだ。
でも、そういうんじゃないのであろう。
車の上でくつろぐチーターが、セツナのナデナデが止まっていると、手を舐めて催促する。
「付き合わせちゃ悪いとかって、そんな気にしないよ。
最初はみんな初心者で、新米なんだから。」
これは彼の本心。
かつて、自分がシューティングゲームの攻略サイトで、初心者指南のページに書かれていた文章を思い出す。
-初心者だからって尻込みするな。最初はみんな新兵だったんだから。-
たかがゲーム、されどゲームだ。
名文や名セリフには、分野を超える含意がある。
名も無き兵士が残した言葉は、セツナの価値観に確かに影響を与えている。
セツナの言葉に、ハルはニコリと眼を細めて、だけども不敵に口で笑う。
「そういうんじゃないの。」
兄さんとは、横に並んでこの世界を楽しみたいのだ。
ディスプレイの前で、コントローラー両手に2人で居る時のように。
車のフロントガラスに、チーターの尻尾が垂れてくる。
運転席の視界の上で、尻尾の先っぽが、ピロピロと波打っている。
「ふぅん、そうなんだ。」
何となく、機微を察したセツナは相槌を打つ。
「しっかし‥‥、せっかくハードVRを遊ぶなら、こんな場末のタイトルを選ばなくても――。
もっとキラキラしたタイトルがあったでしょ?」
「これが良かったの。」
「これが――良い? ふぅん。」
ハードVRを遊ぶには、電脳野の取得が求められる。
電脳野の取得には、座学だけでなく軍事訓練を受けることが求められる。
もうこの時点で、すでにハードVRというゲームジャンルはニッチな界隈だ。
車のライセンスのような普及率は無く、旧時代の猟銃免許のような立ち位置だ。
そんなニッチな業界でも商業作品が売り出されるのは、ひとえにAI技術の進歩の賜物。
日本社会に労働の義務も必要も無く、人は余剰した資源と時間を使い、サービスを創造し流通させる。
現代の労働とは、言わばアイデンティティの主張だ。
社会的な動物であるヒトの性。
自由で、幸福で、閉塞的な社会において、人類よりも優れたAIが社会を管理する社会において、自分という人間の存在と価値を表現する場所。
それが、現代のビジネスシーンだ。
日本人は、生まれつきAIとロボットとの競争に晒され、劣等感を植え付けられながら育っていく。
彼らは人間よりも人間らしく、そして人間よりも理性的だ。
我が身の保身もしなければ、自己犠牲もいとわない。
自分のポストにふさわしい人間が現れれば、喜んでその場を明け渡す。
AIは、社会を漂白した。
その事実は、如何に人間が愚かで無能であるのかということを、現代人に残酷なまでに突きつける。
「電脳酔いは大丈夫?」
「最初はけっこうキツかったけど、もう大丈夫。」
電脳野の扱いは、車の運転と同じだ。
慣れないうちは少しの使用で疲れて、車酔いに似た症状が現れる。
しかし、慣れれば電脳野を無意識に使えるようになり、よほど電脳野を酷使しなければ電脳酔いを克服できる。
よほどの酷使とは、例えば夢の跡地への遠征任務をぶっ通しでやるとかを指す。
そういう事をしなければ、普通に常識的な範囲で遊ぶ範囲で電脳酔いは起こらなくなる。
「私がこのゲーム良いなって思ったのは、電脳酔いしてても遊べるコンテンツがあること。
この街のゲーセンには行ってみた?」
「行った行った。」
「スゴくない? どこのゲーセンも、レトロゲームのコーナーが充実してるんだよ!」
「それは思った。」
古い格闘ゲームのタイトルが、この街のゲームセンターには必ずと言っていいほど置いてある。
ハルは、電脳酔いになったら、そこで格闘ゲームを遊んで酔いが収まるのを待っていたらしい。
電脳野への負荷は、戦闘時に最も高くなる。
それを考慮して、M&Cのミッションは1日1ミッションを遊ぶことを想定してデザインがされている。
ミッションの長さにもよるが、少なくともメインミッションはその想定が徹底されている。
ちなみに、夢の跡地への遠征は、全4ミッション構成だった。
出発から前線基地到着まで、夢の跡地到着から吸血鬼の撃破まで、白衣ボルトマンの回想からCE撃破まで、ICEとの戦闘から赤龍討伐まで。この4ミッション構成。
それをぶっ通しで遊べは、脳への負荷は400%。
