第七十八話:二百三高地の戦い
黄海の海戦で旅順艦隊は日本艦隊によりウラジオストクへの航行を阻まれ、旅順港へと帰投した。一日前に港内から出港していった艦隊の偉容は砲弾により破壊され、火薬によって燃やされてしまっていた。潮風の中に焦げた火薬の匂いが鼻に着く。
この光景を目の当たりにした多くのロシア陸軍将兵の士気に突き刺さるものがあった。日本軍によって分断された陸の孤島に、敵の陸海軍が迫っている。
そして海軍が負けた以上、次の戦いは陸軍となる。日本軍が占領した二百三高地にロシア軍が攻勢を仕掛けたのは8月19日の事だった。
第1師団の守る同高地にロシア陸軍は温存していた東シベリア狙撃兵第4師団を投入した。
薄暗い明け方、ロシア軍の要塞砲陣地から二百三高地の他、各所の日本軍陣地に向け砲撃が行われた。
勿論、日本軍砲兵も黙っておらず、直後に各師旅団砲兵も反撃が行われる。
二百三高地の中腹や山頂は既に日本軍の防御陣地が張り巡らされており、地表に砲弾が炸裂する中で地中に設けた俺蔽壕に将兵は身を隠して砲撃の雨を凌いだ。
「1、2、3小隊、被害は無いか?」
と、兒玉白朗は中隊の下に置く各小隊陣地に繋がれた有線電話を使い小隊長達と通話した。彼の籠る狭い壕の中は次々と降り注がれる砲撃の振動から天井のランプは揺れ動き、埃が漂い軍服や電話機に積もっていた。
「3小隊、3小隊…」
1小隊長と2小隊長は連絡が取れていたが、3小隊長との通話が出来ない。
「線が切れたかもしれないです」
と、同じ壕の中に身を丸める中隊ラッパ手の藤野が言った。
「さっきまでは3小隊と繋がってたからな」
白朗が受話器を置いた丁度、敵の砲弾が付近に落ちた。大きな爆音が鳴り、強い振動が壕の中を揺らし身体にも響く。
「自分が線を張り直してきます」
「直すのは後でいい。今は敵の砲撃が続いて危ない。3小隊は近い小隊から伝令を出して、その小隊から状況を聞ければいい」
そう言って、白朗はまた受話器を持って小隊に繋げた。
(それにしても、中隊長殿はすごいな)
藤野は白朗を見て思った。暑苦しい壕の中にかれこれ三時間近く入っていた。睡眠時間は一時間少々で目の下のクマが目立つ。いつ終わるともわからず、いつ死ぬかもしれない戦場下で心身ともに疲弊も随分している筈だが、その表情はどこか清々しいものがあった。
外が青く明るくなり始めている。時刻は4時を過ぎており、周囲の視界が見えるようになってきた。
まだ、敵の砲弾は落ち続けていた。その最後の一弾が落ち終われば次の戦いが始まるのだ。