雪、流星群
自然の美しさと、子供の想い。
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12月15日午後7時、北海道。
駅前の塾で宿題を終わらせた僕は、厚手のダウンを着て、ポケットからネックウォーマーと毛糸の手袋を取り出した。
それらを履いた後に、パーカーとダウンのフードを深く被り出入り口へと歩き出した。
棚から自分の冬靴を取って、履いた。
「さようなら」
僕は講師達に頭を下げつつ扉を開いた。
外は、来た時とまるで違っていた。
陽の光による暖かさは無くなり、厚着を貫通して寒さが伝わってくる。数十メートル先が見えなくなる程度の雪が、無風であることを教えてくれる。街明かりは別に強くないのに、降っている雪も積もっている雪も白く、光を反射して夜がやけに明るく見える。
一つ、息を吐いてから帰路を辿り始めた。
無風とはいえ空気は冷たい。歩くことによる風が顔に当たらぬように下を向く。
雪道とは意外にも白くない。氷の透明、土の色、滑り止め砂利の黒色、何によるものかわからない黄色、その他様々な色が混ざっている。白とはいかに染まりやすいものなのか、よくわかる。12月にしては雪が少なく、所々赤と灰色のタイルも見えている。
高校受験のために3ヶ月前から始めた塾。毎回、帰り道を歩いていると考えてしまう。
受験まであと何ヶ月か? —————————4ヶ月もないが。
勉強は順調か?—————————知らない。
塾は楽しいか?—————————特には。
点数はどうだった?—————————思い出したくない。
何の教科が得意?—————————教えてくれよ。
どこの高校へいくの?—————————知ってどうする。
なぜ高校に行くの?—————————そのための勉強だろ。
受かりそうか?—————————お前は知っているのか?
この本音は他人には言えない。だから自問自答の際に発散する。自分のことを最も考えたくないのは自分だ。無責任にこんな質問をしないで頂いたい。未来のことはなおのことだ。気持ちが暗くなる。
きっと、こういう本音を言えるようになると『反抗期』だ
『生意気』だと言われるようになるのだろう。本音を言ってはいけないという心に素直になれないのだ。
僕だって親にテストの点数を聞かれるのも、教えるのも、あまり好かない。別に点数が悪いわけではない。知りたい気持ちも分かっているつもりだ。
知って? 何?
この本音が隠せないのだ。点数を教えてしまえば、全て丸く収まるというのに。これが心の未熟さなのだろう。
気がつくと、一つ目の信号に辿り着いていた。信号が赤であることを確認し、その場に棒立ちになった。
車はやけに遅く走っている。そりゃそうだ、車からは氷が見えずらいし、薄すぎて見えない時もある。実際僕も、止まりきれず信号無視した車を見たことある。なんなら、2、3回轢かれかけた。
こういう経験を大人たちもしているから、皆気をつけているのだろう。
経験していない観光客などはより一層気をつけなければならない。雪道に慣れていないうえに、地元民にしかわからないこともあるので、そもそも車を運転しない方がいい。普通に事故る。
信号が青になり、曲がってくる車に気を付けながら足を進めた。自分は着ているものがほとんど黒なので、車も気付いてくれないかもしれないのだ。しかも雪で視界も悪い。来週は白いズボンを着ようかと思う。効果があるかわからないが。
フードのダメな所は、上半身丸ごと動かさないと横が見えない所だ。首を動かしても、視界を占めるフードの割合が増えるだけで、かなりの欠点である。それでも、寒さには勝らないのだが。
横断歩道を渡り切ると、また下を向いた。ここからは雪のせいで人1人通るのがやっとになっている。凸凹の雪道を転ばぬように気を付けつつ、足を進めた。
雪道とは、顔も知らぬ人との共同製作物だ。
最初に、足跡一つない道"だった"所を歩かなければならないある人が、靴に雪が入ることを覚悟する。足で雪を退かしつつ前に進む。できる限り足跡を長引かせ、人1人分の道らしきものを作る。
次に、何十人もの人が雪を踏み、固め、雪道に近づける。
最後に、地方公共団体の機械による排雪作業が行われて、雪道になる。
今歩いているのは最後の作業がされていない。だから、狭いし不安定だ。
でも、これこそが雪道だと思う人もいるだろう。雪道らしいと言われると何も言えない。凸凹で、雑で、歩くと形が変わる、自然を感じるには十分だ。綺麗だとも思うし人の優しさも感じる。いかにも雪道だと言えよう。
親は共働きだ。兄を大学に行かせつつ、僕を高校に行かせようとしているのだから、少し申し訳ない。だから、学費が高く、交通費もかかるような私立校には行きたくない。お金を稼ぐことの難しさは、子供ながら察しているつもりである。その日の酒の量が、それを物語っている。
おそらく、僕が家に着く頃には母親が帰って来ているだろう。
塾はどうだった?
