第八話:陸軍大改革論
東京
九州から帰京した兒玉十三朗は、西南の役での教訓を踏まえた陸軍の将来の展望についてのレポートを半年かけて作成し、『陸軍大改革論』というタイトルで山県有朋に提出した。
陸軍大改革論の主な項目は、
(1)国内及び国際情勢、戦略戦術に関する知識を習得する陸軍大学校の創設。
(2)各鎮台の強化。
(3)兵站、衛生等を管理する『後方支援連隊』の創設。
(4)気球連隊の創設。
であり、紙の山と化したレポートを山県は一枚一枚を丹念に目を通していた。
兒玉十三朗は、山県の座る机の前に置かれているソファーにくつろいでいた。彼は愛読書の『太平記』を読んでいる。途中、山県が声をかけてきたので、本を閉じて顔を山県の方へ向けた。
山県はレポートを隅へずらし、煙草を吸っていたが、その表情は良くなかった。
「この改革案は随分と将来を見据えた大掛りな物だなぁ」
と、山県は苦い口調で言った。理由は予算にある。日本の国家予算は常に乏しい。その乏しい予算内で内政は、国内のインフラ等を行い。海軍では、軍備拡張のため外国から最新鋭の軍艦購入という、贅沢な買い物をしており、お陰で陸軍に予算増額の目処が立たっていない。
山県は兒玉に予算の事の諸事情を話した。だが、兒玉も譲らない。
「陸軍は創設から十数年、まだ至らぬ所が多々あります。欧州列強に比べても水準以下。その事は西南の役で山県さんが一番分かっているではありませんか。歩兵だけ、砲兵だけ増やしたところで、強い陸軍は出来ません」
と、言って結局は兒玉十三朗に頭が上がらない山県が全面的に妥協することとなった。結果的には陸軍の改革予算は、彼の人力と裏工作で政府の予算案に組まれる事となる。
「兒玉、一つお主の考えを聞きたいが」
山県は煙草を灰皿に捨てた。
「日本と清国は戦になると思うか?」
山県の質問に十三朗は迷う事もなく頷いて言った。
「起こるでしょうな、近い将来に朝鮮を巡って」
「朝鮮、か」
と山県は呟いた。西南の役後、国内の問題解決させた日本は朝鮮に確固たる影響力を築こうとしていた。朝鮮は経済的な関係以外にも日本の安全保障上必要不可欠な地形であった。清に足場を固めた列強勢力進出から日本を守る防波堤としての役割を担わせるため、朝鮮は日本の影響の下で近代化をさせる必要があった。しかし、朝鮮を古くから属国としてきた清と対立し、日清間の関係は悪化した。さらに北の大国ロシアも朝鮮進出の隙を伺っていた。
「山県さん、私からも一つ伺いますが」
と兒玉は言った。
「うん、何だ?」
「政府の方針こそは朝鮮の独立を掲げているますが、最終的には朝鮮を日本に取り組むなんて考えてはいませんか?」
山県は眉をひそめて考え込んだが、しばらくして口を開いた。
「お主には、隠し事など通用せんからな」
と言って、朝鮮の領土化の野心がある事を認めたが、あくまで、まだこの考えはほんの一部の者の考えに過ぎないという。
兒玉もこれを聞いて腕を組んで考え込んでから、
「悪いとは言いませんが、戦をやる以上に大金が掛って骨の折れる大仕事です」
と言った。
当時の朝鮮は、自国の文字を書けるのが、身分が高い家柄位のみで、国民の殆んどは書けない。また、鉄道も無く、インフラに産業等は日本の江戸時代のこれに当たる。近代化しない状況で領土化してしまえば、日本同等の近代化が必要で、これ等に莫大な資本を投資しなければならなくなる。
さらに、抵抗運動も起こる。かつて欧州諸国が植民地化していった地域で抵抗運動が無かった例は一つも無い。鎮圧は一日や二日で終わるものではなく、月日を問わず各地で発生し損失も大きい。
山県は、うむ、とだけ返事するのみだった。兒玉は窓の方に寄って外を見た。空は晴れはたり気持ちのいい健やかな日だ。兒玉は大きく息を吐いた。彼も野望を抱きここまで登り上がってきた一人の男として国を強くしていきたいと思っている。国の領土を広げたいとも思っている。だがそれは、占領国の各領地に占領政策を掲げた表札の設置や占領政策を取り仕切る人間を派遣するだけの戦国時代とはわけが違う。占領者が異民族である事を理由に武器をとって戦い続ける。兒玉はその事を重々知っていた。
「まっ、山県さん、時間はまだたっぷりあります。それに、その時になれば私を占領地に遣させてください。私がなんとかしますよ」
「うん、約束しよう。……所で兒玉よ、髭はどうした?」
「髭…」
兒玉の言葉はいつもとはちがい弱々しい。
「昨日、家でこの論文を書き終わってごろ寝してた隙におづに切られたんですよ」
途端に山県は腹を抱えて笑いだした。兒玉の顔に生えていた立派な髭は無く綺麗に剃られていた。その顔は十代の若者顔であった。
「あぁ、あの子か。それにしても、お主の年は31だろ?だが、どうして若者顔なのだ?」
この疑問は山県だけではなく、陸軍内で噂となっていた。
兒玉自身も楽な事ではない。兒玉十三朗の名は広く知られているが、会見の際、外国人武官等と初対面の時等は最初、彼等は彼を兒玉十三朗と知らず、兒玉から自己紹介すると「君が兒玉かね?」と毎度の事そう言われていた。
「そらぁ恐らく、…いつも忙しいから更ける暇がないからでしょうかね?」
兒玉は頭を掻きながら言う。
「兒玉よ、嫁を貰う気はないか?」
「よっ嫁…ですか」
兒玉は目を見開いて山県の言葉に耳を疑った。
「ん?『今正成』と言われた戦上手も、これは苦手か?」
山県はニヤニヤしながら小指をチョイチョイと動かして促した。
「まぁ私は、禁欲主義ではありませんが、いやぁ、まいりましたよ閣下」
兒玉は顔を赤くさせ後ろ頭を掻き回した。
「で、どうする気だ?」
山県の問いかけに兒玉は笑顔を見せた。
「では閣下、ここは一つよろしくお願いします」
そう言って兒玉が山県の部屋を出て、廊下を歩いていたら、後ろから聞き覚えのある呼び声が聞こえた。振り返ると親友の黒木がいた。
「久しぶりだのぉ、兒玉!髭がなくなって見間違える位に鼻垂れ小僧になったなぁ。はははっは」
と、黒木は馬鹿笑いしながら兒玉の肩を叩いた。最初は嬉し笑いであったが、髭のない彼の姿をみて本当に笑いだした。黒木の笑いに釣られて、辺りにいた将校もクスクス笑っていた。
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兒玉十三朗の妻となったのは人は、山県有朋の友人で元治元(1864)年に池田屋事件に遭遇し、死亡した杉山松助の親類で、二十歳になたばかりの娘で名を、杉原トミと言う。
二人の見合いは東京の山県の私邸で行た。
「あなたが、兒玉十三朗様ですか?」
と、彼女からも言われてしまった。だが、兒玉は一目で惚れ込んでしまった。
明治11年、日本の各地で田んぼに黄色く実った稲を刈り取る9月の事。この頃には日本の国内事情も一応は安定し、数年間は大きな流血沙汰も起こらない平和な時期が続いた。
次話から数年後、十三朗の弟が海軍に入ってからの活躍を書きます。