第七十七話:旅順艦隊の最期
『運命の一弾』と、後世まで語り継がれる一発が
三笠の艦砲から放たれたのが午後6時37分頃であった。
その砲弾が旅順艦隊旗艦『レトヴィザン』の艦橋に直撃し炸裂した。施設が木っ端微塵となることはなかったが、内部に集まっていた艦隊司令部の首脳が吹き飛ばされ、ヴィトゲフトも戦死した。
更に恐るべき事に艦を操る操舵主が舵に乗り掛かるようにこと切れていた。これによって艦は独りでに左に旋回が行われ、戦列を離れてしまう。
信号旗を上げず、突然と別行動を取る旗艦に後続艦には指揮系統の混乱が生じた上、『レトヴィザン』は左に回りながら遂には味方の戦列に突っ込んでしまい更に艦隊の行動に大打撃を及ぼしてしまったのだ。
天運─この言葉で全てが表すものではないが、一連のロシア艦隊の悲劇を目の当たりにした日本海軍にとって、千載一遇の好機であった事は間違いない。
その後の海戦の経過は、指揮系統が混乱したロシア艦隊を日本艦隊がウラジオストクへの航路に回り整然と攻撃を続行し、日没後の午後8時25分には夜戦を主任務とする駆逐艦部隊に攻撃が引き継がれ、主力部隊の戦いは終了した。
旅順艦隊は、戦艦『ペレスヴェート』に乗艦パーヴェル・ウフトムスキー少将が艦隊の指揮を執った。彼は、日本軍の意図通りに旅順港への帰還を目指したが、翌日には5隻の戦艦は辛うじて旅順港に帰還することができた。しかし、戦列の巡洋艦各艦は指揮系統から外れ這々の体で他の列国支配下の港湾へ退避し、同地にて武装解除され日露戦争終結まで拘束されることとなる。
日本艦隊から逃げ切った巡洋艦『ノヴィーク』は、太平洋航路からウラジオストクへの逃走を計ろうと目論んだが、8月20日に宗谷海峡の入り口の樺太大泊沖にて巡洋艦『対馬』及び『千歳』に捕捉され両艦との交戦の後に同海域沖合で座礁した。
また、黄海海戦から宗谷沖海戦の間の8月14日には第2戦隊が、朝鮮蔚山沖にてウラジオストクを拠点に日本の海上航路で暴れ回っていた巡洋艦3隻から成るロシア艦隊を捉え戦火を交えた。この海戦で第2戦隊旗艦『出雲』の弾薬が無くなるまで打ち尽くし、ロシア艦1隻撃沈、2隻を大破させた。
この一連の戦いから、極東方面のロシア海軍の主力艦艇の殆どが大破若しくは戦闘不能に陥っていた。しかし、その詳細な情報が日本軍に渡るには大分先となる。
これ以降の戦闘の舞台を暫くは陸軍が担うこととなる。旅順要塞のロシア軍との戦いは続き、満州遼陽では日露決戦が迫っていた。