幕間2 悪い奴ら
「ああ……」
窓から吐き出される炎と煙を見上げて震えるエルフの令嬢オデット。
彼女はデパイ伯爵家の若き当主だ。もっとも、エルフは人間の倍ほどの寿命を持ち、オデットも若造の部類であるが40歳を過ぎている。
デパイ伯爵家は苦難の時を過ごしていた。伝染性の病気で一族の殆どが死んだあと、一族の末席に連なっていたオデットが家を継いだのだが、そのための教育を受けたこともないオデットは急速に伯爵家の身代を傾かせてしまった。
そこにとある貴族が親切顔で提案をしてきた。ドワーフが関係改善のための使節団を送ってくるので、その接待役の手伝いを探している。明確な役職名はつかないが、完全な公務なのでちゃんと働けば聖教国の首脳陣からも評価がされる。そうすれば、高位者へのコネも出来て、家勢も上向くのではないかと。
二つ返事でこの提案を受けたオデットはすぐに後悔することになる。
聖教国の首都に向かうドワーフ一行を自分の屋敷で歓待したのだが、よりにもよってそのタイミングで火事を出してしまったのだ。しかもドワーフを巻き込んでしまったのだから大失態だ。
屋敷全部が焼け落ちることはなかったが、ドワーフの一人が大火傷を負い、教主への贈答品も火に焼かれてしまった。
聖教国はエルフが中心となった国で、その文化はエルフの伝統が基礎となっており、建物は石垣などを除いて木造で作られている。そのため、失火に対する備えは念入りに準備がされており、貴族家で火事が出るなどあってはならないことだった。
これは、オデットの不手際ではなく、ドワーフとの関係改善を望まぬ派閥の手による放火であったのだが、本人はそんなことを知る由もない。
火に焼かれた贈答品の中で、消失を免れたものがあった。ミスリルの指輪である。
しかし、形は残っているものの、見事に輝いていた青色は消え失せ、くすんだ灰色に変わってしまっていた。
責任問題とドワーフへの謝罪と賠償が議論される中で、聖教国は、無傷のミスリルと金銭、そして教主の謝罪文書をドワーフに渡すことで幕引きを計る。
オデットのデパイ伯爵家がミスリルの代替品を国に献上せねばならなくなった。融和派の教主は大変に怒っていて、3ヶ月以内にことが成されなければ、デパイ家は潰して、その当主つまりオデットを死刑にすると正式に通告した。
窮地になったオデットのもとに、またもや現れた親切顔の貴族が囁く。
「ミッドランド王国で、ミスリル鉱石が僅かながら流通した形跡がある」
と。更には、ミスリル探索のための人員も貸してくれるという。
この段階でも、オデットは自分が嵌められていることに思いが至らない。
口と態度は悪いが、忠義者のジャンポールに命じて、王国への旅支度をさせた。
聖教国は、ことの始まりが火事というエルフにとっての大恥であるので、ミッドランドに正式な要請はせず、非公式に協力を要請した。要請されたのは、王国のレムリア侯爵だった。
◇◆◇◆◇
オズワルド=ガル・レムリア侯爵は、エルフから届けられた手紙を読んで、機嫌が悪くなった。
なぜなら、届いた2通の手紙が全く逆のことを要請してきたからだ。
1通は聖教国の教主に近いドワーフ融和派の枢機卿からで、ミスリルが必要になったので、デパイ伯爵を王国に送る。ついては、ミッドランド王家に借りを作らない形で、伯爵を支援してほしいとあった。
もう1通は、反ドワーフ派の枢機卿からで、融和派の要請を無視してくれとのことだった。
侯爵は、どちらかといえば反ドワーフ派との交流が多かった。隣国が自国以外と不仲のほうが都合が良かったからだ。聖教国における自分の存在感が増し、貿易などで有利な秘密協定を結んで、利益を得ていた。
どちらかの要請を無視することが出来なくて悩む中、従者のテッセングラートが妙案を出してきた。
シルバードーン家を使おうという提案だった。
侯爵はシルバードーン家を自派閥に引き込み、いずれは乗っ取るつもりで数年前から手を付けている。暗愚と評判の現当主は、ちょっと耳障りの良いことを言っただけで、すぐに尻尾を振ってきた。
