第七十三話:旅順艦隊出る
乃木軍は、その兵力で着々と旅順のロシア軍に圧力を掛けていた。これに海軍は、陸軍の不足する砲兵力を補うために戦艦や巡洋艦から降ろした艦砲を野砲に転用して運用する海軍陸戦隊『陸戦重砲隊』を編成して乃木軍の指揮下に組み入れた。
海軍中佐黒井悌次郎を指揮官として、主砲にアームストロング社製の40口径安式15拇速射砲や40口径安式12拇速射砲が用いられ、次いで12听40口径速射砲等を約四十三門と大量の砲弾が戦場に運ばれた。
8月7日から、二百三高地の観測所より旅順港内のロシア艦隊への初となる砲撃を開始する。
この日に合わせ、乃木希典をはじめとした乃木軍司令部の幕僚たちは砲撃効果の確認のため早朝から高地に上がっていた。
かつて、ロシア軍の簡易的な防御陣地があった山頂には、電線が張り巡らされ砲兵の観測所が設置されており、歩兵や工兵が陣地の築城、補強に勤めていた。
兒玉白郎の中隊も山頂付近に兵力を配置しており、陣地築城が行われていた。兵士たちの移動と射撃のための塹壕が掘られ、その通路沿いの一部に太い丸太と鉄板に土嚢が積まれた隠蔽部を作る。小銃は簡易な露天陣地なのに対して、機関砲の陣地は手が込んでいた。穴を掘り壁に板や丸太をはめ、天井は鉄板で覆い土嚢と土を被せる。
重労働であった。構築資材を高地に上げる作業は手搬送で、十数キロの鉄板や丸太を何百も運ぶのは酷であった。連隊の兵力を動員しての作業は一週間を費やす予定あるが、計画通りには進まず夜通しの突貫工事となっていた。
そうした工事最中の乃木軍司令部の視察に伴う警備部隊を白朗の中隊が指名された。
「勘弁してくれ」
と、白朗はぼやきながら中隊名簿を見て事の組と警備の組に分け、他中隊からの工事支援を大隊本部に要求して編成を練る。そして、自身は警備隊指揮官を執るようにした。
日の出に合わせて到着する乃木希典以下司令部幕僚の警備に着き、暫くして各所の砲台から砲音が響いてきた。その時、双眼鏡を所持していた者は旅順港内に注目した。
どの砲弾も次々と大型艦に当たり炸裂する。しかし、戦艦や巡洋艦の砲塔や艦橋などの装甲の厚い主要部への打撃には威力不足で致命傷を与えるには至らなかった。
次に照準を港湾内の市街地に向けた。狙いはロシア兵舎、軍高官の官邸などの施設だ。十数発の砲弾は目標の周辺に命中して建物の一部に大穴を開けた。
ロシア軍将兵を震え上がらせるには十分な効果はあった。要塞の地下壕を除いて旅順の全域が日本砲兵の狙われるのだから。
乃木軍の砲撃は連日続いた。港内のロシア施設の大半は機能不能となり、駆逐艦等の小型艦艇は沈没あるいは航行不能の被害を受け、軍民問わず多数の死傷者を出していた。
「このままでは、いずれ艦隊は全滅してしまう」
と、日本軍の砲撃によって自身も負傷したヴィリゲリム・ヴィトゲフト少将は、それまでの籠城方針を一転させた。