第六十七話:ロシアの油断
日露戦争開戦までに、ロシアは満州において遼東半島や鴨緑江を渡り朝鮮北部まで影響力を伸ばしてきた。その背景には、数々の戦役で疲弊した清国の弱体化や日本・欧米の影響力が届かないことがあり、強大な軍事力を持って強引に勢力を拡大した。
18世紀から世界的に始まった植民地主義から帝国主義の時代に東欧の辺境国が数世代にかけてユーラシア大陸北部を平らげ世界一の国土にまで膨らませた国家事業の延長が、明治維新間もない日本に国家存亡を賭けた戦争に駆り立てた。
ロシアからすると、極東進出に当り日本との対立は欧州やトルコなどとの争いに比べ脅威と真剣に考えていた者は宮廷や政府、軍部にはいなかったかもしれない。それでも、日英同盟の関係から日本との戦争回避を主張する位で、結局は最終的に日本側が日露の国力の差から戦争に至らず妥協して屈するだろうと楽観的な思考に止まるばかりだった。
こうした単純さと強引さは勃興期のロシアの偉業的冒険を成功させ、帝国の由緒ある歴史を築き上げる原動力となっただろう。
しかし、時代の変化に対応しないまま腐敗した官僚主義を形成する原因となり、上流階級に終わりなき栄耀栄華の幻想をみせる麻薬のように働いた。
ところが、日本はロシアとの戦争を見据え国力に見会わない急激な軍事力の強化に乗り出したのだ。外交、軍事の面で身を削り戦争に挑もうとした。この真逆の両国の政策方針が日露戦争での日本軍の先制を許し、ロシア軍は陸海の戦闘で連敗を重ねる守勢から戦争を受けねばならなくなった。
海軍は、初戦による日本海軍の奇襲により、黄海と朝鮮半島の制海権を早々に奪われ、艦隊主力は旅順口内に篭り続け、ウラジオストク港の小規模艦隊が通商破壊を行うだけだ。ロシア本国からの増援艦隊と合流した後に日本艦隊と決戦する作戦がとられた。
陸軍を指揮するロシア満州軍総司令官アレクセイ・クロパトキン大将は、初戦での日本軍との決戦を避け、内陸奥部まで誘い込み、日本陸軍の致命的な弱点である貧弱な補給網を伸ばしきってから大規模な逆襲を実施する戦略を実行しようとした。これは、冬季反攻と共にロシア軍が得意とする戦術である。
1812年のフランス皇帝ナポレオンによるロシア遠征も延びきった戦線と補給線を冬季の総反攻によって30万人以上の犠牲者をだして失敗した。
「日本軍は強いが、勝つのは我々だろう」
と、クロパトキンも昔の戦訓に倣い同じ戦法を試みて戦争に勝とうした。彼の楽観的な戦争推測は、日本軍との戦力差、頑強に整備した旅順要塞が自信つけていた。まだロシア人の多くは、この期に及んでも日本人を甘く見ており、戦争を楽観視していた。