chap.7
《七》
翌朝、琴音と学校に向かいながら、花は思い切って言った。
「あのね、今日の放課後、スクールカウンセラーと面接なの」
斜め上にある琴音の目が、えっと言うように見開かれる。
「だからまた一緒に帰れないんだ。ごめんね」
「…わかった」
琴音は慎重な口調でそう言って視線を外し、それからまた花を見た。
「…何かあったの?」
「えっ、…うん、まあ、ちょっと…」
お母さんとのことを琴音に言おうかどうしようか、花は少し迷った。すると琴音が低い声で、
「井口さんのこと?」
と言ったので、花はびっくりして琴音を見上げた。
「茉莉奈ちゃん?」
「あ、いや…」
昨日の藤井君と同じようにバツの悪そうな顔をして、琴音は口ごもった。
「…なんか色々陰で言われてるみたいだから…」
そう言ってから琴音はきっぱりと、
「私は花ちゃんのこと、井口さんが言うみたいに思ってないよ。みんなだってそうだと思う。気にしないほうがいいよ」
と言って花を見た。花はちょっと笑って首をすくめた。心がふんわり温かくなる。
「うん、気にしないようにしてる。ありがとう」
琴ちゃんも藤井君も、優しいな。なんだか鼻の奥がツンとする。
「カウンセラーに相談したいのはね、うちのお母さんのことなんだ」
花は簡潔にお母さんとの問題を琴音に話した。
「…そうだったんだ。全然知らなかった。おばちゃん、全然そんなふうな人に見えないし…なんかびっくり」
花は苦笑した。
「みんなそう言うんだよね。お母さんて、なんていうか…外面いいっていうか」
琴音が笑う。
「それはうちも同じ。外ではニコニコ。家ではガミガミ」
おどけて言ってから、真顔になって、
「でも、そっか。カウンセラーに相談したいくらい深刻なんだ。家出とかしたくなったらさ、いつでも家においでよ。兄貴の部屋空いてるし」
琴音のお兄さんはこの春から大学生になって、他県で一人暮らしをしている。
「…ありがとう」
急に辺りがぼやけて、花は急いで目をぱちぱちさせた。とっても嬉しかった。
スクールカウンセラーの中村先生は、五十代くらいの女性で、すらりと背が高かった。うんと短い髪がよく似合っていて、とてもスマートな感じがする。普通にしているとクールでスマートな大人の女性なのに、ニコッと笑うと目尻が下がって片方の頬にえくぼができて、子供の花から見てもなんだか可愛らしい顔になるのが不思議だった。花の中の『若草物語』のジョーのイメージに似た感じの人だ。
挨拶が終わると、花は早速作文ノートを開いて渡した。先生はどれどれと臙脂色の縁の眼鏡をかけ、
「じゃ、読ませてもらいますね」
ニコッと花に笑いかけてから、打って変わって真剣な表情で読み始めた。
花は、先生のイヤリングからぶら下がっている綺麗なブルーの石が微かに揺れるのを眺めながら、少し緊張して待っていた。どんなことを言われるんだろう。
作文に書いていないことで話したいことはたくさんある。その方が多いくらいだ。話し忘れることがないように、ちゃんとメモに書いて持ってきてある。あのことと、あのことと…。花は、緊張で少し汗ばんだ手の中に畳んであるメモ用紙の内容を、頭の中で一つ一つ確かめていった。壁にかかっている時計の秒針が進む微かな音が聞こえてくる。
◇ ◇ ◇
がらんとした昇降口で静かに靴を履き替えて、花は学校をあとにした。校庭の向こうのほうで、学童クラブの子どもたちが遊んでいるのが聞こえる。こんな時間にこんなふうに一人で学校から帰るのは初めてだった。空には大きな入道雲が静かに浮かんで、じっとこちらを見下ろしている。まだ夕方にもなっていないけれど、なんだかずいぶん遅い時間のような、いつもとは違う世界にいるような気持ちになる。
花は歩きながらそっと深く息をついた。疲れたな、お腹がすいた、と思った。相談室で自分が言った言葉たちと先生が言った言葉たちが、記憶の中で入り混じって、現れては消え、小さくなっては大きくなる。
「光君のお姉さんなのね…」
作文を読み終えた先生が言い始めたので、花は慌てて遮った。
「あの、そのことなんですけど」
