SS6.2_トライアル。
日本軍の駐屯地、通称「民演」と呼ばれるこの施設は、民間人向けの訓練をするための施設。
民間人向けだが、軍の施設であるため、ちゃんと訓練を受けた軍人が立哨などの警戒任務にあたっている。
配属される軍人は、前線を退いた経験豊富なベテランであったり、軍を一度退役した老兵であったりと、全体の年齢は高め。
ここは、老いてなおも国のために社会貢献をしてくれる勇士たちの、セカンドキャリアを担う場所でもある。
一般的な防災訓練や、ハザードトレーニングは、彼らが担当する。
しかし、自衛団に属する者の訓練には、現役の軍人が講師を務める。
最高クラスの訓練ともなれば、講師も相応の実力者が担当する。
◆
――11月8日 10:00、トライアル開始。
トライアル最初の講習は、体力テスト。
刹那を含めた参加者6名は、駐屯地の敷地内にある屋内プールに集まっていた。
参加者同士の挨拶や、講師との挨拶もほどほどに、さっそく訓練が始まる。
体力テスト第1種目、着衣水泳。
国難とは、なにも人災だけに限らない。
日本とは古くから自然災害の多い国だ。
現代では技術の進歩により、昔よりも人的物的を問わず被害は少なくなっている。
しかし、だからこそ忘れてはならない。
自然とは、とても恐ろしいということを。
水も、火も、風も、大地も、人ひとりの命を奪うなんて造作も無いのだ。
運動着を着たまま、6人はプールに飛び込んだ。
全員、背中には小銃――、アサルトライフルを背負っている。
弾は、当然装填済み。
ライフルの重さは、弾込みで約4kg。
それを背負ったまま、着衣で50メートルを泳ぐ。
人体とは通常、水に浮くようにできている。
身体の表面積と肺の空気が生み出す浮力と、自分の体重がだいたい釣り合うようになっている。
が、今回の訓練ではその限りでは無い。
水を吸った服と小銃の重みで、身体は水に沈む。
また、受講者は筋肉質な人間が多いので、身体の比重が一般人よりも高いため、なおのこと身体は水に沈む。
そのような状況で50メートルを泳ぐのは、相当に厳しい。
普段から日常的に水泳をしている者ならばまだしも、刹那にとっては相当な負荷のかかるテストだ。
体力消費の少ない平泳ぎで手足を漕いでいるのだが‥‥、全然前に進まない。
服と小銃が水の抵抗を大きくし、全然前に進めない。
タイヤをロープで手足に巻いて走っているような気分だ。
手を漕げば、身体が水の上に出て、水の抵抗が身体を押し戻すように押し寄せて、身体が服と小銃に下へ引っ張られて、プールの中に沈んでいく。
たちまち心拍数が上がり、息が上がり、大切な浮力の源である空気が肺の中から減っていく。
身体は余計に沈むようになる。
――何とか50メートルを泳ぎ切った。
まだ、種目は終わらない。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、プールから上がる。
水を吸った服のせいで、身体が重い。
慣れない運動をしたせいで、すでに筋肉に倦怠感が溜まっている。
倦怠感の重りを背負いながら、次は腕立て伏せ。
脇を閉め、腕を胴体につけた状態で、顎を床につける。
筋力トレーニングというよりは、体幹を鍛えるトレーニング。
腕を固定し、体幹の動きだけで身体を上下させる。
体幹は固めるものでは無く、緩めるもの。
そのため、本種目では反動を使っても良いとされている。
訓練には日本武術を意識した方法論が取り入れられており、より少ない力で大きな運動を生み出すという思想が随所に現れている。
この体力テストは、その最たるものだ。
バカ正直に筋肉を使っていたのでは、身体が持たない。
楽を出来るところはしっかり楽をして体力を温存する。
そうしないと、水泳の時点で溺れてしまうだろう。
テストを乗り切るためには、体幹を柔軟に使う柔よくと、単純な筋力による剛よくのどちらも求められる。
腕立て伏せを30回。
水を吸った服のせいでいつもよりも重い! 辛い!