男爵家を西部派閥に引き込めば、自分の影響が中央の一部に食い込むことになる。使い捨てにできる駒が手に入ると思えば、多少王弟に睨まれても利益はある。ゆくゆくは、自分の三男を貴族家の当主に据える計画だ。
順調に乗っ取り計画が進む中で、男爵の息子が伯爵家の令嬢を襲うという事件があり、男爵の後継者が不在となる公算が高くなった。
それにつけ込んで、エルフの世話役をシルバードーン男爵にさせるというのである。侯爵はシルバードーン家に従者を派遣した。エルフの脚を引っ張る無能者であるかを改めて見極め、敢えて世話役を押し付けるよう指示を出した。
聖教国に対しては、失敗した男爵に責任を取らせる。もし、男爵家の乗っ取りがご破算になっても、得られる利益がなくなるだけで、損はない。
融和派には、要請を受諾して、相応の立場の者に専属で世話をさせると返事をし、反ドワーフ派には、融和派への協力はポーズだけであり、秘密裏に失敗させると密書を送った。
◇◆◇◆◇
デパイ伯爵家の兵士ムルゴルは、責任を痛感していた。火事が起きた夜の警備をしていたのが彼だったからだ。
火の気の無いことは巡回でしつこく確認したはずだった。しかし実際に出火したのだから、それは言い訳にしかならない。
ムルゴルは処刑すべきだとの声が上がり、本人も唯々諾々とそれに従う気でいたが、上司の兵士長のジャンポールがそれを庇った。
これからの働きを見極めてから改めて処分を下すということになった。
ムルゴルは、失態の埋め合わせをしなければという焦りと処刑の恐怖から、視野狭窄に陥った。
他国で、傍若無人に振る舞うことの弊害は全く頭になかった。ただただミスリルを手にれることだけしか考えられなくなっていた。
このムルゴルというのが、後日ドンガと戦い片手を折られ、レオナルドに殺されたエルフである。
◇◆◇◆◇
ムルゴルを操った女がいる。
デパイ家に応援として派遣された狩人の一団、その女頭目のヴィヴィアンだった。親切顔の貴族の家臣という触れ込みだったが、実際には、傭兵と盗賊の二足のわらじを履く連中だった。
意気消沈するムルゴルを酒に誘い、愚痴を吐かせて、優しくしてやれば、すぐに懐いてきた。自分でミスリルを見つければ、功績は随一で、名誉も挽回できるだろうと繰り返し吹き込んだ。
多少騒動になっても、こちらは伯爵家だから、相手は大事には出来ない。いざとなれば、自分が聖教国まで逃してやるとも請け負った。
ジャンポールという男は、なかなか厄介だった。齢70を超えて、経験も度胸も十分。その勘で、ヴィヴィアンたちのことを疑う態度を見せていた。
が、そのジャンポールも、ミッドランドに入国して10日も経つ頃には、ヴィヴィアンを受け入れるようになった。
その手管に感心したヴィヴィアンの部下は秘訣を彼女に聞いた。
「一晩抱かれてやっただけさ。男なんてのはね、1回ヤレば、勘違いするもんなんだよ。まあ一発じゃすまなかったけどね。ぎゃはははは!」
◇◆◇◆◇
ヴィヴィアンのコントロールでムルゴルは問題を起こしまくり、ジャンポールは苦い顔をしながらも、強硬なやり口に歩調を合わせるようになった。
当主のオデットは蚊帳の外だった。部下に『任せて欲しい』と言われれば、他に味方のいない彼女が強く諌めることが出来なかった。
ヴィヴィアンがアブラーモという王国貴族を紹介されたのは、テルミナ領でムルゴルが強盗騒ぎを起こした後だった。
アブラーモによれば、テルミナ家はミスリルを家宝として所有しているという。この情報にエルフたちは色めき立った。
時間的猶予もなくなってきている。
退去するという約束など、この魅力的な餌の前にはゴミ屑同然だった。
それとほぼ同時に、秘密の拠点の掃除と馬防柵などの準備が完了したとのメッセージが届いた。これは、セブン領の山中に砦跡があることを知ったジャンポールが部下を送って使えるようにさせていたのだ。