作文を読んでもらったら、まずこれを一番に言わなくてはと考えていた。
「作文には、弟のこととか自閉症のこととかをたくさん書きましたけど、それは前の日に、弟のせいで私は恋愛も結婚もできないかもしれないと聞いたことがショックだったからだと思います。今は、問題なのは弟ではなくて母なんだってわかっています。クラスの友達に話を聞いてもらっているうちにそういうことが色々わかってきたんです。それで、あの、それも書いて持ってきたので…」
面接の時間切れになっては困ると思って、早口で喋りながら急いでメモ用紙を広げると、先生が安心させるように微笑んで言った。
「ゆっくりでいいのよ、大丈夫。次の人が待っているわけじゃないから。…あ、それとも今日はこのあと何か習い事とかあるのかしら?」
「いいえ、なにも」
「そう、じゃあ、ゆっくり話せるわね。よかったわ」
先生はにこりとしてから、
「お母さんのことを聞く前に、少しだけ光君に関連したことを話しましょう。まずね、光君のことを恥ずかしいと思うのが間違いだなんてことはありません。自分の家族がみんなの前で大騒ぎしたりしたら、恥ずかしいなあって思うのはごく自然なことだもの。だから、そういう時に『こんなふうに恥ずかしいって思うのは間違ってる!』なんて思わなくていいのよ。自然に、リラックスして、『わー恥ずかしい、嫌になっちゃうなあ、もう…』って、海藤さんの心に自由に思わせてあげてね」
花は頷いた。
心のどこかをぎゅっと締めつけていた鉄の輪っかが、ふっと緩められたような気がした。
「それから、自閉症の兄弟がいるから恋愛も結婚もできないなんていうこともありません。だから安心してね。自閉症っていうのは、色々な性質が重なり合って出る症状で、もちろん遺伝は指摘されているけれど、どの遺伝子がどう原因になってそれがどう影響するのかなんていうことも、まだはっきりとはわかっていないの。海藤さんのお友達のお母さんのように、間違ったことを言う人もたまにいるけれど、それが間違いだっていうことは、今の時代、ネットで調べれば誰でもすぐにわかることだし、だから気にしなくて大丈夫」
花は呆然としてしまった。安堵と困惑と恥ずかしさと怒りがないまぜになる。
ネットで調べれば誰でもすぐにわかることなの?
家では、インターネットを使いたいときはお父さんかお母さんと一緒にやる、という規則がある。そうでなかったら自分で調べられたのに。
大体、どうしてお母さんはあの時このことを教えてくれなかったんだろう?自閉症の遺伝のことなんて、親なんだからちゃんと知ってるはずだよね?なのに、あんなふうに怒るばっかりで、こういうちゃんとした情報を教えてくれないなんて。
教えてくれてたら、あんな悲しい気持ちにならなくてすんだのに。こんな作文も書かなかったのに。
信じられない。
腹が立って、花は、まず、あの時のお母さんの怒り様について先生に話した。そしてそのあと、メモを見ながら、過去の色々なエピソードについて順に話していった。
先生は花の話を遮ることなく、真剣に聴いてくれたけれど、夢中になって藤井君に話した時とは違って、今回は冷静である分、なにか告げ口をしているような、よくないことをしているような感じがして、途中から花は少し後ろめたい気持ちになった。
一通り話し終わったあとで、先生に今どんな気持ちがしているかと聞かれて、正直に、
「母のことを告げ口したようで…なんだか悪いことをしたみたいな気持ちがします」
と言ったら、先生は深く頷いてから、
「お母さんとは普段どんなことを話しますか」
と訊いた。花は考え考え答えた。
「…前はなんでも話していました。学校のこととか、自分の考えてることとか、本当になんでも…。母も自分の子供の頃の話とか、恋愛話とか、考えとか、色んな話をたくさんしてくれていたので…。でも、最近はなんていうか、少し、ブレーキをかけるようになったみたいな感じです。話したいような気持ちもまだあるんですけど——母とおしゃべりするのはどちらかというと楽しい時の方が多いので——、でも、前に比べたら、話したい気持ちが随分減っているみたいな感じがします」