点数は上がった?
宿題は難しかった?
母親の言う事が、容易に想像できる。
ご飯は美味しい、家族の生活を支えていて、働いてもいる。
感謝しかない。
それでも思ってしまう。
うるさい。聞かないでよ。
思想の自由。
日本国憲法第14条で認められた当たり前の権利である。
それでも、自分の思想を認めたくないし、認められたくない。
これが自分の本性だとは思いたくない。
でも、思ったという事実は絶対で、自分しか知らない。
それがまた、僕を責めてくる。
これが本性なのだと思い知らされる。
ある人に、
「あなたの良いところは優しい所だよ」
と言われたことがある。
違う。
そう思った。
僕の本性は、
恩知らずで短気で怒りっぽく、非人道的で外道で卑劣で残酷で悪辣でクズで暗く、何事にも楽観的でネガティブで行動力など微塵も無く、エゴイストで悪者で乱暴で悲劇的で意固地で頑固で自分勝手でナルシストで嘘つきで関白で身の程知らずで意気地なしで意固地で頑固者で根性なしで嘘つきで卑屈で暗弱で飽き性で怖がりで同情の余地などないほどに弱い。
僕の優しさというのは、それら全てを隠せる「猫」を持っているところでしかない。
自分を知り、偽り、騙し、信じさせ、いつかその猫が自分になるまで、願い続ける
“未来が辛い物でありませんように。
未来が見えるその時までに強くなれますように。”
と。
ふと顔を上げると、2つ目の信号が見えた。
今は青になっているが、着く頃には赤になっているだろう。
そう思っていると、ある違和感に気づいた。
車がほぼ走っていないにも関わらず、雪が街灯以外の"何か"の光を反射しているのだ。
上を見上げると、細い三日月が雲の隙間を照らしていた。
月の隣には月光に負けないほどに強い一等星が見える。
街灯の照らしていない道が星の光を反射して少し明るく見えている。
雲は動いている。あと少しで、月を覆うだろう。それでも、淡く、強く、雲を通して僕たちを照らすのだろうか。
———ふたご座流星群 ———
ふと頭に浮かんだ。
何故だろうと思っていると、一等星が雲に隠れた。
そうだ、極大。12月15日、今日はふたご座流星群の極大の日だ。極大の意味は知らないが、きっと珍しいものなのだろう。
―――流星が、見えるのだろうか。
いや、見えるわけがない。そういうものに対して、僕の運が良かったことは一度もない。でも、
見たいなぁ………
そう思っていると、信号に着いた。
そうだ、この信号を渡ったら住宅街に入ろう。
車の光が無くなり、多少は見えやすくなるだろうし、遠回りするのもたまにはいいものだ。
信号が青になると、また下を向き転ばぬように気をつけながら歩き出した。
冬の横断歩道は怖い。白線がとにかく滑りやすいのだ。
思えば今季は一回も転んでいない、、、軽く奇跡である。
車に申し訳ないと思いながら、ゆっくりゆっくり、白線ではさらに気を配りながら、歩みを進めた。
信号が赤になるとほぼ同時に、信号を渡りきった。
少し先に進むと、左手に住宅街への小さい坂があった。
左右にある木のせいで色んな光が遮られ、暗くなっている。
一つ分かることは、、、"絶対転べる"ことである。
雪が少し凍っているっぽいし、かなり雪が積もっている。
まず一歩、どう踏み出そうか。
考えた末、足を横にしながら進むことにした。
本当なら、雪が積もっているところに1人で行くのはよろしくない。雪が崩れて埋もれる可能性があるからだ。そうなれば、晴れてテレビデビュー(死)である。
無事、下まで降りきった。
ふぅ、、、と一息ついてから右を向き、歩きだす。
住宅からの光はほぼ無く、街灯のみが照らす驚くほど静かな空間。一本隣に行けばあんなに車がうるさいというのに、まるで別世界のようだ。
この辺りは泥炭地で、かなり道が歪んでいる。
道路は小さな丘のように盛り上がっていて滑りやすい。
でも、空をできる限り見渡すために道路のど真ん中を歩くことにした。
上を見上げると、さらに雲は少なくなり月と一等星が淡く燦めいていた。
月は太陽の光を反射して約38万キロメートル先から僕等を見下ろしている。
