第七十九話:十字砲火
砲撃が止んだ。
陽が上がり、雲の少ない空はいつものように晴天だった。旅順港を見下ろす二百三高地の赤茶色の地表は、砲弾により至るところが弾痕で凸凹になっていた。
「敵さんの大砲が終わりましたね」
「あぁ」
藤野の問いに兒玉白朗は「電話が来たら代わりに出てくれ」とだけ言って、壁に寄せ掛けていた三十年式歩兵銃を掴み壕の外に出た。
成人男性の背丈ほどの塹壕の通路の隅は一段高く土が盛られており、そこ上がると敵方が見える。手にする銃を土壁に立て掛て首に下げる双眼鏡に持ち変えた。土埃の付着したレンズを一吹きかけてから遠くの彼方を覗き込む。
身を隠す遮蔽物が殆ど無い禿山の斜面にロシア兵部隊が一線の長い横隊を作って登り上がって来ていた。その光景を発見した白朗は一瞬、地面が生き物のように動いているように錯覚した。日頃の疲労と寝不足で余計に見間違えてしまう。
「敵が来るぞ」
白朗が叫んだ時には、壕から出てきた味方が通路に沿って各々の持ち場に着こうとしていた。
その中で銃を背中に掛けて電話機を左腕で抱え、右手には缶に巻かれた有線を持った藤野の姿もあった。
「中隊長殿、1、2、3小隊は配置に着きました」
と、藤野は電話機を渡し、受け取った白朗は再び各小隊へ命令を告げた。
「中隊長だ。各小隊は機関砲の射撃準備はいいか?」
「1小隊準備良し」
と、声の主は乃木保典だった。続いて、「2小隊及び3小隊準備良し」と、2小隊から来た。3小隊とは連絡が相変わらず繋がらず、2小隊長がまとめて報告する。
保式機関砲を有する大隊直轄の機関砲中隊から6門が兒玉の中隊に配属されており、各小隊に2門ずつ置かれていた。
各機関砲は、斜面の地中に設けた簡易トーチカ内で狭い銃眼口から銃身を覗かせ、射手は射撃命令を待っていた。
兒玉白朗は双眼鏡でロシア兵の突撃を再度確認した。日本軍が設置した幾多の障害を越え、兵士の犠牲は幾人もあっただろうが、突っ込んでくる兵数は多かった。既に100メートルは無い距離で、味方の砲弾は巻き添えを伴うから落とせない。
ロシア兵の突撃の雄叫びが聞こえだしたのに合わせ、6門の機関砲が一斉に射撃を始めた。その射線は正面ではなく斜めに向けられており、近隣の機関砲の射線と重ね飛び出す弾が『×』の線を作り突入できる死角を無くす仕組みだ。
敵兵が次々と倒れ落ちて行く。
二百三高地の各所から連続で機関砲の射撃音が響き渡り、瞬く間にロシア兵の死傷者は千名を越え、高地には死体が積み重なった。