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第一章 二人の傭兵☆出逢ってしまった赤い糸で

   1


 ――某国秘密部隊。

 ガサッ。


「静かに……。ベース迄、近い」


 その日、二つのベースが、森林の中緊迫した距離に張られた。

 ここは、侵入者側と抵抗勢力側の最前線だ。

 戦場に(つわもの)は幾らでもいる。

 正規の軍人に限らず、傭兵にも数多くの兵は存在する。

 その中でも一際光る二人の傭兵が、ここにいた。


「はあ、今日もしけていたわね」


 一人は、“漆黒のマリア”と呼ばれる凄腕の女傭兵だ。

 長い黒髪、吸い込まれそうな黒い瞳、均整のとれた体に黒い戦闘服を身にまとう。

 これが、木下(きのした)真理亜まりあが、“漆黒のマリア”と呼ばれる所以だ。

 これ迄、実に四桁にも及ぼうかという数の敵兵を(たお)して来た。


「退屈しのぎ、しようかしら? 夜になったし、お・さ・ん・ぽ」


 マリアの優れた所は夜戦にあり、黒い戦闘服で暗闇に紛れ、素早い動きで敵に接近し斃す所だ。

 だが、マリアの武器は、誰にも知られていない。

 何故ならば、マリアと闘う事になった兵士が、必ず斃されるからで、マリアの斃した兵士の体には、明らかに何かで切られた様な跡がある以外には、何の痕跡も残っていないからだ。

 この事で、マリアは、戦場で常に有利に闘える。

 まだ、二十歳と若く、身の丈は百六十数センチと凛とし、今を盛りとして咲く花のようだ。

 そう、黒い花だろう。

 ――隣接したベース。


「ふう、夜風に当たるか。眠れる様な気配ではないし。散策と行くか」


 一方、“白銀のウルフ”と呼ばれる、ウォルフガング=アルベルト=ミュラーは、長く見事な銀髪、透き通るような碧の目、穏やかな物腰だ。

 異名からは程遠い、とても兵士には見えない男らしさが見受けられる。

 こちらは、三十歳、身の丈は、百七十八センチ程度だろう。


「今夜はいい風だ」


 戦場では、何でもこなすオールマイティな働きをした。

 所が、ある日、土方(ひじかた)葉慈ようじと言う医師に出会い、その日を境に闘う事を止め、軍医になった。

 元々、医師免許を持っていた為、軍医としても目覚ましい活躍をしている。

 しかし、戦場の友、葉慈は、「息子が心配だ。一旦日本に帰る」と言ったまま、消息を絶ってしまった。


   2


 ウルフは、マリアを知らない。

 情報としては知っていたが、その凛とした花を知らなかった。

 戦場で出会ったのは、七月八日の零時ジャストだ。

 場所は、ウルフが所属している軍のベースになる。

 ウルフは、何となく近くの森の中を歩いていた。

 不思議と眠気が無く、こういう時に限って何かが起こるのを今迄何度も経験して来たからだ。

 夜中にしては月が明るく、くっきりと影が出来る程だ。

 こうした時は夜襲に向かないが、それを逆手に取る事も可能だろう。

 現在の戦況は、自軍に有利であったが、たった一度の戦闘が戦況を完全に覆してしまった例は、数多くあり、ゲリラ側に“漆黒のマリア”がいる以上、夜襲を警戒するに越した事はない筈だ。

 一方、マリアは、単独で行動しているが、この手の夜襲はどちらかというと人数より速さと正確さを重視しなければならない。

 人の多さが正確さを欠く事に繋がるので、この動きは間違ってはいなかった。

 サアアアア……。


「風向きが、怪しいな」


 ウルフが、暫く散歩して帰ろうとした矢先、振り向けば、ベースの方向が炎上しているのが見えた。


「これは、夜襲だ! ベースが燃えている――」

 