先生はまた深く頷いてから、ふわりと訊いた。
「お母さんのことをどう思っていますか」
花はなぜかどきんとした。急に喉に塊がつかえたようになって、泣きそうな気持ちになった。泣かないように精一杯踏ん張りながら言葉を紡いだ。
「前は、大好きでした。でも…去年くらいから、なんとなく、私が母を好きなほどには母は私を好きじゃないのかな、って思うようになっていて…、ひな祭りの日のことがあってからは特に…。で、一昨日友達と話しているうちに、さっき話した、引き出しに隠しておいた漫画の話になって、友達がそれはおかしいって言ってくれたんです。人の引き出しを勝手に開けるなんておかしい、謝るべきなのは母の方じゃないか、って。それで初めて、色々気がついて…。今から思えば、どうして気づかなかったんだろうって不思議なんですけど、でも、お財布のことだって、前は『母が間違ってる』ってはっきり思えなかったんです。『ひどい』とか『どうして?』とは思いましたけど。多分…」
ちょっと考えて、花は続けた。
「私は、母が私に対して間違ったことをしているとか、私を大事にしてないとか、はっきり認めたくなかったんだと思います。…好きでいられなくなるのが嫌だから。今は、好きだとは思えません。多分、前から、本当には好きでいられなくなっていたんだと思います。気づきたくなかっただけで…。でも、…例えば母が今までのことを悪かったって認めてくれて、謝ってくれて、私のことを本当に大事にしてくれるようになったら、そうしたらきっとまた好きになれると思います」
「また好きになりたい?」
「はい」
どうして?とは先生は言わなかったけれど、花は説明した。
「私、『若草物語』みたいなのが好きなんです。ああいうふうになりたいなあって…。愛がある家庭っていうか」
愛なんて言葉を口にするのは少し恥ずかしかったけれど、言ってみた。
「お母さんはジョー達を大事にしてて、怒鳴ったり、嫌なこと言ったりしないし…。ジョー達もお母さんのことが大好きで、心から尊敬していて…。あんなふうに温かくて、愛情があって、お互いを大事にし合える家族っていいなあって思います」
「そうね。私もあのお話、好きなの」
先生も微笑んで深く頷いてくれた。
随分たくさん喋ったなあ、と花はなんだか少し恥ずかしい気持ちで、面接のことを思い出しながら歩いた。そういえば先生はあまり喋らなかった。時折質問をしたり、相槌を打ったりするだけで、あとは花の話をじっと聴いていた。自分はこう思うとか、こうしたらどうかしらとか、そんなことはほとんど言わなかった気がする。
なんだか不思議な経験だった。喋っているうちに、少しずつ自分の世界がクリアになっていくような、ぼんやりしていた心の中の景色が、どんどん見えるようになってくるような感じがした。
…あれ?
突然、心の中の景色ではなく、現実世界の景色に気がついて、花は足を止めた。
藤井君の家の近くに来ていた。
本当なら曲がるはずの角を曲がらずに、藤井君の通学路を歩いてきてしまったのだ。昨日も一昨日も藤井君の家に寄ったから、足が自然とこの道を辿ってしまったんだなと思ったら、おかしくなってふふっと笑ってしまった。遠回りしちゃったな。でも、なんだか嬉しい。藤井君のお家の前を通って帰ろう。もしかしてハナがまたお庭にいるかもしれないもの。
しばらくして、向こうに藤井君の家の青い屋根が見えてきた。きりりとした青い瓦。ゆっくりと近づいていくと、どこかから微かに、わん!わん!と犬の声が聞こえてきた。ハナかな?それともどこかよその家の犬かな。そういえば花はまだハナが吠えているのを聞いたことがなかった。声帯を取る手術なんかされなくて本当によかった…と考えながら藤井君の家の前に差し掛かると、ぱっと玄関のドアが開き、ハナが一目散に駆けてきた。
「ハナ!」
嬉しいサプライズに思わず大きな声を上げてしまった。門の向こうでハナがひゅんひゅん声を上げて、大興奮の様子で身体をくねらせている。後ろからやってきた藤井君が、いつものように
「ハナ、待てだよ」
