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chap.1

《一》

      最近思っていること

                        六年一組  海藤 花


 普通の家庭に生まれたかった。それが最近私が思っていることです。

 ご存知の通り、私には自閉症の弟がいます。障害のある子供も、地域の中で普通に生きるべきだという両親の考えで、特別支援学校に行かずに、この小学校に通っています。

 朝礼の時に大声をあげてはねまわったりするし、きっと授業中もうるさくしてクラスの迷惑になっているだろうと思います。申しわけないと思います。

 一昨年、私が四年生の時に弟が入学してから、私は学校生活が以前ほど楽しくなくなりました。朝礼や全校集会の時は、いつも、弟がまた何かしないかとドキドキします。たいてい弟は何かするので、ものすごく恥ずかしいけれど、一生懸命平気なふりをしています。ニヤニヤして私の方を見る人たちもいますが、できるだけ気にしないようにして、平静を保ち、前を向いています。

 母は、私が弟のことを恥ずかしいと思うのは間違っていると言って、ものすごく怒ります。弟が入学したばかりのころ、弟が朝礼で大騒ぎをしたことを母に話したら、最初は

「あら大変だったわねえ」

 と少し気の毒そうにしてくれたけれど、みんなが笑って私の方を見たりするので恥ずかしかったことなども話したら、だんだん怒り出して、

「しょうがないでしょ!こうちゃんは病気なんだから!」

 と私をにらんで怒鳴りました。母はいつも、弟の自閉症は病気なのではなくて個性だと言うのに、矛盾していると思いました。

「そんなふうにぐちぐち言うなんて、花ちゃんは光ちゃんのことがそんなに恥ずかしいの⁈光ちゃんのたった一人のお姉ちゃんでしょう⁈そんなふうに言われて、光ちゃんがかわいそう!花ちゃんがそんな冷たい子だとは思わなかった!」

 とヒステリックに叫んで、母は部屋を出て行きました。

 私は普通の口調で、朝礼であったことを話していただけなのに、そんなふうに怒られてびっくりしました。ぐちぐちなんて言ったつもりはありませんでした。

 あとで母にあやまりに行ったら、母は、弟のことを恥ずかしいと思うのは間違っているし、笑ったりする人たちを気にしたりするのも間違っているし、いつも強くきぜんとしていなくてはいけないと言いました。その通りだなと思って反省して、それから恥ずかしく思わないように努力していますが、どうしても恥ずかしいと思ってしまうので、せめて恥ずかしくないふりをしています。

 弟は家でもとてもうるさいです。他の人がテレビを見ていてもお構いなしで大声をあげるので、好きなアニメのセリフが聞こえなかったりすると、腹が立って、

「静かにしてよ」

 と、つい言ってしまうこともあります。そうすると弟は機嫌が悪くなって、もっとうるさくなって、母が私に怒ります。

 弟に手を噛まれたこともあります。弟は自分の好きな番組の時に、テレビのうんと近くに立ってテレビを見ます。そういう時に誰かが近くに行くと機嫌が悪くなります。でもその時、私は、テレビの下の棚にしまってあったものを急いで探さなければならなかったので、弟の機嫌が悪くなり始めました。うーうーと唸って飛び跳ね出したので、私もイライラして、

「ちょっと待って」

 と言ったら、弟が飛びかかってきて、手を噛まれました。血は出なかったけれど、歯形がついて、痛かったです。でも母には弟の嫌がることをした私が悪いのだと言われました。

 昨年の夏休みには、弟のような子たちがたくさん来るキャンプに行かされました。その中に、真央君という六年生のとても背の高い男の子がいて、私を見ると、

「デミグラソース!デミグラソース!」

 とものすごく大きな声で叫んで走り寄ってきて、手を大きく振り上げて私を叩こうとしました。初めの日にそれをされた時、私は怖くて、後ずさってキャアッと言ってしまいました。真央君のお母さんが私に何度も謝ってくれましたが、私は後で、あんなふうに悲鳴をあげて恥ずかしいと、母にものすごく怒られました。怖がったり逃げたりしたら真央君がかわいそうでしょう、花ちゃんを見て誰かが悲鳴をあげたり逃げたりしたら、花ちゃんはどんな気がする?悲しいでしょう?と言われました。