それが終わったらスクワット30回。
立て続けの運動で、小銃のたった4kgの重りが、40kgのように感じられる。
脚の筋肉は、腕の筋肉よりも遥かに強靭だ。
なにせ人間の体重を支えているのだから、60kgや80kgの挙上なんて訳ない。
それでも――、それでも、今の状況では小銃の4kgさえ億劫だ。
スクワットが終わり、次は懸垂10回。
目の前の鉄棒にぶら下がって、体幹の反動を使いつつ、顎を鉄棒まで持ち上げてつける。
何とか、気合で10回通しで終わらせた。
‥‥さあ、これを後もう1セット。
(地獄。)
苦しいと、そう感じれるうちはまだ余力がある証拠。
ワンモアセット! 長さ25メートルのプールに飛び込む。
刹那の順位は、ビリ。
トップは、もう25メートルを折り返している。
参加者のレベルを高さを感じつつ、先ほどよりも巡航速度の落ちた身体でバタバタと泳ぐ刹那であった。
◆
「はい! 頑張れ! やれるやれる!」
「いいぞ! いいぞ! もう1回、もう1回いこう!」
「――だぁ‥‥、おりゃあ!!」
今、刹那が10回目の懸垂を終えた。
体力テスト、第1種、終了。
「OK! OK! ナイスラン!」
「よく最後まで走った!」
結局、刹那はビリでゴールした。
最後は、ブービー賞の人と一緒に、ゴールした参加者の声援を受けながら懸垂をしていた。
無事、懸垂まで終えて第1種目を乗り切る。
他の受講者たちとハイタッチをして、応援してくれた事と、互いの健闘を称える。
このテストで1位になったのは、浅黒い肌に笑顔が眩しい、ガタイの良い兄ちゃんだった。
彼は途中、うっかり腕立て伏せの回数を忘れてしまって、余計にもう1セット行ったのだが、それでも1位だった。
フィジカルモンスター。
2位になったのは、なんとお爺ちゃん。
60歳くらいの男性が、兄ちゃんに遅れること10秒ほどでゴールした。
お爺ちゃんは、1位になれなくて悔しそうだった。
若い頃は素潜り漁で鍛えていたらしく、ここだけは1番になれる自信があったらしい。
兄ちゃんとお爺ちゃんは、若い力と先達の力を互いに認め、ゴールしてから固い握手を交わしていた。
一方、ビリの刹那とブービーだった青年はというと。
「「マジか‥‥。」」
座り込んで項垂れていた。
この2人は、本トライアルの年少コンビ。
刹那が最年少、次いで青年が年少だ。
人以上に鍛えていたつもりだったが、やはり上には上がいる。
在野の鉄人たちに、2人でビビり散らかしていた。
彼らのタイムも、決して悪いタイムでは無い。
むしろ、平均タイムよりも速い方だ。
だがしかし、上には上がいる。
◆
体力テスト、第2種目は1500m走。
小銃を両腕に持ったまま、脚と腕と心肺をイジメていく。
ここで見られるのは、銃のマズルコントロール。
走っている時でも、身体に疲労が溜まっている時でも、銃口がきちんと地面に向いて、まかり間違って人に向くことが無いように意識して1500mを走る。
肉体だけでなく、精神もすり減らす訓練だ。
これに関しては、刹那は問題なくクリアした。
ブービー青年も、問題なくクリアした。
1500m走と言っても、ランニング程度の速度。
それであれば充分について行けるし、刹那は電脳の世界で当たり前のように銃に触れている。
マズルコントロールは、もう無意識にできるレベルだ。
そのため、肉体的な負荷も精神的な負荷も、慣れによって大きく軽減されて無事に完走した。
‥‥着衣水泳を終えたまま屋外をランニングしているため、服が冷えて重く冷たいことに目を瞑れば。
事件も天災も、人の都合を待ってはくれない。
身体が濡れていたから、疲れていたからマズルコントロールが出来ませんでは困るのだ。
むしろ、有事の際に服の汚れを気にしているようでは、住民の命と財産を守れない。
ちなみに、明日は雨が降るそうだ。
ポツポツではなく、ザーザー降るそうだ。
もっとちなみに、明日の日程は、鬼教官によるワクワク☆射撃&格闘訓練だ。
もちろん、屋外で実施される。
‥‥泥んこで済めばまだ良い、血みどろにならなければ上出来だ。
