王太子に無視され続けた公爵令嬢、エストリアの人生は王宮の広間で華麗に花開く。
エストリア・リストン公爵令嬢は、16歳になった歳に、この国のラピス王太子の婚約者に抜擢された。
金髪碧眼の美人であるエストリアは、それがとても誇らしかった。
だから、初めて王太子殿下との二人きりの茶会に呼ばれた時は思いっきりお洒落をして、王宮の庭に出かけた。
王太子殿下の横には台座に立っている女神像が置かれている。
その女神は慈愛の微笑みを浮かべながら、こちらを見ているのだが。
「女神レティナよ。今日はいい天気だな。」
ラピス王太子は黒髪で碧眼のそれなりにイイ男なのだが、女神の方に話しかけて、
こちらを見てはくれない。
「愛しいレティナとこうして茶をたしなむ事が出来て、私は幸せものだ。」
エストリアはあっけにとられた。
何の為に自分は呼ばれたのか。
せっかくお洒落もして、美しい空色のドレスを着てきたというのに。
「レティナよ。早くお前と結ばれたいものだ。そういえば、学園でな…」
ラピス王太子は18歳。エストリアより2歳年上である。
学年が違っていたので、遠目で見る事はあったが、今まで学園内で接触はなかった。
結局、ラピス王太子はずっと女神像レティナ相手に独り言を話し続けて、一言もエストリアに話しかける事はなかった。
屋敷に戻るとエストリアは父であるリストン公爵に、
「お願いです。お父様。この婚約、白紙にするわけには参りませんか?」
リストン公爵はエストリアの訴えに、
「この婚約は王家からどうしてもという事で結ばれたのだ。
だから、こちらから断る訳にはいかない。それにお前が王妃になって王家と繋がりが出来るのは我が公爵家としても歓迎すべき事だ。どうして嫌になったのかね?お前だって、王妃になりたいって言っていたではないか。」
「だって、今日、一緒にお茶をした時に、ラピス王太子殿下は女神像に話しかけて、わたくしの方を一度たりとも見る事もなく、話しかける事もなく、酷すぎますわ。」
「変わり者だとは聞いていたが…」
「そうなのですか?学園では変わり者の噂は聞きませんわ。」
「これは一部の者しか知らなかった事だからな。王太子殿下は人といるよりも、女神像を崇拝していて、王宮にいる時は女神像の傍を離れないそうだ。」
「ああ…知っていたのなら、教えて下さっても。わたくし、婚約なんて絶対にしませんでしたわ。いくら王妃になっても、見ても貰えない。話しても貰えない。寂しすぎます。」
涙がこぼれる。
しかし、リストン公爵は、
「これは我がリストン公爵家の為だ。耐えてくれ。エストリア。」
エストリアは絶望した。だが、リストン公爵令嬢として生まれたからには仕方がないのだ。
諦めるしかなかった。
それから、何度か王宮の庭で共にお茶をしたが、一度もラピス王太子は、エストリアに話しかける事は無かった。
なんて辛い…なんて寂しい…なんて苦痛な時間なのだろう。
「愛しのレティナ。今日は良い天気だな。君と共にいられる事が私にとって唯一の幸せだよ。」
女神像レティナの方を向き、熱烈な愛を囁くラピス王太子。
かといって、エストリアの方から話しかける事は出来ない。
身分の高い王族へ話しかける事は不敬にあたるので、エストリアはただ、黙ってお茶を飲むしかなかった。
そんなエストリアが恋をした。
父が買ってきてくれた男性貴族の人形、金髪碧眼で黒服を着ているのだが、その人形が妙に気に入ってしまって。
エストリアはその人形の虜になった。
「貴方の名前は何にしましょうか?アーレス。アーレス様に致しましょう。」
アーレスの大きさは、抱き上げて持ち運びできるくらいの、人間の三分の一位の大きさである。
エストリアはアーレスを持ち歩いて、ベンチに座らせて、ポーズを取らせたり、
花の中に立たせたり、
スケッチブックを持って行って、そのアーレスの姿を描いたり、
幸せだった。
ラピス王太子の事がアーレスと一緒にいる時だけ、忘れられた。
そして、ついに、ラピス王太子とのお茶の時に、アーレスを連れて行った。
ラピス王太子を無視して、王宮の庭にアーレスを立たせ、それをスケッチする事にしたのであった。
エストリアは、苦痛の時間を有意義な時間に変える事にしたのである。
どうせ、お茶の席に座っていたって、無視されてきたのだ。
席に座っていなくたっていいであろう。
王宮の庭は薔薇の花が咲き誇って、美しい。
ラピス王太子が、エストリアを無視して、女神レティス像に話しかけ始めたので、
アーレスを抱き立ち上がり、王宮の庭を探索する。
「なんて素敵な庭なのでしょう。さぁ、アーレス様。沢山、スケッチして差し上げますから。どこを堪能致しましょう。」
愛しい人形、アーレスを赤い薔薇の傍に立たせる。
そのアーレスを夢中になってスケッチしていると、背後から声をかけられた。