 でも、私が悲鳴をあげたのは叩かれそうになったからです。真央君を見て悲鳴をあげたわけではありません。

 次の日も真央君は何回も同じことをして、大人の人たちは

「真央君は花ちゃんが好きなんだね」

「花ちゃんが美人さんだからよ」

 と笑っていたけれど、私にとっては笑いごとではありませんでした。

 その次の日には、本当に頭をバシン!とものすごい力で叩かれました。平気な顔をしようとしたけれど、少し涙が出てしまいました。真央君のお母さんが飛んできて、早口で私にたくさん謝って、真央君を向こうに連れて行きました。見ていた他の大人の人たちも、

「今のは痛かったね」

「大丈夫?」

 と同情したり心配したりしてくれましたが、母だけは、

「大丈夫よそれくらい」

 と、ちっとも同情も心配もしてくれなくて、私はなんだかとても悲しくなりました。

 後で二人だけになった時、母は、

「叩かれたの痛かった?」と聞いてくれたので、さっきのは他の人たちの手前、格好をつけていただけで、本当は心配してくれていたんだなと嬉しくなりかけたけれど、ああいう時にどんなに痛くてもニコッと笑って「大丈夫です」って言えるような子にならなきゃだめよとか、真央君は自分をコントロールできないし、どうやって手加減したらいいかもわからないのだから、真央君のせいではないし仕方がないことなんだとか、花ちゃんは健常なのだからそのことを感謝して、真央君や光ちゃんみたいな子達を思いやって、共に生きていかなくてはいけないとか、色々お説教されて、また悲しくなりました。

 もうすぐ夏休みですが、今年は母になんと言われようと絶対にあのキャンプには行かないつもりです。無理やり行かせられそうになったら自殺します。親だからといって、私が行きたくないキャンプに、私を無理やり連れて行く権利はないと思います。

 話は少し違いますが、昨日、同級生に、私みたいに自閉症の兄弟を持っている子は、将来、恋愛も結婚もできないかもしれないと言われました。自閉症は遺伝で、男の人は自分の子供が自閉症になったら嫌なので、私の弟のことを知ったら私と付き合ったりしないだろうと、その子のお母さんが言っていたそうです。とてもショックでした。

 話が少しそれてしまいましたが、とにかく、私は普通の家庭がうらやましいです。弟がいなくなればいいなどと思っているわけでは決してありません。そこは、誤解しないでほしいと思います。ただ、()()、他の、普通の家庭に生まれたかったなあと思っているだけです。

 私がこんな作文を書いたのを母が知ったら、家から追い出されるかもしれません。母は怒るとよく私に、

「出て行きなさい!」

 と怒鳴って、私を外に出してドアの鍵をかけます。もっと小さい頃には、何かが欲しい時に、○○ちゃんも持っていると言うと、

「じゃあ○○ちゃんの家の子になればいいでしょう!」

 と言われました。そんなふうに簡単に他の家の子供になれるならいいと思います。よその家族をうらやましく思った子供同士が、家族を取り替えて、でもやっぱり自分の家族が一番いいということに気がついて、めでたしめでたし、という物語を小さい頃に読んだことがありましたが、私はきっとそうはならないと思います。

 私は、弟のことが嫌いなのではありません。小さい時はよく一緒に遊びました。もちろん弟とは言葉が通じないし、弟はゲームやスポーツや遊びのルールなども全く理解できないので、できることは限られていましたが、ぬいぐるみやおもちゃを動かして弟を笑わせたり、弟が好きな歌を何度も歌ってあげたりして遊んでいました。弟が笑ってくれるのを見るのは嬉しかったです。でも、弟は一人で絵を描いたり、レゴで遊んだり、テレビを見たりする方が好きなようだし、私と一緒にいたがることも全くないので、今では一緒に遊んだりしません。

 でも正直に言って、弟が好きとも言えない気がしています。アンケートのようなものがあったら、「どちらでもない」に丸をつけると思います。

 弟には私が大事にしていたおもちゃを壊されたり、幼稚園の卒園アルバムを取られたり、大好きだった絵本をボロボロにされたりしています。でも、いつでも母には、

「花ちゃんはお姉ちゃんでしょう」

 とか

「光ちゃんの好きにさせてあげなさい」

 とか言われます。弟が自分の部屋に持っていってしまった私の幼稚園のアルバムを取り返してきたら、母が怒ったので、このアルバムは弟のではなく()()大切な思い出だし、弟にはちゃんと自分の幼稚園のアルバムがあるじゃないかと抗議したら、母は私のことを心が狭いと言いました。