体力テスト、第2種目1500m走、終了。
体力テスト、第3種目は障害物走。
屋外に用意された障害を越えつつ、随所にあるターゲットを小銃で撃ち抜きながら進んでいく。
第1種目、第2種目で散々に痛めつけた心身に、これまた集中力を要するテスト。
障害物走中も、もちろんマズルコントロールは意識しないといけないし、道中では適宜射撃も実施しなければならない。
息が上がっている中、素早く照準して引き金を引く。
心身を追い込んだ過酷な状況下での、精密性が求められる。
射撃とは、デリケートな所作だ。
肉体的、心理的なコンディションが、精度に大きな影響を与える。
この場では、如何なるバッドコンディションであっても、最低限の精度を出せることをチェックされる。
刹那とブービー青年は、ここでは2位と3位という高順位。
2人ともパルクールには覚えがあるようで、身軽な身のこなしで障害をクリアし、節約できた体力のおかげで射撃に集中できていた。
1位はやっぱり、笑顔が眩しい兄ちゃんだった。
パワー系な見た目にも関わらず、ガラス細工でも扱うような柔らかいタッチで銃を扱い、好タイムを叩き出した。
お爺ちゃんは、最近は的が見えにくくなってきているらしい。
銃の扱いはしっかりしているのだが、今までは見えていたモノが見えなくなってきているという恐怖心から、射撃には苦手意識があるようだ。
‥‥豪傑にも、寄る年波。
なお、射撃の記録は、刹那よりもお爺ちゃんの方が高かった。
体力テスト、第3種目障害走、終了。
体力テスト、全行程、終了。
◆
――11月8日 15:00、トライアル第2工程開始。
体力テストから休憩を挟んで、次は射撃のテストが始まる。
屋外の射撃場で、ホログラムターゲットを次々と撃ち抜いていく。
小銃とピストル、両方の射撃を行い、その速さと精度をチェックしていく。
参加者6人が横一列になって、各々が出現したターゲットを撃ち抜く。
在野では最高水準の集まりというだけあって、基本的な射撃は及第点を軽くクリア。
講師を務める3人の教官も、民間人のレベルの高さに関心していた。
「これ、俺らが新兵の頃よりも、みんな射撃上手いよな?」
などと、冗談を交えてほのぼのとした雰囲気だ。
一通り射撃が終わって、ここからは訓練を少しだけ脱線。
次は、個人の射撃を全員で見る運びとなった。
射撃の精度は、心理状態に大きく左右される。
注目を浴びている状態でも、平時通りの射撃が出来なければ実戦には耐えられない。
それに、人の訓練を見るのは勉強になる。
見取り稽古というヤツだ。
個人射撃において、群を抜いていたのは、ブービー青年だ。
彼は、自前のノーカスタムピストルで、50メートル先の標的を難なく撃ち抜いていた。
拳銃で50メートル先の的は、職業軍人であっても難しい。
仮に安定して射撃が可能な者であっても、光学サイトの搭載や、ブリップのヤスリ掛けを行い、銃の性能をより活かせるカスタムをするのが普通である。
しかし、この青年はそれの一切を行っていない。
ピストルを買って、箱から出した一丁で、50メートル先の標的をほぼ標準時間も無しに撃ち抜いていく。
これには教官陣も唸った。
自分たちでも、それは無理なのだ。
全員の拍手が起こった。
今までの雪辱を晴らせたのか、青年の顔に達成感が浮かぶ。
青年と刹那がグーでハイタッチをする。
「凄いですね。よく当てられるなぁ~。」
「今日は運も味方してくれてるかな? いつもよりもちゃんと当たってくれてる。」
そう会話をしていると、刹那の番になった。
「わぁ~‥‥、スゴイ人の後って、緊張するんですけど。」
「大丈夫、大丈夫。オレが的を温めといたから。」
「なら当たるかぁ~。」
冗談を言いつつ、前に出る。
すると――。
「あぁ、久遠さん。コレを使ってみてくれないかな?」
教官の1人が、拡声器を使って刹那に指示を出す。
銃を抜こうとする手を止めた彼の前に、レストランの配膳ロボットのような機械が自走してやって来る。
ロボットの上のタッパには、銃が置かれていた。
(リボルバー?)
