第七話:転属
熊本
西南の役が終息して八月、熊本は西に有明海が面し、瀬戸内海式気候に近く夏の気温は高い。兒玉十三朗は歩兵第13連隊と共に熊本の駐屯地に帰還して部隊の再編と戦後処理に追われて多忙をきわめていた。また、戦争での功績により中佐へと昇進していた。
そんなある日、十三朗は谷熊本鎮台司令官に呼ばれ、鎮台司令部が置いている熊本城に来た。城の至る所に砲弾や銃撃等の戦いの傷跡が残っている。
(数百年前に建てた城なのに、よくまぁ守り通せたもんだなぁ)
十三朗は先の戦争を振り返りながら、損傷した箇所を見渡し、谷のいる司令室へと向かった。
「閣下、兒玉中佐が参られました」
司令官付士官が十三朗が来た事を谷に告げた。
「入れてくれ」
士官は谷からの入室許可を十三朗に告げた。十三朗は士官に軽く敬礼をして司令室に入った。
司令室に入ると、谷が机に座り山の様な書類を一枚一枚にサインをしていた。戦後処理に加え事務、軍務等と机の上での仕事は戦場で指揮を執るより大変であり、連隊長の職務の方がまだ楽だと十三朗は思った。
「兒玉十三朗参りました」
「おぉ、来たか」
谷は顔を十三朗に向けて筆を下ろして引き出しから封筒を取り出した。
「山県さんからだ」
谷はそう言って封筒を十三朗に渡した。十三朗は封筒の中身に目を通した。
「東京への転属…ですか」
「うむ、元々お主がここに来たのは薩摩士族の反乱を迎え討つためで、その目的が無くなった今、東京に帰って来いと言う訳だ」
「それで、来月までに…」
「ん、どうした中佐。転属が気に入らんか?」
谷は長年の経験と勘で十三朗の微妙な動作を身のがさなかった。戦場ではそういった些細な躊躇で戦いが左右され、国家の大計が危ぶまれる事を谷は心得ていた。無論十三朗も、それでいて谷の言った事の意味を察していた。
「いえ、転属についてではありません。ただ、後顧の憂いを残して下りますので」
谷は少し考えて言った。
「乃木か」
乃木は戦争中、歩兵第14連隊の軍旗を紛失させてしまった事に過剰なまでの責任を感じていた。その後、汚名返上か、または死に急ぎたいかのように敵中に飛び込み戦い続け、負傷し後方の安全地帯に設けられた野戦病院に収容されるも第一線に戻ろうと脱走を繰り返した。この頃には熊本鎮台は熊本城から破竹の勢いの進撃により官軍本隊と合流しており数ヵ月ぶりに再会した兒玉十三朗と源太郎は乃木の変わり様に唖然とした。後に彼等の計らいにより乃木は二人の目の届く熊本鎮台参謀に回されて第一線から退かされた。しかし、乃木の感情は収まらず参軍―陸軍征討軍司令官―の山県に軍旗紛失の処分を求めたが、山県からは紛失後の戦いぶりや処分を求める責任の強さがかえって潔く思われ軍旗紛失の罪は不問となった。この不問は誰もが認めるところであったが乃木はそれでも自分の犯した罪を許す事が出来ず今日までに至る。
兒玉十三朗は司令室を出た後、兒玉源太郎の元を訪ねた。
「いやぁ、久しぶりだのぉ、十三朗」
参謀室にいた兒玉源太郎は十三朗が入ってきて、椅子から立ち上がり彼を迎えた。源太郎の他に川上操六に着任したばかりの西島助義がいた。
「久しいなぁ、源太郎に川上、君が西島か」
「はい、西島助義です」
西島は初対面の十三朗に敬礼をした。十三朗も答礼をし返して辺りを見渡した。
「乃木はどうした?」
「うむ、仕事を終えたらさっさと自室に籠りおった」
「…そうか、まだ直らんか」
十三朗は帽子を脱ぎ後頭を掻きながら、空いている椅子に座った。
「わしがまだ逆賊だった時、官軍の軍旗を何度も掻っ払ってそん度に官軍兵に向かって『こんげぇ旗なんざぁ、雑巾にもなんねぇやぁ!』って叫びながら燃やしたが、その時の官軍大将だった山県さんはケロリとしとったがなぁ」
「十三朗さぁ、よくまぁ恐れ大き事ぉ」
川上は十三朗の話しを聞いて腕を組んであきれ返る。
「そういう奴なんだよ乃木は、それがあいつの良いところだが、いまそれが裏目に出ている」
源太郎は明治維新以来の親友である乃木を決して見下す事をせず、むしろ自分にない所を持っている乃木を尊敬さえしていた。
「しかしなぁ…」
十三朗は『いくらなんでも度が過ぎる』と言いたかったが、言うことを控えた。その後、西島は十三朗に戊辰、士族反乱の際の戦略、戦術や対応を学び、源太郎は再び仕事に着き、川上は外に出かけて行った。外はすでに日が落ちて暗くなっていた。
