第26話 Laura 記念館(マンスフィールド)
Laura が最後に移り住んだ地・マンスフィールド。そのマンスフィールドの手前の街スプリングフィールドにやってきた。
インディペンデンスのバスデポの受付のおばさんはこちらが何も言わないうちにアメリパスに行き先を記入してくれた。昨日、行き方を相談してたので覚えていてくれたようだ。声はひどいし顔もかなりだけど、なかなか良い人である。
スプリングフィールドは思っていたより大きい街だが、ダウンタウンがどこだかよく分からない。掴みどころのない街のようだ。有名な Travelodge に宿を取ったが、20ドル少々と以外と安くてホッとした。
夕食は韓国料理店を見つけたので躊躇なく飛び込む。味もまあまあ良く、値段も安く、ウェイトレスの韓国女性も素敵で満足したが、キムチがヴォリュームたっぷりで少し胃が変になった。
翌日、日本のTVでは放送されてない、結婚してからのLaura 達が生活していたマンスフィールドにやって来た。Laura 探訪の旅もいよいよ大詰めを迎える。宿泊できるか少し心配だったが、町に入るとすぐの場所に一軒のモーテルを見つけた。
メイドに今は Laura 記念館になっている Laura の家までの距離を尋ねてみた。4 mile と聞こえた。そんなにあるのかと思いながら歩いてみると 1.5 mile だった。往復4 mile という意味だったのかな? それとも、" How far …?" と訊くところを "How long …?" と訊いたので、閉店時刻のつもりで4PM と言ったのだろうか?
Laura の家は町の東はずれのハイウェイ60沿いに建っていた。広い芝生の中にあり、これ迄見てきた『小さな家』とは段違いに立派な家である。これでは『大草原の小さな家』にはならないな!
今日は時間の関係もあり、外観を眺めるのみにした。時間をかけてじっくり観たかったのである。
夕刻、墓地を訪ねてみた。場所は Laura の家からの帰り路に立ち寄った雑貨屋の女性に訊いてたのですぐに分かった。 墓標は Laura と夫 Almanzo は夫婦一緒に、娘 Rose は隣に仲良く並んでいた。
今日は、8月10日。
日本を出国した時点では、盆は帰省して田舎の実家で家族と過ごすつもりだった。しかし心配していた通り(予想通り)、大幅に遅れた。予定通りだと本土またはハワイから、今日か明日の便で帰国するはずだった。今日の昼の便でL.A.(=ロサンゼルス。ロスと省略するのは不適、Los は冠詞に過ぎない)を発てば明日の夕刻に成田に到着する。そのまま乗り換えて大阪に行き、翌12日に帰省すれば盆の前日には実家で過ごせる。明日の便だと8月12日夕刻に成田到着。すぐに乗り換えて大阪に行き、翌13日に帰省しても盆には間に合う。
翌8月11日は日曜日で、Laura 記念館のみならず、図書館も閉館であった。再度、墓地を訪ねた後 Laura 縁のメソディスト教会へ足を運んでみた。意外にも装飾品の少ないシンプルな教会であった。
暇に任せて町をブラついてみる。道路は意外と整備されておらず、壊れかけた箇所も随分目立つ。各家の庭もあまり手入れはされてないようだ。雑草だらけの庭が多く、日本の田舎とあまり変わらない。
これ迄見てきた田舎町とは随分違っている。何で? あの Laura Ingalls Wilder が晩年まで過ごした町なのに。