「花ちゃんは健常で、友達もたくさんいて、ピアノも英会話も習えて、将来もあるし、人生に楽しいことがたくさんあるけど、光ちゃんはそうじゃないのよ!それがどうしてわからないの!」

 と怒鳴られました。

 でも、弟が色々なことができないのは私のせいではないし、弟が色々なことができないからといって、なぜ私がひどい目にあうのを我慢しなければならないのか、納得がいきません。

 母がもう少し公平になってくれたら、私ももっと弟のことを好きになれるのかもしれません。少しは私に同情してくれてもいいのにと思います。母は意地でも弟のことを悪く言うもんかと思っているような気がします。弟のしたことについて私に同情を示すと、弟のことを悪く言うことになるので、それで同情してくれないのかなと思います。


 ここでチャイムが鳴って時間切れになってしまった。

 もっと書きたかったのに。花は無念のため息をついて、鉛筆を置いた。隣の席の関口君が、小さな字でぎっしり埋まった花の作文ノートを見て目を丸くする。

「すげえー」

 花はちょっと唇の端を上げてみせて、

「別にすごくないよ」

 と言いながら、さりげなくノートを手に取って関口君に読まれないようにし、ざっと見直した。超スピードで書き飛ばしたので、字も文章もかなり雑だけれど、今更直せない。仕方がない。

 ノートを閉じ、後ろから回ってきた他の人たちのノートの上に自分のノートを重ね、前の席に回す。

「海藤さん、すっげえの。すげえいっぱい書いてた。何十ページも」

 関口君が後ろの席の藤井君に興奮したように言っている。花は苦笑した。何十ページは大袈裟すぎる。

「だって海藤さん、作文得意だもんね」

 藤井君がこちらに話しかけるように言ってくれたので、花は斜め後ろの藤井君を振り向いた。目が合うと藤井君はにこりとして、

「なんのこと書いたの?」

 と訊いた。今日の作文は自由テーマだった。

「最近思っていることについて。藤井君は?」

 藤井君も作文が上手い。いい作文の例としてよく授業中に先生が読み上げるし、四年生の時に、花と一緒に選ばれて、区の小学生の文芸冊子に載ったこともある。

「うちに新しくきた犬のこと」

「えっ、犬?」

 心がぴょんと跳ねる。花は犬が大好きだ。花の反応に藤井君がニコニコする。

「犬好きなの?」

「大好き!飼わせてはもらえないんだけど」

 光が犬を怖がるからだ。

「何犬?」 

 関口君が訊く。

「ラブラドール。イエローラブ」

「わあ、いいなあ」

「はい、じゃあ帰りの会始めまーす」

 教卓のところから先生が言って、花は急いで前を向いた。その時、こちらを見ていたらしい、隣のかわの斜め前に座っている井口茉莉奈とちらりと目が合った。茉莉奈もすぐに前を向いたので、目が合ったのは一瞬だったけれど、ちょっとこちらを睨んでいたような気がした。

 茉莉奈は、自分の特技は作文で、将来の夢は作家になることだと公言している。藤井君が花のことを「作文が得意だ」と言ったのが聞こえて、それで睨んでいたのだろうと、花は思った。


 一年生の終わり頃のことだった。

 授業参観の時に、先生が花の書いた作文をお手本として読み上げ、まるで教科書を使って授業をするように、花の作文のあちらこちらを黒板に書き出したり、みんなに解説したりした。

 そのことがあってから、茉莉奈は、自分は作文を書くのが大好きで、将来の夢は作家になることだとしきりにクラスで言うようになった。そして、花のところにやってきては、「日記書いてる?私は書いてるよ」「物語書いたことある?私は入学した時から書いてるよ」「この本読んだ?私はもう読んだよ」などと言うようになったし、テストや通知表が返ってくるたびに「どうだった?」と比べにくるので、花も、自分がライバル視されているということを気づかないわけにはいかなかった。

 花は作家になりたいなんて思っていなかったけれど、本を読むのは大好きだったし、作文を書くのも好きだったし、勉強も得意だったので、茉莉奈に挑戦されて自然と競争心が湧いた。絶対負けないぞ、と思った。でも、お母さんにそのことを話したら、それはよくないと言われた。

