第六十八話:旅順の戦い
7月26日の未明、真っ暗闇の中を兵隊が隊列を組んで進んでいた。声を出さず、足音や装具から出る音は少ない。
大きな集団は、示された岐路から其々の道を進み小枝や川の支流の様に小さな線となる。次第に進む道は険しくなり、凹凸の激しい悪路や勾配急な道を行く部隊もある。
連隊から大隊へ、大隊から中隊へ、部隊長はその指揮する番号部隊に所定の行動を取るように命じるのだ。
行き着く先は、林の中や土地の低い場所、水無沢などに部隊は身を潜めた。彼らが各々の目的地に着いた頃には、空が薄明かるくなり回りの景色が見えてくる。時刻は午前5時になろうとしていた。
第3軍は夜明けと同時に、6個野砲兵連隊に加え独立野戦重砲兵連隊、独立重砲兵連隊がロシア軍前哨陣地に向けて一斉に砲火を加えた。
これに対してロシア軍も応戦を始め、遼東半島の先端で激しい砲撃戦が始まった。
「陸軍の攻撃が始まりました」
と、旅順口沖に留まる連合艦隊旗艦『三笠』艦内で若い士官が艦隊司令部首脳達の前で報告した。
東郷平八郎ら司令部は艦橋甲板に上がり陸地を眺めた。遠くから砲音が沖合いまで微かに届き、砲撃で発生した砲煙が小さくも所々の広い範囲で黒々しく立ち上る。
日が上がり、日露両軍の砲撃戦は、開始から5時間が過ぎても勢いは衰えず続けられた。
「敵の砲も撃ち続けるな」
「外しているか、はたまた届かないか」
と、参謀長の問いに砲兵部長の豊島陽蔵少将が応える。軍司令部も今度の戦闘に合わせて指揮所を第1師団司令部の位置に設けていた。
三十一式速射砲や克式十二珊榴弾砲が撃たれる。慣れた軍人には砲音の違いが聞き分けられる。その中でも、二十八糎砲の音は格別だ。
両軍の砲声を飲み込み砲撃が一瞬止んだかと錯覚し、双眼鏡から着弾が分かる。
砲弾は、敵陣地、鉄条網、地雷原など歩兵部隊の侵出を阻む障害に次々と落ちていた。この間に歩兵は敵陣地に少しでも肉薄できるように慎重に銃弾や砲弾の間を進んでいく。多くの兵は身を守る物はなく、わが身一つで向かうのだ。
兒玉白朗の中隊も敵の陣前まで迫り、身を屈めながら持ってきた雑嚢から双眼鏡を取り出して突撃する陣地を覗いた。
鉄条網のあった場所は砲弾により吹き飛ばされ、ぐしゃぐしゃな鉄線や杭が無造作に四散している。更に奥を覗くと敵の塹壕が見える。小さな丘に等間隔に扇状の線のような防御陣地があり各方向に照準を取れるようにされている。
簡易であるにしても良く見積もられた陣地である。それも前哨陣地だった。
一発の砲弾が敵陣地に直撃して爆発したのが見えた。巻き上がる砲煙の中に地表にあった幾つもの大小の固まりも数十メートルの高さまで飛び上がる。その中に、人間の腕が宙に上がり落ちていくのがあった。