 物事の重大さを悟って帰ろうとしたが、ウルフの背後に人の気配を感じた。

 シュッ。

 何かが、空を切る音が聞こえる。

 ウルフは咄嗟に(かわ)したが、躱せたかどうか分からなかった。

 しかし、体のどこにも痛みを感じず、何かが動く気配を感じたので、ウルフはすぐさま戦闘態勢を取る。

 大きな樹を背にし、腰を落として敵の出方を待った。

 敵の方も隙を見い出せない為か、動かない。

 こうなると、持久戦になりかねないのが厄介だ。

 ウルフとしては、早急にけりをつけなくてはならず、焦りが隙をつくった。

 その瞬間、敵がいきなり仕掛けて来た。


   3


 シュッ。

 再び、何かが空を切る音が聞こえた。

 ウルフは体勢を崩しながらも、その音の正体を見る。

 黒髪で黒い戦闘服を着た美しい女性だった。

 武器をもっている様子も無く、左手には黒い革手袋がはめてある。


「美しい……」


 ウルフは、思わず呟いた。

 そうせずにはいられない程まばゆい。

 戦場に舞う漆黒の天使とは、このことか。

 ウルフは生まれてから、これ程美しい女性を見た事がなかった。

 直ぐにウルフの脳裏に一つの名前が浮かんで来た。


「漆黒のマリア……。だな」


 この言葉は、質問ではなく確認だ。

 ゲリラに優れた傭兵がいるとは聞いていた。

 女性とは聞いていたが、これ程美しいとは思いもよらなかった。

 ウルフの祖国ドイツにあった人形を思い出す。

 母が可愛いがっていた赤いドレスを彼女に着せたらもっと美しいだろうと妄想に走った。


「白銀のウルフよね……。こんばんは。何て言ったらいいのかしら」


 マリアは微笑んだ。

 その微笑みは天使のようでいて、悪魔のようでいて、見るものを魅きつける。

 ウルフはその顔貌に見とれつつもゆっくりと話しかけた。


「君の噂は聞き及んでいる。噂以上の仕事ぶりだね」


「お褒めにあずかり光栄ね。貴方の噂は私も聞いているわ。でも、噂ってあてにならないわね」


 マリアがクスリと笑う。


「どうして?」


「ここに侵入する時、貴方の側を通ったのよ。でも気付かなかったみたいね。やっぱり引退して感覚が鈍ったのかしら」


 左の革手袋を右手で、ぎりりっと直す。


「気付いていたよ。しかし、君だとは判らなかったけれどもね」


 ウルフの淡々とした口調にマリアは驚き、口を開けた。


   4


「――判っていたなら、どうして阻止しなかったのよ。貴方の雇い主がやられるのを黙って見ていたって事?」


「たった一人の人間にやられるような奴らに、雇われたつもりはない。俺は、奴らの力量を試しただけだ。もし、俺がここじゃなくあそこにいたら、君の仕事もああは行かなかっただろう?」


 ウルフは挑発してみた。

 マリアはどうやら負けん気が強そうだし、ウルフとしてもマリアの手の内を見てみたかった。


「成功しなかったって事かしら」


 苛立たされているマリアにたいして、ウルフは嫌味もなく返す。


「いや。苦労していただろうって事だよ」


「そうかしらね。本当に」


 マリアが、先に焦って来た。

 こうなると闘いは厳しい。


「納得が行かないなら、試してみるかい?」


 ウルフは、マリアが挑発に乗ったと思った。


「望むところよ。任務も完了したし、貴方の化けの皮を剥がすのも面白そうね」


   5


 マリアの言葉と同時に二人は身構えた。

 マリアは右足を踏み出し、右手を顔の下に構え、左手を胸の辺りに置いた。

 ウルフはマリアの構えを鏡に映した様に左側を前に出している。

 二人とも素手だ。

 体のどこにも武器をつけていない。

 唯一、マリアは左手に、ウルフは右手に革手袋をつけている。

 ガッ。

 二人は、同時に地を蹴った。

 先ず、マリアがウルフの腹部に拳をふるった。

 ウルフは、それを難無く右手で払い、払いつつも左手で脇腹を殴る。

 流石に擦っただけではあったが、今迄何人にも触れさせた事がなかった体に触れられて、マリアはカッとなった。


「……くっ」


 マリアは、今迄にない屈辱感を味わっていた。

 自分の攻撃は当たらないのに、相手の攻撃が当たってしまう。

 それは、今迄の敵には決してあり得ない事だった。

 それからもマリアが焦れば焦るほどマリアの攻撃は当たらない。

 ウルフの方はというと、余裕綽々という表現がぴったり来るほど難無く闘っている。


「どうした、それが“漆黒のマリア”の闘い方かい?」


 ウルフは右手でマリアの左手を掴み、背負い投げのような感じで投げる。

 マリアは、受け身もまともに取れず、背中を強かに打った。


「ぐう」


 マリアは、背中の痛みよりも自分の脆さが悲しい。

 闘いの事よりも、精神の脆さにだ。

 今迄、数々の修羅場をくぐり抜けて来た筈の自分の存在意義が、目の前の男によって無に帰されようとしている。


「負けるもんか……。ま・け・る・も・ん・か……」


 マリアの目には、子供が喧嘩に負けそうになってそれを覆そうとする、ある意味で純粋な欲望が宿っていた。


「負けるもんかー!」


 マリアがそう叫んだ瞬間、マリアの左手から光の塊が放たれた。

 グアルビアアア――。

 ウルフはそれを見て一瞬驚いたが、落ち着いて右手に気を集中すると、光の玉を吸い上げる。

 ズッウッンシュウウウン。


「光球を受け止めるなんて……」


 マリアは、それっきり呆然自失と言っていい状態で、フッと倒れた。

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