前の廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。足音の主が参謀室の前で止まり「失礼します!」と慌ただしく兵卒が入って来た。
歩卒は息を荒して源太郎を見つけて報告した。
「乃木中佐が切腹を図ろうとしています!」
この兵達は兒玉源太郎の指示で常に乃木の動きを監視していた。
十三朗は歩卒の報告にギョッとした。源太郎は何ぃ!?と叫んで乃木の下に飛んで行った。源太郎の次に十三朗も部屋から飛び出した。続いて西島も出てきたが、源太郎や十三朗に追い付かず、十三朗は源太郎に追い付いて並んで走った。
乃木の部屋近くまで来ると乃木叫び声と兵の声が聞こえてくる。部屋に入ると二人の兵が乃木を押さえ付けて片手に持っている短刀を取ろうとしていた。
「乃木、馬鹿なまねはよせ!」
源太郎は乃木の両肩に手を置きなだめさせる。
「ご苦労だったな後はわしらが何とかするすけ、下がっててくれんか」
十三朗は兵達に退出を命じた。二人の兵は乃木を放し十三朗に敬礼をして部屋を出た。擦れ違いざまに西島が入って来た。
「死なせてくれ兒玉」
乃木は今にも泣きそうな目をして源太郎に言った。
「ならん!考え直すのだ、乃木!」
「いいや、陛下から授かった軍旗を失った自分を許す事は断じて出来んのだ!」
「乃木よ、あんたは立派な忠臣だ」
十三朗は膝を下ろし乃木に言った。
「だがの乃木よ、今貴様が腹ば切るならわしだって腹ば切る事になる」
「どうしてだ?」
「わしは昔逆賊だった。恐れ多くも陛下に弓を向け、陛下の兵を大勢殺めた。陛下の軍旗さえ奪い焼いた。それも全て自分が今の地位を手にするためにやった事だった。わしは乃木よりも罪が深い」
「……」
「それになぁ乃木よ、貴様は忠臣として死して陛下に詫びてけじめをつけようとしているが、そいつぁ、筋違いだわ」
「何故だ!?」
乃木は十三朗の胸ぐらを掴み自分の償いを否定する理由を訪ねた。今の乃木は多少の錯乱状態にあるとその場にいた三人は思った。
十三朗は次の三つの事を話した。
最初に、軍旗は陛下が授けた尊い物であり、それを失ったとなれば確かに罪な事だが、陛下は決して将の命をもって罪を償えとは決して言わない。ここで命を落とせば陛下の御心を傷つける事になり、これこそが最も罪深い事である。
次に、日本の南北時代の例えを話した。忠臣楠木正成は後醍醐天皇のため、鎌倉幕府の大軍と戦い常に奇抜な戦術をもって数で勝る幕府軍を翻弄させ、幕府滅亡に導くも、その後の足利尊氏の反逆の際、自軍の劣勢を補うため京の都で戦う事を進言するも戦を知らない愚かな公家のためにそれが叶わず、それでも忠臣として湊川で足利軍の大軍の前に討ち死にした。そして、楠木正成が死んだ事で後醍醐天皇の大いなる大望は潰える事となり、忠臣楠木としては最後まで生き続け帝のために戦い続けねばならなかった。乃木としては、『忠臣』として生き続けねばならない。
最後に、我々軍人は最早『侍』ではなく、恥じを受けての自害は無駄死にであり、『軍人』は恥じを噛み締めて生き続け、汚名を晴らす事こそが自身の名誉であり陛下に対する真の忠義である。
乃木は十三朗の話しに納得したしまったようで胸ぐらを掴んでいた手が自然と離れ、顔を下に向けたまま黙り込んだ。
十三朗は乃木の短刀を拾い刀を鞘に納めた。
「乃木よ立てるか?お主ゃぁ疲れとるんだ。医務室に行くぞ」
源太郎が優しく話しかけ乃木に寄って立たせようとさせた。
「兒玉、わしは今は死なん。だが、いずれは腹を切るぞ」
「分かった、だが、一人では死ぬな、そん時はわしも呼べ。介錯してやる」
源太郎はそう言って乃木に付き添い部屋を出た。廊下には谷司令官や、将兵等が集まって今までの経過を固唾を飲んで見守っていた。
「この短刀はわしの転属祝いに貰っておくか」
十三朗の言った事に横にいた西島は訪ねた。
「転属するんですか?」
「あぁ、来月までにな」
二人が部屋を出た。廊下には谷だけが残っていた。
「ご苦労だったな」
「いえしかし、丁度良かったですよ。私がここに来ている時にこんな事態が起きて」
「うむ」
「では、私はこれにて」
十三朗は谷に敬礼して熊谷城を出た。彼の転属はそれから数日たってから行われ東京に戻った。