一等星はどうだろうか。自ら光を放ち、光の単位で数えるほど遠い場所から、数時間、数年、数十年以上前の輝きを地球へ届けている。月というライバルを退け、街明かりという強敵を負かして、なおも輝いている。
"強い"
そう思う。
色んな逆境に負けなかったことではない。
幾千、幾億、幾兆と存在する星々の中で、いつ届くかも分からない光を発する。
他の星がどれだけ輝いているのか、何処かに光が届く事はあるのかさえもわからない。
それなのに、ただ燦めき続ける。
その孤独さ、その虚無さは今、僕も味わっている。
なんのために勉強し、なんのために受験をするのか、僕は知らない。
一等星の強いところは、他者に認められているところである。
『結果良ければ全てよし』理論のように、結果が全ての世界で一等星は、頑張りが認められている。
僕は決して褒められるような努力はしていない。だからこそ結果に頼る。それしかない。
多くの人は一等星のような人を目指すのだろう。努力を欠かさず、結果を示し、全てを認められる。そんな完璧超人のような人間を。
幼い頃から、自分はそういう人間ではないと知っていた。だから、努力して結果を出すのでは無く、猫に全てを託したのだ。一等星を模した猫を。
そして、結果で自分を覆うのである。
受験の結果は合格にしたい。
自分を覆うのだから、いいものにしたいと思うのは当然だろう。
反感を買うと思うが、受験は簡単だと思った。
必ず受かる高校に行けばいいのだ。
それがどこか知るために、塾に行っていると言っても過言ではない。
猫を被っても、弱さは変わらない。だから、一等星になる為に弱さを隠しながら、弱者らしい手段を取るのだ。
最後の信号に着いた。
運良く青だったので、車が来ていないことを確認して再度下を向き、渡った。
また上を見上げ、流星を見つけようと目を光らせた。
今見る限り、一等星は一つだけだ。幾兆分の一の星なのだ。
一等星のような人を僕は1人も見た事はない。
全てを認められる人などいるのかも分からない。
それでも目指す人を僕はたくさん知っている。
僕は一等星にはなれない。知っている。
だから、一等星を目指す猫を被る。
それでいいのではないだろうか。
どれだけ弱くとも、強くなれないとしても、一等星を諦めていても、猫を被っているだけマシではないだろうか。
流星のように、『近づく』というズルをして、たった一瞬でも一等星と同じ結果を求める。そういう人間でいいのではないだろうか。
他の人間のように目指す人間であることを諦めていても、自分を肯定してもいいはずなのだ。
猫を評価し認めるのが他人でも、自分を知っているのは自分なのだから。
いくつかの曲がり角を越えると、僕の家が見えた。
空を見るのをやめて、家を目指した。
結局、流星は見えなかった。
まぁいい、そもそも期待はしていなかった。残念ではない。
そういえば、もう雪は降っていない。その代わり風が出てきている。
家の周りの見飽きた風景を見ながら思う。
何も変わらない。
きっと自分だって、何も変わっていない。
今までの考え事に意味はない。
明日には何一つ覚えていないだろう。
まあ、いい暇つぶしではあった。
家から少し光が漏れている。
きっと、母親が帰ってきているのだろう。車はないので父親はまだ帰っていない。
というか、雪かきがされている。母親がしてくれたのだろうか。ありがたい。
玄関前の階段を登り、玄関フードの扉を開けて中に入った。
鍵をポケットから取り出して、扉の鍵穴に挿し、回す。
家の中に入って、扉の鍵をかける。
靴を脱いで上にあがり、ドアを開けて、台所にいる母親に言う、
「ただいま」
おかえり、と帰ってきた。
ネックウォーマーや手袋、ダウンを脱ぐ。
手を洗い、洗面台からソファに向かった。
すると、カーテンの隙間から流星が燦めいた気がした。 12月15日午後7時20分北海道
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読んでいただきありがとうございました。
今作から、趣味として投稿をしていきたいと思います。
異世界ものもいつか描いてみたいです。
よろしくお願いします。
ふたご座って「北」に似てますよね
知らねぇよ。
ごめんて