「私との茶の席を立って、何をしている?」
「アーレス様。空が曇ってきましたわ。濡れたら大変。」
エストリアはアーレスを抱き上げて、歩き出す。
何やら背後から聞こえてきたようだったが、気のせいだろう。
「無視をする気か?王族の言葉を。」
「あ、雨が降ってきましたわ。急いで帰らないと。今日のお茶は中止でしょう。さぁ、急ぎましょう。アーレス様。」
エストリアはアーレスと共に、急ぎ帰途につくのであった。
翌日、父のリストン公爵が苦虫を噛み潰したような顔で、
「王家から苦情が来たぞ。お前が王太子殿下の言葉を無視して、茶会を途中で帰ったと。」
「あら、わたくしはアーレス様との時間を大切にしたまでですわ。何か王太子殿下が話しかけてきたのかしら?全然、気が付かなかったわ。」
「エストリア…お前…」
学園へ登校してみれば、友達の公爵令嬢シーリアが、慌てたように、
「エストリア、王太子殿下が話しかけておりますわ。」
「え?どこにいらっしゃるのですっ?何も聞こえませんわ。」
「背後に…」
「貴様っ。王族である私を無視するとは、死罪に相当するぞ。」
ラピス王太子が叫んでいたが、エストリアは何も見えないし、聞こえない。
シーリアが慌てたように、
「死罪にするって言っていますわ。謝った方が。」
「だって、どこにも王太子殿下なんていないですわ。だから、どこへ向かって謝ったらいいか、わたくしは解りません。」
エストリアは教室へ入って授業を受けるのであった。
それから数日後、エストリアはラピス王太子から婚約破棄をされた事が父から伝えられた。
「わたくしはアーレス様がいれば、結婚なんて致しませんわ。」
「アーレスなんて買ってくるのではなかった。」
リストン公爵はエストリアからアーレスを取り上げようとした。
「わたくしの大事なアーレス様を、取り上げないで。」
アーレスを抱き締めて、部屋に閉じこもる。
「エストリア。悪かった。アーレスは取り上げないから。」
リストン公爵は慌ててドアの前で謝った。
妻を早くに亡くし、一人娘のエストリアは公爵にとっては可愛くて仕方のない娘であった。
エストリアも父の事は大事であった。その当時は王妃になりたかったし、父の為、公爵家の為ならばとラピス王太子との婚約も承知したのだ。
それから、数日後の事である。
リストン公爵は、食事の時、エストリアに向かって、
「ヘンリー・ハーベリンゲン公爵を知っているかね?」
「変わり者と噂の公爵様ですわね。」
「お前より10歳年上だが、是非ともお前と会ってみたいと言っているのだよ。」
「わたくしはアーレス様がいれば、結婚等…」
「しかしだな。この公爵家もいずれ、甥であるケビンに譲る事になっている。
お前は王家に嫁に行く予定だったからな。どこかへ嫁に行かねば、生きてはいけまい。
勿論、お前が一人で生きたいというのなら、私が目の黒いうちに、財産をお前に残して、苦労はさせないつもりではいるが。ヘンリー殿に会ってみてはどうかね?」
父があまりにも勧めるので、エストリアは会ってみる事にした。
翌日、ハーベリンゲン公爵家に行けば、26歳のヘンリー・ハーベリンゲン公爵が出迎えてくれた。
若手で有能な公爵らしいが、変わり者との事。
顔はハンサムという訳でもなく、その辺にいそうな青年である。
「よくいらしてくれました。さぁ、ソファにかけて下さい。」
エストリアはソファに腰かければ、対面にヘンリーは腰かけて。
「私と白い結婚をしてくださいませんか?」
「白い結婚?」
「ええ。私も好きな人がいるのです。」
「まぁ…それじゃ、わたくしのアーレス様の事を。」
「父上から聞きました。私の好きな人と言うのも実は人形なのです。」
「そうなのですか。」
「お見せ致します。こちらへ。」
ヘンリーがエストリアをある一室へ案内する。
鍵を開けて、中へ入れば、20体にも及ぶ、大小様々な人形が並んでいて。
「この子たちが全て私の妻です。美しいでしょう。私が丹精込めて作り上げた人形です。」
「まぁ。公爵様が作られたのですか?」
「ええ。仕事の合間に少しずつ。どの子も愛しくて愛しくて。だから、結婚するなら、この子達との触れ合う時間が減ってしまう。新しい子を作る時間も減ってしまう。
だから、結婚なんてしたくはなかった。だが…君も人形が愛しいと言う。
白い結婚をしてくれないか。私とて公爵。世間体と言うものがあるのだ。」
「解りましたわ。結婚承知致しました。わたくしもアーレス様と過ごしたい。
ですから、貴方様と結婚すれば互いの利益が一致するのですね。」
「そうだ。」
こうして、エストリアはヘンリー・ハーベリンゲン公爵家に嫁いでくることとなった。
この国では16歳から結婚が認められる。
学園に通いながら、公爵夫人となったエストリアは、毎日が忙しかった。
