第三章 愛の結晶☆かわいい美舞の産声に
1
「これが、日本よ。あまり、目立つ所は出歩きたくないから、この街にしたの」
マリアの故郷ではなかったが、木下家の直ぐ側は離れたかった。
「いいのかい? ご実家の近くではなくて」
ウルフは、心配して訊ねた。
「あまりね、こんな仕事は理解されないのよ。特に光造お父様にはね。分かるでしょう」
「勿論。特に今は平和の鐘を鳴らす国だ」
「じゃあ、この一戸建てを買うわね」
マリアとウルフは、戦場を離れた後、日本に来た。
ウルフは、日本国籍を得て、“三浦司狼”という名前になり、木下から三浦真理亜となった妻と一緒に暮らし始めた。
「ウルフがいいかな、司狼がいいかな」
「ニヤニヤしちゃって、同じ人じゃないの」
おでこをピンと弾いてやったマリアは相変わらずのツンだ。
「同じファミリーネームだよね。三浦だって」
ピシピシとおでこを又弾かれた。
ウルフは、痒いのが可笑しい。
2
当然、マリアにとっては生まれ故郷だから問題はない。
日本語にも暮らし方にも不自由はない。
だが、ウルフはドイツ生まれだ。
「悪いわね、日本にして貰って」
「何を言っているんだい」
ウルフが優しく背中を擦った。
「日本は、他の国に比べても危険が少なく治安も良い。出来るだけ争い事を避けたい俺達には、都合が良いだろう。だから、日本に移住、いや、定住する事にしたのだし」
二人は、半ば恋愛未満で生活を始めたばかりだ。
「まあ、あんな出会いからして普通じゃないし、出会ってから間もない。お互いに興味があって傭兵稼業から足を洗ったのだから、暫くの間、一緒に住んでお互いの事を分かり合うのは良策だと思うよ」
ウルフは、にこっと笑った。
「結婚しよう」
ウルフは、恥ずかしくて精一杯だったから、それ以上もそれ以下もない。
ここで、マリアの手を握る筈だったが、そうは上手くは行かない。
「ロマンの欠片もない」
愛する女性に一蹴される。
そうして、二人は同じ家に住み、世間に溶け込む為、結婚をした。
3
「金銭面では大丈夫よ。私達の傭兵時代の稼ぎで少なくとも三十年は暮らせるわね」
マリアは、もしかしての事も考えて、試算していた。
「俺が、小さい診療所を開いて多少の収入を得られるようにするよ。そうする事で、周りにも不信感を与えずに済む。準備期間は迷惑を掛けるが、勘弁な」
ウルフにとって、仕事を持つ事も日本での生活を支えていた。
「幸せになろうな」
真顔のウルフだ。
「何よそれ」
こちらも真顔のマリアで対応する。
こうして、二人は平和な日本で、平和な人生を歩む事にした。
しかし、この時はまだマリアに伝えていなかったが、ウルフには使命があった。
ふいに消えてしまった土方葉慈と言う友人と彼の心配する息子土方玲を探さなければならない。
4
――それから二年後。
「え、陣痛が来た? いつから!」
診療所から帰ったウルフが、あんぐりとして訊いた。
「んー、まだまだかな。初めてばかりだけれども、がんばってみるよ。助産師の井上さんが、もう来てくれているから。ウルフは、リビングに居てくれるかしら」
「わかった。大事にな」
リビングでは、そわそわ、そわそわ、それしかない。
「どうか、無事で。無事で……」
ウルフは、時計の針が止まっているのか動いているのかも分からない。
マリアにとっては、時間が長くも短くも感じられた。
「ほぎゃあ。おぎゃあー!」
「産声が! 生まれた、生まれたよ。俺達の子が」
落ち着けウルフ。
「少々お待ちくださいね」
井上さんの声だ。
「はい。どうぞ、お待たせ致しました」
うるうると、何もかも滲んで見えるウルフは、マリアの手を取った。
「ありがとう、マリア。ありがとう」
涙ながらに、ウルフは、二人の間に生まれた子を愛おしく見つめた。
「女の子だね。可愛いなあ……」
「私に似たのよ」
まだ目も明かないけれども、二人には愛おしい顔貌だ。
「そうとも、そっくりだ」
静かな風が流れた。
暫くして、ウルフから切り出す。
「話し合っていた名前。女の子だったらの美舞で大丈夫かい? 三浦美舞だよ」
「勿論よ。名前をつけて貰って、私もこの赤ちゃんも幸せだわ」
息を整えながら、喜びで瞳を潤ませたマリアが、こくりと頷いた。
「そうだな、届けて来るよ。役所に行くけれども、いいかな。安静にしているんだよ」
「お願い致します。パパ」
ママのマリアは、にこりと笑った。
「パパだって。美舞、聞いたかい。パパだよ」
それが、三月十日の事だ。
後に、運命的な誕生日となる。
可愛い美舞。
美舞は両親に似て美人になるだろうと思われた。
事実、十数年後には、ちょっとした学園のアイドルになる。
それはさておき、美舞の左手に五芒星の、右手に六芒星の痣があり、まさしく二人の血を引く証だ。
この痣が、神か悪魔か分からない敵との苛酷な運命に、美舞を巻き込んで行くとは、ウルフもマリアも思い及ばなかった。