と言いながら門を開けてくれた。
「どうして私が来たのわかったの?」
門の中に入ってハナをごしごし撫でながら訊くと、藤井君が笑った。
「僕じゃなくてハナだよ。僕が学校から一人で帰ってきたら変な顔して、そのあとずっと玄関のカーペットの上でドアの方向いて寝そべってた。海藤さんのこと待ってるんだなって思ったから、今日は来ないよ、って何度も言ったんだけど。そしたらさっき、急に立ち上がってわんわん言い出して、外に行きたいって言うからドアを開けたら…というわけ」
「ええーすごい!」
「僕もびっくりだよ。ハナ、すごいなあ」
二人にすごいすごいと感心されて、ハナは大得意のようだ。
すごいでしょ、すごいでしょ。来るってちゃんとわかってたもん。
「カウンセリングのこと考えながらぼうっと歩いてて、気がついたらこっちの方角に来てたの」
「そっか。…どうだった?」
「うん、いい先生だった。全部ちゃんと話せたよ。また来週の木曜日の同じ時間にカウンセリングだって」
「そう。よかった」
藤井君が心からほっとしたように言って、花はなんだかじんとした。
「藤井君のおかげ。どうもありがとう」
ぺこりと頭を下げると、藤井君は照れたように笑った。
「別に何にもしてないよ。上がってく?」
そうしたい気持ちは山々だったけれど、花は首を振った。
「帰ってピアノの練習しなきゃいけないから。明日レッスンの日なの」
「そっか。じゃあ送ってくよ」
「いいのに」
「『紳士たるもの、淑女を家まで送っていくのは当然であーる』」
と、お父さんの口ぶりを真似て、藤井君はハナのリードを取りに家の中に入った。
「ハナ、待っててくれてありがとうね」
屈んでハナに顔を寄せて言うと、ハナの黒い目がきらきらして花を見つめた。
どういたしまして。
胸がきゅうんとして、花はハナをそっとハグした。
「ハナ、だーい好き!」
ハナが花の頬を舐める。
花ちゃんも、だーい好き!
「ただいまー」
急いで階段に直行すると、後ろからお母さんの声が追いかけてきた。
「また藤井君のお家に行ったの?」
「そう」
階段を上る足を止めずに返事をする。
「そんな毎日行くのやめなさい、みっともない」
みっともないってどういう意味?と腹が立ったけれど、我慢する。
「明日ピアノでしょう。ちゃんと練習しなさいよ!」
お母さんの声が尖っている。こちらも尖った声で応酬しそうになるけれど、グッと堪えて、普通の声で「はーい」と返事をした。
もう喧嘩にならないようにしようと花は心を決めていた。私が変われば、お母さんだって変わってくれるかもしれない。どんなに嫌なことを言われても、どんなにお母さんが怒鳴っても、私は怒らないようにしよう。絶対に。
中村先生の、落ち着いて穏やかで、それでいてしっかりと強い雰囲気が思い出される。私も、あんなふうな態度でいればいいんだよね。やってみよう。
花の決心は夕食のテーブルで早速試された。
食事の途中でお父さんが帰ってきた。こんなに早く帰ってくるなんて珍しい。お父さんが着替えに行っている間に、花はふと思いついた。
そうだ。お父さんがいるんだから、今年は私はキャンプに行きたくないって言ってみようかな。お父さん自身だってキャンプには行かないんだし、私の味方をしてくれるかもしれない。
そんなことを考えていたら、お父さんの分の夕食を盛りつけ終わったお母さんが、
「花ちゃん、さっきも言ったけど、学校の帰りに藤井君のところに遊びにいったりするのは、みっともないからもうやめなさいよ」
と言った。花はしっかりと心の手綱を握り締め、慎重に答えた。
「明日はピアノだから行かないよ」
お母さんはその答えが気に入らなかったらしい。眉をひそめる。
「明日だけのことを言ってるんじゃないの。毎朝一緒にお散歩してるんだから、それで十分でしょ」
「だってハナのこと大好きなんだもん。できるだけ一緒にいたい…」
「へー、どうだか!」
お母さんが遮った。からかうような、皮肉っぽい口調。花は身構えた。
「犬じゃなくて藤井君のことが好きなくせに!花ちゃんは藤井君に恋してるんじゃないの」
花はカッとなった。顔が熱くなる。