「人は関係ないの。自分のベストを尽くせばいいの。人と比べて勝ったとか負けたとか思うなんて、みっともないのよ」

「だって、茉莉奈ちゃんが先に始めたんだよ」

「だからって花ちゃんも同じようにすることないでしょ。いいことは真似すればいいけど、悪いことは真似しないの」

「でも茉莉奈ちゃんがいっつも『何点だった?』って訊いてくるんだもん」

「訊かれても教えなければいいじゃないの。『もうこれからそういうことは訊かないで』ってちゃんと茉莉奈ちゃんに言いなさい」

 それで二年生になったばかりのある日の休み時間に思い切って茉莉奈にそう言ったら、さっき返ってきたばかりの算数のテストを手に、茉莉奈はふふーんと笑って顎を突き出した。

「ああー悪い点だったんだー。だから私に教えたくないんでしょ。負けたって認めたくないから。花ちゃんって卑怯者ー」

 花はカッとなった。卑怯者、なんて言われたのは生まれて初めてで腹が立ったし、卑怯者と呼ばれるのはこの場合ちょっと違うと思ったけれど、どう違うのかを説明する言葉がうまく思い浮かばなくて、余計に腹が立った。つい大きな声が出た。

「卑怯者なんかじゃないもん!」

 茉莉奈も声を大きくする。

「卑怯者だよ!負けたくせに!」

「負けてないもん!」

 百点だったのだ。負けたなんてあり得ない。

「嘘つき。じゃあ見せてみなよ!」

 花はふと物語に出てきたあるシーンを思い出して叫んだ。

「そっちが負けてたら、私の言うことなんでも聞くって約束する?」

 茉莉奈も赤い顔で怒鳴り返す。

「してやろうじゃん!そっちも約束しなよ!」

「いいよ!するよ!」

 花は机の中から算数のテストを掴み出し、広げて茉莉奈に突きつけた。百点。

 茉莉奈は真っ赤になって、さっと自分のテストを後ろに隠し、花をなじった。

「ずるい!」

 そして身を翻して自分の席に駆け戻り、机に突っ伏した。

 六年生になった今は、もちろんもうそんな喧嘩をしたりしないし、茉莉奈もテストのたびに点数を比べにきたりしない。表面上は普通に仲良くしている。家の方角が同じなので、一緒に下校することもある。でも、茉莉奈が相変わらずこちらをライバル視しているだけではなく、どうも嫌っているらしいことは知っていた。なんでもできるからって天狗になっているとか、文章が()()だとか、弟のことで先生の同情を引いて贔屓ひいきしてもらっているとか、茉莉奈が陰で言っているということは、「花ちゃんには絶対に言わないでって言ってたよ」というコメント付きで、何人かの友達から花に知らされていた。

 いじめとはもちろん違う。でも、そういうことを知らされるたびにとても嫌な気持ちになる。誰かに嫌われているなんて、やっぱりいい気持ちはしない。

 「そういうことはね、気にしなければいいの」

 お母さんはきっぱりと言った。

「気にする価値もないことでしょ。ああ茉莉奈ちゃんは私のことあんまり好きじゃないんだな、と思っていればいいだけよ」

 それでも花が浮かない顔をしていると、お母さんは続けて、

「お母さんだって、光ちゃんのことで光ちゃんのクラスのお母さんたちに色々言われるのよ。陰で色々悪口を言う人たちがいるの。そしてそれを『こんなことお耳に入れていいかわからないけど…』とか言って、こんなひどいこと言ってる人たちがいるのよーって、親切のつもりで教えてくれる人たちがいる。でもね、お母さんは、そんなこと教えてくれなければいいのにって思うわ。だってそんなこと知らされたって、こっちはどうしようもないし、嫌な気持ちになるだけだもの。そう思わない?」

 と言った。

 お母さんに「そう思わない?」と言われると、花はいつも「そうだね、そう思う」と同意してしまう。お母さんが同意してほしがっているのがよくわかるからだ。だからその時も同意したけれど、本心は違っていた。

 誰が私のことを嫌っているのか、誰が私のどんな悪口を言っているのか、知っているほうがいいし、知らせてくれる人がいるのはありがたいことだ、と花は思っていた。知っていれば、攻撃に対して備えることができるからだ。備えあれば憂いなしというではないか。

 でも、昨日の出来事は、まさに不意打ちだった。


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