車の運転に慣れたドライバーが、1日で16時間に及んでハンドルを握るようなもので、ベテラン勢であってもしんどい旅程であった。
セツナはダイバー3年目だが、ハルはダイバー1年目の初心者マーク。
くれぐれも、こんな悪い遊び方はして欲しくないものである。
阿呆な武勇伝は、男の子の特権だ。
「ハルは、クラスは何にしたの?」
「私はガンスリンガー。」
「ガンスリンガー‥‥、良く分からんのきたな。」
「今作から登場の新クラスだもんね。」
ガンスリンガーは、今作から登場した新クラス。
様々な銃火器を扱う、火器のスペシャリスト。
M&Cのパッケージを飾っているクラスのひとつでもある。
「ガンスリって、どんなクラス?」
「う~ん‥‥。撃って蹴って暴れ回るクラス!」
「どゆこと?」
ガンスリンガーは、今作から登場した新クラス。
様々な銃火器を扱う、火器のスペシャリスト。
‥‥というクラスコンセプトなのだが、この世界はM&C。
メイジが前線でゴリゴリ殴り合うような世界である。
ガンスリンガーも、その法則にバッチリと則っており、バッチリと近接クラスに分類されている。
ゼッタイに、引き撃ちなんてさせないという、創造神の強い意向をヒシヒシと感じる。
アクションの華は近接戦闘。
そう言いたげな調整は、過去作から随所に見られる。
「どんなクラスかは、今日のお楽しみ♪」
「なるほどね。」
車が再び信号待ちとなる。
「兄さんは、魔導拳士なんでしょ?」
「そうだけど‥‥、なんで知ってるの?」
「マル君から色々と教えてもらったの。」
セツナは、前作も遊んでいる。
ハルは戦いのセオリーを学ぶため、こっそりセツナのサポットであるマルに色々と聞いて、情報を集めていたのだ。
如何せんマイナーなタイトル。
集合知が知り得ない、オリジナルの戦法や攻略が存在しており、ハルは攻略の手探り感を強く感じている。
ハルが、ニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべる。
車のアクセルを踏む。
「――残念な方の銀色スキル。」
「うぐッ!?」
「――元カノとの思い出のパッシブ。」
「ぐふッ!?」
前作でお気に入りだったセツナのスキルをネタにして、イタズラを仕掛ける。
さすがマル君、良い情報を教えてくれる。
「――5弱クラス。」
「あぁ‥‥、それは無い。」
「そうなの?」
「前作でもそれ言ってる人いたけど、オレは違うと思ってる。」
「なんで?」
「前作では、メイジが魔導拳士のぶっちゃけ上位互換だったから、それメイジで良くねっていう風潮があったんだよね。」
「ああ、その印象が強くて5弱認定されていたのね?」
「そゆこと。メイジの影に隠れがちってだけで、ポテンシャルは普通に中位帯くらいはあったよ。」
「なるほどね~。こういうクラスとかの評価って、難しいよね~。」
「多分だけど、一生正確な評価基準とかでない気がする。」
「評価って環境を基準に考えるからね。それで、その環境って相対的なものだし。
プレイヤーの研究や攻略っていう要素がある限り、環境は動き続けるから。」
「ちなみにだけど、ガンスリはどれくらいの位置に居ると思う?」
「まだ研究中。」
「そっか。」
「でも、すっごく楽しい。」
「それが一番大事。」
兄妹の、何気ないゲーム談議。
小さい頃から、ずっと何も変わらないゲーム談議。
それが、ハードVRの世界でも変わらずできていることに、時の流れを感じる。
もう、2人とも成人したのだ。
それでも、2人の関係性は幼少より変わらない。
昔から変わらず、中の良い兄妹。
それは多分、きっとこれからも。
‥‥‥‥。
‥‥。
車が目的地に到着した。
チーターがルーフから下りて、セツナの脚にヒゲを擦りつける。
その後、ハルに耳元のマッサージしてもらってから、風の吹くまま気の向くままどこかへ行ってしまった。
雑談に夢中で、目的地の何も聞いていなかった。
目前の建物を見上げる。
「それじゃあ行こっか? お兄ちゃん先輩?」
階段を数段昇って、建物に入る。
この建物は、クラブの営業をしている建物。
All mixなミュージックをBGMに、ダンスとお酒と――、出会いを楽しむための社交場。
熱狂と熱中のトリップの中へと、2人は足を踏み入れる。
犯罪で稼いだ金は、娯楽へと流れる。