手に取って、シリンダーを外に出して弾抜けの確認。
弾抜けヨシ。
シリンダーを閉じたところで、教官が拡声器のスイッチを入れる。
「君、早打ちが得意なんでしょ? それを見せてくれないかな?」
現代日本は管理社会。
彼の電脳世界での活動も、もちろん監視されている。
監視されていないのは、自分の家と、大人のお店と、特定の電脳領域だけだと思った方が良い。
そのことから、彼の電脳での戦闘データをある程度は教官も把握しており、だからこそ刹那にリボルバーを持たせたのだ。
分かりました。そう答えて、配膳ロボットが持ってきたベルトとホルスターを装備する。
自分のベルトはロボットに預けた。
リボルバーは、なんだか電脳世界で自分が使う物によく似ている。
手に持った感じ、銃の重心、引き金の重さ。
どこを取っても、なんだか初めましてな気がしない。
現実世界でもシューティングレンジで射撃の練習をしているが、その時に使っているリボルバーよりもしっくり来る。
ホルスターに銃をしまって、引き抜く。
ドローイングの確認。
ベルトはいつものよりも固い。新品だからだろう。
試しに2発ほど打って、射撃感を確かめる。
反動は、さすがにマイルドになっている。
持ち主に噛みついたり、蹴り飛ばしたりするじゃじゃ馬では無いようで、とっても素直。
弾を装填して、銃をホルスターに収める。
「準備OKです。」
「了解。」
しんとした静寂が流れて、静寂の中を秋風が小走りで駆けていく。
――射撃場に、電子音が響いた。
2個のターゲットが、距離10メートルほどの箇所に出現する。
ホルスターから銃を抜く。
抜くと同時にハンマーを起こす。
引き金を引き、1つのターゲットに弾を命中させる。
引き金を引いたまま、身体を残りのターゲットに向けて回転させる。
1つ目のターゲットを撃った時点で、2撃目の段取りは済んでいる。
どこにターゲットがあって、どれくらい動けば何処に当たるのか?
その段取りをなぞるだけで事は済む。
2撃目、引きっぱなしの引き金が、ハンマーが上がると同時に撃鉄を落とし、弾丸を吐き出した。
銃をホルスターに戻す、電子音が鳴る。
射撃して、銃をホルスターに戻す、電子音が鳴る。
「装填。終わり次第もう一度。」
「はい。」
ターゲットが3個になった状態で、ワンマガジン。
ターゲットの数がランダムになった状態で、ツーマガジン。
ターゲット数の変更の告知が無くとも、刹那はそれに瞬時に対応し、標的を撃ち抜く。
ラストセットの折には、標的が4つ⇒3つと出現した。
リボルバーの弾が足りない。
そこで、自分の横に居た配膳ロボットに預けたピストルを、左手で射撃。
ピストルのスライドを引いて撃ち抜いた。
行儀が悪いが、特にたしなめられることは無かった。
弾が切れても、敵は待ってくれない。
極論にはなるが、あくまでも銃とは手段であり、敵を倒せるのであれば、何だって良いのだ。
弾が当たって、無力化できれば、極論それで良い。
人命と財産が守れるのであれば、それで良い。
「はい、お疲れ様。」
ホッと一息。
銃の弾を抜く。
「「「お~。」」」
参加者から拍手が起こった。
拍手に対して、ペコペコと頭を下げて後ろに戻る。
青年が刹那に話し掛ける。
「なんだ~、キミもスゴイの持ってんじゃん。」
「ありがとうございます。的、すっごいあったまってました。」
着衣水泳こそ後れを取ったが、ここで何とか皆に食らいつけたかな?
そう思いつつ、トライアル初日は続いていく。