「違うよ」
「ああーら、まあー真っ赤になってる!」
お母さんがニヤニヤする。
「やあねえー、小学生のくせに、色気づいちゃって」
違うって言ってるでしょ!と怒鳴りそうになって、花は慌てて踏みとどまった。奥歯を噛みしめる。
「そういうんじゃないよ。藤井君のお家に行くのは本当にハナに会いたいからだし、藤井君のことはいい友達だと思ってる」
真面目に言うと、お母さんはぷーっとわざとらしく吹き出した。
「なーに言ってるんだか!『いい友達だと思ってる』だって。まー陳腐なセリフ!少女漫画の読み過ぎなんじゃないの。ああおかしい」
花は黙っていた。なんと答えたらいいのかわからなかった。はらわたがグツグツ煮えたっている。お母さんは笑うのをやめて花をじろりと見た。
「でもほんとにそういうのやめなさいよ。愛だの恋だの、子供のくせに」
「お母さん」
花は静かに言った。
「人が真面目に話してるのにからかったり笑ったりするのは、失礼だと思う。嫌な気持ちになるからやめてほしいの。お母さんがそんなふうにされたら、どんな気がする?」
お母さんは腹立たしげにため息をついた。
「まーた偉そうに!はいはい!わかりましたよ!」
そして食べている途中だった自分のサラダのフォークを手に取り、半分に切ったゆで卵に突き刺しながら、
「ま、藤井君が、自閉症の兄弟を持ってる花ちゃんを嫌がったりしないで、相手をしてくれるといいわね!」
と、嫌味たっぷりに言った。花は落ち着いてやり返した。
「自閉症の遺伝については、茉莉奈ちゃんのお母さんが言ってたことは間違いだし、それはネットで調べれば誰でもわかることだから、そんな心配はしなくても大丈夫って中村先生が言ってたよ」
言ってからすぐに、しまった!と思ったけれど、後の祭りだった。お母さんのフォークが宙で止まる。
「中村先生って誰」
本当のこと以外の答えが思い浮かばなかった。
「…スクールカウンセラーの先生」
お母さんが眉をしかめてじいっと花を見る。
「スクールカウンセラーと話したりしてるの?」
「うん」
「一対一で?」
「うん」
「…なんでそんなことしてるの」
「お母さんとのことを色々相談したくて」
お母さんの顔がますます険しくなった。低い声で言う。
「やめなさい、そんなことするの」
「どうして?」
「口答えはやめなさいっ」
お母さんが怒鳴ったけれど、花はぐっと心の手綱を引き締めた。怒っちゃいけない。
「口答えじゃないよ。どうして中村先生に相談しちゃいけないのか、ちゃんと教えて」
「いけないからいけないって言ってるの!大体なんですか、親の許可もなしにそんなことして!」
「お母さん、お願いだから怒ったり怒鳴ったりしないでちゃんと聞いて」
花は一生懸命言った。穏やかに、冷静に、と自分に言い聞かせる。
「お母さんは、私と仲良くしたくないの?普通、仲良くしたいと思う相手に、相手が嫌がるようなことは言わないし、相手が嫌がることもしないよね…」
「自分の部屋に行きなさい!」
「ちょっと待って、お母さん。喧嘩したいわけじゃないの。ちゃんと話し合いたいの。お母さんは間違ってると思う。私のこと大事にしてるって言うけど、でも私を馬鹿にするような態度もやめてくれないし、私のお財布を勝手に光にあげちゃうし、暴力振るうし、私の引き出しを勝手に開けたりするのだって間違ってると思うし…」
「やめなさいっ!」
お母さんが立ち上がってものすごい声で怒鳴り、さっきから不安そうにうーうー言い出していた光は、大声で叫び出した。
「どうしたの」
お父さんが急ぎ足でダイニングに入ってきた途端、お母さんは泣き出した。お父さんにすがりつくようにして、泣きながら言う。
「なんとかして…。花ちゃんがおかしい…」
花は憮然としたけれど、怒りを抑えてできるだけ穏やかに言った。
「おかしくなんかないよ。ちゃんと話し合いたいだけ。お母さんと私がちゃんと本当に仲良くできるようになるためには…」
「部屋に行ってなさい!」
お父さんが怖い顔をして怒鳴って、花の身体がビクッとした。
お父さんに怒鳴られたのは初めてだった。