準備が整ったと判断したエルフたちは、テルミナ邸の襲撃予定を立て始めた。
一方、小心者のアブラーモは、自分がミスリルを譲渡させるからとテルミナ家との交渉を買って出たが、結果は散々なものだった。
戻ったアブラーモは、エルフたちに襲撃を願った。その際、本館は構造も複雑で、ミスリルの隠し場所も判明していないから、離れを狙って人質を取るべきと進言した。また、人質を取る場合には、女性を必ず含めるようにともつけ加えた。
これは、アブラーモの意趣返しでもあった。このところ、ひどい目にばかりあってきた彼が、その鬱憤を晴らすために女性を要求したのである。
エルフは、ターゲットを当主の実妹と唯一の姪であるアデリーナとフランセスカに決めた。
ヴィヴィアンは内心でほくそ笑んでいた。ここで失敗してもいいし、誘拐が成功しても交換交渉が成功するなど夢物語だと思っている。
ドワーフ融和派の命令で他国に来た貴族がその国の貴族を襲撃する。完全に国際問題だ。融和派の大失態に反ドワーフ派の依頼人も満足だろう。
契約は達成したも同然だ。
いつでも逃げられるように部下たちにこっそりと指示を出しておいた。
◇◆◇◆◇
ヴィヴィアンは、襲撃が終われば結果に関わらず、即座に逃げるつもりだった。それが、レオナルドの一本背負いで昏倒させられ、砦跡まで運ばれてしまった。
それでも逃げるチャンスはいくらでもあったのだが、彼女は機を見てレオナルドを殺してから逃げようと考えを変えた。
ニンゲンの若造にしてやられたのが気に食わなかったからだが、この選択が、彼女を地獄へ導くことになる。
余裕を見せすぎて、レオナルドたちに逃げられ、追いついてきたテルミナ軍に部下を殺され、命からがら逃げ込んだ砦跡には鬼がいた。
ヴィヴィアンの本質は戦士ではない。故に勝てない戦いから逃げると決めている。サンダースを見つけた直後には、彼女は誰よりも早く背を向けて走り出した。
だが転んでしまった。日中には脳震盪で気を失い、先程も体当たりで吹き飛ばされた。疲労も溜まっているし、恐怖心もあった。
右腕を切り落とされて、必死に止血しようともがくヴィヴィアンにサンダースは告げた。
「2,3日だな」
最初は意味がわからなかったが、それが自分の余命だと理解した。
サンダースは、最低限の情報さえ取れればいいと考え、すぐには死なないが、そのままでは確実に死ぬ傷を与えたのだ。
治療をちらつかせば、口を割る可能性は大きくなる。
サンダースという男は、どれほど感情が乱れても、常に冷静さを残している。完全に我を忘れたことは過去に一度だけ、主である王弟が戦場で危機に陥った時だけだ。
このときも、皆殺しではなく、なるべく上位者であろうエルフを見繕って見逃した。殺さなかっただけではあるが。
◇◆◇◆◇
砦跡の虐殺を、森の木の上から見る男がいた。シルバードーン家の新しい執事、ジャバだ。
彼はアブラーモのお気に入りだが、主人を敬う気持ちは砂粒一つほどもない。
エルフに協力することになった無能な主人を口八丁で言いくるめて別行動を認めさせ、実質的に自由に動いていた。
アブラーモがテルミナ領に行くときは、拠点の整備をすると言って同行せず、アブラーモが砦跡に到着したら、偵察に出るという方便で物理的に距離をとった。
ジャバの真の主はアブラーモの義父のキンドルであるが、このところ、侯爵家の従者とも面識ができて、虎視眈々と独立を狙っていた。
まずは、エルフ騒動の顛末を自分の手柄として報告しよう。数年越しの大仕事が成功したのだ。最低でも支店の1つも任されなければ割に合わない。
上手く交渉してレムリア領の支店を貰おう。そして侯爵家のコネを太くしたら独立だ。
輝かしい未来に胸を踊らせて、ジャバはその場を離れた。
「あばよ、バカども。最後だけは楽しかったぜ」
その捨てゼリフを聞いた者はいなかった。
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