ハーベリンゲン公爵家の女主人として振る舞い務めるのは、幼い頃から、リストン公爵家の女主人を務めてきたエストリアに取って、それは造作ない事である。
ハーベリンゲン公爵家の使用人達は、この年若き公爵夫人を歓迎した。
何をすべきか。どうすれば、ヘンリーが困らなくてすむか。
ヘンリーも領地の事業で、いつも忙しくしている。
食事は一緒にとるが、寝室は別で、それでも、エストリアは幸せだった。
愛しいアーレスと共にいられるし、屋敷の中の事を勉強し、ハーベリンゲン公爵家の助けになる事が生きがいになった。
それに、ヘンリーは食事の時に色々とエストリアに話をしてくれて、エストリアの話も聞いてくれる。
いつしか、エストリアにとって食事時間が楽しみになっていた。
「今日は学園で、模擬のダンスパーティがありましたのよ。わたくし、ダンスは得意ですから、先生に褒められてとても嬉しかったのですわ。」
「それは素晴らしい。今度、王宮で夜会があるのだ。社交界デビューをしてみないかね?」
「え?本当ですか?わたくしが社交界デビューを?」
「勿論。私がエスコートしてあげよう。夫として当然の事だ。」
「有難うございます。ドレスは作ってよろしいのかしら。ヘンリー様は何色が好みですか?」
ヘンリーは考え込むように、
「君の綺麗な金色の髪に映えるドレスは、桃色のドレスかな…私の好みとしてはね。
今まで愛しい人形である妻たちのドレスをデザインし、業者に作って貰ってきたが、君のドレスも私がデザインしてあげよう。」
「ヘンリー様のデザインのドレスが着られるだなんて…素敵ですわね。」
ヘンリーは忙しい仕事の合間を縫って、エストリアのドレスのデザインをしてくれ、業者に注文し、美しい桃色のドレスを作ってくれた。
「エストリア。君のドレスが出来上がった。是非とも着てみてほしい。」
とある日、ヘンリーに言われて、エストリアはメイド達に手伝って貰い、ドレスを試着した。
袖や胸元に繊細なレースが施されていて、ふわりとした美しい桃色のドレスで。
エストリアは着替えると、ヘンリーを部屋に呼んでもらう。
ヘンリーはエストリアを見て、うっとりしたように。
「なんて美しい。私は君のような妻をエスコート出来るなんて鼻が高い。」
「わたくしも、こんな素敵なドレスを着て、社交界デビューが出来るなんて…」
「エストリア…。」
ヘンリーはエストリアを背後から抱き締めて、
「白い結婚を君に提案したが、私は撤回したい。君の事が頭から離れない。
君はどうなんだ?」
エストリアは胸がどきりとした。
「アーレス様の事は今でも愛しくて愛しくて。でも、それ以上に貴方の事が頭から離れませんわ。貴方の奥様達もアーレス様も大事にしながら、一緒に生きていきませんか?わたくしは、貴方と素敵な家庭を築きたいと思っておりますわ。愛しております。ヘンリー様。」
ヘンリーは正面からエストリアをぎゅっと抱きしめて、その唇にキスをしてくれた。
エストリアは心から幸せを感じるのであった。
そして、社交界デビューの日。
ヘンリーに手を引かれて、王宮の夜会に出たエストリアはそれはもう、美しくて。
ヘンリーがデザインした桃色のドレスがエストリアの美しさをさらに引き出しているようだった。
「美しくなったな。エストリア。」
誰だか思い出せないけれども、男性に声をかけられた。
この人は誰だったかしら。
そうだわ…確か…
エストリアはにっこりと笑って。
「はい。ヘンリー様がわたくしを大事にしてくださるお陰で、とても幸せですわ。だから、わたくしは美しくなったのだと思います。」
声をかけて来た相手、ラピス王太子は苦虫を噛み潰したような顔をした。
学園で仲のいいシーリアが、エストリアに声をかけてきて。
「ラピス王太子殿下、いまだに婚約者がいないそうですわ。貴方にした仕打ちが広く知れ渡って、皆、嫌がっているとの事よ。」
「そうですの。」
「学園でもその話をしたと思うけれども、貴方、ラピス王太子殿下の話となると、抜けてしまうんですもの。ラピス王太子殿下の姿形も見えないというし…余程、ショックだったのね。
でも、その事を乗り越えたみたいでよかったわ。」
そう…ラピス王太子にされた事は心に傷を残した。でも、今は…
わたくしには、最愛のヘンリーという夫がいるのだから。
ラピス王太子からされた事なんて、もう、何でもないわ。
ヘンリーがエストリアの手を取って、
「踊ろうか?エストリア。皆が君に注目している。私も下手な踊りを見せられないな。」
「よろしくお願いします。旦那様。」
「こちらこそよろしく。愛しい奥様。」
エストリアはヘンリーにエスコートされて広間の中央に行き、ダンスを踊る。
もう、傷ついた自分は過去のもの。
今は、最愛の夫と共に…
エストリアの人生は王宮の広間で華麗に花開く。